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風車のある風景  作者: 神奈
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ようこそ

「さて、どうしたもんかね」

「メイルぅ。勢いでそういうことしちゃだめだと思うなぁ」

「てへ☆」

「……子供の姿だから許される技を」

 メルの手にはトリガーが握り締められていた。

「ごめんね、ツバキ。痛かった?」

「いえ。何の問題もありません」

 トリガーは根元から千切れていた。クシャミをしたときに、その勢いでメルはトリガーを引き千切っていたのだ。

「芋演技すぎて、ひやひやしたよぉ」

「悪かったね。でも上手くびびらせられたし、結果オーライってことで、いいじゃない」

「いいのかなぁ」

 いいのいいの。そう言ってメルは部屋から出ようと歩き出した。

「ま、せっかくだし色々見学しよう」

「そうだね~」


 どうせ帰るつもりはないんだ。


 メルのかすかな呟きは、誰にも聞かれずに衛星の起動音に掻き消された。



 二人と、一塊と、あとひとつ。

 真っ白の船体の上に陰を落としている。

 気圧保持の錬金術のお陰で、着の身着のままメルは外を歩くことができていた。

「おおお! 真っ暗だぁ……ていうか何もないね……」

「ここが、天辺か。大したことないなぁ。こんなもののために私は……」

 真っ白な船体の色が目に滲んでまぶしい。

 メルは、その場に座り込み、空を見上げた。


 一番上に来ても、結局空はあって、終わりはなかった。

「広いな。しかし星が心なしか少ないような気も」

「船体の反射光で目がなれていないだけでしょう。目を凝らせば見えますよ」

 言われるがままメルはエリクシルを吸い込んで、視力強化の錬金術を起動する。同時、世界は光に包まれた。

「おぉ……」

 星が煌く夜空は、あまりにも賑やかで思わずため息が出る。メルはその場に倒れるように座り込んだ。

「凄い……。へえぇ、渦巻き型の星もあるんだ。あっちは星すらないな……地上の比じゃないねこれは」

 満天の星。まさにそのとおり天を満たすほどの星の数。

「メル様」

 背後のメイドの気配はしないが、確かに彼女はそこにいると理解できている。不思議な感覚だった。もののけたちよりも存在が希薄なのだ。錬金術で作られた実態のない体のような感じだろうか。

「よろしければ、少し目を閉じていただけませんか?」

「ん? いいけど?」

 そう言って、メルは目を閉じた。


 尻の方からかすかな人工衛星の駆動音が聞こえてくるぐらいで、ほかには何もない。

 もしこの衛星から離れてしまったら、何もなくなってしまうのではないだろうか。

 音も、光も、感覚も。

 静かな時間だった。

 視覚の増幅は面倒臭くて切らないままにしていたので、瞼の暗闇が嫌に目に刺さる気がする。後ろでもののけたちが何だかゴソゴソしてる。

 ふと、一人ぼっちになった気がした。

 この先どうするかなんて考えてはなかったけど、少なくとももう柱に戻るつもりだけはなかった。

 それは、別に柱が嫌になったとかそういうのではなくて、何だかそもそも柱にいることが不思議になってしまったのだ。

 もし許されるなら、ツバキにエリクシルを大量に分けてもらって、行けるところまで柱から離れてみるのもいい。最後にはエリクシルが切れて空気がなくなって、死ぬことが分かっていても、とくにそれを絶望とは思えなかった。

 ――変な自殺願望みたいな感じだ。

 死ぬために死ぬのではなく、ただ生きることを手放したような、そんな感覚。


 ゆっくり、人工衛星の駆動音が大きくなっていくのを感じる。

 ともすれば、今、自分は宇宙という何もない世界に取り残されている、そんな気すらした。

 ふと、体に変な感覚を得た。同時、ツバキから声がかかる。

「重力方向を少々修正しました」

「?」

「メル様、上をご覧ください」

「目、開けていいの?」

「はい、これはリーズフリオ様へのでもなければ、そのご友人へということでもなく、わが主グリフジーンの直系のご息女ということも関係なく、この場所にいらっしゃったメイルジーン・ベルベット様個人へ、私――」

 ツバキは言葉を切る。

 それを合図に、メルは目を開ける。

「準天衛星ツバキからの贈り物でございます」

 そして見た。


 メルは見たのだ。

 見てしまった。

 体中が粟立ち、手先が震えてるのが分かった。

 かすかに体が引っ張り上げられてるような感覚に、立ち上がる。


「あぁ……」


「ようこそ、メル様」


 白。

 白だ。真っ白の星が浮いている。

 空いっぱいに、真っ白の星が浮かんでいた。

 手を広げても、顔を振ってもなかなか宇宙との境目が理解できないほどに、途方もない大きさの星が浮いていた。

 これほど離れてもそれが存在することに驚き、それほどにこの星が巨大なのだと思い知る。

 視覚増幅した視界に、雲の中を掻き分ける柱が見えた。

 今まで自分が住んでいた、あの柱が――


 空から自分を見下ろしていた。


「ようこそ、世界の底へ」


 ここは、天辺なんかじゃなかった。

「はっ……はは……なんだよ……」

 一番下だ。

 世界の底だ。

 上はまだある。

 詭弁だと笑いながら、だけど体中がすでに認識してしまっていた。

 あそこに上りたいと。あの真っ白な雲で覆われた星に行ってみたいと。

 体中が叫んでいた。


 それと同時、ようやく回りの喧騒が耳に届く感覚にメルは苦笑を隠せなかった。

 手を伸ばしてみる。

 遠すぎて、何だか現実味がない距離。

 だけど、たしかにそこには待ってるものがあった。

「高いな。どれぐらいあるんだ?」

「およそ、四万キロ。そのロケットでは到底辿り着けない厚い空気の層に守られ、秒速三.一キロを零にするほどの速度がなければ辿り着けない、そんな険しい山です」

「ははっ……」

 してやられた、と髪の毛を力任せに掻き上げる。

 だけど何だかつかえが取れたみたいで、すっきりとしているのも事実だ。


 この小さな体で、どこまで行けるか試すなら、せめてそこに誰かがいる方がいい。

 そんなことを考える。


 いつの間にか、もう頭はあの白い白い綺麗な宝石のような星に駆け上ることでいっぱいになっていた。

 と、近くにいたユズがゆっくりとメルの方を見る。

「メイル。私はここに残るよぉ」

 星から目を離さずに、メルは静かに息を吐く。

「……分け身に固有錬金術はないんだ」

 それがどういうことか、ユズは理解しているはずだ。

「うん」

「いつか消えて、ただのエリクシルの塊になる」

「知ってる」

「その記憶は、誰にも引き継がれないよユズ」

「うひひ」

 もうそれ以上の言葉は言えなかった。

 メルは、ただ一度だけ息を勢いよく吐き出して、それで終わりにした。

 静けさを破ったのはメルが乗ってきたロケットだった。

 計器のひとつが音を鳴らしていた。

 それは、相対速度距離計。

 柱に設置されたビーコンを頼りに、己の速度や柱からの距離を測る装置。

 メルはロケットの中を覗いて、合点がいった。

「リグ、わざわざ置いてくれたのか」

 ビーコンが今設置されたらしい。たぶん柱の天辺にだろう。

 高所恐怖症は治っただろうか。

 二人で柱の天辺まで行ったことを思い出す。

 記憶が、思い出が、メルを見下ろしていた。

 ビーコンの音が、まるで早く帰って来いと言っているようだった。

「急かされたら、敵わないな……」

 本来は到着を告げる、予定距離まで離れたときに鳴る速度計の合図。

 今はそれがまるで、リグが呼んでいる声に聞こえた。

「さぁ、そろそろ帰る時間みたいだ。ツバキ、次は二人で来るからよろしく」

「……また私は待つことができるのでしたら、それ以上に幸福なことはないと判断します」



 消えたい奴だけついてきて。そう言ったメルの言葉に、もののけは誰一人離れなかった。

 二五人のもののけはひとつの塊になり、メルの体に巻き付く。

 それを嬉しそうな顔をしてユズが眺めていた。

「我々には、我々のやらなければならないことがある。それはここに留まることではないし、ましてや長生きするためでもない。君が気にすることではない。これは二五人の総意だ。遠慮などしなくていい」

「別に、遠慮はしないけどね……ああ、そっちに集まると効率悪いから背中のほうに集中して。前面の熱は後ろに逃がすから」

「それは……あまりお勧めしない」

 メルに言われたとおりにもののけたちは形を変えていく。

 ユズを体に巻き付けたときよりも何倍も大きい白い塊が彼女を覆う。背の方に集中し、関節などの動く場所にはほとんど巻き付いていない。大きな放熱板のような物が付いた鎧のような仕上がりだった。

「あんたの、いや、あんたらの言いたいことは分かってる。分かってるさ。でも私はそれも全部ひっくるめて降りるって決めたんだ。楽な方法は選ばないよ。帰れる可能性の高い方を選んだだけだから」

「……そうか、ならば言うまい。我々は構いはしないさ」

「ま、ある程度減速できりゃ、問題ないって」

「だといいが」


「準備は完了いたしましたか?」

「ああ」

「良い旅を。メル様」

 そう言って、彼女は静かに礼をした。

「それじゃ、ツバキ、ユズ」

「うん。ばいばい~。あっちの本体にもよろしくねぇ」

「わかってるよ、せいぜい長生きしてくれ」

「うひひひ。メイルが次来るときまで待ってるさぁ」

「そりゃ、急がなきゃな」

 二人は歩み寄ると、一度だけこつんと拳を合わせた。


 それが合図だった。


 衛星の周りを漂っていた息苦しいほどのエリクシルが、一瞬にして空白状態になる。

 あまりの速度に、ユズも、そしてツバキも驚き目を見張った。ツバキなど計器の故障を疑って、反射的に自己診断装置が起動したほどだった。

「……最後にとんでもないことしてくねぇ」

「私はその気になったら、エリクシルを吸うだけで街だって落とせるのさ」

 そう言ってメルは歯を剥き出しにして笑った。

「ははっ、さすがだねぇ。さすが天才クリエイターと錬金術の創始者の娘ってところぉ?」

「違うよ」

 一歩前に。衛星の端っこに立って、真っ白な星を見下ろす。あのちっぽけな黒い染みみたいな影の辺りに柱がある。あの小さな場所は、だけど、やはり大きい場所だ。

「友達を助けるために私が私に望んだ力さ」

「……」

「加減できなかったけど、ツバキは大丈夫だった?」

「はい。貯蔵しているエリクシルはメル様にも扱えないほどの量があります。たとえ貯蔵しているエリクシルをすべて吸い上げられたとしても、機能に問題はありません」

「さすがだね。それじゃ、またね」

「はい。お気を付けて」


 星を見上げた。高い、気が遠くなるほど高いところに浮かんでいる真っ白な星だ。雲の白さはすべてにおいて一様で、のっぺりとした印象を受ける。

 だが、かすかに渦を巻いたり盛り上がったりしている場所もあるのを知る。雲が作る影はかすかなものだが、たしかにそこにあるのは白い球体ではなく星だと分かるものだった。

 ロケットの中で、まだ速度計がビーコンを受信している音が聞こえてくる。

 ひとつ、ふたつ、みっつ。


 音を数え、そしてメルは勢いよく飛び出した。


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