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風車のある風景  作者: 神奈
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約束の帰るトコロ

「一〇年。よくぞ、ここまで……」

 真っ白な部屋に、少し場違いなメイドが佇んでいた。

 対峙しているのはメルと小さな狐のすがたのユズと、ひと塊になったもののけ。

 ふと、メイドの言った言葉にメルが首をかしげる。

「一〇年? 一〇年もここにいるの?」

「いえ、わたしはこれが建造されてからいます。建造から言えばすでに八〇〇年以上経っております」

 ゆっくりとメイドが顔を上げた。

「リーズフリオ様との約束から一〇年、という意味です」

 緩いウェーブにかかった髪がまるでストレートヘアのようにさらさらと流れている。

 銀色か、それとも金色か、光の加減でよく分からないが、輝く髪色にメイド服の白黒がよく映えて一枚の絵のようだった。

 実際、彼女の存在感は何だか希薄で、それもまた絵画のように見える原因のひとつだろう。

 詰まった言葉を一度飲み、メルは軽く咳払いをする。

「いや、リグはいないんだ……」

「はい。存じ上げております、メイルジーン様。しかしリーズフリオ様はここに辿り着いてくださいました。あの日約束した言葉は嘘ではなかった。一〇年。お待ちしておりました。あの日からずっと……――」


 ■


 建造されてから最初の数十年、エリクシルが溜まり切るまでは慌しかった。

 創造主からの連絡も頻繁だった。

 だがそれもすぐに途絶え、気が付けば、ただ己の職務を全うするためだけに待ち続ける存在となりはてた。

 三〇〇年。

 することはなかった。最初からあった自分が壊れていないかのチェックと目標である柱を見失わないようにする仕事だけが彼女に残り、あとただ時間を過ごすだけだった。

 余ったエリクシルは、その過剰ぶりに太陽光を反射し始めるようになった。だが、それだけだ。有り余るエリクシルは彼女の機能を十全に保ち続ける。

 それは、何も変わらない。ただ時間が過ぎていくだけのもの。

 暇を持て余した彼女は、おのれの機能を確認する工程のなかで遊びを見つける。無意味に船体を回したり、必要のない光学素子を起動しては、果てのない宇宙をながめたり、創造主がいるはずの柱を見下ろしたりだ。


 そして彼女は柱に光るものを見つけた。

 驚き、光学素子を必死で動かし、そしてそれがメッセージであることを突き止めた。意志のある光だった。

 柱で使用されている言語は、彼女の知る中ではメモリ領域の二〇万セクタ辺りに格納されている言語のはずで、それを元に解析を始めるが一向に上手くいかない。

 結局、解析中に光の明滅は終わった。

 それが、創造主たちが使っていた公用神聖言語ではなく一般人がよく使っていた辺方Ⅲ型基底文語の派生であるという解析結果が出たのは随分あとになってからだった。

 メッセージは、ここで生きているぞ、といった類のメッセージだった。

 どうやら彼らは、彼らがそこにいる理由を忘れてしまったらしい。

 あの王たちの手から逃れるため、王が壊せない柱に逃げ込んだ者たちだったはずの彼ら。だが、もう逃げも隠れもしない生活を送っている、というのはそのメッセージから十分伝わってきた。それは良いことなのか悪いことなのか、彼女には判断はつかなかった。


 エリクシルの原材料に一番効率がいいのは人間の魂だという。

 最初はそれでも人道的なものだった。

 手続きも踏んだし、契約も交わしていたと創造主はいっていた。だがいつしか状況は変わり、最後には平然とエリクシルを得るために人間を殺して回るようになった。

 何億人といた人間を瞬く間に数万という数にまで減らした。

 その数に含まれなかったのが、あの柱に逃げ込んだ人々だ。そして彼らはすでに己たちがいる理由を忘れ、ただそこで生きている。

 それは、不幸で後ろ向きな過去を捨て去れたと喜ぶべきか。

 それとも、過去を忘れたと嘆くべきか。

 そして、いつしか自分もそうなる。彼女は覚悟をした。

 それからの五〇〇年は退屈だった。

 柱は、夜も賑やかになったが、こちらを見てくれる者はやはりいなかった。

 人は目的も失い、生きる意味も失い、ただ死なないように柱にしがみ付いているようにしか見えなかった。

 それはもう死んでいるようなものなのではないか。すでに地上からの連絡は自動的なビーコンのひとつすら消え失せ、彼女はただただ柱の上で大量のエリクシルを溜め込み、余剰分を吐き出すだけの存在と成り下がっている。


 そんなときだ、光を見た。

 明滅はたしかに意思を持っていた。


 街の光に消え入りそうで、あまりに拙いその光だったが、彼女にとってそれはあまりにも鮮烈で苛烈で力に溢れ、意思に溢れた、魂の叫びに見えた。

 命はまだここにあるのだ、生命は生を享受するのではなく、その先に向かわなければならない。

 それが生きているということだ。

 生きるということは、つまるところ未来へと歩む力そのものである。

 ただその場でぐるぐると回り続けるだけの時間は、生きたとは言わない。

 前を進み、暗闇に光を見出すその意思こそが、まさに命。

 必死でその光の明滅から声を聞いた。

 公用語の変性は、想定の誤差範囲内にとどまっている。そもそも回りくどい言い回しや、スラングなんかのまざった文章ではない。

 端的で、素直なたった一言。解析は一瞬で終わった。

『必ず、そこへ届くから』


 五〇〇年ぶりのその言葉を彼女は信じた。

 惑星を生き返らせる装置としてではなく、ツバキと呼ばれる己の心に刻み込む。

 あの日、あのとき、ようやくツバキも生きることを知ったのだ。

 それから一〇年。ツバキは一度だって、己が生きることをつまらないと考えたことはなかった。

 毎日ただただあの声の主が来ることを待ちわびていた。

 幸い、余剰分のエリクシルは驚くほどに大量にあったので、時間をかければ柱にいる人間たちのことを調べることは難しくはなかった。今まで暇つぶしでもやらなかったことをやっているのがあまりもおかしくて、一度は定期チェックではない、完全なメモリチェックまで行ったほどだ。

 一応チェック結果は正常。エリクシルも、垂れ流し状態で余剰分を使うことに問題はなさそうだった。そんな言い訳をしながら、彼女は柱に住んでいる人間たちのことを調べ始める。

 人一人の名前を調べるのに三日以上かかるが、それでも彼女には十分時間があった。そして声の主が柱で一番有名な会社の長女であることが分かった。

 彼らの言葉も勉強したし、ほかにも色々と知ることはあった。少なくともツバキは退屈などせずにこの一〇年を過ごしてきたのだ。


「楽しい一〇年をいただきました。あなた方が宇宙船を作り上げ始めたときは、嬉しすぎて少々エリクシルを過剰に放出してしまいましたし」

「それで、一人ぼっちだったツバキに会いに来た私たちは歓迎してもらえるのかな?」

 メルの言葉に、ツバキは静かに微笑みを返す。

「もちろんですとも。船内の気圧、温度、共に順応終了いたしました。なにぶん人のいない船ですので、空気は用意しておりませんでしたから時間がかかってしまいましたが、もう問題ありません。どうぞ、こちらへ」

「空気がいらない? あんたもののけか」

「いえ、わたしはこの船そのものです。この姿は錬金術による映像と考えていただいて結構。私はこの船、この船は私」

 そう言うと、彼女は手をゆっくりと伸ばす。

 同時、その手の動きにあわせて扉が開く。

「ということです」

 そのタイミングが、その動きが、すべてを物語っていた。

 今、メルたちは彼女の中にいるのだ。



 そこは展望台というには少し趣が違った。

 それはたしかにこの場所が、この船が、そうであるということを思い出す唯一の場所だった。

 真っ白な雲に覆われた星を見下ろす小さな部屋には、中央に椅子が鎮座している。そしてその前に、ひとつの取っ手のようなものがあった。

 メルたちは知らないが、それはまさしく拳銃のグリップであり、トリガーの形をしている。そのトリガーを引けば、否応なしにこの船にあるエリクシルが余すことなく柱に叩き付けられる、そういうものだ。


 メルも、本能的にそれが発射装置と理解し、エリクシルが柱に叩き付けられる瞬間を想像して身震いする。

「さぁ、メイルジーン様。どうぞこちらに」

「へ?」

「その引き金を引けば、エリクシルは熱量へと変換され、柱を星の中央まで届けるでしょう。星は熱を取り戻し、地磁気を取り戻し、また人の住める星が甦ります。おめでとうございます、創造主の悲願は達成されました」

「……」

「どうかされましたか? 我が主の親族が来たということは、そういうことだ。と理解しております。どうぞ」

「ふふっ……ははははっ」

「メイル?」

 笑い出したメルは、そのままトリガーに手を掛けた。

「ちょ、ちょっと! メイル!」

「あの糞ババァもこれで消えてなくなるのか」

「最終的な変換熱量は計算上、エリクシルそのものも焼き尽くす計算です。魂は熱量として利用されるのではなく、正しく魂へと帰り、輪廻転生的にもハッピーです」

「軽く言うね」

「人ではありませんから」

 ツバキは静かに一礼をする。

「まぁいいや。ねぇ、ツバキ。あんたのその映像って離れたところにも出せるの?」

「と、言いますと? 船外ということでしょうか?」

「そうそう。柱に。小汚い部屋にさ。できるかな?」

「もちろんです。通信という意味で言うと、向こう側を知ることは不可能ですが、こちらの音と映像を一方的に送り付けることは可能です」

「うん、それでいい。向こうの様子なら、私にはこれがあるし、問題ない。んじゃ、わたしの言うところにこの部屋の映像を送ってくれないかな?」

「了解しました」


 ■


 未だ湿気が抜け切れない部屋には、一〇本の柱が立っていた。柱の天辺には相変わらず、一人の老人が座り込んでいる。

「……ま、あの爺さんはどうにかできなかったが、管理は出来るとして、まぁ五〇点ってところか。メイリードは、どうだろ。ま、ほっときゃいいか。あの衛星さえ何とかなれば、全部。全部僕の勝利で終わりさ。終わりよければすべてよしってねぇ」

 呟いた言葉は、湿気た空気に阻まれて床に転がっていく。

 と、馬鹿に大量のエリクシルが辺りに渦巻き始めた。

 あまりのことに老人は柱から落ちそうになるほど驚き、体を隠す場所がないその天辺で、エリクシルの大洪水を見守ほかなかった。

『あー、ツバキ? もう始まってんの? はい、問題ありません。音も大丈夫です。 ふーん。お、本当だ。凄いな、へぇ遅延もないじゃん。 もちろんです。そもそもその千理眼と同じ理論で作られていますので。 あーなるほど、遅延してても同じの使ってんだから分かんないか。 いえ、それは分かりますよ……? え? そうなの? 遅れた映像をさらに遅れて覗くのですから、合わせてさらに遅くなるでしょう? あーなるほどねぇ。 ツバキぃ、メイル分かってないからそれ~。 申し訳ありません。 何であんたが謝るのさ』

「な、何だ? メイルジーンだと!?」

『お、聞こえる。 あー。元気か爺さん? まだ死んでないのは驚きだけどね、元気そうで何よりだ。って、ずぶ濡れだな。年甲斐もなく水遊びとか、さすがにちょっと引くけど』

「……そこは、ツバキか! ははっ、本当に辿り着く馬鹿が現れるとはねぇ! 素晴らしいよ。完璧だ。実際無事にそっちに着くとは思ってなかったけどさ」

 老人はようやく落ち着きを取り戻し、柱に座り直すと何とか体裁を取り繕うと咳払いをする。

『あんたに褒められることはしてないさ。何年ぶりだっけ? 二、三〇年ぶりか。まだあの頃は、あんたもまともだった気がするけどね』

「ずっと僕はこの調子さ。礼儀はわきまえているけどね」

 老人柱の天辺に胡坐をかきながら頬杖をついてこちらの映像を眺めていた。

 メルの記憶からすればそれなりに時間が経っているのだが、見た目はまったく変わっていないように見えた。

『まぁいいや、これ、何だか分かるか?』

「なんだい? 何かのスイッチだな。それより、君たちの後ろにいるのはツバキなのか? 初めて見るけれども。まさかあの衛星に、もののけ以外にヒトを乗せる余裕はなかったはずだし。どうだい? 合ってるかな?」

 とうとう状況に慣れたのか、軽口すら叩き始める。

『悪いけど、あんたの質問には答えるつもりはない。問題の答えは』

 メルは振り返り、後ろのメイドを顎で促す。

『正式名称・対惑星再加熱式核融合促進砲。あなた方人間が星のすべてをかけて作り上げた、冷えた星を復活させる装置のトリガーです』

「……」

 老人の口に張り付いた笑みが消える。

『作ったのは私らじゃないけどね。だから星のことも知ったことじゃない』

「そうだね、そうとも。さすがメイルだ。分かっているじゃないか。そんな過去の遺産なんてとっとと壊してしまえばいい。そいつが集めたエリクシルは莫大すぎる。危険なんだよ。さっさと解放しないと、惑星復活どころか柱も星も全滅なんてことになりかねないさ」

『それこそ、私にとっては知ったこっちゃないね』

「へ?」

『そっちにはむかつく奴が多くてね』

 メルが笑った。まるでメイリードのような、獣のような笑み。

「メ、メイルジーン?」

『これ、安全装置も何もあったもんじゃないのさ』

 言いながら、彼女はそのトリガーに手を掛けた。

 グリップを握り込み、人差し指をトリガーに掛ける。撫でるようにトリガーを触ると、かちかちと乾いた音がした。

 あとほんの少し押し込むだけで、確実にスイッチが入るだろうことは、もう誰の目に見ても明らかだ。

「ま、待ったメイルジーン。お、落ち着きたまえ。お前の母親の件なら、君のいいようにしよう。ほら、もうグリフジーンも対処できることが分かったし、管理局が責任を持って――」

『はっ……は……』

 鼻をひくひくさせながら、メルは大口を開け、仰け反る。

「や、やめっ」

『はっ……はっくしょい!!』

 大音響が、真っ暗な風洞街の一角にびりびりと響いた。

「……」

『おっと、危ない。スイッチ押すところだった。んで、何だっけ?』

「だ、だから!」

 思わず老人はたちあがり、空中に浮かぶ映像に向かって叫ぶ。

『年寄りの話はつまらなすぎて、ここまで来るのに疲れた私は眠ってしまいそうだよ』

「わ、分かった。何が望みだ。そのトリガーから手を離してくれればいい。その衛星は危険なんだ、即刻その場から立ち去って破壊してくれっ」

『ふぅん。一応これでも父親の遺品。ってことになるんじゃないのかな、ツバキは。それを、ほいほいと壊せって?』

「あああああ、わ、悪かった! 悪かった! 謝るから!」

『悪いけど私も、あんたも耳長だ。分かるだろ、この意味』

「分かるさ。君はたとえ知人がいても、トリガーを引ける。……話をしよう。その人工衛星は本来、柱に帰ってくるはずのエリクシルを大量に溜め込んでいるのさ」

『柱に帰る?』

「錬金術で使用されたエリクシルは、熱量を失い変性して空に上る。真空状態に晒されると、変性したエリクシルは太陽からの光を吸収してまたエリクシルになる。そうやって熱量を得たエリクシルは、星の重力に引かれて最終的には星に戻る。その戻り始めるところが、だいたい地上から三〇〇〇〇キロの静止衛星軌道……今君たちがいるその場所さ。だからこれ以上先へロケットがいけば、どんな現象からもエリクシルは引き出せなくなる。つまり火や水やバッテリーじゃなくてエリクシルそのものの塊であるもののけたちが必要になるってわけだ」

『へぇ。初めて聞いた』

「何事にも、エネルギーは一定なのさ。とにかくそういうサイクルで、辺りに散らばった、術者が使えないほど薄く広がったエリクシルは、星に戻ってくる。柱は、星に散らばったそのエリクシルを一年に一周という速度で走りながら掻き集めているんだ。だが、そのサイクルの中でツバキだけはエリクシルを」

『あー! もういい! 意味分かんないし』

「つまり、本来星に帰ってくるエリクシルをそいつは奪って溜め込んでるんだ!」

『そうなの?』

 振り返ったメルに、ツバキは静かに頷く。

『はい。現在、柱周辺に偏在する全エリクシルのおよそ一〇〇倍がこの船には貯蔵されております』

「そらみろ! それだけのエリクシルがあれば、我々耳長族は世界を統べることができる!」

 老人は立ち上がり、拳を握り締め振り上げた。

『そういや、あんたそういう奴だったね。耳長族至上主義だっけ。ほんと面倒な奴。やっぱ面倒臭いから柱ごと消えてなくなれ。私には興味はない』

 そう言って、メルはトリガーに掛ける指に力を入れた。

「ふざけるな! ここまで来て、何を言ってるんだお前は! それは私のものだ! 早く壊せ!」

『はん。あんたも死んでエリクシルにでもなってな』

 ガチン。

 トリガーが引かれる乾いた音がした。

「!!」

『んじゃ、達者でな。あの糞ばばぁにもよろしく』

 そしてメルの立体映像は余韻も残さずに消えた。

 残ったのは、恐怖で気絶した老人と、静かに佇む一〇本の柱。それ以外には何もなくなっていた。


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