嵐のあとの
大騒ぎも大騒ぎだった。
祭り騒ぎの方がましなほどで。それはもう、後世に語り継がれなければ嘘だというほどに大騒ぎだった。
一七番地が崩れ、とうとう一三番地の二の舞か、と大騒動にまで発展した柱は、しかしなぜか今も静かに朝を迎えている。
メイド服を着た黒髪の女性が空を飛び、一七番地を救ってくれたのだと皆が口を揃えて言っていた。
あのメイド服はベルフレアの屋敷のメイドの服で間違いないとメイドマニアの変態が太鼓判を押した、まったく纏まっていない情報を纏めて載せた号外のインクすら乾ききっていない新聞がばら撒かれ始めた頃、朝食で満腹になったメイリードはゲップをひとつ吐き出し満足そうな表情を浮かべていた。
一七番地を放り投げ、そのあとで平然と街を元に戻した張本人は、いつもどおりに何も変わってはいなかった。
「さすが、最強のクリエイターね」
ころころとアーセルが笑う。しかしさすがに崩れなかったとはいえ、崩壊の傷跡は随所に残っている。グリーフベルア家自慢の大きな庭は中央から亀裂が入ったままだし、屋敷もガラスが割れ、三軸風車も倒れている。
そんな庭の中央で、アーセルとメイドが二人、向かい合っていた。
「もう文句ねぇだろ」
「そうね、死者〇って、奇跡的だわ。怪我人は結構出たけど、半分はあなたの娘がロケット飛ばしたときの影響だし、しょうがないと言えばしょうがないし」
あの大騒ぎのさなか、被害状況を確認し終えているアーセルも大概ではあったがもちろんそんな突っ込みはだれもしない。
「……」
そんなアーセルの横でモモは不機嫌そうに、もう一人のメイドを睨み付けたまま無言。
「はい、約束の品。あなたが封印されてからの、先輩の記録写真」
「……おう」
「子煩悩ね。管理局入りに反対したのも、先輩が怪我するから心配してなんでしょう? 最初っからそう言ってたら、あんなことにはならなかったのに。先輩が勧誘されたのも、あなたを苛つかせるために何度も錬金術師団送ってきたのも全部、あの爺さんの差し金よきっと」
「はぁ? なんで爺が……何のためにそんなことしたんだよ」
「あの星に行く子を育てて、グリフジーンを殺すため」
「意味わかんねぇ」
「惑星再生計画は、管理局の中では昔から問題になっていた話なの。でもあなたの夫だったときのグリフジーンは、手に負えなさすぎた。だから器である人間を子供にして……」 アーセルはいったん言葉を区切り、目の前で眉間にしわを寄せているメイリードをみて、言葉を選びなおす。
「とにかく、グリフジーンのやりたいことで柱がなくなりそうだったから、そのために色々してたのよ」
メイリードの頭上にいくつものハテナマークが浮かんだところでアーセルは説明を諦め、ため息をついた。
「奥様、なぜそんなことをご存知なんですか?」
「あのお爺ちゃんは、昔うちの会社が助けてあげたの。結構なお金使ってね」
「それで……」
「ちょっと脅したら全部話してくれたわ。あなたの居場所も。まさか、実家に戻ってるとは思わなかったけど」
「あそこ以外に行く場所なんかないっつーの」
「そうね。さて、挨拶が遅れましたね。初めまして、あなたのお嬢様にはいつもうちの娘がお世話になっております。アーセル・グリーフベルアといいます。よろしく」
「……あの糞ガキを直接殺す原因を作った相手に名乗る名前も礼儀もねぇ。もらうモンはもらったから帰る」
踵を返し、メイリードは歩き出した。
「先輩は帰ってくるわ。帰ってこないなんて、うちの娘が許さないから。ほら、これから忙しくなるんだから手伝ってくださいな、メイリードさん」
立ち去ろうとしたメイリードの目の前に、まだ服も髪も乾き切っていないリグが立っていた。
その横にはヘイズが。そして彼の頭にはファルが乗っている。
三人ともボロボロで今にも倒れそうだ。
彼らを一瞬だけねめつけて、だがメイリードの足は止まらない。
「どけ、勝手にやってろ。私には関係ねぇよ」
「待って」
三人の隙間を通り抜けようとしたメイリードの手を、リグは力いっぱい掴んだ。
「てめぇ……邪魔すんじゃねぇっつーの。殺すぞ」
「先輩を帰還させるためには、私じゃ無理なんです。私の力では、技術では無理。助けが必要です」
リグはじっとメイリードを見る。
「あいつは、帰ってなんかこねぇよ。そういう風に作った。諦めは悪いが、振り返る奴じゃねぇ。錬金術師が必要ならグリフジーンにでも頭を下げてろ。ガキのなりしてはいるが、知識だけは間違いなくあの男だ」
耳長族の腕力を抑え切れる訳もなく、リグの手は軽くメイリードに振り払われる。
「私が、写真のためにノコノコやってきたこと黙っててくれたことだけは感謝してやる。じゃぁな、ベルフレアの金持ちども」
そう言って、今度こそメイリードは皆の前から消えた。
一瞬、しゃがみ込んだと思った瞬間、彼女はとんでもない速度で空へと飛んでいったのだ。
「ま、服と庭の修理費は、後日請求しましょうか。何なら一七番地の後始末はうちで持って、メイリードさんに全部被せてもいいかも」
「お母様……」
「モモ、本当に一七番地が崩れる前に修繕業者の下請けコンペ開く用意を。私は、工事権もらうためにちょっと席を外します」
「はい、奥様」
「……一番怖いのは、アーセルよね」
「そうだなぁ。誰も負けなかったが、一人だけ勝利したわけだ。さすが世界最大の企業様といったところか」
ファルとヘイズが呑気なことを言っている中、リグはただただ空を見上げ、何も言わずじっとしていた。
空には相変わらず、青空の中に光るひとつの光。
最近、何だかずっと光っている気がする。
――気にしてるから、そう見えるだけですかね。
それとも……。
答えは出ない。ただ、静かに星は光り続けていた。
■
九番地では大勢のもののけの人だかりができていた。
その中央には、いつもの大きさに戻っているユズと、もうひとり少年がいた。
少年は寝かされており、皆がそれを覗き込むような形になって、それが折り重なり山のようになっていた。
「ユズ、彼は……」
「大丈夫、全部乗っ取られる前に仕掛けはしておいたから……私の固有錬金術が役に立つとはねぇ」
「抵抗。しかし、たしかにそれは価値のある式だ」
「ま、ね。エリクシルの流れを塞き止めるだけのものかと思ったけど。お陰でニノ君の記憶は全部持っていかれないで済んだし」
彼の額に手を当て、ユズは笑う。
本当によかった、と。
「ちゃらとは言わないけど、少しは返せたかな。ニノ君の記憶も完璧という訳じゃないけど」
と、ニノがゆっくりと目を開けた。
「……ここは」
「知っているでしょ~。とぼけなくてもいいんだよぉ」
「ユズさん……?」
ニノは、自分を取り囲むもののけたちを見回して不思議そうな顔をする。
「グリフジーンの復活の種明かしは、強烈な彼の記憶と催眠による錯覚。実際にあいつが生き返ったわけでも、君の意識を乗っ取ったわけでもないってわけだねぇ~。二重人格てきな?」
「……」
ゆっくりと思い出していく記憶に、ニノは少し困ったような顔をして俯いた。
「人間で錬金術を使える人間は、みんなグリフジーンになる可能性があるらしいねぇ。誰のせいでもないけど、持った者には責任があるのも、また事実ってねぇ」
ユズは寝たままのニノの額にもう一度手を置いた。
「お帰りぃ……。あの記憶を見て、まだ君でいてくれたことにもののけたちは感謝してる。そして私も。きっとメイルもリグちゃんも喜んでくれるよぉ」
「……そう、ですかね」
「きになるなら、喜んでもらうためにお手伝いの一つでもしてみる?」
立ち上がったユズはいつものユズの姿なのに、何だか大きく見えた。
■
メルの乗った宇宙船はゆっくりと人工衛星に近付いていた。
もう目の前。
次第にその衛星の大きさが浮き彫りにされていく。
比較できない空間に浮いているだけでこうも遠近感が狂うのかと、メルは驚く。
真っ白な船体に、キラキラと光る板が延びていた。板はキラキラ光ってるくせに真っ黒で、何だかメルにはよく分からないものでできているように見える。
船体そのものは、その光る黒い板の大きさの半分ぐらいだろうか、太い円柱の柱を数本繋げたような形をしていた。
「メイルジーン、何かエリクシルが大量に」
「え?」
言われるがまま、節約のためにと完全に止めていた錬金術を起動した。最初は左目。
突然頭を殴られたかのような衝撃に、というか実際に衝撃を受けメルは席から転げ落ちる。
「うわ、わわ」
「あの人工衛星からだ。とんでもない量のエリクシルだな、回復すらできそうだ」
「これが、リグが言ってた星を復活させるための装置」
「そのようだ」
ロケットはかすかに軌道を変え、ゆっくりと、しかし確実に衛星へと接舷した。
「あんた達も来る?」
「船の管理はどうするのだ」
「錬金術で同期取ったから、何の問題もなし」
「そういうことならば」
途端、ひとつの塊だったもののけは一瞬にしてばらけ、二五人の塊になった。
ひとつだったときは統制を取るために人格もひとつへと統合されていたが、分かれた途端、彼らは彼らの個を取り戻す。
「おわっ」
ばらばらと動き出す二五匹にメルは思わず声を上げた。
「おおお!」「すげー!」「何これ、宇宙? まじで?」「これがリグの言ってたところかい? 狭いね」「ばーか、まだ船の中だよ」「扉開いてるじゃねぇか」「よく見なさいよ」「真っ暗だねぇ」「つーか、寒くね?」「ならなぜ離れる。くっついてりゃいいじゃないの、文句しか言えないわけ?」
「うるさい!」
メルの一喝で、もののけの騒ぎは収まる。
と、逆にその声でメルの懐で寝ていたユズが目を覚ました。
「んにゃ、もう着いたのぉ? メルの胸がなさ過ぎてなかなか寝付けぐぎゅぅ」
「さ、行こう。リグが見たくて仕方がなかった光景を見に」
そう言って、メルは扉を開けて一気にその先へ飛び込んだ。
温度と気圧は大丈夫だったが、湿気は考えていなかった。驚くほど乾燥した空気を肌に感じながら、メルはロケットと人工衛星の間の、錬金術で作られた小さな空間で立ち止まる。
両側はロケットと人工衛星に挟まれて狭いが、たしかにそこに無限の黒が広がっていた。
「広いな……」
感慨に耽っている場合ではないと思い直し、メルは出てきたロケットの扉を閉めると人工衛星を振り返る。
「ずいぶん呆気なく着いたな……」
「一悶着どころの騒ぎじゃない大騒ぎだったじゃないか」
「あれは楽しそうだった」
「我々はアーセルに閉じ込められてたからなぁ」
「こら先行くな。こういうのは船長の私が開けるんだ」
何人ものもののけが人工衛星の扉に取り付き始めて、慌ててメルは制止する。
「やっぱりメルも楽しみにしてるのね」
「……うるさい、お前らばらばらだと面倒見切れないからまとまっておけ!」
「やだやだ、メイリードに似てきたな」
「体は若返ったが、頭の年齢は変わらんからねぇ。八〇歳といったら人間でも二〇後半。ババァだよババァ」
「さすがにそれは敵を増やしすぎな発言だわ」
かすかな音の変化に、メルは思わずびくりと硬直する。
「メイル?」
「人工衛星が動いてる」
「はぁ? そりゃ動いてるでしょ。自動で動いてるからまだ落ちずに飛んでるんだって、リグちゃんいってたよ」
「そうじゃない」
否定の言葉を裏付けるように、一際甲高い何かの駆動音がロケットと人工衛星を繋げる通路にも届く。
「怒らせた、かな?」
「爆発しなきゃ、何でもいいよぉ~」
「……言えてる」
と、メルとその肩に乗ったユズの目の前で、扉がひとりでに開いた。
ゆっくり流れ込んできたのは暖かい空気だった。少しも埃っぽくなく、鉄も錆の匂いもしない。
なんの臭いもしないのが、逆になんだか気味が悪い。
「……入って来いってことかしらん」
「まぁ、行くしかないよねぇ」
一歩。
口を開けた扉をくぐり人工衛星の中に踏み入れる。
中は真っ暗で出入り口に続く床ぐらいしか見えていなかったが、とにかく中へとメルは足を踏み入れる。
同時、光が辺りを満たした。
呆然と立ち尽くすメルの足元から、隙間を縫うようにもののけが続く。全員が人工衛星に乗り込んだと同時、静かに扉は閉まり、気密保持のためなのか一度だけ空気を吐いた。
「メイルぅ……」
「あ、あぁ」
真っ白の外観と同じで、真っ白の船内。統一された配色に飾りのように少しだけ彩を添えるのは、赤い線と、壁から少し出っ張っている椅子のような場所だけだった。
「なんか狭いね」
「っま、それでもロケットよりは全然広いじゃなーい」
「そろそろばらばらになってもいいかね?」
「だめ」
三人が、その小さい部屋で辺りをきょろきょろと見回していると、やがて最初にもののけが気が付いた。
「おわっ。だ、誰だ」
その声に皆が振り返る。
メイドが立っていた。
「え……えーと」
あまりの突然さと場違いさに、メルは後退る。
「え、なに。幽霊ぇ~?」
「さっきまではいなかったのだが……」
メイドは、三人が自分を見たことを確認して、静かに一礼をした。
両手は体の前で交差させ、腰から四五度を折り曲げる最敬礼。
モモをふと思い出す。
そこでようやく、そのメイド服がリグの屋敷のメイドたちが着る服とそっくりだということに気が付いた。
よく見れば細部は違っているが、基本的な意匠は同じである。
「もしかしてこれ、ベルフレア社製とか、凄いオチが待ってるんじゃ――」
「いいえ」
反応したのは、そのメイドだった。
驚き、メルは身を引き、ユズもまたメルの背中に隠れて顔だけを出す。
「ようこそいらっしゃいました、お待ちしておりました……」
メイドは礼を保ったまま静かに呟く。その声は、何だかどこからでも聞こえてくるような、どこにもいないような、そんな不思議な声だった。




