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風車のある風景  作者: 神奈
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36/46

奪還


 思ったより事態は上手く回っていない。


そんなことを考えながら、リグは目の前の少年の姿をした老人を見る。

「お前の言うことは、先程から俺の目的への文句だけだな。俺はただ理由を聞いているんだが、答える気はないということでいいのか?」

「これ以上、手を貸せないと言っているんです。そんな、この世界を……この柱を壊すなんて、やっぱり協力できません! だから、ファルには一足先に出て行ってもらいました。それだけです」

 

 リグの言葉をきいて、彼は思考を巡らせるように一呼吸おいて、それからふむとうなづいた。

「……必要なものは手に入ったから、手を切る。俺の認識は合っているか?」

「いいえ、足りてません。まだ必要なものはたくさんあります。あなたから学ぶべきことは、まだまだたくさんあります。ですが、これ以上計画が進めば、この柱はなくなります。私が得た知識も意味がなくなる。だから、これ以上は手は貸せない、そう言っているんです。あなたに利用価値がなくなったから切り捨てるなんて言っていません。逆です、あなたからまだ必要なものを全部頂いてはいないので死ぬわけにはいかない。そう言ってるんです」

「……ふむ。知識欲の充足だとばかり思っていたが、そうではなかったか。貴様が見ていたのは、この柱の行く末だった訳だ。俺の中では一番どうでもいいことだったから想像もしていなかった」


 失敗したな。

 彼はそう言って、背を向けた。

「すまなかった、どこへとなりと行くといい」

「!」

 その反応はリグにとって予想外だった。いや、考えうるひとつの答えだったのはたしかだが。まさか、万が一が来るとさすがにうろたえてしまう。

「どうした。これ以上お前に俺の知識を与える時間はない。俺は一人で発射準備を始めよう。時間はかかるが、その間お前は手に入れた知識を使って柱のために働け」

「……」

 やっていることも、言っていることも、考えていることも狂っているが、目の前の人物の根源は優しい人間なのだとリグは理解する。

 いや、ずっと前から理解していたのだろう。


 驚きはなかった。

 こうなってしまったかと、選択を間違えた自分に舌打ちをしたい気分になる。もう少しマッドな感じでいてくれて無理やり協力させようとでもしてくれれば手はいくらでもあったのに。

「どうした。荷物をまとめて出て行くといい」

 言い終わると、興味をなくしたとばかりにグリフジーンは背を向け部屋を出て行こうと歩き出す。


 だが、ここで諦める訳にはいかない。

 まるで、出てけといわれて本当に出て行った生徒を前にひるむ教師のようだと彼女は自嘲する。

 ぎゅっと握りこんだ親指が、痛む。

 手はあるはずだ。こちらを無理やり取り込む努力に作業をさいてくれないというのなら、こちらがいかに必要な人間であるかを売り込むだけだ。

 リグは、浅く息を吸い込む。

 目の前にはもうこちらに興味をなくした男の背中がある。

「エリクシル残量計、変換効率式には誤りがあります。温度でエリクシルの挙動には変化が出ます、エリクシルの活動温度限界が式には考慮されていないからです。計算式は複雑なので、まだ定義出来てませんけど」

 グリフジーンの足が止まった。

「相対速度計は、受け側のパッシブシグナル発生部に使っているクォーツに不備があります。たぶん音速以上になると計測速度は大幅に狂うと思います。これも、極限環境テストの少なさに起因してます」


 ゆっくりと振り返るグリフジーン。

 ここで解放されたら意味がない。空を望むことをやめたメルを奮起させるには、どうしても必要なのだ。

 自分を無理矢理にでもグリフジーンから助け出そうとしてくれるメルが。この柱を守るために空に飛んでくれる人が必要なのだ。できれば自分で作ったロケットがいい。

 だから、ここでグリフジーンに捨てられるわけにはいかない。

 捨てられるのは今ではいけない。

「発射台の圧縮木材の圧縮率が低く、あなたの錬金術で発生する約四千度の熱では耐久時間が半分以下になることは間違いありません。発射シーケンスでいうとたぶん最後の最後辺りですけど、本体を支える支柱に問題が波及する可能性があります。最悪、発射前に倒れます」

「貴様……」



「重心算出のセンサとバランサーは、返却値の桁数がみっつ足りません。無重量状態での姿勢制御にロスが発生すると思われます。最初に言ったエリクシル残量計の不備と併せて、衛星からの帰還中に問題が。あ、これはあなたは帰ってこないし関係ありませんかね」

「何が言いたい」

「私はいなくなるので、今分かっていて対応していない問題に関して引き継ぎを。必要な荷物ってやつです」

 余裕の笑みでグリフジーンの視線をやり過ごす。

 だが心拍数は煩いぐらいに跳ね上がっていて、聞こえてしまうのではないかと心配になるほどだった。

 ――ここが、正念場……。


 少なくとも今言ったことに嘘はなく、そしてグリフジーンだけでは修正するのに時間のかかる問題ばかりだ。彼がいた時代より、少しは進んだはずの工業知識。

 きっと食いついてくれるはずだと、リグは親指をさらに握りこむ。

 グリフジーンはしばし無言のあと、リグをじっとねめつけた。

 無言が部屋に落ちる。

 それは思ったよりも短い時間だ。

 無音だった室内に風とは違う音が響いた。

 扉の開くような音。

 グリフジーンは、歪んでいた顔をさらに歪めると、面倒臭そうに体を揺らす。

「……出て行くのは少し待ってもらおうか」

 音の発生源を確認しにいくのだろうか。特段警戒も焦りもないいつもの足どりでグリフジーンは部屋から出て行った。


 背後で窓が叩かれる小さな音がしてリグは反射的に振り返る。

 と、そこに狐がいた。

「え?」

 思わず声が出て、慌てて手で口を塞ぐ。

「やぁ、お久しぶりぃ」

 その声を聞いて、ようやく窓を覗き込んでいる小さな狐がユズだと理解する。

「……お久しぶりですね。どうしてこんなとこに」

 そして、そんな姿に。

「ん? いやー、話せばいろいろと長い話なんだよねぇ。そんなことより、もしよかったら帰り道一緒にゴンドラに乗せてくれないかなぁって。私今、無一文なんだよぉ」


「え? え? えーっと。その、私まだちょっとここから出られなくて……」

「知ってるよぉ。だからこうして迎えに来たんじゃないかぁ」

 何かが崩れ落る音に、リグは反応できなかった。

 室内が微かに揺れる。向こうで何があったのだろうかという疑問に、リグが振り返ろうと足を引くのと同時、ユズの少し大きな声がする

「偽二ノ君には雲の下に落ちてもらってるからさぁ」

「えぇぇぇ。え? ユズ先輩……えーっと、一体何がどうなって……今の音って」

「私はもののけだからねぇ。もののけの記憶は共有されてるから、この近くで君たちを観察して楽しんでたもののけがたくさんいた、ってこと。さぁ、今のうちなら逃げ出せる」

 窓枠が、一瞬ちかちかと閃いた瞬間、音もなくずれた。

「最近メイリードが使ったあの高熱発生の錬金術、簡単だしいろいろ使い勝手が良くてねぇ、もう大流行。凄いよねぇ、あの人が暴れるたびにこの街全体の技術レベルが上がるんだ。パッケージ化されて人間も使ってるしねぇ」

「め、メイリード。メイリードって、あの幽閉されてるクリエイターですか? えぇ!? 解放されたんですか!?」

「あー……そうか、閉じ込められてたんだもんねぇ。ごめんねぇ、できれば急いでほしいかも。グリフジーンが雲海まで落ちたって時間稼ぎぐらいしかできないんだぁ」

「で、でも私はここを離れる訳には」

 あと一押しでグリフジーンは――

「困るよぉ。約束とかいいじゃないか。私はメイルの元に行かなきゃいけないんだよぉ」

 重たく引きずる音と同時、窓枠から窓が外れる。狐姿の小さな前足で器用なものだと、混乱した頭の隅っこで冷静な自分がどうでもいいことを考えていた。

 続いて、一緒に壁がくり貫かれていたのか、人が一人分通れる穴が開いた。

 鼻に焦げた臭いが届く。

「急いで行かなきゃ。ロケット飛ばさないとねぇ。そうでしょ、メイルはリグちゃん来るの待ってるよぉ」

「え、先輩は……」

 もう空には行かないのではないのか。

「作りかけのロケットを組み立て上げたみたいだよぉ。凄いよねぇ。さぁ、帰ろう。みんな待ってる」



「あー……えぇー……そう、ですか」

 自分がやっていたことが一人相撲だと理解し、ファルには悪いことをしたとリグは心の中で謝罪をする。放心しそうなテンションを、何とか奮い立たせるとごほんと咳を一つ。

「行きましょう。まだあのロケットは良くなります!」

「うひひ、そう来なくっちゃねぇ」

 ユズが開けた穴から部屋の光が漏れ出している。それが真っ暗な一番地にまるで光の道のように伸びていた。

 その光の先でユズが立ち止まって待っていてくれている。穴を潜り、一度だけ明るい室内を振り返った。結構あの生活にも慣れていた。グリフジーンは目的さえ目を瞑れば物分かりのいい老人を相手にしているようだったし、ロケットを作るときの彼との相談はそれなりに楽しい時間だったし、彼が持つ技術はリグにとってはまるで未来の世界のものだった。


 それに錬金術の構造もさすが制作者といったところで、リグにも片鱗が掴めてきたところだった。もう少し、一緒にいられたら、もっといろいろな話が聞けただろう。

 もう少し。だが、それはない。

 ――何もかもこの先があってのものですから。

 最初から道は重なっていなかったのだ。

 リグは穴を潜り抜けると、狐の姿をしたユズの背を追いかけ走り出した。


 ふと走りながら、考える。

 こうなるなら、グリフジーンを煽らなければよかった、と。

 もしかしたら追いかけてくるだろうか。

 真っ暗な一番地をユズの背を追いかけながら駆け抜けていく。そういえば、社長はどうなっただろうか。

「もうすぐだよぉ、ゴンドラは一番地に来てるはずだから」

「準備、いいっ……、です、ね」

 息も切れ切れな己の体力のなさにリグは笑うほかない。

「社長がやってくれてるよぉ。グリフジーンを落とし穴にはめたのも社長だしぃ~」

「えぇ! 社長大丈夫なんですか?」

「大丈夫大丈夫。何か同じヘマはもうしないとか言ってたし。お金貸してくれたら、こんなこと最初からしなくて済んだんだけどぉ。ごめんねぇ」

「どうして、謝るんです?」

「もっとあいつといて、勉強したかったかなぁって」

 楽しそうにグリフジーンと談義をしているのも、もののけに見られていたのだろうか。

 実際には、もののけたちの記憶共有では会話の細かいところまでは伝わっていないようだった。ということはたぶん、まだユズは知らないのだろうか。柱が星に打ち込まれることを。

「大丈夫ですよ。必要な情報は手に入りましたから。戻ってちょっと調整すればすぐにでも発射できます」

「おぉ~。さすがだねぇ。んじゃ、急ご~」



 この暗闇の中、まったく迷うことなくゴンドラ停車駅に辿り着いた二人の目の前に立っていたのはヘイズだった。いつものように優男な彼だったが、かすかに背後の照明が透けて見えている。

「社長、薄いねぇ~」

「苦労してるからね。やぁ、リグ君。お久しぶり、元気だったかい? 何だかお疲れのようだが」

「そりゃ~あそこから走ってきた訳だしぃ」

 足元のユズを抱き上げ、リグは笑顔を返す。

「ありがとうございます、ヘイズ社長〆。ファルちゃんは、こっちにすぐに帰るように伝えておきますね」

 乗り慣れたゴンドラは、相変わらず独特の匂いがする。座席のクッションの匂いと、木と鉄と油の匂い。いつものようにゴンドラの真ん中辺り、窓を見ないで済む辺りに陣取ると社長に頭を下げた。

「行ってくるといい。僕はここで君の打ち上げるロケットとやらを見上げる準備があるので、これで失礼するよ」

「はい。楽しみにしててください!」

 扉がゆっくりと閉まる。

 ゴンドラから漏れる光に淡く照らされたヘイズは、相変わらずの笑みを浮かべながら手を振っていた。

「んじゃ、行ってくるねぇ~、社長、二二番地支店は明日から当分お休みだからよろしくぅ~」

「ばか、もう一ヶ月も前から休業中だ。仕事のことはずっと前から他の支店が受け持ってる、気にせず行ってこい」

 リグは動き出したゴンドラの揺れに、高いところに上がる恐怖が沸き上がり、思わず手すりに掴まる。

「行ってきます、ヘイズ社長∵!」

 ゴンドラは地面を離れ、一気に揺れは酷くなる。

「だからそれーー! どうやって発音してるんだーー!」

 ヘイズの叫び声はゴンドラの音に掻き消されてよく聞き取れなかった。


 胸元で苦しそうにユズが身じろぐのが伝わってくるが、気が付くと両手はもう手すりにしっかりと張り付いていた。

 慌てるが、だからといって体の力が抜けるわけではない。

「あ、わわ。ごめんなさい、ユズ先輩」

「ぎゅぅ」

 一番地から、予約の直通ゴンドラで走らせても二時間はかかる。この暗さからいえば、家に着くころには日付が変わっているはずだ。グリフジーンは追いかけてくるだろうか。

「今ここで、グリフジーンが追いかけてきたら完全に手詰まりですねぇ」

「ん~。ぷはっ! ふ~……まぁ、そんときはそんときだよねぇ。なす術もなく一番地に戻されちゃうだろうねぇ」

「ですよね……」

 体の形を変え、ようやくリグの両腕の呪縛から顔を出したユズはぷらぷらと揺れながら笑う。

「何かリグちゃん、痩せたぁ?」

「え、そうですか? 力仕事とか多かったんで、ダイエットになったのかもしれませんね。食事はちゃんと摂ってたんですが」

「ふぅん。ねぇ、あそこの家で何があったのさぁ」

「え、ですから。先輩に手出しをしない代わりにって言って人質してたんですよ。ロケット作るの手伝ってました。代わりにいろいろ教えてもらいましたけど」

「……ニノ君はさ」

 思わずリグは息を呑んだ。忘れようとしていた事実を突きつけられ、胸の辺りに突き刺さるのは何の痛みだろうか。彼女には分からない。

「ニノ君はさ、グリフジーンの器にされるために管理錬金術師として在籍させられてたんだ」

「え……」

「あの子は九番地の生まれでねぇ。あの一三番地が落ちた後の子さぁ。つまり、管理局の管轄外の子だったんだよ。彼の両親は、私はあんまり知らないんだけど九番地のあの廃墟でずっとひっそり暮らしてたらしいよ。理由はよく知らないけど。お金なかったのかな」

「そんな話……」

「ま、九番地だからね、もののけはいっぱいいて彼らの世話とかもしてたんだって~。結構仲良くやってたみたい。ま、そんなこんなで錬金術の使える子供が生まれて、管理局に見つかって保護。両親には、子供を手放す代わりに一四番地の住居提供と生活保護を……だったかな。親は嫌がったみたいだけど、ニノ君人質に取られてね」

「そうだったんですか」

「そんな過去の話はいいんだ、結局彼は管理局の爺さんたちの思惑どおりにグリフジーンに乗っ取られた。あれはニノ君が私に使った記憶走査の錬金術と同じ類でねぇ。された側は、もう何もできないし何されてるか分からないまま自分が消えるの待つだけなんだよねぇ。結局彼は何もできず消えちゃいました、と」

「……なんで今そんな話を」

「ねぇ、何とかしてゴンドラの電精奪えないかなぁ? エリクシル足りなくてさ~」

 狐の姿のモモが辺りを見回しながら呟く。

「は? えーっと、できますけど……。安全装置用に常に動いてるだけで、ゴンドラの運転に直接関係ない部品がいくつもあるので……よっと。ちょっとの間ならそれを……ここ、の。これですね。えっと……」

 床下の板を外し、てきぱきと配線を剥き出しにしていく。

 

 こういうとき高いところは怖くないのかとユズは不思議に思いながらも何も言わず、一緒に床下を覗いてみた。

 中はごちゃごちゃしてユズにはよく分からない物ばかり。

「これですね、はい。どうぞ、これならゴンドラが壊れたとき以外に問題は起きません」

「おぉー」

 リグが差し出した剥き出しの配線は、たしかに電流が流れている。電精がふらふらと顔を出しては電流の流れに流されていくのがユズには見えた。彼女は手を伸ばし、電気は奪わず電精だけを体に取り込み始める。

「管理局は、グリフジーンの復活を止めたいんだ」

「へ?」

「おっ、凄い量流れてるんだねぇ。……自分たちが一番偉くないと気が済まないのかねぇ、とにかくグリフジーンをどうにかしようっていろいろやってるみたいなんだぁ」

 見る見るうちにユズは体を大きくしていく。まるで水風船のようだ。そんなことを思いながらリグは話を頭に入れていく。管理局がニノをただ今日のためだけに育て上げたとでも言うのだろうか。ロケット製造を邪魔しに来ていたのは知っていたが、それも何か関係があるのだろうか。

 答えは出ない。

「ユズ先輩、どうして今そんな話なんです?」

「楽しくなるかなって思ったけど、あんまり楽しくなかったからネタばらししようかと思ってね。私の知ってることはこれで全部ねぇ。そうそう、あと実は、ニノ君を取り戻す秘策だけはあるんだよ~。上手くいけば、なんだけどさ。ま、取り返すことは叶わなくても、グリフジーンの動きぐらいなら少しは止められると思うんだ」

「それも、私が何とかするための材料ですか?」

 リグが笑いながらユズを見上げる。もうユズの大きさはゴンドラの中を埋め尽くすほどになっており、下手をしたらゴンドラを壊しかねない。

 だが、不思議とそれが怖くはなかった。

「メイルは、メイリードを復活させちゃった私を許さないと思うけど。私はメイルのために何でもするつもり。大事な後輩ちゃんも利用しちゃうのさぁ」

「……ユズ先輩が解放したんですね。どうやってということに、凄い興味が行ってしまいますが……そんなことより、一応永久幽閉ですよね? ユズ先輩だってただじゃ」

「実際、解放した途端メイリードに体中のエリクシルを吸われたし、ただじゃあ済まなかったねぇ。うひひひひ。さて、これぐらいでいいかな」

 そう言って、大きい体を揺すりながらユズは線から手を離した。ゴンドラは合わせるように軋み揺れる。

「おっと、ごめんごめん。すぐに戻るからさぁ」

 そう言うや否や、ユズの体はどんどん萎んでゆき、成人女性ほどの大きさになった。

「これ以上は圧縮は時間かかるかもぉ……。んー。欲張りすぎたかなぁ。ま、多いに越したことはないよねぇ」

「美人さん、ですね……」

「へ? あ、リグちゃんに見せちゃった。お忍び用の格好なのだぁ。うひひ」

 髪の長い狐耳の女性が笑う。

 その笑い方で、ユズなのだとすぐに分かるが、ずいぶんと大人びた美人だった。いつものようにちんまくて元気一杯の少女の姿ではないので違和感が凄い。

「その格好で全裸はやめたほうがいいかと思いますよ」

「んひひ。小さいときも全裸は、いろいろ問題は多いとおもうけど。んー、やっぱりいつもどおりかなぁ」

 さらにユズは体の形を変える。そしてようやくいつもどおりのユズに戻った。

「ふぅ。ちょっと疲れたかもぉ。でもお陰でエリクシルはいっぱいだけどね~。グリフジーンが来たって、五分は持つよぉ」

 リグは床板を戻していきながら、ユズの言葉に安心した。

「安全装置は瞬間的な出力が必要なんですけど、バッテリーは瞬間的に莫大な電圧を発生させることができないんです。なので、ゴンドラの安全装置は常に大量の電気が無意味に流れてるんです。結局使われなかった電力は、そのまま下階の街への電力供給にもなっていて……ってごめんなさい」

 安心したら思わず口がすべってしまった。


「いやいや、久しぶりに聞いたねぇ。リグちゃんの薀蓄。でもそろそろ寝よ~。一七番地に着いたら大忙しだ。今は少しでも休んでおかないとねぇ」

 真っ暗な夜をゴンドラはゴトゴトと相変わらずな音を立てながら登っていく。

 リグは床に座り込みながら、窓の外を見上げた。


 真っ暗な夜空には、ぽつぽつと星が光っていた。

「あの小さい星は、私たちが作ったロケットを何個も繋げて飛ばしても届かないぐらい遠くにあるんです……」

「へぇ」

「この柱だって、下には地面が広がっていて、その大きさは、天辺の広場を二〇万倍してようやく星一周分の長さです。面積でいったらさらに……。そんな大地が下には広がってます。どっちも、途方もなく遠くて広くて……」

「リグちゃん?」

「この柱のことだけ考えてしまう私は、利己的でしょうか。自己中心的ですか? 視野の狭い子供でしょうか……」



 ユズは答えられず、ただ窓の外を一緒に見上げた。

「でも、自分のいる場所を守りたいって、おかしい話じゃないですよね」

「正しさを他人に確認しなきゃいけないほどなのかい? 悩む程度の目的なら、やらない方がいいかもねぇ」

「半分は先輩の病気のためでしたけど。もうその意味もなくなっちゃいましたね。言い訳、でしたから」

 深いため息をついて、リグは体から力を抜く。何だか、凄く疲れた気がする。この一ヶ月、気の休まることなんて一度もなかったからかもしれない。

「昔、あの星をよく見上げてた記憶があるんです。子供の頃、何も知らなかった頃、天辺にあるキラキラ光る星を見つけて」

 天井を見上げる。


 子供の頃の思い出だが、今でもしっかり覚えている。


「あそこに行きたいなって。いろいろ勉強して、結局無理なのも分かりました。光る星は、太陽と同じ恒星と呼ばれるもので、つまり明るいし熱いし近付けるようなものじゃないんですよ」

「えぇ~! あの星みんな太陽なのぉ? それってめちゃくちゃ熱いんじゃ……」

「大丈夫です、気が遠くなるほど離れてるから。光も熱も全然届かないぐらい。だから、どれだけ速い乗り物に乗ってもそこには行けないって。でも諦められなくて」

 しがみついていた手すりに体を預け、リグは俯く。

「まぁ、その。若気の至りというか。大光量のライトで、何というかその……合図を送って遊んでいたんです」

「合図?」

「文字に数字を振って、消えてるときと点いてるときとのふたつの状態に振り分けて……とにかくライトだけで送れる言葉みたいなのを作ってですね、星に合図してたんです。行けるとは思ってなかったから、それで満足しました。そのあとずっと忘れてた……」


 忘れていた。

 ライトを点けたり消したりしながら空を見上げていた、あのときの思いを。

 だが、思い出してしまった。

「まさか、あの星が手の届く範囲にあるなんて。私みたいな人間でも辿り着ける距離に星があったんですよ」

 ユズはリグの目の前に座り込み、じっとリグの話を聞いてくれていた。

「行きたいです。でも、やっぱりまだ私のような大きな人間では、そして錬金術も使えないひ弱な人間では技術的に無理なんです。放射線に耐えられる体、気圧変化に強い構造、無重力への対応力、寿命、発射着陸時の衝撃に耐えられる体。人間ではまだまだ足りないんです。でも、耳長族はまるで」

 顔を上げたリグは、今にも泣き出しそうだった。


「まるで、耳長族たちは宇宙に出るために作られたみたいに、全部。全部足りてるんです! 私じゃない! 私じゃなかったんです!」



「リグちゃん……」

「……でも、耳長族たちじゃロケットは作り上げられない。そう思ったら、昔のこと思い出して。最初から星に行くことは諦めてたくせに、私は何かずっと諦めないでいた気がしてたんです。それはたぶん、私の作ったロケットがあの星に、人工衛星まで辿り着けば分かる気がして」

 だから、自分のためなんです。そう言って、リグは床にうずくまった。何も言えず見守っていたユズの前で、静かに寝息が聞こえてくるまで、そう時間はかからなかった。

「空は広いねぇ。うひひ、メイルぅ、ずいぶんと大役だよぉ。人間の二〇年は重たいんだからさぁ……」

 私たちを置いて人間はみんないなくなってしまうのだ。

 人間たちのために生み出された妖精も水棲族も同じことを思っている。そして耳長族もまた、同じように思っている。

 人間はいつも先にいってしまう。自分たちには何もないと言いながら、何でもかんでも彼らが中心にいる。

 そして気が付けばそのままいなくなってしまう。残るのは、中心のぽっかりと開いたなんとも締まりのない空虚な容れ物だけになる。

「私たちは皆、人間のこと大好きなのにねぇ」

 ――ずるいねぇ。

 寝息を立てるリグを起こさないように、ふわふわの癖っ毛を撫でる。

 いろんなものが作れて、いつもいろんなことに挑戦している人間はまるで火花みたいに眩しくて、儚く消えてしまう。

 弱い体に、短い命。


 ずいぶんじゃないか、とユズは苦笑する。

 見上げれば、相も変わらず真っ暗な夜空が広がっている。あの夜空は、たぶんユズが一生懸命考えた距離にすら欠片も足りないほど遠く広がっているのだ。そう思うだけでずいぶんと壮大な夜空に見えた。



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