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風車のある風景  作者: 神奈
本文
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創造主グリフジーン・ベルベット


 風が吹いている。止まることのない風だ。

 気温のほとんど変わらないこの世界で、肌寒さを感じる。それは殺気や緊張などから来るような、対等的なものではなくもっと絶望的な、絶対的強者に踏み潰される羽虫の感覚。恐怖。

 散発的に出る呼吸は、かろうじて体の感覚を維持できる程度で、すでに思考においてまともでないと自覚できている。

 ――逃げ出したい。

「ひっ……」

 漏れ出しそうになる悲鳴を押さえ込み、わずかに残った口の中の涎を飲み込む。

 目の前にいるのだ。目の前に。

 見た目はニノだった。ただこれほどまで人間の表情というのは動くのかといわんばかりに歪んでいた。

 ――意識写し? 記憶操作の類か? 

 理屈は分からないが、ニノの体に今ニノの意識がないのだけは間違いなかった。

 そして、ほぼ確実にニノの意識は戻ってこないだろう。


 ニノの体を動かしている男が、そんな面倒臭いことをするわけがない。

 意識を乗っ取るにしても、記憶を書き換えるにしても、最初にある意識や記憶を残すのは一手間以上かかるものだ。

 簡単な一手間で可能ではあるが、あの男がそんなことをするとは思えない。

 つまりニノは、もう意識を書き換えられ、記憶を改竄され元のニノには戻れない。

「グリフジーン……」

 忌々しげに吐き出した言葉に、抱えていたモモがビクリと反応する。

「メル、様?」

「合図をしたら、リグを連れて逃げるんだ」

 え。というモモの言葉を無視して、メルはゆっくりと抱えていた彼女を床に下ろす。

 

 声が震えてなければいい、そんなことを思いながら。

「久しぶりだな。しかしお前が私のことを覚えているというのは少々驚いたぞ。人体の神秘といったところか? 私の専攻ではないからどうでもいいことだが」

 モモに表情を見られないように、一歩前へ。

 思ったよりも簡単に足を踏み出せたことに驚きながら、メルは目の前の男を見据えた。

 歯の根が噛み合わない。

 表情が分からないニノの姿をした男が、大仰に手を振る。

 芝居がかった動きに、思わずメルは眉をしかめた。

「だが問題は、想像以上にお前が育っていることだ。その右目、強制停止しているな。何歳になった」

「……八〇ぐらい」

 発育が悪く、モモと変わらない己の成長具合を育っていると言われ、思わずメルは口を開く。

「やはり一回分飛んでいるか。九番のラボは全壊したしな。メイリードめ……責任は取ってもらうぞ。責任は己で取るものだと王もおっしゃっていた。まぁいい、ツバキまで辿り着いたやつはいるか」

「……知らない」

 ――ツバキ? 何を言ってる……。


 疑問とは裏腹に、口は言葉を吐き出す。

 まるで己の意思とは別に動いているようだった。

 驚き口に手を当てて、気が付く。

 錬金術だ。喉の奥で錬金術が稼動している。

 言霊。

 もののけたちが過去から好んで使う言霊なんかよりも、強力でとんでもない高精度の隠蔽がかけられた錬金術だ。

 己の体が、エリクシルの流れにアレルギー反応を起こさなければ気が付かないほど巧妙に隠された起動。

 そもそも、メルの喉に元から書き込まれていた言霊の式を知りえないと不可能な遠隔起動。

 ――いつの間に!?

 思い出すのは、先程大仰に振り払った手。

 

 あの瞬間、メルの喉にある言霊の式がどういったものかを把握し、その上で遠隔で起動させられたのだ。

 ありえない。

「そうかそうか、まだいないか。ならば一回飛んでも、何も問題ない。むしろ都合がいいというものだ。急ごう。親子の対面に時間を割いている暇はない」

  ――モモ。逃げろ……。

「ここでロケットが製造されているだろう? 答えろ」

 しかしメルの口から出るのは。

「している」

 質問の答えだけだった。

 ――なぜロケットのことを?

 疑問はやはり口から出ない。


「どこにある?」

「……知らない」

 そういえば、実際リグが作っているロケットがどこか見たことがないことをメルは思い出す。

 エンジンの点火実験は何度も行ったが、どこからともなくエンジンを引っ張ってくるリグに付き合っただけだ。素材研究だって、リグの部屋だったり無駄に広い応接間でやっていた。

 組み上げていると言ったロケット自体をメルは見たことがない。

「知っている人間は?」

「リ……むぐ」

 なぜ目の前の男がロケットのことを知りたがっているのか分からなかったが、それでも情報を渡してしまうのだけはいけない気がした。口を力いっぱい塞ぎ、頬を巻き込むのを厭わず無理やりに歯を食いしばる。

 疑問と混乱が頭を埋め尽くし、おかげで恐怖が薄れた。

 ――前に出れる。

 身体強化の錬金術を一斉に起動、体中に走る引きつる感覚を得ながら、メルは前へ飛んだ。

 背後で走り出す気配を感じる。

 モモだ。

 動き出したのをメルからの合図と受け取ったのか、彼女は全速力で屋敷へと走り出していた。

 ――さすがグリーフベルアのメイドだ。

 いけると確信した拳が、力強い感覚を返す。

 重量軽減、重心操作、剛性率変更、摩擦変更。

 体に張り巡らせてある式に発狂するほど大量の起動引数を渡し、皮膚が焼き切れんばかりのエリクシルを流し込む。


 すべての錬金術が、まるで咆哮を上げるように起動。

 受け取った引数に従い、錬金術は忠実に世界を書き換えていく。

 メルの体は数歩で弾丸のような速度を得る。男との距離は残り五歩もない。

 ――いける。

 耳に届く風を切る轟音の中、聞こえたのは「面白いな」という、感心したと言わんばかりの言葉。

 同時、メルは玩具のように吹き飛んだ。

「その体は何だ。いつの間にそんなふうに進化した。そんな機能は付けた覚えはないぞ。だが、その程度の小細工では私に届かんのは自明の理だ」

 男の声を頭上に聞きながら、メルはようやく自分が吹き飛んでいることに気が付く。

「くそっ!」

 気が付けば、言霊の強制起動は止まっていた。

「なんで……」

 風に煽られつつも錬金術による重量軽減で体勢を立て直していきながら、メルは叫ぶ。

「なんで、ロケットなんか!」

 メルの言葉に、男はゆっくりとメルを振り仰いだ。

「お前、呪いまで解除したのか? いや、していないか。いいだろう、私に触れたら教えてやろう。ふふ、私も身内には優しいのか。王も苦笑されることだろう」

「……その喋り方。記憶確認でもしてるのか。ってことは、遠隔操作じゃなくて記憶写しか」

 転写された記憶を言葉で確認して記憶を確かなものにするのは、記憶転写系の呪いの初期段階によく見られる症状だ。

 つまり遠隔操作なんかよりもニノが無事に帰ってくる確率はさらに下がったということ。

 平然と他人に迷惑をかけて生きる身勝手さ。

 己の目的のためには邪魔なものは平気で壊していくその生き方。

 ――まるで、メイリードだ。

 子供の頃から、母親と喧嘩ばかりしてきたあの感覚が蘇る。

 心の奥底で冷え切った、自分でもよくわからない感情が、逆に体中に熱を送り出す感覚。

 幼い頃に得た、言葉にならないその感情を思い出す。

 いつもその感情にイライラさせられていた子供時代が頭をめぐりだす。

 自分がユリシーズを殺し、レイナを見捨てたときに塗り潰されてたと思っていたあの感情。

「このっ」

 座標固定、気体変性。大きく息を吸い込む。ニノの顔に、かすかに嘲笑が浮かんでいる。

 胸に引きつる感覚。体中が焦げていくのが分かる。もう内臓すら式で焦げ付いてるのではないかと心配になるほどだ。だが、そのアレルギーでできた炭化した式の上を滑るように電精が流れていく。

 子供の頃よりも数コンマだが早く起動した錬金術。

 子供の頃よりも、いくらか大きくなった体。

 唯一、メイリードに届いたあの拳。

 しっかりとそれを思い出す。

 すでにメルの中では、拳に感触を得ていた。

「ああああああああああ!」

 背後に固定した気体を蹴り、メルは飛んだ。

 己に向かってくるメルを見上げながら、男は苦笑する。

「まるで児戯だな。何もメイリードから教わってないのか。いや、その方が都合がい……」

 同時、彼の視界が回った。

「!?」

 メルはまだ拳の届く距離にはいなかった、拳から何か不可視の衝撃が飛んだわけでもない。

 そもそも殴られた瞬間、たしかにメルは彼の前にいたはずだ。

「なに、が」

 驚きに体は反応できず、男はそのまま床に転がった。

 たしかにメルはまだ空中にいて、手を伸ばしても届くような距離にはいなかった。

 届くまであと目測で一秒以上かかる距離が開いていたのを男は確認し、錬金術を起動しようとした矢先に拳が顔面に届いた。

 まるで手が伸びたかのように。

「何だそれは! たしかに起動していたのは気体の変性と座標指定だけだったはずだ!」

 着地し終え、立ち上がったメルがゆっくりと体を回し男を見る。

「約束ぐらい守れる程度には常識あるんだろうね?」

「ほかにいるのか、そうか管理局のバカガキどもか」

「答えろ。何でここにいる。ロケットなんかどうして欲しがる。呪いって何だ。さぁ、約束ぐらい守れ」

 メルの言葉に、男はゆっくりと立ち上がると静かに首を回して大きく息を吐き出した。

「……なるほど。屈折か。巧いことを考えたな、変性は後方の固体化だけではなく、前方の気体屈折率も変えたのか。小賢しいことを。いやしかし、たしかに約束は守るものだ。小賢しい手に反応できなかったのもたしか。王も、交わした約束事は違えてはならないとおっしゃっていた」


 いいだろう。

 そう言って、ニノの体をした男はその場に胡坐をかいた。

「俺は王の約束を守るためにここにいる。ロケットは約束を守るために必要なものだ、そもそも基礎技術は俺が立ち上げたものだから、取りに来た。呪いはお前が生まれたとき〝千理眼〟と同時に埋め込んだ式のことだ」

 ほかにはないか? そう言って男は胡坐の上に肘をついて顎で促す。

「グリフジーンは死んだはずだ」

「はっ、俺が死ぬか。いや、肉体はたしかに人間のそれだからな、限界があるからすでに滅んだ。そういう意味では死んだと言っても構わん。その認識は半分は正しい」

「ニノの体を乗っ取って復活したのか……」

 ニノはもう二度と帰ってこない。グリフジーンに殺された。

「違うな。そもそもこの体は、俺の受け皿として存在している。俺が作ったものだ、ただ返してもらっただけだ」

「……反吐が出る。私にかけた呪いの効果は何?」

「高度低下で起こる感覚鈍化と、高度上昇で起こる脳内麻薬の精製の二種。起こる結果を簡単に言えば」

 男が笑っている。お前が今まで望んでいたものは、他人に植え付けられたものだ。そう笑っている。

 柱の天辺に登ったときの、あの開放感はただの錬金術による作用だったのだと、嘲笑している。

「空への渇望といったところか?」



「お嬢様、だめです!」

「モモ放して! 先輩が!」

「お嬢様!!」

 モモの制止を振り切り、玄関を飛び出したリグは庭で蹲るメルを見つけ走り出していた。

「先輩!」

 遠くから聞こえる後輩の声を聞きながら、メルは動けずにいた。

「呪いを解いてやろう。私に触れた褒美だ。それに、ロケットの製造はすでに行われているようだからな。もう貴様は用済みというのもある。感謝しろ」

「や、やめっ」

 メルは思わず叫んでいた。

 もうレイナもユリシーズもいない。

 自分には上を望むことしか残っていない。

 だというのに、錬金術はそれすらも奪っていくというのか。

「遠慮しなくていいぞ。それに、ロケットのありかを知っている人間はもうやって来たらしいからな。そら」

 男の視線の先、リグが駆け寄ってくるのが見える。

 体から、何かが抜けていくのを感じながらメルの意識はゆっくりと白く深く沈んでいく。


「王、もうすぐ。もうすぐ、約束を果たせます」

 最後に聞こえたのは男の呟くような言葉と、自分を呼ぶリグの声。


 風が吹いている。止まない風だ。

 その風を受け雲海に聳え立つのはふたつの柱。それ以外に何もなく、ただただ真っ白な世界に柱がふたつ突き立っている。

 その柱の真上、明るい昼の日中だというのに太陽の光に負けず輝くひとつの星。

 過去、ツバキと呼ばれた人工衛星が輝いている。


 世界はここだけで。


 世界はここまでだ。

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