風車のある街
二日酔いで予定が崩れない限り最終回まで順次タイマーで投稿される予定です。
よろしくおねがいします。
見渡す限り、雲海が広がっている。あるのは雲と空と太陽だけ。
だがよく見れば雲海に影が落ちていた。
2本の巨大な柱が突き立ち、それが真っ白な雲海に影を落としているのだ。
風に流れる雲が、柱にあたって2つに分かれていく。
風を真っ向に受ける1本と、その後ろで静かに風をやり過ごす1本だ。そしてその柱には、双方とも朝顔のツルのように螺旋を描くように街が張り付いていた。
風上にある柱の一番上、そこは柱の中で唯一開けた場所である屋上。
それ以外に平面と呼べるような場所は存在していない。
柱から伸びる大きな街にもこれほどの床面積はありはしないだろう。とはいえ、金属の上に根を下ろす金属樹と、外縁に並ぶ風車のせいで見晴らしはよくなかった。
風車はみな揃って同じ速度で羽を回しているし、金属樹の風を切る笛の音のような騒音があたりを埋め尽くしている。
世界はこの柱にしかなく、人はこの柱の周りにしか存在せず、風はやまず、彼らは風車と共に生きていた。
そんな世界の一番風上にある風車の上に人影があった。
成人もしていないような容姿の女が1人、風に髪を泳がせながら立っている。
風車の羽が彼女の目の前を幾度となく通り過ぎる。だがまるで羽なんて見えていないかのように、彼女の焦点はそこに結ばれてはいない。
雲よりも高い標高のこの場所に、この世で一番高い場所に、彼女の視界を邪魔するものはない。
空にいっとう近いその場所で、彼女は両手を広げて伸びをした。
背は小さく、必死に体を伸ばしたって両手は空には届かない。それがもどかしいのか、彼女は必死に伸ばした両手をさらに伸ばそうとして、ぷるぷると震えていた。
「せんぱ~い。メルせんぱ~い」
金属樹があげる風切り音に混じって、足元から声が届いた。
ぷるぷると震えていた両手を元に戻すと、彼女は初めて視線を下に向けた。柱の縁に立つ風車なので、視界の半分は足元に広がる雲海に埋まっている。
その中に、柱から伸びる街が見えた。
雲海までの距離はゆうに2千メートルはあるだろうか、だが他に何も対象になるものがなく遠近感を測るすべはない。
――足元は風上街の30番地か。随分大きくなったな。
もうすぐ街がこの屋上に追いついてしまう。
人の発展は随分と早い。
限られた土地と資源でここまでやってきたことに、彼女は素直に感心する。
「終わりましたよ~」
間延びした声を聞いて彼女はため息をつくと、名残惜しそうに空を見上げ、それから足元を見下ろした。
風車の根元、発電室の入り口から後輩の顔が覗いている。
「リグ、早く帰りたいからって計測ごまかしてないでしょうね?」
「そんなこと、あるわけないじゃないですか! だいたい、発電施設は床下ですよ」
「……そうだった。高所恐怖症は関係ないか」
そりゃそうだとひとりごちた彼女は、するするとまるで滑り台のように風車を滑り降りてくる。
「せせせせせ、先輩。危ない!」
「あんたが怖がってどうするの。ほら、調査票貸して」
とん、と軽い音を立ててリグのそばに着地すると手を伸ばす。合わせるようにのそのそと床下から上半身だけを覗かせるリグ。
「まったく天下の大企業ベルフレア様は、何を考えているんだか。このご時世に不安定な起電陣なんて」
「最近増えてきましたよね。ここ一帯全部同じ型みたいだし、量産体制でも作ったんじゃないですかね」
見れば円柱の淵に沿って規則正しく並ぶ風車は、みな同じ型だ。
「劣化コピーしかできない錬金術使うなら、機械式の発電機にすりゃいいのに」
「先輩がそんなこと言っちゃ……」
リグの視線はメルの耳に注がれる。
「耳長だからって、みんな錬金術が好きってわけじゃないの。それに機械式なら、リグに全部任せっきりで済むもの」
そう言いながら彼女は耳に髪をかけ、ため息をつく。髪に隠れていた耳が風を受けて、ピクリと震えた。
「ん~っと、よし。間違いはなさそうね。これで83機目か。やっぱ風上のほうが調子悪いなぁ」
「起電陣なら全部新品ですから調子いいですよ?」
「ギアボックスのほうね。今日は遅いし、ここまでにしておこうか。今まで調べたのっていくつ?」
言われて、リグは手に持っていた紙の束をめくり始める。が、姿勢がきつかったのか完全に床下から出てくると、軽く伸びをした。
メルはそんな後輩を見上げる。
2人の身長は頭1つ近く違う。見上げなければ目を合わせられない後輩に当初はなんだか戸惑ったものだが、よくよく考えてみれば背が高いといっても成人男性と同じぐらいであって驚愕するほどの大きさではないのだ。慣れてしまえばどうということはなかった。
「えっと昨日と合わせて145機ですね」
「合わせて出力どれぐらい?」
「えー、ちょっと待ってくださいね」
ぱらぱらとめくりながら145機分の調書を調べるリグ。
「えっと……。調整前で、約2000ヘッド。今回の調整で3500ヘッドぐらいです」
だいたい10ヘッドもあれば家1軒ほどを支えきれる計算だ、3500もあれば小さな街ひとつぐらいは、十分支えきれる計算だ。
「停電対応なんだし、こんなもんでいいでしょ。もう日が暮れる、戻ろう」
そう言って、メルは工具袋を拾い上げると歩き出す。
「あ、待って先輩」
あわてて資料をしまいこんでリグが駆け出した。
足音にメルは振り返ると、目を細めて笑う。
「走ると、床抜けるかもよ?」
「え……ええぇぇぇ!」
柱は、中空構造になっている。柱を中心に風上を風上街、そこから右回りに90度回ると風雨街、続いて風下街、風砂街。そして柱の中に広がるのが風洞街。
金属樹が根を張り巡らせているため、彼女たちがいる天井が簡単に抜けることはない。だがその厚みは、上に家が立ち並び人々が生活できる程ではなかった。
「びえええええええええ」
メルの脅しにすっかり腰を抜かしたリグは、メルに手を引かれながら引きずられるように歩いていた。
「まったく、ちょっと脅かしただけじゃない」
「うぇぇぇぇぇ」
「あーもー。泣かないの。声が響く。本当に床抜けるよ」
「ひ……」
ぴたりと止まったリグの泣き声に、メルは思わず吹き出しそうになった。今ここで笑っても機嫌が悪くなって愚図られるだけだと必死で笑いを飲み込む。
だがリグの恐怖は限界に達したのか、もう完全に腰が抜け座りこんでしまった。
「ほら、しゃがみこまない。落ち葉で怪我するってば」
金属樹は金属を吸い上げ金属の枝葉を広げる植物だ。
本当に植物と言っていいのかはしらないが、見た目はとりあえず樹木である。
硬度的に高いものではないが、その形ゆえ、ともすれば大怪我になりかねない鋭利さを持っていた。
外縁を埋める風車の列に沿うように金属樹は広がり、柱の天井に帽子をかぶせるように広がっていた。風車の資材搬入に使われたであろう経路は、既に若い金属樹が顔を出し、道標程度にしか役に立たない。
このままぐずぐずしていれば、日が落ちる。
遅かれ早かれ照明のないこの森は夜の闇に沈むだろう。手持ちの工具にある照明は、ペンライトのみ。それを頼りに歩けるわけがない。少なくてもただの平地ではないのだから。
メルは目の前で座り込み必死に泣き声を飲み込んでいる後輩を見下ろした。
「……リグ、日が暮れる前に降りれないようなら、縁からロープで下ろすよ」
「……!」
声にならない声を上げ、恐怖に気絶しそうになるリグ。
なんとか理性で叫び声は飲み込めたらしい。
――いじめすぎた、かね。
「ほら立って。本当に日が暮れる」
自分ひとりならどうとでもなるが、高所恐怖症の後輩はどうにもならないだろう。放っておけばそのまま座り込んで動けず餓死確定だ。
座り込んでいるリグの腕を掴むと、無理やり引っ張る。
「来る時は、平気で来たじゃない。何だって帰り道だけ」
「て、んじょうが抜けるなんて……う、ぐすっ。聞いて。……ずび……ない、です」
鼻水と涙でぐちゃぐちゃになった顔をゆがめながら、今すぐにでも逃げ出したいと訴える目。しかし逃げる場所はどこにもない。
きっと彼女の中では、柱は折れることはないし街の床が抜けることも、そもそも街が崩落するなんてこともないのだ。
――そんなこと、あるわけないんだけどねぇ。
■
リグはこの世界では生きてくことも難しい高所恐怖症。しかも、風車の修理工である。
何かとち狂ったとしか思えない組み合わせだ。
そんな彼女は、ずるずるとメルに引きずられながら空を見上げていた。
「まったく、でかい癖に繊細なんだから」
呆れたようないつもの調子のメルの言葉に、彼女は鼻水をすすり上げる。
「ずびっ。うううう。ずびばぜん……」
夜に染まり始めた空の向こう側、星が1つ輝いていた。引きずられるがまま、リグはその随分と明るい星に目を奪われた。
ただの人間であるリグの目には不思議なほどに明るいそれは、まるで月以上の光を放っているようにも見えた。じっと見上げているとその光は、ゆっくりと動いている気すらしてくる。
ふと彼女はいつも空を見上げているメルのことを思い出した。
見上げてみれば、自分と工具を軽々と引きずるメルの背中がそこにある。
耳長族はとにかく体が丈夫で力持ちなので驚くことではないが、それでも頼もしく感じてしまう。
「先輩……星が」
「ん? あー。もうこんな時間じゃないか。まったく」
そんなこと言いながら、彼女の口もとが嬉しそうにほころんでいるのをリグは見る。
相変わらず足は震えて使い物にならないし、気を抜いたら心臓が口から出そうなほどだけど、少しだけ気が楽になったような気がした。
「すごい明るい星ですよ、ほら」
「宵の明星にはまだ早い……って星なんてどこにあるのさ」
まるで幻のようにその星は消えていた。
「あれぇ?」
赤く染まった雲海を切り裂くように、風を受けても微動だにしない柱が2本。
それが世界の全部で、それ以外は空と雲しかなかった。
やまない風を受け、止まらない風車が低い唸りを上げながら回っている。
どこに視線を巡らせても、風車は回っている。
最近妙なうわさがある。
柱の最上部、金属樹の森に獣が通った後のような道ができていたと。なんでも人を食べる化け物が人を引きずって巣穴に持ち帰る跡とかなんとか。