幻の光(中)
風洞街は柱の中に広がる街だ。
この街は、広大な土地の代わりに風と光を捨てた。人が住める雲海の上に広がる上層区の中で最下層に位置する風洞街1番地。世界を管理する管理局が存在する街。そして、街ごとに存在する自警団では手に負えない事柄を処理する管理錬金術師団もまた、この風洞街1番地に詰所を持っている。
「ユリシーズ、メルがどこいったかわかんねぇの? 匂いとかさ、こうなんとか」
「私はもののけだ、獣じゃない。それにああいうときは放っておかないと機嫌が悪くなる一方だ」
「いっても、もう召集時間になるぞ」
「いいじゃん、爺さんたちだってメルには甘いしさ」
ふらふらと眼前を飛ぶ妖精のレイナを手で邪険に扱いながら、ヘイズはこれ見よがしにため息をつく。
「だからだろ。ルールはルールだ」
真っ白な廊下を種族も大きさもばらばらな影が歩く。行く先は管理局の総括である十人の管理者達がいる統括室。
「ユリシーズもメルの世話役だって言い張るならちゃんとやれよなー。もののけだからって言い訳は無しだぜ?」
「私はメイルの世話を焼いているのであって、彼女を育てているのは私ではなく彼女の母親だ。それと名前を――」
「あのひとに責任押し付けるとか」
苦笑いするレイナに同意するように、ヘイズも乾いた笑いを吐き出す。
「もののけは怖いもの知らずでいけねぇ」
「ほらほら、もう皆来てるよ」
やべぇやべぇとあわてて三人は統括室の扉を開けた。
薄暗がりの部屋は未だ会議が始まっていないのか、少しざわついていた。
「あれ? レイナちゃん、メルちゃんは?」
「おいメルはどうした。ヘイズ、またなんかしたのか?」
あちこちから問われる言葉に答えず、さっさと分隊毎に区分けされた場所へ滑り込む三人。
部屋は会議室というより広場に近い広さがあり、薄暗く一望しても大きさを把握する事はできなかった。部屋の中央辺りには十本の柱。見上げれば柱の上には各々人影が座っている。
管理者だ。種族の代表が二名ずつ、計十名の世界の管理をする者達。
その柱を囲むように部屋を埋め尽くす管理錬金術師の数は数百人を超える。
「そろそろ始めよう」
妖精独特の、小さい体で張り上げる甲高い声が部屋に響いた。
ざわついていた室内が、驚くほど静かになって思わずユリシーズは顔を上げた。耳長族ばかりが目につく。
管理錬金術師の大半は耳長族である。妖精や水棲族もちらほらと見えるが、ほとんど人間は居ない。居ないわけでもないのだが、例外中の例題だ。
そしてまさにその例外の人間が、ゆっくりと立ち上がった。
「メルはいねぇか? おい、ヘイズ。メルはどうした」
「1番地には来ていますが、どっかに行ったみたいです」
ヘイズは涼しい顔をして、のらりくらりと返答する。
「そうか。いや、むしろ都合がいい。爺さん、繰り上げて先に話しちまおう」
「そうだな」
爺さんと呼ばれた妖精が、ゆらりと姿勢を正す。
「風雨街6番地の自警団から先日要請があった。クリエイター、メイリード・ベルギスの捕縛だ。罪状は、未認可錬金術の個人運用と警備団への直接攻撃。特級犯罪として扱う。相手はクリエイターだ。半数は出てもらうぞ」
ざわめきが、波紋のように広がって行く。
「また、管理錬金術師団所属メイルジーンにも同様に未認可錬金術運用の疑惑がかかっている、今回は――」
柱の上で一人仁王立ちをしていた人間の管理者が舌打ちをした。同時、老人の妖精も言葉を詰まらせ一点を見つめる。
二人の視線を追ってユリシーズが振り返った先には、
「メイ――」
「捕らえろ! 変な気を起こさせるな!」
ユリシーズの言葉が終わる前に管理者が叫んだ。
だが一番最初に反応したのは、ヘイズとレイナだった。
「メル!! 走れ!!」
飛ぶように走り出した二人の背を追いかけて、ユリシーズが走り出す。一体二人は何を、と考えてすぐに理解する。このままではメルは拘束される。少なくとも、メイリードの一件が片付くまでは身動きができなくなる。
それはメルにとって好ましくない事態だ。
「レイナ、杖だ!」
「あいよ!」
自分の背丈の何倍もあるヘイズの杖をどこからともなく取り出し、体をめいっぱい使ってヘイズに投げつける。
「ナイス! どけどけー! どかねぇと怪我するぞ!」
だがヘイズの叫びは必要なかった。誰も彼もが喜んで彼らに道を譲り、いまやメルがいる出入り口まで一直線の道ができている。そして誰も彼もが知らぬ振りをしている。
視線は合わせないが笑っている者もいた。
「おめぇら! 仕事しやがれ!」
管理者の叫び声を背で受けながら、ユリシーズは首だけ背後に向けた。すると、やる気がなさそうに一人の耳長族の女性が杖を振り上げ錬金術を組み上げ始めた。間髪を容れず彼女の杖から錬金術が起動する。
管理錬金術師が使う捕縛用の錬金術。
「ここは任せとけ」
器用にウィンクしてヘイズが一人杖を振りかぶり立ち止まった。走りぬけたユリシーズの背後で光の弧を描いて捕縛錬金術の網が広がる。
「よいしょーっ!」
ヘイズの掛け声と共に錬金術が起動。
爆音と共にあたりを覆うほどの煙が広がった。
「なっ」
速度を緩めず、ユリシーズは背後に広がる煙を見る。
すぐに煙から人影が一人。ヘイズだ。
「そら、いそげ! メル! ぼさっとしてんじゃねぇ!」
顔を戻せば目の前にメルの背があった。既にレイナが合流して彼女の頭の上にしがみついている。
「助かったぜ煙幕にすら反応する捕縛陣か。あとで礼しなきゃなー。誰だったかわかったか?」
器用に頭にしがみついたままレイナがこちらを振り返る。
「多分第五隊だったと思うけど。第五って耳長いたっけ?」
「さっきの錬金術なら、第六のライチ・ベリドットだよ。根源錬金術の組み上げで分かる」
レイナの代わりに答えたのはメルだった。
「さすがメル。後でお礼に菓子折りでも持っていこうぜ」
「そんなことを言ったら、皆に礼をしなければいけないのではないか?」
ユリシーズの言葉に、ヘイズはそりゃそうだと笑った。
「ささ、とりあえずここ出ちゃおう。捕まる訳にはいかないでしょ?」
廊下を走りながら背後を振り返れば、まだ追っ手は来ていないのか静かなままだ。
「大丈夫だろ、身内にはバカみたいに甘いしな」
「それもそうだねー」
一番甘いのはお前達だ。ユリシーズは思う。
関係ないのに一緒に逃げているお前達は、どこまで甘いのだと。メルが捕まったところで別に犯罪者というわけではない、メイリード捕縛までメルには手出しをさせたくなかっただけだ。
メイリードが無事捕縛できればそれでお咎めすらないだろうことは、もののけでも十分に分かる。
皆、メルに甘い。そして自分が一番甘いこともユリシーズは十分に理解していた。
強い風が巻き上げた濃い雲の湿気は、思わずむせてしまうほどのものだ。柱の風上を守るように、三枚の羽が回っている。巨大風車の羽は遠くで回っているはずなのに、余りの大きさに遠近感が狂う。
少し苦しそうに息を吐き出したメルが背の上で身をよじるのを感じながら、ユリシーズは彼女の代わりに空を見上げてみる。頭上にまで広がる薄い雲の白。
それは自分達を留める檻のようで。
この雲が汚れを溜めた澱のようで。
吐き気すらする。
吐き出した息すら白く濁っている、そんな錯覚に陥りながらユリシーズは静かに空を見上げていた。
「そういえば、メルの家行くの初めてだな」
「遊びにいくんじゃないっつーの、この変態」
「家ひとつで変態呼ばわりかよ! この無妖精!」
「うっさい、くさい、きもい! 私がいないと杖だってすぐに失くす癖に! この汚水棲族!」
メルの頭の上とユリシーズの後ろ足の辺りで喧嘩が勃発しているが、いつもの事で残る二人は気にもしない。
「ユリシーズ、用意だけはしておこう」
答える代わりにユリシーズは体の一部を千切ってメルの腕に巻きつけた。
「おい、メル……」
「ヘイズ、かまわないといっているだろう。それに私の体は大きい。この程度、気にすることじゃない」
「だってよ……」
「家は6番地の腹にある。風車が少ないから大きな錬金術は使えないの。ユリシーズがいなくちゃ、あそこでなにもできない。クリエイターだろうが関係ない」
「……使いすぎは気をつけろよ。何度も言っているが、もののけは自分が死にかけててもエリクシルを使われる事を拒否できないんだからな。お前が、ちゃんと調整するんだぞ」
「わかってるってば!! 私は管理錬金術師だ!」
それこそが、これこそが、彼女にとって唯一、他者が認めてくれたものだった。
母親に否定され育った彼女を認めてくれた。それがどれ程彼女の心を救ったのか、もののけのユリシーズには計り知れなかった。
「しってるよ、天才ルーキー。さぁいこう。若年隊が一番仕事が出来るところを証明するんだろ? いつでもいいぜ」
「……いこう、みんな宜しく」
「承った」
管理錬金術師の符号。挨拶のようなものだった。
幾度となく繰り返した符号のやり取りは、スイッチのように体を落ち着かせる。相手がなんであろうといつもどおりでいける。
目の前には、街の下部へ続く下り坂が延びていた。左右は家で埋め尽くされ、上は別の道が伸びていて、その見た目はまさに通路といった感じだが、床も壁も天井も一定しない。メルの指差す先、真っ暗な通路が伸びている。
「私の母が、クリエイターが、メイリードが待ってる――」
『止めて』
記憶の奔流は時系列を失い、思い出になって霧散する。
感情は薄れ、純化していた単一視点は失われ、あの日あの時のもののけ達全ての記憶が混ざり始める。
「あ、が……」
「 さん調子悪そうですよ、あっちで休みましょう」
名前を呼ばれた気がするが、個を失い名前の意味が理解できない。体を押されて、言われるがまま、促されるまま倒れるように進む。
「ささ、こっちです。大丈夫ですか?」
焦点の定まらない視界の向こう、整った顔の少年が映る。
――とんだ藪蛇だったかなぁ。うひひひ
誰かが笑ってる。
「思わぬところで、いい収穫でした。名前と親族関係の裏が取れればと思っていたんですが、まさかあの回廊封印の記憶までありそうとは……続けますよ、 さん」
――こりゃぁ、ちょっとやばいかもねぇ。
誰かが笑っている。軽快な笑いだった。
記憶が鮮明になる。意識が遠くなるような近くなるような不思議な感覚。遠いのに近い。遠く昔に、個が定まる。
『続けて』
家は、メルが喧嘩してから何も変わってはいなかった。
既に街の最下層であるこの場所は、下を見下ろせば空と雲海があり、そして2番地が雲に沈んでいる。巨大風車にかき回された雲が、風に乗って流れていく。
血管のように張り巡らされた通路に逆さに伸びた風車。上のほうの街とはまったく違う風景に、ヘイズとレイナはしばし言葉を忘れて辺りを見回している。なにせ見上げれば頭上を覆う街が広がり青空一つ見えず、いつもあるはずの床は、隙間だらけで青空と雲海が見えているのだ。上下が逆転したような気分にすらなるだろう。
「やべぇ、ちょっと高所恐怖症のやつの気持ちがわかったかも。高所恐怖症には優しくしないといけないなこれは」
「あんた落ちたって死なないでしょうが」
「怖いモンは怖いだろう?」
「飛べる私にはわからないね。メルはなれてるでしょ?」
「うん。足場悪いから、ヘイズはバックアップね。上から回ってレイナとユリシーズがトップ」
「はいよ」
「おっけー」
皆の視線の先、逆さに生えた風車と小さな家があった。
辺りの床がところどころ焼け焦げ、破砕し、穿たれ、へし折られている。メルとメイリードの喧嘩の跡だ。
いつもユリシーズを使って錬金術を行使するメルと、ほとんど電精のないこの場所で微かな錬金術しか行使できないメイリードは喧嘩をしていた。
そしていつも喧嘩はメルがメイリードを吹き飛ばして終わり。エリクシルのほとんどないこの場所では、クリエイターといえど自由に錬金術は使えない。
いつものようにすれば、なんの問題もない。
――吹き飛ばす代わりに捕縛すればいいだけだ。
「ユリシーズ、あまり吸われるなよ?」
「メイルに言ってくれ。それと名前でよぶな」
「んじゃいこっか」
レイナの言葉を合図に、ヘイズは天井へ張り付き、体を滑り込ませていく。そしてすぐに見えなくなった。
それを確認して、メルは髪を結っていた紐を解く。同時に紐に溜まっていたメルの体温と風の温度差に、風精が微かに起き上がる。
ほんの微かなエリクシル。だがそれで十分。風精に特化して組み上げられた錬金術が自動で起動、紐はまるでバネ仕掛けのようにまっすぐ伸びると、すぐにその大きさを数倍にさせる。
そして変化が落ち着いたとき、メルの手に握られていたのは杖だった。管理錬金術師たちが持つ白い杖。
「一気に決める。……いくよ」
メルの声に、ユリシーズは前足を一歩前に。と、その踏み出した足が影を踏んでいた。
先ほどまでそこには影などなかったのに。
え? と疑問を覚え。
何が? と顔を上げた。
だれが? と目を細めて――
背後で爆音を聞いた。
黒い髪。一瞬、夜がやってきたのかと思ってしまうほど光の一つすら反射しない真っ黒な長い髪の毛を揺らし、メルの血縁とは思えないほどの背の高さと、スタイルのよさをこれ見よがしに見せ付けるような、体の線を出す服でふてぶてしく目の前に立つ人物。よく知っている人物。
「メイリード!」
「いよう、ユリシーズ。……いいのか?」
背後の爆音は既におさまっていて、横目に見た視界にレイナがいた。だが後ろの気配はない。
「……」
「いいのか?」
薄笑いを浮かべる、赤い紅の引かれた唇と、嬉しそうに細める目がこちらを見ている。




