幻の光(上)
自分の肩幅の倍ぐらいの荷物を器用に背負いながら、子供が歩いている。荷物の重心をゆっくり揺らす勢いで前に転ぶように、とん、とん、と規則的に歩くその姿は少し機械のようでもあり、しかし遊んでいる子供のようにも見えた。
その少し後ろをふらふらと歩いているのは、その子供より少し背の高い狐耳を生やしたもののけだった。
「ニノ君は、器用だねぇ」
「小さい頃からやっていましたから」
基本的に、ニノは今まで一人だったユズと組んで仕事をしている。名目はユズのサポートだが、実際はユズのお目付け役だ。放っておくと仕事だけを済ませてどこかに行ってしまうユズをしっかりと報告までさせるためである。
実際メルの目論見は成功し、今まで不明瞭だったユズの仕事がしっかりと報告書として上がってくるので随分と彼女は楽ができている。そういう意味では、ヘイズの采配は正しかったといえるだろう。
「今日は観光地の風車なので、シーズン前に点検をということです。出来れば作業も人がくるお昼前に、と」
「わかっているってぇ~。ニノ君、結構私のことダメなやつだとおもってるでしょぉ~
「結構じゃなくて、かなり思ってます」
「うあぁ、直球ぅ~~」
まったく酷いといった顔もせずに抗議の声を上げるユズ。
観光地は、22番地の中央通りをまっすぐ進むと現れる。柱の街の中でも22番地は有数の大きさで、風上街だけで言えば一番である。そのため、世界の一番前だなんていうそんな触れ込みで先端部分は観光地として繁盛しているのだ。
「観光地仕様の、真っ白な風車だそうですよ」
「へぇ、真っ白な、ねぇ」
細い目を、さらに細めてユズが呟く。
「そういえば」
観光地区あたりに入ると、質素な圧縮木材の床が次第に飾り彫りや塗り分けされた舗装床になり始める。街並みも煩雑な街から景観を重視した整列した並びになる。そんなあたりで、ふと先を行くニノが振り返った。
「ユズさんは、9番地に住んでいるんですよね?」
「……へ?」
「初めてお会いしたときに、そう」
「え、えーと」
何を言っているのか、と首を傾げかけた瞬間思い当たった。暗がりで顔は確かにじっとは見ていない。だが、確かにこの声と体格。
あの日9番地で出会ったあの少年だった。
「あ……なに、いってるのかなぁ?」
「黒い肌ともっと大きな背だったのですぐに気がつきませんでしたけど」
「く、黒い肌? め、めめめめ珍しい肌だねぇ」
「耳も尻尾も変わってないじゃないですか」
「……えーと。その、できれば忘れてほしいかなぁって」
ぱっと、思わずユズは己の頭に生えた耳を手で抑える。
もののけの固有パーツは彼ら個人個人で違い同じものは絶対にない。とはいえ余り知られている事実ではないのだが。
「あれは、もののけのお仕事で……本当は秘密なんだよぉ」
「……はぁ。なるほど。判りました。じゃぁ代わりに一つ」
こほんと咳払いをして、ニノがユズの眼を見つめる。
「な、なにかなぁ。できる事なら何でもするよぉ」
「それはありがたいです。知りたいことが一つだけあるので、もしご存知なら教えてください」
「どーんときてよぉ、スリーサイズだって答えるよ~」
「メルさんの本名、教えてください」
思わずユズは固まってしまった。彼らもののけは表情に感情が乗りづらいが、体の表面に感情が出る。怒れば猫のようにあわ立ち、悲しめばつやをなくす、そして緊張すれば硬くなるのだ。ある意味人よりも分かりやすい。
「ご存知、ですよね?」
「えー、まぁ。そうだねぇ……しかし本人の承諾なしでぇ」
「名前きくのに、承諾が?」
「う……」
「なにか秘密でも? 社長も教えてくれませんでし――」
「あ、ちょっとトイレ行って来ていいかなぁ~?」
止める間もなくユズは近くにあった飲食店に入っていった。
――逃げられました。
誰も彼もが、メルの名前を教えてはくれない。調べようにも調べる手段はなく、手をこまねくばかりだ。
ニノはため息混じりにユズが消えた店を見つめ、首を振る。
――これ以上のんびりもしていられません。
握った手を見つめて己を確認するように一つ頷きを作ると、意を決したかのようにポケットに手を突っ込んだ。
「んふふ~、おまたせー。はい、これ」
気がつけば目の前にユズが立っていた。手には牛串。
「ここの牛串おいしいんだよぉ~。あ、ちゃんと手は洗ったから大丈夫~。安心してねぇ」
「は、はぁ」
言われるがまま受け取り、一口肉を噛み千切る。
「……おいしい、ですね」
「でしょー」
歩き出したユズの背を追って、ニノは荷物を担ぎなおし歩き出した。
「白い風車かぁ、このあたりには一杯あるねぇ」
「観光用ですからね、景観重視です」
「白の塗料は重たいのにねぇ。そういえば、メイルの実家も白い風車があったなぁ」
――もう、後には引けない。
ポケットにある硬い感触を確認して、息を吸い込む。
「ごめんなさい。個人的に怨みはないのですが」
「へ?」
ニノの言葉に振り返るユズ。視界には、真っ白な風車が回っていた。日の光を浴びて眩しいほどに輝いていた。
「約束は守りますから。あの日のことは何も言いません、ですからユズさんもできる限り協力してください――」
手が伸びてきた。視界の端に電精が揺れているのが見えた。
■
6番地は風雨街。柱を背に、左側から風が来る街だ。だから風車はみな左を向いている。たとえそれが上下逆さまの風車でも、だ。
これはもののけの記憶だ。
あの日、あの時、共にいたもののけの記憶だ。
街の腹と呼ばれる、街の一番下、一番底。そこは細い渡り廊下のような床と、何もかもをさえぎる天井が広がる場所だ。青空は下に広がり、日の光は雲海反射する真っ白で鋭い光ばかり。そして床が不安定なため、この場所にある風車はみな天井に発電機を持つ上下逆さまの風車が並ぶ。
そんな人が住む事を否定するような場所に、少し大きめの家が一つ釣り下がっていた。
「私がどうしようと、勝手じゃない!」
メルの叫び声に、その家の屋上で寝ていたもののけは目を覚ました。狼の耳と狼の尻尾をもったもののけは、眠そうに目をこすり体を起こした。屋根から下を覗き込んでみれば、丁度勢いよく扉を開いて声の主が出てくるところだった。
「てめぇは私のもんだ。勝手にさせるわけねぇだろ」
「人権侵害だ! 訴えてやる!」
「失敗作に人権なんかあるわけねぇだろうが! アホ」
玄関先でメルとやりあっているのは彼女の母親だ。
「ないわけないだろ! バカ!」
「あーもーうるせぇなぁ、勝手にしろ!」
「勝手にするよ! 召集かかってるから、それじゃ」
「だからあいつらのところにはいくなって!」
「意味わかんないって! 好きにしろなのか、するななのか! ちゃんと理屈ぐらいあわせろこの耳長!」
力いっぱい強く閉めた扉が、破砕音のような派手な音を立てて閉まる。
「おい! メル! まて」
「やだね! 私は錬金術師団をやめたりしない!」
「お前はあそこじゃ無理だつってんだよ。ガキが」
「子供じゃない! なんなら無理やり止めればいい!」
年齢はたしか五十歳ぐらい。
耳長族である彼女は人間で言うところの十二歳ぐらいになるはずだが、彼女は小さくて十歳未満の子供に見えた。
「……てめぇ」
「いくよ、ユリシーズ!」
声をかけられ、屋根から見下ろしていたもののけはため息を一つ、吐き出すように
「名前で呼ぶなと、いつもいっているだろう」
そう答えながらメルの傍に降り立つ。向かい合うメイリードを睨み錬金術が組みあがっていく様を見る。また喧嘩が始まる。ため息はもう出なくなった。
■
「ったく、また喧嘩したのかよメル」
「ほんとに懲りないね」
水棲族の青年に手当てを受けながら、メルは不貞腐れているのか俯いて何も言わない。そんな彼女の頭の上で胡坐を書いているのは拳二つ分ほどの大きさの妖精だった。
「レイナ、保護シールもう一枚だしてくれ」
「あいあい」
ごそごそと、なぜか自分の体と同じ大きさぐらいの白いシートをどこからともなく取り出す妖精。
「ほら、染みるからな」
水棲族のひんやりとした手を感じながら、メルは不満の声も上げずじっと治療を受けていた。
「最年少の試験合格者の名前が泣くぞ。もうバカみたいな喧嘩なんかすんなよ。ホラ、おわった」
「なんかヘイズ、錬金術より応急処置のほうが上手くなっていくよねぇ~」
「おまっ、そういうこというなよ!」
「バカとかいうな、アホ」
ようやくメルが口を開いた。
「メイル、大丈夫か」
ずいといきなりメルの眼前に狼の顔が現れた。それに驚きもせずメルは静かに目を合わせる。
真っ白な毛並みと、成人男性ぐらいなら一飲みにできそうな大きな体躯のもののけが彼女の目の前にいた。
「大丈夫。額ちょっと切っただけだし。あいつは当分あの場所から動けない。ざまぁみろ」
「まぁたユリシーズつかったなぁお前。もののけからエリクシル抜くのやめろっていってるだろ」
「いいじゃん、ユリシーズだっていいって」
「そうだ、私はかまわない。名前で呼ばれる事以外は」
真っ白な体を横たえ、メルのためのソファのようになったユリシーズが言う。
「いいわけないだろ、もののけのエリクシルってのはなぁ」
「もー! 知ってるってば。ヘイズうるさい」
「それが手当てをしてやった恩人に言う言葉かぁ!」
ぽく、と軽い音。ヘイズの拳がメルの頭を叩いた。
だが耳長を非力の代名詞でもある水棲族がどうにかできるわけもなく、メルはかすかに揺れることすらなかった。
「いいかメル、ユリシーズのエリクシルはそのままユリシーズの命なんだぞ。なくなったら消えるんだからな? 本当にわかってんのか? 根源錬金術が起動している間は何度でもよみがえるけど記憶は引き継がれないんだぞ? それは結局別人ってことだ。分かるか」
「知ってるって! うるさいな! 全部吸い取るわけないだろ。もー! そろそろ召集時間だからいく」
メルは跳ねるように立ち上がると、振り返りもせず部屋を出て行く。彼女の苛立ちを代弁するように、纏め上げたポニーテールの髪が勢い良く揺れていた。
「メイルをいじめるな。それと、私を名前で呼ぶな」
「ユリシーズ、お前からもいえよ、いいのかよものの弾みで自分が消えるかもしれないんだぞ? 錬金術が想像以上の消費しただけで吸い取られるんだからな」
「知っている。それでかまわない」
「やめときなってヘイズ。何度目さ。もののけも耳長も人間達と違って頑固だししょうがないって」
「……わかってるよ」
優男の顔を歪ませてヘイズはため息を飲み込む。管理錬金術師たちが使っている詰所の医務室は広く、見回せば他にも何人かけがをした錬金術師たちが治療を受けたり、寝ていたりしていた。
そして皆が皆静かにこちらを見ていた。その視線は言っている、「メルを困らせるな」と。
「まったく。困ったお姫様だよ」
耳長族最年少の試験合格者。生まれ持った特殊な技能ではなく、ただただ錬金術の実力試験だけで管理錬金術師になった最年少の少女。齢五十歳。人間でいったら十歳ちょっとだ、人間の中にまれにいる錬金術の理を理解する特殊な人間ですらその年で入団している者はいない。
「甘やかされすぎだっつーの」
「やきもち?」
「バーカ。親心だよ」
部屋のどこからか忍び笑いが聞こえた。




