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風車のある風景  作者: 神奈
本文
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空想天国

 17番地という上層区の真ん中あたりに位置する風砂街には、他の街にはないものが二つある。

 一つは、上から見下ろすとすぐに分かる大きな広場だ。

 その広場の面積は、家が十軒ほど余裕で建てられる大きさである。この、家の上に家を建てざるを得ない柱の世界で、この広場の大きさは飛び抜けて大きい。世界最大の広場と言ってよかった。そしてこの広場の所有者は、ベルフレア社のCEO。この世界では誰もがその名を聞かずには生活できない、世界の半分をシェアに納める総合製造業社である。公共のものではない、そのCEO個人の家についた庭なのだ。

 そしてもう一つは、この庭にある軸を三又に分けた巨大風車だ。風車は発電機を基礎部に持つため、羽を支える柱は羽の動力を伝える軸が通っている。だというのに、この風車は三又になっており、あろうことかカーブすらしていて軸が通っているようには見えない。末広がりの三脚の上で回るのはその脚に見合う大きい羽の風車。まるでお飾りの風車だったが、しかし発電量は同サイズの風車のおよそ四倍。他のどこにもない、ベルフレア社が作った試作品だった。


 しかしその風車はつい最近まで壊れて動いていなかった。


 もっと早く直っていたら製品化も可能だったかもしれない。

 その風車が立つ世界最大の庭に、一人のメイドがいた。元より背の小さい彼女がその大きな風車の傍に立つと、弥が上にも風車の大きさが際立つ。

 そして今この風車は直ったというのに、白い布がかぶせられ動いてはいなかった。さすがに羽部分は隠せなかったのか、白い布に包まれた風車が顔を出しているといった感じに仕上がっている。この末広がりでのんびりと回る風車が好きだった彼女は、残念で仕方がなかった。

 そして実家に帰ってくるなり風車を解体すると言い放ったこの家の長女。メイドの彼女にとっては子供の頃から一緒に育った幼馴染でもある、リーズフリオ・グリーフベルア。

 折角必死になって直した風車を、こともなげに解体してしまうというのだから、一体どうしてしまったのかと不安にもなろう。彼女は先程からオロオロと風車の周りを回っている。

「モモ」

 声をかけられて、メイドが小動物のように跳ね上がった。黒を基礎にしたメイド服がふわりと揺れる。

 リグは背が高い。モモも耳長の中では平均ではあるがリグの背が高いので、二人は小さい子供と母親のような身長差があった。見上げるようにして首を傾げるモモを見下ろして、未だ子供のような肌を持つ彼女にため息をついた。

 思わずリグは自分の頬に手をあてて、それが母親の癖だったと思い出す。傍から見れば親子の絆のようにも思える。が、


 ――どちらかといえば、モモが原因のような……。

 こんないつまで経っても若い耳長を傍に置けば、当然かもしれない。彼女たちには肌荒れも枝毛もないのだから。

「お嬢様?」

「あ、なんでもないの。ごめんね」

 羨むなという方がなかなか難しい。とくにモモはリグとほとんど同い年である。尚更意識してしまうのも仕方がない。本来耳長族と人間はここまで深い関係になることはない。街中ですれ違ったってこんな気持ちにはならないだろう。

「そういえば、先ほど管理局の方がいらっしゃいました」

「え? どしたの?」

「屋敷から騒音が、と確認されに。付近で騒音の苦情が出たそうです」

「街の警備団に言えばいいのに、なんで管理局が……」

 いやな感じがした。関係なんてあるはずないのに、やってることがまるで柱から否定されたような、そんな感覚だった。まるで悪い事をしたような後ろめたさに、思わずリグは、面倒な、と漏らしてしまう。

「ありえないと、追い払っておきました。それと、開発部のほうからお嬢様に頼まれていたものの報告、それと奥様がご夕食を作ると買出しにいかれました」

「お母様も、暇ねぇ」


 17番地から見上げる空は、上にある大きな21番地のせいで広くはない。空の半分近くを上の街に隠されたこの場所は、メルでなくても息苦しくなりそうだった。

 庭から戻ってきて居間の窓から見る空は、さらに小さくそして遠く見える。

「お茶が入りました」

 渡されたカップに口をつけ、リグは目の前に広がるボロボロの紙に視線を落とす。

「懐かしいですね。でもなぜ今更これを? お嬢様は――」

 高いところに行けないのに。

「私が、じゃないけど、本当に作ってみようと思うの」

 昔、屋根に上って二人で星を数えていた。

 あの頃の思い出は、今でもはっきりと思い出せる。リグは今にも破けてしまいそうな大きな紙に手を這わした。

 まだ高いところが怖くなかった頃、知ったばかりの知識をひけらかすようにモモに話した夢物語。

 あの星にだっていつか行けるようになるんだから。

「懐かしいですね」

「うん、そうね……」

「今でもちゃんと覚えていますよ、お嬢様の」

 ふと、何かを忘れていると、そんなことを思い出した。

 今の今まで忘れた事さえ忘れていた。

「あの星も、私のものにするから! ……って」

「――!!」

「この天才リーズフリオ様に不可能はないの! って」

 忘れていた。

 忘れていたのだ。

「宇宙も、柱も、全部私の……もがっ」

「モモ? おなかへったでしょう? おやつにしましょう」

 知識を手に入れて、誰よりも偉くなったようなそんな感覚を。子供の頃の自分は、少々アレな感じだったことを。

 しっかり忘れていた。

 いや忘れようとしていた。そしてそれは、完全に成功していたのだ。モモに言われるまで、リグはそんな記憶の存在すら忘れていたのだから。

 事の重大さに気がついていないモモは、口を手で塞がれたまま不思議そうに頷いた。


 お菓子を取りに行くと、部屋を後にしたモモを見送りながらリグは長い息を吐き出す。変な汗をかいて、背中が冷たい。思わず身をよじりながら見下ろしたボロボロの紙切れ。全部を思い出した今、とたんに忌々しいものに見えてくるから不思議である。胃すら痛くなってきた。

 ――でも一からの設計は時間がかかるし。

 子供の夢。ノートの切れ端に書いたたわいない夢物語だ。たとえその作成に一年近くを費やし、夢を机上の空論程度までは形にした自分を、一応は褒めておくべきだとリグは思う。

 ただの夢物語を実現に足るものへ。


 いつだって科学はそうやって前に進んできたのだ。錬金術がまったく使えないからこそ、だからこそ、リグは科学に固執する。自分の力を誇示したいのだ、結局子供の頃から変わってはいない。出来のいい兄二人を見上げて劣等感の中、背だけが伸びた自分。

 ――何も変わってない。

 だが、何も変わっていないなら今目の前にあるこの紙に書かれた机上の空論を現実にすることができる。あの頃の自分から、夢を引き継ぐことができるはずだ。

 いや、しなければいけない。

「絶対、形にするから……先輩」

 そして志とは裏腹に、あまりにもそれは無謀で無茶で無理な無限にも等しい距離。資金。資材。そして技術。

 空を行く、船。

頑丈な箱と、強力なエンジンがあればいい。言うのは簡単だ。だが結局、夢物語でしかないのだ。焦りが体中を駆け巡る感覚に、思わずリグは俯き身震いをする。


 湯気が顔にかかって、思わず目を瞑った。

 起動していた錬金術は、式を乱されてすぐに意味をなくして霧散する。モモは、ため息混じりに再度錬金術を起動、式を組み上げた。

 ――まだまだです。

 もとより真面目な彼女はメルから貰った錬金術の研鑽を忘れてはいなかった。そして使えば使うほど、なじむ錬金術に楽しさすら覚えていた。あれほど忌避していたというのに、と自嘲気味にモモは笑いを浮かべる。

 リグに連れられて、耳長族にしては珍しく学問を修めているモモにとって勉強は、それはもう苦痛で仕方がないものの一つだった。そもそも耳長族はこの世の仕組みに疎い。リグと共に学ばされた政治経済数学科学、とくに科学の中でも物理が苦手だった。あの苦しみに比べれば、独学とはいえ錬金術を学ぶのはそれはもう楽しくて仕方がない。結果がすぐに出るのも良かった。

 好き勝手に飛び回る電精を呼び寄せ、式を動かしていく。先人達が用意した何千という世界を塗り替える技法。根源錬金術と呼ばれる、世界を書き換えるパーツを繋ぎ合わせ組み合わせ欲しい結果を生み出す錬金術を組み上げる。

 次第に式は意味を理解し動き出す。熱を発する簡単な錬金術はかくして起動し、お茶を温めなおし始めた。

「よし、と」

 今なら、子供の頃リグが夜空を指差して大見得を切ったあの言葉の意味を理解できる。手に入る知識が、技術が、片っ端から余さず自分の物になっていく感覚。万能感。

 幻想であることは分かっている。モモは自分を諌めるように口を結び、錬金術に集中する。湯気に思わず顔をそらす。

 目の前には窓。21番地に半分近く隠れた空が見えていた。


 空に星が一つ輝いている。まだ日は高く、月も顔を出していないというのにチカチカと光る星が空の真ん中に浮いていた。ちょうど21番地の端辺りが重なって、もしかしたら21番地の端で誰かが何かをしているのかもしれないそんなことを思う。でももしかしたらリグの言っていた星かもしれない。そう思うと、星にも見えてくる。不思議な光だった。


 グリーフベルアの研究室に在籍する人間たちが出した結論に、リグはため息しか出なかった。

「こんなんだから、ブランドにしがみついた老害とかいわれるの、わかってるのかな……」

 ベルフレアの製品は常に最高である必要がある。ゆえに、常に最新というわけではない。開発力の低さは、効率化や現状維持に特化したためであるといってもいい。仕方がないが、情けないとも思う。無理なことをしないのも、製品の安全性安定性を求める社風から言えば間違ってはいない。だが、

「代替案の一つも出せないなんて……」

 文句を言っても始まらない。

 ただ、ここまで頭ごなしに無理だと言われてしまうと、本当に無理な気がしてくる。

 ――いや実際、無理なんだけど。

 メルから借りた本の中に浮球を使った上空の調査の項目があった。リグはそのページを慎重に開く。

 出来るだけ高い場所から星を観察しようとしたものだが、浮球は柱からだいたい一、二キロも離れると突然上昇をやめてしまうのだという。

 耳長ともののけが命がけで調べた結果、その先は突然気圧が低くなっているという。それだけではなく、温度もまた下がる。観測やいくつもの犠牲の上に分かったことは、下がった気圧の先は空気のない、人が住めぬ世界だということだ。

 人は柱から出ては生きてはいけないのだ。

 乗る人間を、温度や気圧から守るために必要な頑丈なコンテナを作ろうとすると大体家一軒分ぐらいの重量になる。そこにさらに、発射の衝撃に耐えられ、呼吸するための酸素の供給装置を加え、それらを打ち上げられるだけのロケットを組み上げる。この時点でロケットの効率限界に近い。しかも耐久度を無視しての話だ。これを距離三万キロまで安全運用するのに必要な耐久度を加味すれば、もう絶望的な数字しか出てこない。

 何も知らなかった夢を見ていた子供の頃であれば、よかったのかもしれない。行けると信じて努力もできただろう。

 だがもうだめだ。知ってしまったのだ。

 リグは乱暴に両腕を机に叩きつけた。高級調度品の部類に位置するテーブルは、その衝撃をしっかりと受け取りいやみなほど静かな響きにして返す。

 広い部屋も高い家具も今は忌々しいだけだった。


「お茶がはいりました」

 お嬢様。そういって部屋に入ってきた相変わらず小さな人影に、リグは何とか笑顔を取り繕って答えた。

「ありがとう」

 ふと、オゾンの匂いを鼻にする。

「? モモ、錬金術つかった?」

「え……あ、はい。使いました……」

 電精が発する電気は、錬金術の式を流れるとき空気を焼いてオゾンを少量だが発生させる。独特の匂いなので、すぐに分かる。

「いけませんでしたか……」

「ううん? まさか。つかうなーっていってたのって、サン爺でしょ。あの人も家にいないし、いいんじゃないの?」

「ええ……、でも執事長ですし。一応」

「この家にいるお手伝いさんは、モモ一人だけよ。サン爺はもう父さんの秘書に落ち着いてるし。関係ないから」

 いって、リグはモモの頭をなでた。

「……はい、ありがとうございます」

 モモが入れてくれたお茶は、錬金術だろうがコンロだろうがいつものようにおいしかった。

「お嬢様、風車本当に取り壊してしまうんですか?」

「うーん……壊しはしないから。大丈夫」

 悪い事にはしない。

 モモがあの風車を気に入っていることは知っている。だが個人でできることには限られているのだ。使えるものは何だって利用するしかない。

「ちょっと、材料の足しにするだけだから」

「……」

 それを取り壊しというのではないか。という発言をモモは息と一緒になんとか飲み込んだ。

「大丈夫大丈夫。ほんとに、悪い事には――」

 モモの泣き出しそうな顔に、リグはあわてて手にしたカップを置いて手を伸ばそうと、

 カップがテーブルの端からゆっくりとバランスを崩し、傾いていく。

「あ」

 必死で手を伸ばすが、届かない。別にお気に入りでも、高級なものでもない普通のカップだが、かといって壊していい物でもない。

 カップはリグの伸ばした手をすり抜けて床に落ちた。

「わ、わわ! ……あれ?」

 音がしなかった。正確には、軽いものが床に落ちたような乾いた音がしただけ。

 閉じた目をおそるおそる開けば、カップは目の前にそのままの形で転がっていた。

「お、おぉ?」


 上手い具合に落ちたのか、とにかくカップは無事だった。中に少しだけ残っていたお茶が、薄く床に広がっていく。

「お嬢様、大丈夫ですか?」

「う、うん。カップ割れなくてよかった……」

「あ、そのカップは大丈夫ですよ。錬金術をつかって強化してますから」

「へ?」

「硬い材質に変化させたんです。最近流行のエリクシル消費をなしにした永続効果の――」

「モモ、これどれぐらい硬いの?」

「え、えっと……」

 モモは少し困った顔をしながらカップを受け取ると、

「失礼します」

 そういって、力いっぱい壁に投げつけた。

 耳長の腕力は、人間の三倍から四倍などといわれている。力いっぱい振りかぶって投げつけられたカップは、頑丈なだけがとりえの圧縮木材の壁にぶつかって跳ね返った。

「す、ごい」

「圧縮木材と同じ原理だそうです。一度作ってしまえば、その後エリクシルが無くても存在できるので食器とかガラス窓なんかに最近よく使われているらしいですよ」

 リグは、目の前に転がってきたカップを見つめている。 

「管理局が発表した新技術です。ご存知、ないですか?」

 モモの言っていることは、半分ぐらい聞こえていなかった。

 リグは目の前のどう見ても陶器のカップを何度も小突いたりしながら確認する。

 おもむろに取っ手を持って、床に叩きつける。軽い音がしてカップは少し跳ね返りながら割れもせずに転がった。

「圧縮木材とちがって、許可はいらないんですがいかんせん難しくて錬金術の工房にいって処理をお願いするしかないんですよね……それにお値段も。失敗するときもありますし」

 それは、家にきたセールスが試しにとくれたものだという。

「このカップもらっていい?」

「え? えぇ、はい。大丈夫です」

 立ち上がる。陶器でなくもっと軽い素材で、これ以上の強度が出せれば。耐熱、耐圧はどうだろう。忘れていたのだ。過去の思い出に固執する余り、考えもしていなかった。

「そうよ! 錬金術ならなんとかなるかもしれない」

 いても立ってもいられなくなって、リグは自分の部屋へとかけていく。足音を気にせず、飛ぶように自分の部屋に通じる通路へ。時間を確認する。

 記憶にあったヘイズヘルヘブンの予定表では、今日はユズ以外仕事がないはずだ。ならばメルは確実に事務仕事に没頭している。今から出ていけば間に合う。

 気がつけば叫んでいた、

「モモ! 私、会社戻るから!」


挿絵(By みてみん)


 傾いた赤い夕日を背に、世界で最大の庭を掃除する。世界に一機しかない試作風車とモモだけがこの庭に影を落としていた。もう風を受けて回らない風車には、白い布が被されていてまるで散髪をするような姿になっている。

 ふと、夕日を浴びた長い人影が庭の門に立っていることに気がつき、モモはそちらに目をやる。二人組。思わず錬金術を起動して視力を強化していた。

 ――男性? ……管理局の。

 それは朝もやってきた管理局の二人だった。無視するわけにもいかず、モモはため息混じりに門へと歩いていく。


「もーしわけありませんねぇ。お忙しいのに」

 軽薄な笑いを貼り付けて人間の男性が笑う。横にいるのは彼より少し背の低い耳長族の男性だ。朝と同じ面子。ふと、錬金術を起動したままの目が、異常を訴えた。人間の周りにエリクシルが舞っているのだ。

 ――水棲族ですか。

 しかし水棲族独特の、のっぺりとした作られた表情ではなく人間らしい表情に思わず、じっと見てしまう。

「えーっと、モモさんですよね? たびたびすみませんねぇ。騒音の苦情がたえなくて。朝と同じ確認なんですけど」

 そんなモモの視線を無視して男が笑う。

「申し訳ありません。いくらか探しては見たものの、騒音の種になりそうなものはありませんでした。確かにお屋敷にはそういった音を出すような物が存在しますが、どれも最近一度も動いてはおりません。お引取り願えますか? 実際、騒音があったとしてこの屋敷まで届くようなものではないようですし。それに、そもそもここにいる私が聞いておりません」

 ものの十歳ぐらいの少女に見えるモモが、大人二人に睨みを利かせている構図は、随分とアンバランスだった。

「おい、お前もこれぐらい人間っぽくできないのか?」

「無理だ。昨日なら出来るようになる」

「昨日かよ随分な断り方だな。っと、申し訳ありませんねぇ。こちらも仕事でして手ぶらで、というわけにはいかんのですわ。方々探し回りましてねぇ、怪しいのはもうこちらの――」

 ゆっくりと指差す先、家の棟の地下。

「工房ぐらいなんですわ」

 耳長が無言で門に手をかけ、入ろうとする。

「騒音になるような作業はしていません」

 声色は静かだったが、モモは半歩後ろに下がりまるで構えるように腰を沈め、門を押さえつける。

「あー、いや。無理に見せてくれ、とはいわんですよ。ええ。ええ、我々管理局がベルフレアさんに楯突くなんて、ないですから。大丈夫ですよ。……ほら! お前も手離せって」

 耳長族の男の手をはたきながら、彼は申し訳ないとヘラヘラと相変わらずな軽薄な笑いを浮かべている。

「ただもし、なにかしてるなら――」

 ごく短いが、強烈な圧力に金属が軋む音が響く。

 耳長族ではない、水棲族のほうだ。何の気なし手をついた鉄柵の門扉が少し開く。

「!」

 子供とはいえ耳長族が抑えていた扉を、だ。非力といわれる水棲族の腕力が押している。

「ベルフレアさんといえど、罪は罪。覚えておいて――」

 もうモモは男の言葉など聞いてはいなかった。

「ふっ」

 呼気を、勢いよく吐き出す。感覚が加速する。へその下辺りに意識を集中。体が床の下にあるような根の張る感覚。床が返してくる反動はそのまま彼女の体を流れ伝わり、当然のように門を押さえている手へとたどり着いた。

 勢いよく扉が閉る。水しぶきのようなそんな音が響いた。

「うおっ! っと……」

 無理やり押し出され、体勢を崩した水棲族が思わず表情を消してたたらを踏んだ。

「……お引取りください。こちらは、ベルフレア代表取締役グロウズ・ベルフレア様のご自宅です。御用の際、手は拳ではなく、土産の一つでも握るのがよろしいかと存じます」

「――さすが天下のベルフレアですねぇ。耳長族に体術しこむとか……、とんでもねぇ」

「おい。機は逸した。月が出る前に帰る」

 耳長の男が静かに告げると、水棲族の男はため息混じりに扉から手を離した。

 すぐに表情も戻り、のっぺりした顔から人間のような顔になった。彼はこれ以上何も言うことはなしと睨みつけるモモを一度だけ見下ろすと、ゆっくりと門から離れた。

 と、今度は耳長のほうが肩口に顔だけこちらを振り返る。

「その錬金術」

 思わず、メルから貰った錬金術の爪を隠すように手を握るモモ。耳長族の視線はそれでも外れない。

「すばらしい。大事にするといい。そんなに錬金術を――」

 言いかけて、視線は宙を仰ぎ、そしてゆっくり戻ってくる。

「錬金術に恨みを持つ錬金術か。……一つ聞きたい」

「なんでしょうか?」

「親の名前は? 今は何をしている」

「サング・ルイド。弊社のCEO専属執事をしております」

「……人間か。耳長族の親は」

「スモモ・ベリドット。郵便局員です」

 告げると、一瞬難しそうな顔をしたあと彼は、静かに礼を言って今度こそ歩き出した。

 ひしゃげた鉄格子の門が、風に揺れて軋む。既に日は沈み始めていて空は暗く黒くなり、遠く星が瞬いていた。

 背後で、風車にかぶされた白い布がばたりと音を立てる。

 モモは二人が去った後も、その場にたたずんだまま自分の呼吸の音を聞いていた。


 ベルフレアの屋敷を守るということは、当然のように物理的な力も必要とされる。

 子供の頃から教え込まれた名もなき体術。殆ど使う場面などなく、久しぶりだというのに全力を出したため体中の神経が興奮しているのだ。

 耳長族が別れ際に言った言葉が頭から離れなくて思わず手を握り締める。錬金術を怨んでいる錬金術。

 モモは自分に錬金術をくれたメルを思い出す。

 数度しか会ったことはないが、彼女が錬金術を忌避しているとは思えなくて、頭を振った。もう日は落ち、太陽があった場所には残り火のような真っ赤な雲が広がっている。見上げた夜空の丁度真ん中に、一際明るい星。日中にも見た星だろう。時間がたってもいつも真ん中にいる。見えないときだってそこにいる星だとリグが言っていた言葉を思い出す。

「お嬢様」

 あわただしく出て行ったこの家の長女のことを思う。

 着の身着のまま、荷物は後で家に送ってくれとそう言い残して行ってしまった。

「あ、お嬢様の家の住所……」

 放任主義が災いして、リグの住んでいる場所がわからない。世界有数というか最大の総合企業の長女の家がである。

 まったく。とため息を漏らす。ベルフレアというその名前が、彼女達を守っていると思っているのだ。まるでこの柱は自分達のものといわんばかりである。実際ベルフレアを背負ってる限り害悪から守られてるといってもいい。

 思わずモモは、右腕をさする。

 そしてベルフレアという名前だけでは守れない物に初めて遭遇した。まだ呼吸は落ち着く素振りも見せず早い、震えた指先もまだ止まる気配すらなかった。

 二十年とはいえ、生まれてからずっと屋敷に仕えている彼女にとって外敵と呼べるような相手は初めてだったのだ。

 ベルフレアの名前に守られていたのは自分だった。

 ――久しぶりに、体を動かそう。

 無理やり震えを押さえこみ、モモは門からようやく離れた。

 

 先ほどまでリグを迎えていた客間は、まるで何日も放置されたような冷たい空気で満たされていた。派手ではないが高級な調度品の数々が、静かに夜の闇に沈んでいる。片付けをしなければとモモは電灯のスイッチに手を伸ばした。

 少し不安定な明滅の後に、すぐに明るくなる部屋。

 最近はこの程度明りであれば、錬金術の明りを使っていたのに、と動揺している自分に苦笑する。

「……そういえば。お嬢様は大丈夫でしょうか」

 もしもあの耳長族が言っていた事が本当でメルが錬金術を恨んでいるなら、リグの願いなど聞き入れてくれないのではないだろうか。

 不安が募る中、体は食器を台所に運ぼうと動いていた。

 体に染み付いた動きにまかせながら、モモはゴンドラへ走っていくリグの背中を思い出す。 

 そして、思わず声を上げそうなほどに驚いた。


 誰もいないはずの台所に、人の影があったのだ。

 ――どどどど泥棒!?

 いや、うずくまっている。蹲って、泣いている。

「ううぅぅっ……」

 迷子にしては大きいが、小柄な人影。リグが帰ってきたのかと思ったが違うらしい。モモより少し大きいぐらいの影。

 刺激していいものか迷うが、体は驚きと恐怖心から錬金術を起動させていた。闇を照らす簡易光源。電精の乾いた音がしてすぐに眩しくはないが十分に回りが見えるほどの明りがモモの眼前に浮かび上がる。

 そしてその光に照らし出されたのは――

「……奥様」

 アーセル・グリーフベルア。リグの母親にして、世界最大の総合企業ベルフレア代表取締役の妻。そんな人間が、いま台所でうずくまって泣いている。

「あ、の。なにを、なされているんですか」

「ううっううぇ……リズが……リズがいないぃぃ」

 荷物すら置いて戻っていったリグを思い出す。せめて明日帰ってくれれば良かった物を、とは思わずにはいられない。

「モモぉ~、リズがいないよ~。どこいったのぉ~?」

「奥様、お嬢様は……」

 いつもの屋敷にアーセルの泣き声が響く。騒音には違いないと思いながら、泣き方までそっくりな親子に苦笑した。

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