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風車のある風景  作者: 神奈
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10/46

先輩と後輩

「あ、あの。私は何もできませんっ」

 発電室につれてこられて、モモは震えていた。

 部屋は広く、リグでも立てるのではないかというような天井の高さに、3本の支柱が内包する支軸が伸びて部屋に顔をだしていた。そのどれもが、起電陣の円盤をつけていた。

「錬金術、できるでしょ。ちょっと手伝ってほし……」

 部屋に充満してる電精をつかまえて、左目に埋め込まれた錬金術を起動させる。世界が一変していくなか、やはりモモの姿はほとんどかわらないままそこにある。まるで人間と同じ。

「親からもらっていないのです。申し訳ありません、ベルフレアは機械工業主体です。使用人に錬金術は必要ない、と」

「……この風車をみてもそんなこといえる?」

 駆動系のほとんどは錬金術をつかわれている。軸の強化からギアの一つにいたるまで錬金術のかたまりだといっていい。

「……しかし」

 だが、そんなこと関係はない。今、無いものは無い。

だから、

「私があげる。親代わりってわけじゃないけど」

 錬金術を操作するための錬金術は、親から子へ受け継がれる。その道具が、錬金術師の優劣をきめるといってもいい。だが別に肉親ではなくても、行為そのものは可能だ。

「え」

「いやなら、後ではずすから。今私の後輩が泣いてる、少しだけ協力してくれるとうれしい」

 無言で頷くモモ。それをみて、メルは彼女の片目に手を当てた。

「ちょっとだけちくっとするよ」

 錬金術の複製転写。起電陣を複製するのにつかう技術だ。あなたと私は、血で繋がり知識で結ばれる存在だ。という複製文言の基礎の基礎から始める。ただすべての錬金術を複製するわけにもいかず、変数助詞のいくつかを言い換え構成しなおす。手が彼女の左目に触っている。

「きゃっ」

 モモは思わず驚いて目を閉じた。世界が、一変していたのだ。薄暗い発電室だったこの場所は、まるで昼のようにあかるい世界になっていた。音が聞こえそうなほど質量のもった光の尾が目の前をかすめていく。

「で、電気なんでしょうか」

「そう。電精とよばれる電気のエリクシル。物理法則じゃない、私たちがすむ理の世界が見えている。爪もわかる?」

 いわれて視線を落とすと、手に微かに光る爪がある。

錬金術の工具。世界の理を切り張り紡ぎ伸ばす万能の爪だ。

「は、はい」

「それでその軸をつかめばいい。それだけでいいから。ここは電精もあふれるほどある、掴んで止める事だけ考えて」

「は、はい」

「メイルぅ、わたしは~」

「ユズは摩擦上昇の呪いを、私は重量増加」

「真っ向勝負だねぇ」

「用意してる間に、ブレーキを巻き込んだらお終いなんだから。急いで!」

 メルの掛け声に2人はそれぞれ軸に取り付いた。

 同期陣なんてものは、本来錬金術の複製を簡単に作るための前準備に使われるような、基礎の呪いだ。

 その呪いは組み込まれた物同士を同じ状態にしようとする。ただ、つかえないところは傷ついたりした場合すべてに傷がつくといった、低きに流れる同期をするところだろう。

 主はなく、相対で同じであればいいらしい、まさに単純な機能だ。構造も単純、効果も単純ゆえに、なかなか壊れない。

 ――かといって、壊すわけにもいかないんだよねぇ。

 同期陣は初期条件として最低限の準備が必要だ。同じであるという認証を得てはじめて起動する。したがって一度同期がずれた物同士を再度同期させるための手順が頭からやり直しになる。。

 手にかすかな感触を得て顔をあげれば、無理やり呪いを付加されそうになって同期陣が抵抗を始めているのがみえた。

 光や震えだけではない。もう、同期陣そのものが叫び軋み始めていのだ。誰の目に見てもわかるようになった同期陣の反応に、モモが心配そうな表情をつくる。

「大丈夫、間に合うから」

 帰ってきたのはモモのほしい答えなんかではなくメルの己に言い聞かせるように吐き捨てた言葉。

 歯車が人間を巻き込むあの音がきこえてくる。骨を砕き、皮を引き裂き、肉をすりつぶしてゆっくりとかみ合っていく歯車の音だ。聞こえるはずの無い、あの音が。


 1つ。ガチリ。骨が砕かれる音。

 2つ。ミチリ。肉が千切れる音。

 3つ。ブツリ。皮が――


 悲鳴。


 歯が進むたび、まるで食べられるようになくなっていく腕。

 起電陣はとまらない。千理眼は、ただアーセルの腕が飲み込まれている光景だけを写している。ただ見ているだけだ。お前の錬金術はその程度だ。そう言われた気がした。あの日、メルは間違いなく錬金術を見限った。

 苦痛と悲鳴を必死に飲み込む後輩をただ見るだけだった右目の錬金術は、今も起動しない。


 背中に伝う、粘性の高い汗に意識が現実に返ってくる。

 同期陣が、破壊しようとする錬金術をそれ以上の速度で構築していく。ただそれだけの作業だ。くみ上げ意味を成し、世界とつながって、新しい意味へと変換する。

「メイルぅ~、私上いこうか?」

 軸に巻きつけたワイヤーブレーキは今も刻一刻と、固定したギアボックスの支柱にめり込んでいっている。そこには、とんでもない力がかかっていて、分解もできず軸をとめるほかにブレーキを外す手立てはない。

「リグなら大丈夫」

 吐き出された言葉は、どこか苛立たしい語尾を含んでいた。モモが振り返り心配そうな目を向けてくる。その心配を和らげる言葉は、メルもユズも持っていなかった。


 過去の事故が、メルを発電室から遠ざけた。錬金術のクリティカルな障害がおきない限り、彼女はいつもリグを発電室の担当にしていた。高所恐怖症であるリグにとってそれはとてもありがたい話でもあった。2人ともの利害は一致していた。それがどれほど異質だとしても関係はなかった。

 ユズは相変わらず薄笑いのまま、メルを見る。

 指先は既に真っ黒で、腕もゆっくりと黒ずみはじめていた。電気アレルギーは、相変わらず彼女を蝕んでいた。

 炭化する肌は、電気の拒否反応ではない。むしろ逆。その体は電気を流しやすく進化した結果だ。だが錬金術にそんなものは必要ない。集めた電精が体中を走って逃げ出そうとするし、流し込もうとした電気はまるでバカになったポンプのように際限なく電気を送り込もうとする。簡単な錬金術さえ、高出力の物は彼女にとって扱いづらい物になってしまった。

 ユズは苦笑する。事故前のメルの話を知っているから尚更だった。

 ゆっくりと回転が止まる。響き渡っていた騒音の音程がゆっくりと下がる感じ。そして静かになっていく。

「よし、もう止まる。モモ、もういいよ。ありがとう。私は同期陣の再起動抑制にはいる。ユズは、起電陣の出力調整お願い」

 メルはあくまでリグに上を任せるきだった。

「いいの? 大丈夫なの?」

「どっちが?」

「2人ともでしょ~」

 ユズの言いたいことは、十分にわかっていた。高所恐怖症の技師に、電気アレルギーの錬金術師。最悪の配置だ。

「もう両手真っ黒じゃん。リグちゃんだって――」

「リグなら問題ない。私は、まぁ真っ黒になるかも。でも死ぬわけじゃないし」

 もうユズの言葉など聴くつもりもないとばかりに、メルは背をむけ同期陣に手を伸ばす。見て取れるほどの電精が彼女の周りを滑り落ちていく。体中に電気を流し、黒こげになってもまだ手を離さないメル。

それは、何か贖罪をする罪人のようにすら見えた。

「メル様」

「ささ、モモちゃんはお茶でもいれてきてよ~。私も起電陣いじらなきゃ」

「しかし……まだ、回転が……」

「大丈夫だっていってるんだから、大丈夫でしょ~」

「そんな無責任な」

 とん、と軽くモモの背中を押しながらユズは笑う。

「他人の責任まで背負うほど、私は余裕のある人生じゃないのさぁ~、もののけだしね。うひひひ」

 ほらほらやることがあるでしょ。とユズはモモを発電室から追い出した。振り返れば、一人電気を体に流す頼りない小さな背中が見える。その奥でユズが手をふって笑っていた。

 統率の取れていない電精が、発電室を埋め尽くしている。まるでメルを応援するように思い思いに踊っているようにも見えた。もらった錬金術の感触はとてもやさしい。大丈夫だと言い聞かせるように、モモは左目をそっと触った。


 外の風は想像以上に冷たかった。日は既に上の街にかかってしまっていて、数字の小さい一七番地などは日の恩恵をうけることができない。空に面白いことなんて一つも無い。こんな場所で空を見上げる習慣のある者はいない。


 それでも思わずモモは空を見上げていた。己と同い年のお嬢様は大丈夫だろうか、高いところが苦手で機械弄りばかりしていたお嬢様は。

 思わず声をかけようとして、思いとどまる。

 下を見下ろしたら、また怖がってしまうに違いない。


 ギアボックスの陰からは、風にゆれてちらちらと見え隠れするリグの髪の毛が見えた

 パチパチと音がして、電精が消えかけていることに気が付く。今の今までメルにもらっていた錬金術がずっと起動していたのだ。

「あ」

 気を抜いたとたん、世界は色を失った。これほど世界は静かだっただろうか。あたりを風と一緒に流れていく風の精もなければ、床で静かに横たわる土の精も見えない。圧縮木材はすべてにその場所にふさわしい精を帯びていることを知った、そして今、それが人間の目にはまったく見えていない世界だと知った。

 思わず手をふれた目には、確かにまだ錬金術がある。メルにもらった錬金術だ。

 すん、と鼻を鳴らす。

 メルはリグと同じ鉄と油の匂いのする人だ。それは、子供のころからモモが大好きな安心する匂いだ。

 風車は直るだろうか。吹き続ける風の中に、歯車が震える金属音が混じっている。


「モモ」

 いきなり背後からかけられた声に、驚きながら振り返る。

「お、奥様。お、お帰りなさいませ。あ、いま……」

 モモの目の前には、ベルフレアCEOの妻がいた。


 勝手なことをして怒られてしまう、そう思ったのか身を縮めるモモ。そんな姿をみて彼女は微笑んだ。

「リズが上ってるのでしょう? 大丈夫、あの人は今日帰らないから」

 左手をモモの頭に載せやさしくなでる。くすぐったそうにモモは目を細めるた。

「ヘイズの方が、お2人いらっしゃっております」

「あらら、リズのお客さん? ならお茶でもいれましょう。モモ手伝ってくれる?」

「もちろんです、奥様」

 風車からひっきりなしに聞こえていた歯車の外れる音が、不意に止まった。思わず心配で見上げるモモ。だがその変化をまったく意に介さず、ベルフレア社CEOの妻は家へと歩いていった。

 まるで、後ろで何が起こっているのか知っているような安心しきった疑問の欠片もないような姿だった。


 ■


 歯車の外れる音は間隔をあけながらも響いていたが、それがふと止まった。ギアボックスの支柱を支えに悲鳴を上げていたワイヤーブレーキは、ようやくその身をほんの少しだけ緩めた。


 ――あと3秒。2秒……。

 ギアボックスに一瞬の静寂がもどった。


 同時、リグはためらい無くブレーキに手を伸ばす。ボルトをはずし、引っかかっている本体を一瞬にして分解。瞬くまに、ワイヤーブレーキの原型は無くなった。

とめているボルトは上面4つ、側面6つ。中の構造はスイッチにつながる配線とバッテリとモーターだけ。それいがいはワイヤーが収納される空間しかない。

 絡まったワイヤーは、まるで何事も無かったかのようにほどけていく。


 リグは、ただじっとしていたわけではなかった。ずっとブレーキの分解手順とワイヤーの絡まり方を考えていた。

 止まらないなんていう未来は彼女のなかになかった。必ず支軸は同期をといて止まり、こうして分解するタイミングがやってくると信じて疑っていなかった。

 なにせ発電室にいるのはメルなのだから。

 一心不乱にワイヤーを解く、二次故障にならないようにゆっくり丁寧にけれど休みなくよどみなく。

 そんな中、かちりと歯車に落ちるバネの音をきいた。その音があまりにも不吉すぎて、リグは顔をあげ音源をさがす。主軸、角度変換のギア、変速機構、ベヘルギア。

 どういった構造かわからない仕掛けのなか回転が止まると落ちる爪のようなものを見つけた。


 せわしなくリグの目は歯車の伝達経路をよみ、軸の先を確認する。

 そしてその視線が結果に行き着いて、思わず悲鳴を上げそうになった。


 不気味な音を聞いたのはどちらが先だっただろうか。電流に身をゆだねるメルか、起電陣の出力を安定させようとしていたユズだっただろうか。

 あまり聞く音ではないので、その音が何の音か発電室にいたメルとユズにはすぐにわからなかった。知っている人間ならそれが何の音か、すぐにもわかっただろう。

 コンバーターの唸り、強大な電圧のかかった変圧器があげる音。そしてゆっくりと回り出すのは歯車の音。



「そんな……」

 爪がおち、先ほどまで動いていなかった歯車が回り出す。その回転はゆっくりだが確かにギアボックスのギアの繋ぎ方をかえてゆく。


 反転。



 電動式のモーターの音だった。三角錐の内側に守られるように回っていたダリウス風車の動力が、起電陣を動かし始めたのだ。

 起きた電気は、メルの体を流れて地面に消えていくものともう一つ床下に流れ込んでいくものがある。

 その床下にあるのは、回転数が落ちた風車を動力で動かすための巨大なモーターがそなえつけてあった。

 それが支軸の回転がとまったことを合図に動き出した。錬金術のような意味合いの動きではない、物理的に強固で強力な歯車の駆動が始まる。

「メイル!」

 最初、ユズはメルの許容量を超えた電精が流れ込んだのだと考えた。だが、それはすぐに否定される。そして気が付いた、あの中央にあった縦型の風車が動力を運んでくるのだと。

 とめようがなかった、それは抵抗で回るトルクの高い風車だ、風を完全に遮断しない限りその風車が止まるようなことはない。

「だめ、こっちじゃとめられない!」

「そんな……リグちゃんが!」

 歯車がかみ合う。無理やり動いていた支軸の一つが動きをとめた。それは十分この仕掛けが起動する条件だった。

 ゆっくりとすべての軸に逆方向から力が伝達され始める。金属が軋む、歯車がかみ合う。



 体中を黒く染めたメルが上を見上げた。天井に阻まれて見えない後輩の姿に、どうか気が付いてくれと願いを――


 軸は無常にも起動を始めた。


 留め金が外れる重く勢いのある音、歯車同士がぶつかり合う音。軋む軸。回り出した軸はもうとめられない。

「そんなぁ」

 止まることが再起動の条件だった、当然といえば当然。最初に気が付くべきだった。

 用意ができなかった、予測できなかった。だが言い訳は無意味。

 あの日腕を歯車に巻き込まれて悲鳴を上げた後輩の声が頭の中で響いている。

「リグ!」

 アレルギー反応の起こした体を無理やり蹴飛ばすように前に。地下室から飛び出たさき、まぶしい空を背にリグの髪の毛が揺れている。

「リグ!」


 反応はない。生きているのか死んでいるのか失神しているのか判らない。思わず風車を上ろうとして、そこで記憶がフラッシュバックした。


 それはギアボックスが、赤くそまっている光景だった。鼻に届く錆の臭いが記憶のどれともちがうもので、それが血の臭いだと気が付くのにしばらくかかった。

 停止したギアボックスの中、赤い水溜りの中央でアーセルが倒れていた。横たわるようなその格好に、ひどく不自然さがある。

 右腕がないのだ。

「あ、先……輩。ごめんな……さい」

 今すぐにでも出血死しそうな血の海の真ん中で、顔を上げた彼女はメルを見て安心したようにつぶやいた。

「う……あ」

 書類なんか信じないで、実際の型番を見るべきだったのだ。そうすれば、暴走はもっと早く収まったかもしれない。発電室なんかにいないで、ギアボックスにあがって助けた方がましだったに違いない。これはミスだ。お前のミスのせいだ。

 お前が悪い。お前が。

 お前が、お前が、お前が。

「あ……」

 頭痛がするほどの自責が思考を埋め尽くす。何も考えられない。血の海に横たわる後輩をただ見下ろす記憶だけが鮮明に思い出される。

「あ……、アーセル……」

 名前を呼ぶ。

 返事は記憶ではなく、現実の背後からやってきた。


「あらら、ばれちゃった」

 はじかれるというのは、まさにこういうことだった。声がそのまま衝撃になったように脳みそを揺さぶって、体中の神経がめちゃくちゃに反応したようなそんな衝撃。思わず、背後からの声に逃げ出すように前へ飛び出していた。

 振り返った先、右腕のない女性が楽しそうに笑っている。

「んな……」

 何が起こっているのか、メルには理解できなかった。

 目の前にいたのは、後輩。リグではない、随分前に会社をやめた後輩だ。アーセル。

 アーセル・トリコロルがそこに居た。


 事故のあとろくに会話もしないで離れ離れになったアーセルは随分と年を取ったように見える。

 幻覚だと感じ、幻聴だと考え、気が付けば体は錬金術を起動させていた。恐怖と緊張がかってに錬金術を起動させる。無理やり起動させられただけで目的を持たない錬金術が、そのまま役目を終えて終了していく。

 それが乾いた音のようになって、耳に届く。まるで動物の警戒音。だけどその感触でメルは、ようやく理解した。

 自分には錬金術をかけられた形跡はない、周りの精たちも変わったところなんか一つもない。

 おかしいのは自分だけで、おかしいのが目の間にいる。

「アーセル・トリコロル……」

 随分と年をとっているが、一目でわかるほど変わっていなかった。背は低く、顔全体で笑う笑い方が印象的で変わっていない。それに、変えられない換わらないものがある。

 右腕がないところだ。

「今は、アーセル・グリーフベルア。私、結婚したの」

 驚かそうと思ったのに、そういってくすくすと笑うアーセル。随分と上品な仕草を身に付けたみたいだが、やはり体中で笑う笑い方はかわっていない。

「……」

 アーセルの言葉が理解できず、メルは目をしばたたかせる。

「あ、驚いてる? 驚いてる? だって20年以上も前の話ですものね。ふふ」

 反応で出来ず、理解できず、メルは微動だに出来なかった。


「あの、メル様……」

 アーセルの後ろから、心配そうにモモが覗いている。それでようやく目の前で起こっている現実が、受け入れられた。

「……あ、あぁ。久しぶり。随分老けたなアル」

「先輩は相変わらずピチピチでうらやましいわ~。けどまさか、リズが先輩の後輩だなんて。ちょっと運命的ですよね」

「物言いもあいかわ……グリーフベルア?」

 いまさら気が付いて、思わず呼吸を忘れた。


「えーとつまり、リグの」

 メルの言葉に、アーセルは笑みを浮かべる。

「うちの娘が御世話になっております。先輩。まさか親子ともどもお世話になるとは、思ってませんでしたけど。あの子がヘイズに入ったって聞いたときはそうなったらロマンチックかな~とかおもってたんですけど」

 えへへへ。と笑う姿は、メルの記憶にある変わらないアルの姿そのままだった。

「背丈は遺伝しなかったみたいね」

「でも機械いじりは、私譲りです」

「……あ。そうだよ、リグ! 大丈夫か!」


 忘れていた後輩を呼ぶと、既にギアボックスを閉じて修理を終えたリグが風車に張り付いていた。

「先輩~。終わりました~。もうこれで当分壊れません~」

 片手をブンブン振り回しながら、リグが叫んでいる。心配はどうやら無意味だったらしい。あの一瞬で、彼女は絡まったワイヤーを解ききり、外れていたギアをはめなおしていた。


 手が遅いなんていわれる彼女だが、彼女の作業が遅いのは大抵狭い発電室に無理やり体をおしこめて作業をしているからにほかならない。体が自由に動かせるほど大きいギアボックスで彼女の作業が阻害されることはなかった。

 停止していたのはものの1分もなかっただろうか。


「当分? おかしいわね、あのベヘルギアの設計はミスがあって、どうしてもギアが外れちゃうかギアボックスがぐるぐる回り出すはずなんだけど……」

「あ、おかーさま。上から失礼します~」

 下を見ないように、手だけで挨拶をするリグ。

 そんなリグを見上げていると、ギアボックスの陰からにゅっと別の人影が顔をだす。

「ユズ、あんたいつの間に」

「心配でみてきたのさぁ~」

 するすると風車を降りてくるユズ。

「ねぇ、先輩。あのギアは同期陣と外郭ギアのせいでどうしてもギアが外れちゃうの、今の技術じゃギアはアレ以上精度をあげられないから……大体これ以上精度あげたら、今度は歯の接触面が」

「あ~、えとえと、あなたアル先輩だねぇ~?」

 ユズがメルの横にたって挨拶をした。

「大丈夫。ギアが動くたびに削れるように細工したから、常にあの歯車たちは余裕をもって回るはずさぁ」

「遊びって、しかしあの歯車は計算上――」

 もし常に歯車の歯1つ分の余裕があったらどうだろうか。

 そんなこと考えもしなかった。どうやって同じものを作るための精度を上げられるか、外れないようにどうやって押さえ込むか。そればかりかんがえてきたのだ。



「そう、1噛み分余裕をつくってある。ぴったり1噛み。それに、リグちゃんが持つっていってんだから持つにきまってんじゃん」

 ねぇ、とメルを向いてユズは同意を求める。

「ま、持つんじゃない?」

「そんな無責任な。私たちの会社で、何度も何度も繰り返した結果どうしようもないって。それであの風車は結局あきらめることに」

「無責任? 責任はないかもしれないけど、実績ならあるよぉ。ねぇ? メイル」

「そうだね、実績だけはある。あの子が入ってから修理したジェネレータの数は、たしか500は超えていたか? 正確な数字は覚えてないけど」

 振り仰げば、白く霞む街を背後に風車が勢い良く回り出しているのが見えた。歯車がしっかり噛みあった風車の羽は、何者にも阻害されない自由で伸びのある動きだった。

「今の今まで、ずっと。いちども。あの子が修理した風車が再び壊れたことはないんだよ。1つも。見たこともない新型から、誰もが忘れたような旧型も、違法改造されたやつから、なにから何まで。1つも、また壊れたなんて話は聞いていない。別のところが壊れたことはあっても、あの子が直したところがまた壊れたことはないんだ」

 それが、どれほどのことか修理工だったアルには十分過ぎるほどわかる。


 機械というのは、直したところでたいていは対症療法にしかならない。部品を新しくすれば、当然ほかの部品との兼ね合いでどこかにガタがくる。はずれたものを戻せばどこかに歪みができる、閉めなおしたボルトは必ずゆるくなるのだ。

「そう、あの子が……」

 こげた跡を残した顔のまま、メルが笑う。

「ま、本人はよくわかってないみたいだけどね。うちの会社としては拾い物さ。クレームはこなくなったし。仕事がへったということを差し引いてもね」

「……あー」

「あの子は空気読まないからねぇ」

 申し訳ないですと、アルが頭を下げる。

「奥様、お茶が冷めてしまいます」

 モモの声に、我にかえったアルはぱちんと手をたたいた。

「ささ、皆さんお疲れ様です。お茶にしましょう」


「あ、あの~」

 声は上から降ってきた。

 みなが顔を上げると、風車に張り付いたリグが叫んでいる。

「あ、お嬢様下着が」

「え? いや~!? 助けて~。降りれないです~」

 しかし手を離すわけにもいかず、高いところに体中がうまく動かずただリグは風車に張り付くことしかできない。

 遠めに震えるリグを見ながら、メルはため息をつく。


「アレさえなけりゃねぇ……」

「やっぱり空気よまないよねぇ」

「ささ、皆さん中へどうぞ」

 娘のことなど知らないとばかりに、アルは視線を動かさずにこやかな笑顔でみなを家へと導く。

 ちらちらと心配そうに風車をみるモモ以外、もうだれも風車を見ることはなかった。

「ああああああああ」

 リグの叫び声が、風車の羽にあたって跳ね返る。


 気が付けば空は薄暗く日は赤くなりはじめていた。もう夜が始まるのだ。白く霞んでいた上の街も今は影に覆われて夜空に溶け始めている。赤い光に輪郭を縁取られ、巨大な風車の巨大な羽は、赤い軌跡を夜空にのこしていった。

「モモ~。晩御飯も作りましょう、手伝って~」

「は、はい! 奥様!」

 どうやら、モモのなかではリグは母親より下らしい。はじかれるように風車をはなれて、メルたちを追い抜き家へときえていった。

「んー。昔なじみの友人宅でご飯ってのもわるくないね」

「私もご相伴にあずからせてもらうよ~」

「あ~~~~ん 先輩~~たすけて~~~」



 夕日のまざった夜空に、リグの叫び声だけが広がる。

 雲の下に隠れ始めた太陽が、雲海を真っ赤に染めている。

 上空はすでに夜色に染まり星が輝き始めていて、真っ赤な雲とのハイコントラストに目を細めずにはいられない。


 風はやまず一定の速度をもって流れ続け、つるのように柱に張り付いた街は、いつものようにそこにある。

 風車が回っている。

 その街を、いや世界を見下ろすように一際明るい星が夜空の中心で輝いていた。

最終話までの校正が終わり次第、更新速度を戻す予定です。

もうちょっと……かかるんじゃ

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