目覚めと出会い
生まれて初めて体験する幽体離脱が原因で、まさか肉体どころかこの世とおさらばするとは思いもしなかった。
できればかわいい奥さんを貰って、かわいい子供を二人ほど産んで貰って、ほどほどの土地で一軒家を建てて慎ましく生きて。
最期は孫に看取られながら死ねればそれでよかったんだ。
何でもないような人生を送るのが一番難しいだなんて定年退職した部長が言っていたな。
その目は何とも侘びしい色を浮かべていたが…。今ならその意味が分かる気がする。
徹夜続きでやっとベッドで寝られたんだ。
あまりの心地よさを天に昇る気分と喩えるが、俺の場合は冗談じゃ済まなかったらしい。
視線を降ろせばよれたスーツ姿のまま、疲れきって顔色を悪くして死んだように眠る自分がいる。
慌てて戻ろうと半透明になった手で宙を掻くが、必死な思いとは裏腹に俺の体はぐいぐいと引っ張られるように上へと浮かんでいく。
誰か助けてくれ!
言葉にしたつもりがそれは声にならなかった。
ここは虫も寝静まる真夜中のアパートの一室。もちろん同居人などいない。
顔さえ知らない隣人も、今この部屋で何が起きているか知るはずもないだろう。
目の前に突然太陽の光を晒されたような眩しさに目が眩む。
光はまるで文字を描くように幾何学的な文様を広げながら、一点へと収束していく。
俺の体もその一点に吸い込まれていく…。
それが今際に見た、俺にとって最後の光景だった。
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「失敗、ですな」
暗がりを数本のろうそくが照らす空間に、しわがれた男の声が粛々と響き渡った。
その言葉を皮切りに、一つの魔方陣を囲んで四方に立つ内の三人が、声のした一方に顔を向ける。
彼らは一様に、藍染めのローブに身を包んでいた。
そのローブは身につける者の魔力を高める術式が刺繍のように編み込まれている。
見る者が見れば彼らが一体何者で、何を行おうとしているのかが分かるだろう。
「なにせ十数世紀ぶりに日の目を見た、秘術の内の秘術。そう易々とは行えますまい」
男の言葉にいらえを返すのもまた老いた男の声だ。
残る二人も同意するように疲労が強く滲んだ吐息を漏らす。
彼らが行うのは、異界の者を呼び出す秘術――いにしえの言葉を借りるなら、『召喚術』と呼ばれるものだ。
かつて『勇者』と呼ばれる兵を呼び出したとされるが…。
文献に残る記述を当てにするならば、最初に使われたのを最後にそれ以降使われることがなかった。
必要がなかったからだ。
さて、それなのに彼らがこの――埃を被った秘術をわざわざ使用するのには理由がある。
事の発端は今から数ヶ月ほど前にさかのぼる。
かの国の擁する教団の予言者が『厄災』の復活を予言した。
その内容はこうだ。
【それはかつて世界を破滅に向かわせ、多くの者を死に追いやった。
彼は近いうちに目を覚まし、再び世界を混沌に導くだろう。
人はそれを『魔王』と呼ぶ――。】
予言を聞いた国王は持てる権限すべてを行使して、多数の術者を抱える枢機院に勇者の再来を所望した。
これが事のあらましである。
しかし結果は先ほどの男の言葉通り。
何せこの術を使える者など存命であるはずもなく、彼らがよりどころとしているのは古い書物に残された情報のみ。読める者の少ない文字を寝る間を惜しんで翻訳させ、試行錯誤の末やっとここまでたどり着いたのだ。是非もない。
「しかし…」
「うむ」
四人の術士は互いに目を会わせ、先ほどまではなかった執念の火を目に宿した。
今までなしのつぶてであったのが、初めて『手応え』を感じたのだ。
彼らは確信を得て、魔方陣へと向き直る。勇者の再来を予感しながら。
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ここは一体どこだ?
あれから俺はどうしてしまったのだろう?それともここはあの世なのだろうか?
目を開けてるんだか閉じてるんだかも分からなくなるような闇。静寂。
手足の感覚もにおいも感触もない。すべての感覚を失って、精神だけが浮遊しているようだ。
どれほど漂っているのかも分からない…。気が狂ってしまいそうだ。
――あらあら、魂だけ呼び出されるなんて不憫ねぇ…
だ、誰だ?
突如、頭の中で響き渡るように聞こえた『声』に辺りを見渡す。が、誰もいない。
それとも見えないだけなのか?
――そうね、それが正解
言葉にした訳じゃないのに、俺の考えることを見通したように『声』は告げる。
――あたしは不可視の存在なの。出会う子はみーんな、あたしのことを『神さま』なんて呼ぶけどねぇ…。
気怠げな声は男のものだが、口調は女。オカマの神さまとか聞いたことがない。
いや、神さまは両性具有だとか言うけど、もっとこう他になかったのだろうか。中性的な声とか。
――あたしは男でもあるし女でもあるし、両方でもないの。まぁそれはどうでもいいでしょ。
――あんた無理矢理魂だけ切り離されたもんだから、消えかかってるわよ。
え?どういうことだ?
切り離された?消えかかってるって?
――そのままの意味よ。わかりやすく言えば、あんた今度こそ死んじゃうわ。
……。
言葉を失うとはまさにこの事だ。起きている状況に思考が追いつかない。
何でこんな目にあっているのだとか、神さまだとか、魂だけ切り離されたとか、死ぬとか…
意味わかんねぇ!
――混乱するのは分かるわ。…そうね、不憫なあんたにチャンスをあげる。
チャンス?
――そう。偶然にも、あたしの作った世界の一つに、あんたの魂が丁度よく収まりそうな『体』があるの。そこにいれてあげる…。
――でも、一つだけ忠告しとくわ。
――この体、私のあずかり知らぬところで生まれたイレギュラーな存在なの。それに入れられるわけだけど、…きっと後悔すると思う。
言ってることがよく分からんが、それは今の状況より最悪なことなのか?
――あははっ、言われたら確かにそうねぇ。このままだと死ぬしかないもの。で、どうする?時間はないわよ。
答えは一つだ。
――…わかったわ。
へそを引っ張られるような感覚の後、見たことのない景色がスターボウのように目まぐるしく通り過ぎてゆく。俺の体は光速よりも早い速度でかっ飛ばされ――ズンッ…と激しい衝撃を受けて『なにか』に収まった。
感覚が消えていた手足に血が巡るような熱さを感じる。
閉じた瞼の向こうに淡い光を感じ――鼻腔を通じて肺を満たす空気は埃っぽくカビ臭い。
金縛りが解けた瞬間、俺はバネで弾かれたように体を起こした。
まるで長いこと使っていなかったように、呼吸をする度に胸のところが軋んで痛い。
胸を押さえつつ、体を横たえていた場所から立ち上がる。
「ここは…」
声は以前とは違うが男のもの…と言うことは、男の体に憑依したのか。
思わず声に出た問いかけは、さほど広くない空間に侘びしく反響した。
部屋に窓らしきものはないが、奇妙な発光体が部屋の数カ所にふわふわと浮かんでいる。
その明かりに照らし出された空間は広さにして12帖ほど。やや広めのリビングルームくらいだろう。
壁は黒く金色の筋が見たこともない文字…あるいは模様を描いている。
一体何を意味しているのかわからないが、あまり趣味がいいとは言えない。
次に自分の手を見下ろす。大きさは以前とほぼ同じ。
肌の色はやや浅黒く節くれているが、すらりとしたきれいな指先をしている。
その手で前髪に触れる。髪色は墨で浸したように黒い。
さて、次に身なりの確認だ。
ぱっと見は中世ヨーロッパの貴族が着ていそうな、黒い生地でできた洋服といったところか。
しかしところどころ鎧のようなものがしつらえてあり、触り心地もかなり上質である。
さては俺はどこかの貴族にでも乗り移ったのだろうか。
それにしては、今置かれている状況がどうも異様だ。居住スペースにしては生活感がなさ過ぎるし…どちらかというと遺跡のような印象を受ける
なんだか見覚えのある景色だな…。
一度見たことがあるという意味ではなく、何かに似ているのだ。
それがなんなのかを思い出すため、俺は再度部屋をぐるりと見渡して――ピンときた。
テレビで時折取り上げられるエジプトのピラミッド。その内部映像などで今の部屋に酷似した場所がある。
それはまさに墓所――王の棺が安置される場所にそっくりなのだ。
その証拠に今まで体を横たえていた場所には、どーんと石棺が鎮座している。
中には乾燥して色あせた花のような残骸が残っているだけで、他には何もない。
そして、この場所は人が出入りできるような戸口がない。
それはこの部屋の主が、決して外に出ることがないとわかっているからだ。
俺は一体、何者に転生したんだ…?
誰にともなく問いかけるが、あの男声に女口調で話す『カマ神』は答えない。
そもそも転生できたはいいが、閉じ込められていないか?この状況…。
歩み寄った黒い壁をまじまじと観察してみるが、どうやら黒い石のようなものを組み合わせて出来ているようだ。
ガラス質で出来ているのか磨かれたように艶のある光沢を放っている。
喩えるなら黒曜岩が近いかも知れない。
どこか隠し扉みたいなものはないか期待して、ぺたぺたと触れてみる。…と。
触れた壁の一部がカタカタ音をたてながら、ルービックキューブのようにブロック状の石を回転させていく。その様子を怖々と見守るうちに、人一人が屈まずとも通れるほどの穴が空いた。
「行くべきか…?」
開いた穴を真正面から睨み付けどうしたものか思案していると、穴の向こうから足音が聞こえた。
誰か来る…!
カチャ、カチャと金属が触れ合うような音は、穴の前で止まった。向こうは明かりになるものがないのか、塗りつぶしたような闇しか見えない。
息をのんで見守っていると、およそこんな場所には似つかわしくない――少女の顔が覗いた!
ひぃっ!!
思わず喉から出そうになった悲鳴を飲み込む。肌色が抜けるように白く、金色の髪の下には無機質なほど感情の読めない金の双眸があり、まっすぐ俺の瞳を見据えた。
容姿は美しい部類に入るが、それゆえ不気味。どこか人形じみた女の子だ…。
次に目を奪われたのが、少女の両脇に垂れる両腕。
細く小柄な体には不釣り合いなほど、大きな籠手が装着されている。
「君は――
誰だ?
と聞く前に、少女の慎ましそうな口が開いた。
「おはようございます、マスター」
「はっ?」
こちらの困惑などまるで気にならない様子で、少女は淡々と続ける。
「マスターが眠りにつかれてから、15世紀と少しばかり経ちました。お加減はいかがですか?」
コクリと首をかしげながら少女はそう言った。
俺はというと…何が何だかわからなくて―――とりあえず「最悪だ」とだけ絞り出したのだった…。
初投稿になります。よろしくお願いします。
少し書きためているのでぼちぼちと掲載させていただきますね。




