手痛いハンデ
そこかしこで上がるのは少年少女の気合いが入ったかけ声である。
ここは闘技場の隅っこ。
俺とエミリーは動き回る子供達の邪魔にならないように、出来るだけ隅っこに腰掛けて膝をつき合わせていた。
試験までの間、鍛錬のために解放された闘技場には試験を控えた子供や年若い受験者が、来たる日に向けて刃を交わしている。その中にはシオンとグラドの姿を見かけ――ティファにあしらわれているオーウェンの姿もあった。
「ええと…緊張するなぁ。ハヤトさんは魔法をどこまで使えるの?」
気恥ずかしそうなエミリーの問いかけに…俺は胸を張って首を振った。横に!
「えぇっ?!全く?」
「使い方を知らないんだよ」
一応自分自身をフォローする…。エミリーはまさか俺がド素人だとは思いもしなかったようで、めちゃくちゃ険しそうな顔を浮かべて悩ましげに呻った。
「うーん、じゃあ魔法って何か分かる?」
「すごいことが起こる不思議な力だろ?」
「簡単に言えばそうね。魔法って言うのは個人が持っている魔力を使って、『世界に干渉する方法』だ…って先生が言ってた」
『世界に干渉する方法』か…。
ということは
「じゃあ魔力ってのが強いほど、いろんな影響を及ぼせるってことか?」
「そう!」
そのとおり!とエミリーの小さな手が俺を指さす。
「この魔力って言うのはね、生まれつき人によって強い弱いがあるんだよ。一応鍛錬によって強くすることも出来るらしいけど、ほとんど天性的なものなんだって」
ふーん…。
グラドとドリィは魔法が苦手みたいだけど、そういう生まれつきの才能が絡んでくると、確かに苦手なのは仕方がない気がするな。
「生まれつき魔力の強い人は術士になることが多いんだよ。この世界は術士のおかげで成り立っていると言っても過言ではないの。たとえば私の目指す『癒師』も術士系になるんだよ。みんなの病気や怪我を魔法で治すんだ!」
そう言ってエミリーは誇らしげな顔をする。
「けど癒師になるってとっても大変なの。だって人の体をいじるんですもの、ちょっと間違えたら大変なことになっちゃうからね…」
なるほどね…。ヘタをしたら『神の領域』に触れてしまう職業ということか。確かに並々ならぬ道である気がする。でも癒師になるのだと宣言するエミリーの眼はいつだって真剣だ。
「それでハヤトさんは魔力がどれほどあるか自分自身で分かってる?」
「うん…まぁ……」
言ってもいいものなのだろうか?
グラドは『魔眼』に対して良い印象を抱いていないようだった。エミリーもそうかもしれないが白状しないと話が先に進まない。
「エミリーは俺の眼を見てなんか気付く?」
じっと見つめるとエミリーの顔が赤くなったが、俺のド真面目な顔つきに目を逸らすのを憚られたのか、同じようにじっと見返してくる。
「ええと…綺麗だね?」
あれ?それだけか?
「キラキラして、宝石みたい…」
エミリーの榛色の瞳がとろりとしてくる……あかんあかん!!
慌てて視線を逸らしてフードを深く被り、軽く咳をして姿勢を直した。ハッとしたようにエミリーも顔を背けると「どうしたのかしら私ったら」と真っ赤になったほっぺたに手を当てうつむいてしまった。
おかしいな…今まで無かった反応だ…。
いや待てよ。空洞底に住んでいたあの魔物も同じ様子を見せていたな…。魔力が強いものほど、『魔眼』の影響を受けやすいのだろうか?
「その…エミリーは魔眼って聞いたことあるか?」
直球で聞いてみるしかない。エミリーはうつむけていた顔を上げると首を傾げつつ…記憶をたどるように話し始めた。
「魔眼というと…瞳が魔晶石化してしまった人たちのことだよね?癒師の間では『結晶化症』と呼ばれる症状と聞いたことがあるの。本来は骨とか内臓に極小さな結晶が出来るだけなんだけど、『魔眼』はとても貴重で滅多に見ることが出来ないって。それは宝石のように美しくて……」
そこまで言って、エミリーがはっと硬直した。
「あ、あーっ、あのっ…ハヤトさんの眼って……!!」
やたら興奮し始めたエミリーに口元で指をあてて「しっ」と示すと、ぱっと口をふさいでコクコクと頷いた。その眼はきらきらと魔眼に負けないくらい輝いている。
「でもおかしいなー…魔眼の持ち主って飛び抜けた術士だっていうけど、ハヤトさんは違うの?」
「言ったろう?魔法の使い方を知らないって」
「えー…」
嘘でしょ、と言わんばかりに疑惑の眼を向けられたが、正真正銘使えないんだよ!
「使えたらエミリーに頼んでないって!」
「そう言われたら確かに…」
不承不承納得して、エミリーは術士を目指すものが最初に習うという『魔力の掌握』を教えてくれた。
言い換えてみれば瞑想が近いかもしれない。
自分の体に巡る魔力をいかに外に向けて放出するか…といったところだろう。
眼を閉じてじっとする。魔力…魔力を感じる……。あれ?
「どう?」
エミリーがささやくように聞いてくるが、俺は眉を寄せて首を振った。
体の奥で何か大きなものが渦巻いているような感覚はあるのだが、それを壁一枚隔てたところから感じ取れるのみなのだ。
「なんか蓋されているみたいな…わかるか?」
「蓋…?」
「これが魔力かなってのは感じるんだけど、それに触れることができないって言うか」
なんと言ったものか悩みながら伝えると、エミリーは顎に手を当てて考え込む。
「魔力阻害症…でもそれだと魔眼なんて形成されないだろうし…」
ぶつぶつと呟きながら、エミリーは思考の波に沈んでしまったようだ。おーい。
エミリーの顔の前で手を振ると、ハッと我に帰る。
「魔力に対して過剰に防衛反応が起こっちゃう病気があるのを知ってる?」
えーそんなものまであるのか?
首を横に振った俺を見てエミリーは説明を続けた。
「その病気の人にとってはね、魔力って毒になっちゃうの。だからうまく魔法が使えなかったり、体がすごく弱かったりするんだ。もともと魔力が強いのにその病気だととても苦労するみたい」
「でも体はすこぶる頑丈だぜ?」
「そうなんだよね〜…」
けろっとした顔の俺を見下ろし、エミリーは頭を大きく横に傾いだ。
「もう一つ原因があるとしたら、私の専門外になっちゃうけれど…」
エミリーの顔が言葉尻に行くにつれて暗くなっていく。なんだ、すごく言いづらいことなんだろうか。
「…ハヤトさんは誰かにすごーく恨まれるようなことをしたこと、ある?たとえば二度と魔法なんか使えないようになってしまえって思われるようなこと」
えっ…?
とんでもない質問だな…。
少なくとも元の世界にいた頃には覚えがないが、この体は『魔王』のものだ。それが答えになっているかもしれないが、まさか真正直に言えるはずもない。
「さっき言った魔力阻害症には、一つだけ治癒の方法があるんだ。
それは古い呪術の一つで対象者の魔力を封じるものなの。ただ、リスクが高くてこの呪術を使った術士は同じく魔力を封じられるとか、『理』を乱した罪で神さまに罰せられるんだって」
そこまでして魔力を封じたいだなんて、よほど深い情念がなければできない。
それは恨みからか、相手を救いたい慈悲からか。
魔王に対してその感情を抱き得る人物が一人いる。
『勇者』だ。
ただどちらの感情に揺さぶられてかは計り知れない。
可能性としては『恨み』の線が強いが…どういうわけかそれもしっくりこない気がする。
彼は何を思ってそんな術を使ったのだろう。
魔王の力を削ぐために…?
そもそも勇者としての使命を果たして、どうして魔王の遺体を手厚く葬ったのだろう…。義理のためにしては墓所でティファの言っていた「墓所でもあり要塞でもある」の言葉に説明がつかない。
『勇者』は魔王の遺体を護りたかったのか?…誰から?なんのために?
わからない…。
しん、と俺とエミリーのいる場所だけが闘技場から切り離された空間みたいに静まりかえっている。
何も言わなくなった俺を見て、エミリーは慌てたように立ち上がった。
「あ…でも可能性の一つだよ!他に原因があるかもしれないし…」
「そうか…」
「ハヤトさんは記憶喪失なんだってドリィさんは言ってた。それにもきっと何か理由があるんだよ」
エミリーは手振り身振りで俺を元気付けようとしてくれる。
記憶喪失なわけじゃないんだけど…。
うーん…
考えても答えが出るわけじゃないな。
「もうちょっと試してみるか」
気分を切り替えて姿勢を正すと、エミリーはちょっとだけ安堵したようだった。
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「おいっお前っ…真面目に相手しろよ!」
夕方になるにつれ人がまばらになってくる闘技場の一角で、オーウェンの不機嫌そうな声が響いた。
彼に相対する少女――ティファは相変わらずの顔でオーウェンを見返す。
彼女は一度たりともオーウェンに攻撃を繰り出すことはなく、彼のがむしゃらな猛攻を涼しい顔で避け切った。
「マスターはあなたが怪我をなさらないように相手をしろとおっしゃったので」
ティファの可愛らしい声は息を乱した様子すらなく、オーウェンの相手が手間だと言わんばかりに、離れたところにいるハヤトを見遣った。その態度がかえってオーウェンのプライドを傷つける。
こんなか弱そうな女の子に一太刀も与えられない自分が惨めだ。相手にされていないどころか、うるさいハエでも払うような立ち回りはさすがに堪えた。
「くそっ!」
手にしていた模擬の槍を突き立てて口汚く悪態を吐く。ハヤトも彼女が本気を出せばひとたまりもないことを知っている。つまりハヤトにも甘く見られたと同然なわけだ。
地面に突き刺さった槍先を見落とす。
かつてはオーウェンも剣の道に進もうと考えていた。けれどシオンという幼馴染ができて、彼の生まれ持った才覚に剣の道を諦めた。
エミリーという幼馴染ができてから、自分には魔法の才能がないのだと思い知らされた。彼女には自分にもシオンにもないずば抜けた魔力があったから。
悔しい!
オーウェンはうなだれた顔をめいいっぱい顰めた。
みんな自分より優れている。なら、彼らの倍以上鍛えなければ追いつけないのだ。
落ちこぼれのあがきはしつこいかもしれない。でもそれぐらいじゃないと、『黒水晶』なんてなれっこないのだ。
「おい、明日も相手をしろよ」
顔を上げビシッと指差せば、ティファは黄金色の瞳を少し細めた。
「マスターが許すのであれば、いくらでも…」
静かに告げると、ティファは身を翻してハヤトの方に歩いて行ってしまった。
いくらでも、か。
オーウェンは無意識にほくそ笑む。
「彼女は一体なんなんです?」
オーウェンとティファのやりとりを遠目に見ていたシオンは、自分と同じく横で一息ついているグラドを仰いだ。
「強いだろ?」
「…はい」
グラドの直球な質問に、シオンはティファに視線を戻して一呼吸置くように頷いた。傍目にするからわかる、ティファの絶妙な間合い。
彼女は逃げに徹していたが、いつでも攻撃できる距離を保っていた。
「あの嬢ちゃん、俺より強いぞ」
「えっ…」
振り仰いだグラドの顔付きは真剣だ。
「そしてそのマスターであるあいつはもっと強い…そんな気がする」
あいつ…。グラドのさす人物を見る。
エミリーと向かい合い、魔力をつかもうと奮闘する青年。
「お言葉ですが、昨晩の彼の稽古は見れたものではありませんでしたが」
野宿の際に、物音に目が覚めてこっそり盗み見ていた光景を思い出す。
全くもって型のなっていない構え、隙だらけの踏み込み、覚悟の足りない斬り込み。全てが素人そのものだった。まるで今まで戦うことを知らなかった子供みたいだ…。それがグラドより強いなど俄かには信じられない。
「多分あいつの本領は剣じゃねぇ…」
「はぁ…」
今頃になって魔法の基本を学んでいるあの青年が、魔法を使いこなせるとは思えない。
シオンは曖昧な返事をしながら、ハヤトの姿をぼんやりと眺めていた。
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「んんんーッッ」
だぁーっ!!
集中しすぎて疲れた俺は四肢を投げ出して寝っ転がった。あー疲れた…。気分的にね。
俺を見下ろすエミリーは「どう?」と言いたそうな表情だ。
何か掴めそうな気はするのだが、この『壁』をこじ開けるのはあまり良くない気がするのだ。
その先にとんでもない怪物が潜んでいそうで…抵抗がある。
「もうちょっと時間がかかりそうだな」
「そっか…」
俺の言葉にエミリーはちょっぴり残念そうな顔をした。
「明日も付き合ってくれないか?」
かといって彼女にも自分の時間が欲しいだろう。
最後に「できればでいいから」と継ぎ足すと、エミリーは頭をブンブン横に振った。
「い、いいよ!基礎を振り返るって私にとっても大事だもん!」
そう言って照れくさそうにはにかむ。不甲斐ない俺に気を使ってくれたのだろう。ええ子やなぁ〜。
足をバネにして起き上がり、集中して凝ったような気がする首回りをぐりぐり頭を振ってほぐす。
今日の鍛錬はここまで。
ティファもオーウェンの相手に飽きたのか、こちらに戻ってきた。
さて、このハンデを試験までになんとかしなければいけないが…果たして間に合うのだろうか?
なんだかんだ言ってハンデらしいハンデにならないんですがね。