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魔性の瞳


さっきから後ろを歩く少年少女が一言も言葉を交わさないのを見やり、グラドは内心「言い過ぎたか?」と首をひねった。


シオンもエミリーも血の気が失せた顔色だし、一点を見つめる瞳は心ここにあらずといった様子だ。


しかし気休めを言って油断されても困るので、グラドはこれから出会うかもしれない魔物のことを告げたのだが…。


「いっそ言わないほうがよかったんじゃないかい?」

気の毒そうな顔をしたドリィがひそりと耳打ちしてきた。

馬鹿を言うなと目線で告げると、彼女ははいはいと言わんばかりに両手を挙げて首をすくめる。



――エディウム


いつからか空洞の底に住みつき、そこの魔物を統べる長となった魔物の名前だ。その姿は人間の女に近く、時折空洞に迷い込んできた冒険者を誘い込み取り殺すのだという。


かつてこの魔物と交戦し命からがら逃げ帰った冒険者の弁に寄れば、常に冷気を纏い氷を操る魔物らしい。そして驚くことに…人語をしゃべるというのだ。


いつかあったような話じゃねぇか。


グラドは人知れず笑みを溢した。


あの時はすっかり魔物だと思い込んで斬りかかったが、こうしてみればなにもなくてよかったと思う。さすがに魔物と間違えたという理由があるとはいえ、謂われのない人間を斬り殺すなんてたまったもんじゃない。


…さて、例の男は今頃無事でいるのだろうか。


戦闘に関しては無欠なゴーレムを連れているのだから、たいしたことにはならないと思うが…。


それに、あの『魔眼』持ちである。

(くら)く深い色合いはただ美しいだけではなく、むしろ魔物さえ引き込みそうな不可思議な力を感じるのだ…。


メイヴィスも言っていた。


海のように底が知れず、見つめているとすべてを掌握されそうな恐ろしさを感じる――と。


すでに現役を退いているものの、女だてらに『青水晶(サファイア)』まで上り詰めた者が、聞きようによっては弱気な言葉を吐いたのだ。


あの男は自覚がないだけで、とんでもない力を持っているに違いない。

そしてそれを想像すると、グラドは不思議と気分が高揚する。この感覚は以前、ゴーレムの少女と一戦交えたときにも感じた。これを俗に武者震いと呼ぶのだろう。


だからこんなちんけな洞窟の底でもたもたしているな。


さっさと這い上がってこい…。



グラドの視線は漆黒の闇に包まれた奈落の底を静かに見据えていた。






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「ぶえっくしょーい!!」


てやんでーい。

底冷えする寒さのせいか、意図せず盛大なくしゃみが出てしまった。

魔物が寄ってくるだろうが!と前を歩くオーウェンに小声でド突かれたが生理現象である。仕方なし。そもそもワームの居た場所からここまで来るのに、魔物は一匹たりとて遭遇していない。何もなさすぎていっそ不気味なくらいだ。


ゆるやかな上り坂はずっと一本道で続いている。


少し様相が変わってきたのは、やたらと気温が下がっているという点だ。


足場が悪くて壁に手を突くと、あまりの冷たさにぎょっとする。暗がりに目を凝らしてみると、どうやら岩壁かと思っていたものは氷壁だったらしい。通りで冷たいはずだ…。


「このまま進むのは嫌な予感しかしないぞ」

「…俺も同じこと考えてた」


振り返ったオーウェンが不承不承頷く。

しかしこのまま戻っても魔物の群れを相手にしなければいけないので、結局足は前に進んでいく。鬼が出るか蛇が出るか…。どのみち相手は魔物だろう。


鞘に戻した短剣に手を掛ける。

魔物の種類によっては意味を成さないかもしれないが、丸腰で居るよりずっとマシだろう。鞘を払った刀身は幸いにも刃こぼれが見当たらない。

オーウェンも示し合わすように鉾槍(ハルバード)を握り直す。

ティファは…いつも通りだな。俺が見ると必ずじっと見つめ返してくるその顔に、焦りや恐怖などの感情は一抹も見られない。いっそ安心感さえ湧いてくるほどに。



坂道を登り切り、たどり着いた場所は今までとは規模の違う広い空洞であった。


照明魔法の灯りも届かない天井の高さと、長い年月を掛けて柱状になったと思われる鍾乳石が点在し、あたかも神殿に居るような錯覚を覚える。


聞こえるのは俺たちの静かな呼吸音と、遠くで水滴が水面にしたたる音だけだ。


辺りを包む静寂は空気の冷たさと相まって、張り詰めたような緊張をもたらす。物音を立てるのを躊躇うほどだ…。



「ほぉ…あれを始末できたみたいだな。人間にしては上出来じゃないか…」


空洞を反響するように、粛然とした声が落ちてくる…。


オーウェンを振り向くと、目を見開いてピクリともせずに俺の足元を見つめていた。

視線の先を見下ろすと白く曇ったガラスのように凍り付いている。ところどころ磨かれたような鏡面には俺たちの姿と――1人の女の姿があった。

もちろんティファではない。


はっと見上げると、女は亡霊のように浮いていた。


一見人間のように見えるが、その肌と陽炎のように揺らぎ立つ髪の毛はゾッとするほど青白い。瘦せぎすの体を包む青いドレスは冷気を放ちながら風も無いのに揺れている。


女は見上げた俺たちを見て、サメのように尖った歯を見せながら笑みを浮かべた。獲物を見つけた喜びゆえに。

そして――


女が手を軽く横に凪ぐと、足元から無数の氷柱が迫り上がる。


それは俺たちをあっという間に取り囲むと、即席の牢獄を作り出した。俺たち三人が閉じ込められたのを確認するように、氷の幽鬼がゆっくりと舞い降りてくる。


間近で見る女の顔は、人間の作りとほぼ同じである。

しかしその双眸は白目が存在せず、黒い瞳孔が眼窩を埋めていた。

この女が人間ではないことを示す魔性の瞳だ――。


「お前達だろう?あの低級(ゴミ)を始末したのは」

低級(ゴミ)?」


ギザ歯が生えそろった口から、流暢に人間の言葉が発せられるのを奇妙に思いながら、俺は女の言うことがなんなのか分からず問い直す。


「下の層におぞましい魔物(ワーム)がいただろう?あいつめ、いつの間にか私の棲み家にぬけぬけと居座っておったのだ。目に入れるのも汚らわしい醜さで、ああ思い出しただけでゾッとする!

どうしたものか手を焼いていた時、丁度お前達が通りかかってな。退治させようと呼び込んだのだ」


あ、あれペットじゃなかったのか…。


しかし呼び込んだということは、空洞を崩壊させたのはこの魔物の仕業と見て取れる。やたらと魔物が多かったのも、コイツが誘導したか何かしらの細工をしたのかもしれない。



くくく、と喉から笑い声を漏らすと、女はふわふわと泳ぐように檻を一周回る。


「しかし、いらんものが一匹くっついてきてしまったようだな」


顔を青ざめつつ気丈に女を睨み返すオーウェン。

相変わらずの無表情でいっそ興味もなさそうに女を見つめるティファ。…そして俺。三人の顔を品定めするように見たあと、女はふぅん、と意味ありげに頷いて見せた。


「三つ強い魔力を感じたが…はて。そこのガキは違うようだな」


女が尖った爪をはやした指先を弾くように振る。


「うわっ?!」


すぐ側でオーウェンの悲鳴が上がる。振り向くと氷で手足を氷柱に固定されたオーウェンの姿があった。


「次にその娘…。そして、お前」


女の指が琴の弦でも爪弾くように振られると、オーウェン同様に氷の拘束具で自由を奪われた。ゴルゴダの丘で処刑されたキリストよろしく、三人並んで磔にされる。


…この状況、どう見ても全くよろしくないな。


「お前達二人からは、底知れない魔力を感じるぞ…」


ゆらり、と氷の檻を透過して女が間近に迫ってくる。近付かれるだけで睫毛まで凍てつきそうな冷気が漂ってきた。口の端から漏れた吐息が、白く凍りつく。


ゴーレムのティファから魔力を感じる…?

そういえば以前、ティファは自身の動力炉を「マスターからもらった魔晶石」と言っていたな。この女は魔晶石から漂う魔力を感じ取っているのかもしれない。ということは、『魔眼』持ちである俺にも反応するわけで…。


そして女が言っていた三人のうち、オーウェンでないとすると…思い当たるのはグラドだな。たしか大きな魔晶石を持っていた。


「もう1人は惜しいが、まあ良い。お前達二人は、褒美として凍り付けにして飾ってやろう。くく…、光栄に思えよ?未来永劫若く美しい姿のまま氷の中で生き続ける事ができるのだぞ。そして私もお前たちの魔力を吸い、さらに強くなれる…!」


どこか陶酔した様子で女は捲し立てると、未だ睨みを効かせるオーウェンに冷たい眼差しを向ける。


「おいガキ、お前はそこらの魔物にでもくれてやる」

「ふ、ふざけんなーーっ!!」


女ににべもなく吐き捨てられたオーウェンは、青ざめていたはずの顔を真っ赤にして猛る。しかし手足を拘束する氷はひび割れる気配もない。うるさそうな顔をした女はまずオーウェンを黙らせるために、彼にゆっくりと近寄っていく…。


まずい…!


「ティファ、あいつを止めろ!」

俺が叫ぶように告げると、ティファは俺を振り向き――


「イエス、マスター」


バキバキバキッと派手な音を響かせて、食いしばることもなく腕の拘束を破壊した。

自由になった体で軽やかに着地すると、ティファは驚愕の眼差しで見下ろす氷の幽鬼を見定め左腕を突き出した。手甲部分がスライドし何か筒状のものが迫り出てくる。


ありゃ何だ?と思うと同時――



ドドドドドドッ!!!



まさかこの世界で聞くことになるとは思いもしなかった炸裂音に俺は目をひん剥いた。洞窟内がマズルフラッシュによって明滅し、氷壁が作り出す歪な壁を不気味に照らす。


えーっあれってマシンガンか何か?!

一体この子どんな武器を隠しもってんだよ!!


しかし不思議なことに薬莢のようなものは排出されない。エネルギー弾のようなものだろうか?それは氷の幽鬼をすり抜けるとオーウェンの拘束されている氷の牢を貫き破壊していく。


「うおっあぶねーーっ!!」

オーウェンが悲鳴のように叫びながら壊れた拘束具から解き放たれ危なげなく床に落ちる。足下に落ちていた武器を手にとって立ち上がると、かなり怒った様子でティファを指さす。

「おいお前!俺まで殺す気かー!!」

「……」


オーウェンがティファに向かって怒声を浴びせるがティファの瞳は氷の幽鬼を捉えて離さない。


「おのれ…妙な魔法を使う」


辺りに白い噴煙を巻き上げながら氷の牢が崩れ落ち、それを目の端に捉えつつ女は忌々しげに呟く。噴煙の煽りを受けながらもティファは微動だにせず女に対峙した。


少しの間を空けて、ティファが再度左腕を掲げて銃口をスパークさせる。体を翻して回避する女を追いかけるように放たれた弾は、洞窟の壁に突き刺さり炸裂した。ティファの力加減によって、弾の威力も調整されるらしい。全くバカバカしい高性能ぶりだ。


「くっ…忌々しい」


掃射を振り切った女が腕を払うと、鋭く尖った氷柱がティファの居た場所を貫く。宙に跳び上がったことで回避したティファは、背後の壁を蹴りつけ女の懐に飛び込んでいった。


決まった!


ティファのガントレットが女に振り抜かれる瞬間――女が嗤った。


「ティファ!!」


女の放った魔法は拳が届く前にティファの体を包み込み、――透明な氷を形成しながらティファを完全に拘束した。

それは壁から突き出た氷柱のように不自然な形を描いている。その中で、ティファは拳を振り抜いた体勢のまま凍り付いていた…。



「娘の相手は後だ」


涼やかな顔をして女はティファの氷付けを一瞥し足下で隙を窺っていたオーウェンを見やる。


「動かれると鬱陶しい…お前はそこで動くな」

「うっ…」


オーウェンが足下の異変に気が付き見下ろすと、透明な氷がパキパキと音を立てながらオーウェンの自由を足から奪っていく。このままではティファと同じように凍り付けになってしまう。しかもゴーレムのティファと違いオーウェンは生身の人間だ。全身氷付けにされてしまっては命の保証がない。


「おい、やめろ!」


俺はというといまだ拘束されたままで叫ぶしかできない。腕の拘束具は本当に氷で出来ているのか不思議なくらいに頑強だ。

俺の存在をようやく思い出したように女はゆっくりと焦らすように近寄ってきた。

黒い双眸に見据えられ背中にぞくりと寒気が奔った。


「そうか、ただの人間かと思っていたが、貴様…」


やばい…『魔眼』だと気づいたか…?

フードの下で顔をうつむける。女が顔を寄せる気配がした…。冷気が一層強くなり、ローブまで白い霜が降り始める。視界の端で、女の尖った指先がこちらに伸びてくるのが見えた。



畜生。

結局俺はティファの助けがないと何もできないのか?


いや…、思い出せ。


この体はかつて魔王と呼ばれ恐れられたもの。


魔物であるならばそれはわかるはず…!




「おい、お前…」


ゆっくり顔を上げてあの恐ろしい双眸を真っ直ぐに見据える。間近に迫った女の顔は一瞬驚きに彩られたが、すぐに訝しむような表情になる。


「俺が誰か知ってるか?」


気取られぬようにできるだけ凄んで言ってみる。一か八かの賭けだ。

女はすぐには返答しなかったが、俺の顔をしばらく見つめてこう言った。



「はっ?貴様が誰であろうが私に何の関係がある?」



はい、だめーーー!!!



何が魔王だよ畜生!全然知られてないじゃん!

それともあれか?

あんまり昔の人すぎて、今時の魔物にはあまり知られてないのだろうか?


ガックリと肩を落とした俺を見て、女はますます意味がわからなそうな顔をしたが、本来の目的を思い出したのか気を取り直したようだ。


「貴様が誰かは知らんが、その目の存在は知ってるぞ…」


そう言って俺の顎をとって顔を上向けてくる。

目と鼻の先にはどこか恍惚とした表情で俺を見つめる女の顔がある。おおぅ…これがドリィみたいなイケイケの美女ならグラっとくるシチュエーションだが、いかんせん人外の魔物である。全くもって興奮しないよ!


「魔眼か…この美しさを間近で見られるとは…。人間の体に収まっているのが勿体ないくらいだ…」


女は魅入られたように見つめている。

その目は真っ黒であるが…不思議と何を考えているのか手に取るように分かった。


欲しい欲しい。この眼が欲しい…。

この眼があれば私はもっと高みへ行ける。

出来損ないと呼ばれた私も精霊にだってなれる――。



「―――ッ!!!」


突然女は声にならない悲鳴を上げたようだった。


「や、やめろ…!私の心を読み取るな、人間風情が!」


弾かれたように体を離し、見えない何かを振り払うように腕を振り回して、女は顔を両手で覆い尽くした。そしてしばらくして…肩を震わせ笑い始める。


「なるほど…これが魔眼…魔物さえ惑わす魔性の瞳か…。しかしお前は上手く使いこなせていないようだな」


この反応……

やはりこの眼はただの魔力の結晶ではないのか。


「宝の持ち腐れもいいところだ…それを私に寄越せッ!!」





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