底に棲まうモノ
「…ダメだな」
縁に立つと今にも崩れ落ちそうな巨大な虚を見下ろして、グラドは冷静に告げた。
「そっそんな…!」
「まだ死んだって分からないじゃないですか!」
グラドの言葉を思い思いに受け止めたシオンとエミリーは、今にも泣き出しそうな顔でグラドに言い募った。その姿を見てドリィが優しく諭すように声を掛ける。
「馬鹿だね、死んだなんて言ってないじゃないか。落ち着きなよ」
「で、でも……」
エミリーは崩壊した洞窟内を見下ろす。まるで奈落の底まで続いていそうな深さで、底が見えない。こんな高さを落ちて無事でいるはずがない。運がよくてもきっと今に虫の息だろう。
「あいつがそう簡単にくたばるとおもえねぇ…。ここからじゃ無理だ。下に行けそうな道を探すぞ」
グラドが言うあいつとは誰のことだろう?
体格の割に軽々と瓦礫を飛び越えるグラドをシオンとエミリーが我に返ったように追いかける。望みがなくなった訳じゃない…。
その姿を見てドリィは安堵のような笑みを溢す。…が、その表情はすぐさま険しいものに変わり、崩れ落ちた足場を冷静な目付きで見下ろす。
先ほどの揺れは一体…?
この洞窟はかつて火山活動の影響で出来たものと聞くが…火山自体は調査の結果すでに死火山として認知されているはずだ。それが今になって活動を開始したというのだろうか…。それにしては揺れがただの一度きりで終わったのも妙な話だ。
考えても答えが出る訳じゃない。
ドリィも先に行った三人に続き、暗がりの洞窟へと身を躍らせた。
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はあはあと息を弾ませるオーウェンを見下ろし、俺は闇の中から飛びかかってきた蝙蝠のような魔物を切り落とす。短剣はすでに血にまみれ、柄を伝って手を濡らすほどだ。魔物の血も赤いのは精神的にきつい…。どうせなら緑とか紫だったらよかったのに。
グラドが見繕ってくれた短剣は、俺の手によく馴染んでくれた。さすがと言ったところだろう。
俺だけじゃ払いきれなかったものは、ティファが素早くはたき落とす。足下には魔物の死体が数を増やしつつあった。
「わるい…」
俺に庇われるのは癪らしいが、今はそれどころじゃないのはオーウェンもよく分かっている。素直に礼を述べるものの、その顔に余裕はない。
しかし、奥に逃げれば逃げるほど魔物の数が増えている気もする。
「魔物が魔物を呼ぶんだよ…」
オーウェンが洞窟内にひしめく魔物を睨み、そう呟いた。
「さっきの所にいても結局集まってきてた。どっちも変わらねーんだ。ここから逃げ出すしかねぇ」
「っそうはいってもな!」
牙を剥いて向かってきた蝙蝠を叩き伏せる。骨を切る嫌な感触が刃を伝う。
「出口もわからねぇのに、どこに行けってんだ?」
上に行けばいいのは分かる。だが行く道がどれも下り坂なのが不安を煽った。まるで魔物に誘い込まれ、追い詰められているような気がしてならない。
そのとき。
しん、と先ほどまで騒ぎ立てていた魔物達が、水を打ったように静まりかえった。
それから、洞窟の冷気とは違う冷たい気配が足下を這ってきた…。それはすぐ側から感じる。
一体何がいるのか…見ずとも気配で分かる。
魔物だ。しかもとびきりでかいの。
足下に視線だけを落とすと、岩とは違った滑らかな足下なのに気が付いた。
氷だ。
本来はこの場所は水の張った地底湖なのだろう。それが今、大の大人が立ってもびくともしないほどに凍結している。何故だ?
そしてその厚い氷の向こうで何かが蠢いている…。
グォォォォォン!!
洞窟内を震わせる雄叫びは、けたたましく突然に鳴り響いた。
それと同時に何か巨大なものが足下の氷を突き破って飛び出してくる。それは狙い澄ましたように俺たちのほうへまっすぐ叩き降ろされた。すんでの所で避けると足下の氷に亀裂が走る。しかしそれで動きを止めることはなく、空気を轟かせながらとっさに頭を下げた俺たちの頭上をよぎっていく。洞窟の中を蛇のようにのたうちまわり、岩の壁を豆腐のようにえぐってゆく。
まるでトカゲの尾のようだ。
照明魔法で照らされるのは黒光りする鱗でびっちり覆われた表皮。そこかしこに突き出た杭のような突起が実に禍々しい。
それは一回天井まで伸びるようにしなると、勢いをつけて横薙ぎに振り払われた。
「まずい!」
それが俺たちを打つ前に、駆けつけたティファがすさまじい拳圧で叩き返す。
打たれた衝撃で鱗を飛び散らせたトカゲの尾は、洞窟の壁にぶつかったあと打ち上げられた魚のようにビタビタと跳ねる。
「なっ…」
目の前の出来事にオーウェンが目を剥いた。無理もない。自分よりも小柄で華奢な、守るよりも守られているのが相応しいような少女が、拳一つで巨大な魔物の尾を叩きのめしたのだから。
ティファに守ってばかりじゃサマにならない?
前言撤回だ!こんなもん相手に出来るかっ!
グルルゥゥゥッ!!
地を這ううなり声と共に、氷を割りながら『本体』が姿を現す。
まるで蛇であるが、その体は比べるまでもなく巨大だった。
体の先端についた口のようなものは鋭い歯でびっちり覆われ、体を覆う鱗は所々で逆立つように角を立てている。見ているとぞっとするほどおぞましい外見だ。
「なんだこりゃ…」
「ワームだ…」
オーウェンが呆然としたように呟いた。
「最悪だ。しかも何だよ、この大きさ…」
立ち尽くすオーウェンとその横にいる俺と、対峙するワームとの間に立ちふさがるようにティファが舞い降りる。その姿は暗闇の中でも天使のようだが、血塗れたガントレットを見たら背筋に奔るものがある。
「おい、俺から離れるなよ」
「は?」
俺がすかさずささやくと、オーウェンが素っ頓狂な声を上げる。
ティファが守るのは、マスターである俺だけだ。それがティファに与えられた使命だから。
たとえオーウェンが傷つき動けなくなったとしても、それは彼女にとってあずかり知らぬ出来事だ。それではあまりに人情がないと言ってしまえば確かにそうだが、ティファがゴーレムであれば仕方のないことだった。
「あいつ、一体何なんだ?!」
ワームの動きを捉え、猛攻をかいくぐり、確実に打ち据えるティファをオーウェンは目を皿にして見守る。自分よりはるかに大きな魔物を魔法も使わず、武器も持たず、表情一つ変えずに身一つで確実に打ちのめすティファは、彼の目にどう映っているのだろう。
彼女の拳がワームを打つ衝撃に空気が震える。横面に渾身の一撃を食らったワームは、もはや悲鳴すら上げずに沈黙を保ったまま、その巨体をどうと横たえた。
「お怪我はございませんか?マスター」
ティファの鈴のように愛らしい声は――血生臭くなった空間にあまりに不釣り合いであった。
「………」
あれからぴくりとも動かなくなったワームを見上げ、オーウェンは何やら考え込むように口を閉ざしたままだ。
俺はというと…
「ティファ、そのイガイガしたヤツ売れそうじゃないか?」
「これですか?」
ワームの体から、金になりそうなものを絶賛はぎ取り中であった。
首回りに生えている一回り大きな角のような部位を指さし、ティファにむしり取って貰う。ミリミリメシャッとグロテスクな音が響き渡って、俺は思わず身震いする。うーん我慢我慢…金のためだ、許せよワームくん。
「ん…なんだ?」
角をはぎ取ったところに、何やらきらりと光るものが見えた。ちょっと躊躇いもしたがそこに手を伸ばし、光るものに触れてみる。それはころりと容易く手の中に転げ落ちてきた。
あ…これは。
指先ほどの大きさのそれは、手の中でキラキラと煌めく魔晶石であった。赤色よりの黄色…つまりオレンジ色をしている。へぇ、こんな魔物の体の中でも存在するのか。綺麗なものだな。
しげしげと見つめているとオーウェンが気付いて駆け寄ってきた。
「橙色か…あんまりたいした額にはならないぜ?」
「そうなのか?まぁ、売れるなら持って帰るさ」
例の道具袋に落とし込んで、ついでにはぎ取った部位も入れておくことにした。これだけ大きなものを入れても、道具袋はぺったんこなんだから不思議だ。くるくるとおしぼりのように巻いて懐にしまう。
「…で、何か分かったか?」
ほくほく顔でオーウェンを見下ろすと、彼は首をすくめて見せた。
「別に…そもそもワームは冷気が苦手なのに何でこんな所にいるんだと思ってよぉ…」
ふーん、そうなのか。てっきり足下の氷はワームが作りだしたものと思い込んでいたが、オーウェンの言う通りなら違うな。
「この氷も変だ。別にこの空洞自体そこまで冷え込んでる訳じゃねーのに、なんで凍ってるんだ?しかも溶ける気配もない」
たしかに、オーウェンの言うことはもっともだ。未だに俺たちの足下を支える氷は溶ける様子がない。
先ほどの落盤といいこのワームとかいう魔物といい、妙な出来事続きだ。
…まてよ?
もしかしてこのワーム氷の下に閉じ込められていたんじゃないか?
それがさっきの落盤で氷が割れ、抜け出してきたのかもしれない。
でもこの氷は自然で出来たものじゃないようだし…誰かが魔法で閉じ込めていたのだろうか?
――まさか……
…ペット?
「エミリーなら何か分かるかもしれねーけど…。考えたところではじまんねーし、早く戻ろうぜ」
そう言ってオーウェンは抜け道を探してぐるりと辺りを見渡す。
「こっち、登りになってっけど」
オーウェンの指さす先には上に向かって延びる道がある。ここまでぐるぐる歩き回っちゃ、戻る道ももはや分からないので…結局進むしかない。オーウェンに手招きされるままそちらに足を踏み入れて――
「…?」
ぞくり、と肩の辺りに寒気がした。
慌てて振り返るが、ワームは微動だにしていない。
はて…?なにやらねっとりと見つめられているような気配がしたのだが。
ティファは何か感じ取った様子もなく、俺が見下ろすとじっと見返すだけだ。
気のせいか?
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ところ変わってグラド率いる残りの四名はというと、崩壊の恐れがありそうな場所を避けるため遠回りしながら、三人が落ちた場所を目指して歩いていた。
洞窟の中を余すことなく照らしだす光は、エミリーが作り出した照明魔法だ。
それは魔除けの効果も付与されているらしく、低級の魔物ならば近づけないようになっている。
「へぇ…若いのにたいしたもんだね」
灯りを見上げたドリィが世辞抜きで褒めると、エミリーは照れくさそうに頬を掻いた。
「まだまだですけど、癒師を目指すんならこれくらい出来ないと…」
謙遜しつつも嬉しそうに胸を張る。…が、やはり姿を消した三人が気がかりなのか、すぐに暗い顔になってしまった。
「シュリング空洞って、思ったより広いんですね…」
グラドのあとをついて行くシオンは、未だ底に着かないことを不安がっている。それを振り返り、グラドはフンと鼻を鳴らした。
「ふだん冒険者達が使うのは、空洞のほんの上辺部分だからな…底に行けば行くほど魔物の棲み家になるから、普段は立ち入りが禁止されてるんだ」
「えっ…」
魔物の棲み家と聞いてシオンの顔に影が差す。
「ビビったか?あいつらはその中に落ちたんだぜ。お前がいきなり俺たちを振り切って走ることさえしなきゃ、はぐれずに済んだかもしれねぇな…」
「…すみません、勝手な真似をして」
しゅん、と目に見えて落ち込んだシオンを見てグラドはつまらなそうな表情を浮かべた。
「…なに、俺も余計なことを言ったからな。その点は謝る」
「えっ、そ、そんな…」
まさかグラドに謝られるとは思いもせず、シオンはわたわたと慌てたように手を振った。
「そもそも空洞が崩壊するとは思っても見なかったしね」
後ろからドリィが苦笑混じりで言う。シオンもようやく釣られたように苦笑を浮かべた。
「…で、ここから先に進むに当たって一つ注意点がある」
「な、何でしょう」
改まってグラドの厳しい声に、後に続くシオンとエミリーは顔を合わせた。
「この洞窟には恐ろしい魔物がいてな、数年前から討伐依頼が出ているんだが未だ依頼を達成できた冒険者がいないんだ」
グラドの言葉に、シオンとエミリーは文字通り――言葉を失い固まってしまった。