第5話
「エリザ、スプーンはどこだい」
「おばさん、ここよ」
「…」
「…」
「暗いね」
「…ごめんなさい…」
さすがのエリザも、後悔していた。
ランプがなくてもなんとかなるとあのときは思ったが、やはりそれは困難なことであった。
例外もあるが、エリザはたいていは朝から子守の仕事に出て、夕方頃帰る。
夕飯の頃には、日も暮れランプがないとどうにもならない状態なのであった。
大伯母は手探りでスープの皿を探しながらこう言う。
「だからお前は馬鹿だと言われるんだ。お人よしも大概におし」
「…」
エリザはしょぼくれて、黙りこんだ。
「あいつもあいつさ。借りたもんを返しに来るのは当たり前だろうが。全く」
大伯母はいつになく不機嫌そうに話す。
「ジュリアンは悪くないわ。私が無理やりおうちに招いてたら、暗くなってしまったのだもの」
「それでも、ランプを返さないのはおかしいだろうよ」
「…」
「どこかに汚いランプでもいいから、落ちてやしないかねえ!」
そんな大伯母の独り言を聞いて、エリザはますます肩身が狭くなった。
「おばさん…私、ジュリアンのところへ行って、返してもらいに行くわ」
それを聞いて、大伯母ははっとし、こう言った。
「そこまですることはないさ。お前、それにやつの住まいを知らないんだろ」
「知らないわ。でも、町の人に聞けばきっと誰か知ってるはすだわ。ジュリアンって、なんだか有名みたいだし」
ニーナのこともあり、なんとなくそんな気がしてエリザは答えた。
「あ、それに仕立て屋の女将さんが知ってるかもしれないわ!」
エリザは少しほっとしたのか、嬉しそうに話す。
「エリザ、町へ行くなら新しいランプを買って来ておくれ。もうそのランプはジュリアンとやらにくれてやる」
「でもおばさん、ランプを買うお金はないのよ」
「まさかこんなことで使うことになるとは夢にも思わなかったけどね。ランプを買うくらいのお金なら、あたしも持ってるんだよ。エリザ、そこの棚の引き出しに小さな包みが入ってるから、それを持って明日にでも買いに行っておくれ」
「…わかったわ。ベルガーさんのところが何時に終わるかわからないから、奥さんにシリルを連れて町へ行ってもいいか聞いてみるわ」
「ああ、そうしてもらいな」
「おばさん、本当にごめんなさい…」
「もういいよ、エリザ」
「ジュリアン、きっともうランプのことなんか、忘れてるわね…」
「…」
大伯母は何も答えなかった。
◇
「じゃあエリザ、よろしくね」
翌朝、ベルガー夫人が息子を預けて家を出ようとしたとき、エリザは「ベルガーさん」と呼びとめた。
「なあにエリザ?」
「あ、あの…今日シリルを連れて、町へ行ってもいいですか?」
「あら、どうして?」
「うちのランプを人に貸してしまって…まだ戻ってこないんです。おかげで今、うちが真っ暗で…買いに行かないといけないんです」
「あら、それならうちのを貸してあげるわ」
「ええ…でもいつまでもお借りするわけにもいかないし…」
エリザの、切羽詰まった顔を見て、美しいベルガー夫人はおほほほと笑った。
「そんなに大変なのね、エリザ。いいわ、お昼過ぎには必ず戻ってね。シリルもたまには町に連れていくのもいいでしょう」
「ありがとうございます!嬉しいわ!」
「あ、でも…」
「なんですか?」
「町の外れの方には、絶対に連れて行かないようにしてね」
「…?」
「あの辺は…ほら、怖い人たちがいるから」
「はい、わかりました」
「あ、そうだわ」と、ベルガー夫人はおもむろに財布を取り出した。
「これで、シリルに何か買ってやって。きっとだだをこねられて困るのはあなたでしょうから」
夫人はふふ、と微笑みながら小銭を数枚、エリザに渡した。
「はい、わかりました!」
それじゃ、とベルガー夫人は家を後にした。
エリザは嬉しそうに、それを見送った。
そして、くるっとシリルの方に顔を向けて、腰を折ってウインクした。
「さあシリル、朝ごはんを食べましょう」
「うん!」
小さなシリルは、元気に返事をしてよいしょと席に着いた。
「はい、召し上がれ!」
「わーい!」
シリルはスプーンでマッシュポテトをグイッとすくい取り、大きな口を開けてもぐもぐと食べる。
「エリザ、全然味がしないよ!」
「…」
「ねえエリザー」
エリザは聞こえないふりをした。
そして何事もなかったかのように話をした。
「ねえシリル、今日はエリザと町に行くのよ」
「まちー?」
「そうよ、行ったことあったかしら?」
「うんとねえ、わかんない」
「そっか!とっても楽しいところよ!」
「わーい!」
エリザは腕を小さくぐるぐるまわし、はしゃぐようなしぐさをした。
シリルはエリザの真似をして、楽しそうに笑った。
◇
「シリル、ちゃんとエリザの手を握っていてね」
「うん」
小さなシリルは思いっきり腕をのばし、エリザとギュッと手をつないで、とことこと歩きだした。
なんとなくまだ足がおぼつかない。
(午前中なら、市場が出ているかしら。奥さんからもらったお金で、シリルにお菓子を買ってあげられるわ)
一生懸命歩くシリルを見て、エリザは嬉しそうにほほ笑んだ。
3歳になったばかりのシリルと歩く道のりは、大伯母のときと同じくらい、ゆっくりだった。
「シリル、おかあさまのこと、好き?」
「うん、好きー!」
「エリザのことは好き?」
「好きー!」
「じゃあ、エリザの料理は好き?」
「………好きー!」
子供なりに気を遣った返事を聞いて、エリザはおかしくてたまらなくなった。
「シリル、あなたとっても紳士ね!」
「しんしー?」
エリザは「ああ、おかしい」と腹を抱えながら、はるか遠くに見える町へと歩いて行った。
◇
町へ着く頃、もはやシリルは歩くのに疲れ、エリザにおぶさっていた。
「シリル、町に着いたわ」
「ううん…」
うとうとしていたシリルは、エリザの背中に顔をぐりぐりと押し付け、眠たそうにあくびをした。
「シリル、町には楽しいお店がたくさんあるのよ。エリザにおぶさってたらどんどん通り過ぎちゃうわよ」
「ええ、やだあ…」
「じゃあエリザから降りて、手をつなぎましょう?」
「…うん…」
エリザはほっとして、しゃがんでシリルを降ろした。
シリルは目を半開きにして、うつむいている。
「さあシリル、歩きましょう」
エリザは半ば無理やりシリルを引っ張るようにして、町へと入って行った。
町は相変わらずのにぎわいで、男の子をおぶって通るのは、かなり根気のいることであったろう。
(よかったわ、起きてくれて…)
エリザは改めてそう思った。
シリルはだいぶ目が覚めて、四方をきょろきょろとしている。
「シリル、ここを少し過ぎたらね、シリルが大好きなものが売ってるお店がたくさんあるの。シリルがいい子にしてたら、エリザ、ちょっとだけならシリルが好きなものを買ってあげるわ」
「わあい!ぼくいい子にする!」
エリザはにっこり微笑んで、シリルの手をぎゅっとにぎった。
(ランプ屋さんはどこかしら…)
エリザはシリルを飽きさせないようにしつつ、ひたすらランプ屋を探していた。
しかし、ありそうでない。
(ないはずないのだけど…もう少し奥へ入ったところかしら)
そう考えていると、歩道を埋め尽くすほどの市場が見えた。
(午前中は本当に賑やかなのねえ)
エリザは感心するように眺め、そしてシリルに話しかけた。
「シリル、ここがシリルの好きなお店よ。お店がよく見えるように、エリザが抱っこしてあげる」
「わあい!」
そういって、エリザはシリルをよいしょと持ち上げた。
すると、シリルの目の前に、夢のような世界が広がった。
色とりどりのかわいらしいお菓子やおいしそうな果物。
小花を集めて作ったブーケに、瓶詰めのジャム。
突然広がったまばゆい世界に、シリルは目を丸くしてたいそう楽しそうな顔をした。
そんなシリルのために、エリザはできるだけゆっくり歩いた。
「ねえ、あれとってもおいしそうねえ」
「ぼくもー!」
いつになくはしゃぐシリルを見て、エリザは母親のように微笑んだ。
二人があちこち目移りしていると、いつの間にか市場を通り過ぎていた。
「あら、終わっちゃったわねえ」
「もっと見たいー!」
「そうね、後でシリルの好きなのを、買ってあげるね」
そう約束して、エリザはシリルを降ろし、再び歩き出した。
一向にランプ屋は見つからない。
(どうしよう、本当にないなんてことはないわよね…)
エリザは少し焦り出した。
さすがに手ぶらで帰宅するわけにはいかなかった。
(せめてろうそくだけでも買って帰らないと…)
エリザはシリルに見つからないよう、ため息をついた。
少し歩くと、町の中央に出る。
ここは先日エリザとジュリアンが二度目に出会った化粧品屋のある場所であった。
近くに、ジュリアン行きつけの仕立て屋もある。
(女将さん…いるかしら…)
先日エリザが覗いたとき、若い針子が店番をしていたので、期待せず恐る恐る店を覗いた。
すると、カウンターのところで店主が何やら物を書いていた。
(よかった…!)
エリザは藁にもすがる思いで、店の扉を開けた。
◇
「いらっしゃい…ああ、エリザ、こんにちわ」
店主は愛想のいい顔でエリザを迎える。
「こんにちわ」
「どうだい、ショール編みは順調かい」
「ええ、まだ先は長いけど、うまくいってるわ」
「それはよかった。で、今日は?」
「あ、ええ、女将さんごめんなさい。今日はお買い物じゃないの」
「ほお、なんだい」
「あの、この町のどこかにランプ屋さんはあるかしら?」
「ランプ…?」
店主はふと、数日前ジュリアンがランプ片手に来店したのを思い出した。
「なんでまた、ランプ屋に?」
「あ、ええ…あの…人に貸してしまって、まだ返ってこないの。うち、ランプひとつしかないから困ってしまって…」
エリザは苦笑しながら答えた。
「それで、ランプを買いに来たってことかい」
店主はあきれた顔をして言った。
「…ジュリアンだね」
エリザはびっくりして店主の顔を見た。
「どうして知っているの?!」
「こないだ、やつがランプを持ってうちに来てさ、エリザのうちで借りたって。なんと、借りっぱなしだったとはねえ…ほんとあの男ときたら」
店主は、まるでジュリアンがここにいるかのようにあきれた目つきをした。
「でも、ジュリアンは悪くないわ。夕方だったのだけどお話が長くなってしまって、気付いたら真っ暗で…」
エリザはとっさにジュリアンをかばった。
「ほお、そうだそうだ、ずっと気になってたんだよ。どういういきさつで、あんたのうちであいつが食事することになったのかってね」
店主は興味津津な顔つきで、エリザを見た。
「あら、たまたま道で会っただけよ。ちょうど私の家の前だったの。私も夕食がまだだったし、一緒にどうって誘ったのよ」
「なるほどねえ」
「でも、なんだか退屈させちゃったみたい。最後の方なんてとっても眠そうだったわ」
エリザは笑いながら話した。
「それはどうだろうね…」
店主はにやりと笑ってつぶやいた。
「え?」
「いいや」
そういって、店主はシリルの頭をぐりぐりと撫でた。
シリルはぼんやりとした目つきで、店主を見上げる。
「そういえば」
と、エリザは何かに気付いたようにつぶやいた。
「ジュリアン、なんであんなところにいたのかしら。デートかと思ったけれど、考えてみたらあの辺は畑と民家しかないのに。それもなんだかとっても素敵な恰好をしていたわ。それなのにふらふらと疲れてて…」
不思議そうな表情で、エリザはぼんやりと考えた。
店主はそんなエリザを見て、あわれむような目をした。
「エリザ、ジュリアンが普段どんなことをしているか、知っているかい?」
「何をって、仕事のことかしら?」
「ああ…うんまあそうだね」
「ええ、そのとき聞いたわ。そうしたら、人を喜ばせる仕事だと言っていたわ」
ジュリアンのやつめ…
店主はエリザの話を聞いて、彼が彼女をおちょくるような態度でそう言ったのが手に取るようにわかり、苦々しい顔をした。
「私のように家が貧しいわけでもなさそうなのに、ふらふらになるまできっと働いていたのね。学校に行かないのは、勉強が嫌いだからかしら?ふふふ」
エリザはジュリアンの「仕事」の話を聞いたときのように無邪気に笑ったが、店主は逆に切なそうな顔をした。
すると、ずっと黙っていたシリルが突然エリザの手をひっぱった。
「ねえエリザーつまんないー」
だだをこねるように、シリルはエリザの腕をぶんぶんと振る。
「ああ、シリルごめんなさい。ねえ女将さん、そういうわけでランプ屋さんなんだけど…」
「あ、ああそうだったね」
店主も我に返って、ええと、と思い出すようなしぐさをした。
「ああ、確かここをずうっと奥まで入って行くと、右手にあったと思うよ。でもねえ…」
「なあに?」
「あの辺は、あまり治安が良くないって言うか…」
「もしかして、町の外れなのかしら?どうしましょう、シリルのお母様に、町の外れの方には絶対に近寄らないでと言われているの」
エリザは困ったようにシリルを見た。
「女将さん、他にないのかしら?」
「ううん、確かなかったと思うけどねえ…」
「そう…」
エリザはがっかりした顔をした。
店主はその様子を見つめる。
(確かに、娼婦屋と、そこで働いてる娼婦がたくさん住んでるアパートの界隈なんかに、母親としては行かせたくないだろうね…。いかつい男どももたくさんいるし…。しかも、確かあそこは…)
すると突然、エリザが「ひらめいた!」と言わんばかりの表情でこう言った。
「そうだわ!こうなったら、やっぱりジュリアンに返してもらえばいいんだわ!ねえ女将さん、ジュリアンがどこに住んでいるか、知らない?」
その言葉に、店主は一瞬どきりとした。
「ええっなんだって?」
「ジュリアン、町に住んでいるんでしょ?いっそのことジュリアンに直接ランプを返してもらおうと思うの。女将さん、ご存じないかしら?」
「ああ、ちょっと知らないねえ…」
店主はそっぽを向いてしらばっくれた。
(ジュリアンは…まさに娼婦屋の前のアパートに住んでるんだよ)
店主は、過去に一度か二度、商品を届けにジュリアンの自宅へ行ったことがあったので、場所はしっかり把握していた。
しかし、何も知らないエリザに、彼が「娼婦たちの領域」を住まいにしていると教えるのは、どうしてもはばかられた。
ましてや、彼自身も彼女たちと同じようなことをして金を稼いでいることを、何かの拍子に知ってしまったら…
エリザにとってもジュリアンにとっても、このまま知らないでいた方がいいような気がしてならなかった。
「エリザ」
店主は改まった顔をして、エリザにこう話した。
「まだ午前中だし、明るいうちはあそこもそれほど悪い場所じゃないから、お前さんだけならいけるだろ。この男の子は、少しだけならうちで預かってあげるから」
「えっでも…」
「大丈夫だよ、任せておきな。その代わり、できるだけ早めに戻ってくるんだよ」
「女将さん…」
「大丈夫だって!さあ坊や、おいしいお菓子があるんだ。好きだろう?」
つまらなそうにしていたシリルは、お菓子と聞いてぱあっと明るい顔になった。
「エリザはー?」
「ごめんね、シリル。エリザ、ちょっとだけお出かけしてるから、少しの間ここにいて?」
「…エリザー…」
エリザはしゃがみ、顔をシリルの目線に合わせ、彼をぎゅうっと抱きしめた。
「すぐに戻るからね」
立ち上がって、店主に「お願いします」とお辞儀をすると、駆け足で店を出た。
「エリザー…」
シリルは不安そうな顔でエリザを目で追った。
「シリルっていうんだね、さあ、奥の部屋でお姉ちゃんたちがお菓子をくれるよ。行こう」
店主はシリルの小さな手を引いて、店の奥へ入ろうとした。
ふと、彼女は振り返って出入口の方を見た。
(ジュリアン、あんた変な時に外うろついてるんじゃないよ…)
店主は、世間知らずで純朴な少女と不埒な世界に身を染める少年が、どことなく暗い影を落とす町の外れで出くわすことのないよう、祈った。
◇
エリザは店主に言われた通りの道のりを走った。
途中、人にぶつかりそうになりながら、軽い身のこなしで賑わう人々をすり抜けていく。
(女将さんなら安心だけど、やっぱりシリルを一人にしておくのは心配だわ…)
エリザは疲れと不安で、表情がどんどん険しくなっていった。
ひたすらまっすぐ進んでいくと、道がだんだんと狭くなっていく。
それと同時に次第に人がまばらになり、ついにはほとんど見かけなくなった。
あまり日の当らない、さびしげな空気が漂っていた。
左右の建物を見渡すが、右も左も、何を売っている店なのか、そもそも開店しているのかさえも、よくわからなかった。
エリザはいつのまにか、小さな十字路の真ん中で、じっと辺りを見つめながら立ち尽くしていた。
(不思議な場所…)
すると、今来た道よりももっと狭い左側の道から、あくびをする声が聞こえた。
エリザが思わず振り向くと、胸をはだけさせてだらしなく衣服を身につける女性が伸びをしていた。
あまり品があるとは言えない。
エリザが見つめていると、その女性と目があった。
エリザは慌てて目をそらし、歩き出した。
歩きながら、エリザは左右を見渡す。
すると、先ほどの女性と同じような雰囲気の女性たちが、何人かふらふらと歩いているのを目にした。
そして、つきあたりに今までと少し違った雰囲気の店があるのに気付いた。
どこがどう違うのか、よくわからない。
(ここって…)
すると、その店から派手な衣装を着た女性がガチャリと扉を開けて出てきた。
ふらふらとした足取りで、彼女はエリザとすれ違った。
彼女は、エリザのような素朴な雰囲気の少女がこの場にいることが不思議そうに、横目で見ながら去っていく。
(ここは…そういうお店があるところなのね)
さすがのエリザも、この一帯がどういう場所なのか、容易に理解した。
(確かに、ここにシリルは連れては来られないわ)
そう思って何気なく右側の店を見ると、ランプ屋の看板が立てかけてあった。
(なんだ、こんなところに)
エリザは苦笑して、中に入った。
◇
ぎい、と音を立てて扉は開く。
中は、町の中央に軒を連ねる店とは違い、狭く小汚い印象ではあったが、ランプの温かい明かりのせいで雰囲気はそう悪くなかった。
大中小、さまざまな種類のランプが展示されており、一目見ただけでは選びがたい様子であった。
「すみません…」
エリザは恐る恐る、狭い店の奥の方を覗いた。
すると、ごちゃごちゃとしたカウンターの奥から年取った店主が現れた。
「いらっしゃい」
「あの、ランプを買いに来ました…このお金で買えるくらいのものを…」
そう言って、エリザは大伯母から預かっていた金を店主に差し出した。
「ふむ…それならこれか…あれだね」
店主は、展示用のテーブルの上に置いてあったものと、壁にかけるタイプのランプを指差した。
テーブルの上のものは少し小さく、壁にかけるタイプは使い勝手が悪かった。
「あとこれ」
店主はもうひとつ差し出す。
みるとジュリアンに貸してしまったランプと似ていて、値段も手ごろであった。
エリザはほっとして、「これにします!」と言った。
店主はうむ、とうなずいて、エリザから金を受け取りランプを渡す。
「ありがとね、またよろしく」
思いのほか人当たりのいい店主にお辞儀をして、エリザは店を出た。
(よかった…!!)
エリザはいい買い物ができたことをとても嬉しく思い、一人でぱあっと明るい笑顔になった。
(早くシリルの元に帰らなくちゃ。女将さんも心配してるわ)
エリザは、先ほど来た道を小走りで戻った。
途中、娼婦らしい女性とすれ違ったが、さっきのようには気に留めなかった。
狭い道が次第に広がって行き、遠くに町の中央広場がかすかに見え始めた。
(ああ、もうすぐだわ)
エリザはほっとしたのと疲れたのとで、少し歩く速度を緩めた。
(この辺りは、もう明るいのね)
娼婦屋とランプ屋の周辺は、午前中だというのにほとんど日が当らず、晴れているのにまるで曇り空の下にいるようであったのである。
エリザはふうっと息をはき、新鮮な空気を吸った。
そして、何気なく辺りを見渡した。
人とすれ違う回数も次第に多くなっていた。
エリザの右手にはカフェの看板が立っており、店の雰囲気も中央広場とさほど変わらない、明るく広々とした店構えである。
左手は、小さな宿屋のようであった。
小奇麗な窓がいくつもある、洒落た雰囲気の宿屋である。
階段を2、3段上ったところに、出入口らしい観音開きの扉がついていて、両側にはかわいらしいランプが装飾されていた。
(素敵ねえ…)
エリザはもう一度、カフェの方をふと見やった。
すると、少し薄暗い店内の中に、見覚えのある人影が見えた。
店の真ん中あたりのテーブルに座って、肘をついて座っている少年…
何を見るでもなく、ただぼんやりとした表情の横顔がとても美しい。
(ジュリアン!)
エリザは、それが間違いなくジュリアンだと確信した。
(ジュリアンだわ!私に気付くかしら…)
エリザははやる気持ちを抑えつつ、きょろきょろと動いてジュリアンのいる方へ視線を送った。
ほとんど無一文の彼女に、店に入ってまで声をかけるほどの度胸はさすがになかった。
しかし、ジュリアンはぼうっとしてこちらに全く気付かなかった。
(だめだわ…)
エリザは苦笑し、諦めてその場を去ろうと歩きだした。
そのとき、ジュリアンがはっと我に返ったような表情をし、エリザとは別の方向をじっと見つめた。
そして、エリザが見たこともないような笑顔を、誰かに向けていたのであった。
(ジュリアン…?)
エリザが不思議に思って、その様子を見つめていると、ジュリアンの目の前に30代後半くらいの女性が現れた。
(あんなに年上の人と待ち合わせ…?)
すると女性は席にもつかず店を出ようとし、ジュリアンも席を立った。
そして二人は出入口の方へ向かった。
エリザは慌ててその場を離れ、駆け足で中央広場の方へ向かった。
理由はわからないが、なんとなく今はジュリアンには話しかけない方がいいような、そんな気がしたのである。
ある程度カフェから距離を置いて、エリザは息を切らしながら立ち止まり、後ろを振り返った。
するともう二人の姿はそこにはなかった。
(ジュリアン…?二人で町の方へ来るのではなかったの…?)
エリザはどことなく悲しそうな顔をしていたが、自分がそんな表情をしていることに気付いていなかった。
◇
「エリザー!」
シリルが嬉しそうに叫びながら、扉を開けて入ってきたエリザに飛びついた。
「シリル、ごめんね。いい子にしていた?」
「うん!お菓子いっぱいもらった!はいエリザの」
「まあ、エリザの分も取っておいてくれたの?ありがとうね」
エリザは健気なシリルを見て、優しく微笑んだ。
「やあエリザおかえり。どうだった、ランプは買えたかい?」
「ええ女将さん、ほら見て!うちのとほとんど同じものなのよ!」
そういって、エリザは満足そうな顔をしながら、店主に購入したランプを見せた。
「それはよかったね、いい買い物をしたじゃないか」
「ええ、本当に。女将さん、本当にありがとうございました」
「あたしは何もしてないよ。お針子たちが…」
「シリル!!あっもうエリザに飛び付いちゃって!あたしたちよりそんなにエリザが好きなの?!」
店主の話を遮って、店の奥から針子が大声を上げながら飛び出してきた。
「あ、エリザです。シリルをどうもありがとうございました」
エリザは若い針子に礼を言った。
「ふん、どいつもこいつもエリザエリザって…男ってそんなに香水がいやなの?」
針子はぶつぶつと文句を垂れた。
エリザは状況が把握できず、少し困ったように針子を見つめた。
「お前、大人げない言い方はおよし。お前はきれいだから男はみんな気が引けちゃうのさ」
「あははは、んもう女将さんったら!エリザ、また来てちょうだい!シリルまたね!」
店主のお世辞を真に受け、急に上機嫌になった針子は感じ良くエリザに声をかけ、また店の奥へ入って行った。
エリザは笑顔でお辞儀をした。
エリザは店主にもう一度礼を言って、店を後にした。
そして、店の前でシリルに声をかけた。
「さあ、シリル行きましょうか」
「うん!!」
「さっきお菓子はもう食べたから、市場ではおもちゃを買いましょうね」
「うん!!」
素直に返事をするシリルに、エリザは優しい笑みを見せた。
しかし彼女は、本心では笑っていなかった。
(ジュリアンも…あんなふうに笑ったりするのね)
知らない女性に向けられたジュリアンの笑顔は、なぜかエリザを少しさびしい気持ちにさせていた。




