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第4話(2)


「…」


ジュリアンはたび重なる偶然を恨んだ。


「ジュリアンじゃない?」

「…」


ジュリアンは答えなかった。


「ふふ、ジュリアンね、こんばんわ」


エリザは微笑んで、こう言った。



「私ね、子守の仕事をしてるの。それで今帰って来たとこなのよ」

「…」

「ねえジュリアン、今日はとっても素敵な衣装を着てるのねえ!全然違う人見たい。とっても似合ってるわ!」


エリザは、なぜかフォーマルな衣装を身にまとったジュリアンを見て、ほめたたえた。


「もしかして、ガールフレンドとデートだったのかしら?今朝も、プレゼントを買っていたものね」


「今朝」と聞いて、ジュリアンはどきっとした。

自分が彼女にひどいことを言ってのけた記憶が、まざまざと蘇ったのである。



「別に、そんなんじゃないよ」



彼はぼそっと答えた。

エリザは優しく微笑み返した。

ジュリアンはそんな彼女と一瞬目が合ったが、ふいっと視線をそらした。



「そうだわ!ジュリアンお腹すいてなあい?私の家ね、すぐそこなのよ!おいしいスープがあるから、食べていかない?!」


エリザは突然、ジュリアンを家に招くことを思いつき、彼を笑顔で誘った。


「は?何言ってるの?いいよ別に」

「あら、もしかしてどこかで食べてきちゃったの?」

「そうじゃないけど」

「じゃあいいじゃない、どうぞ、上がって!」



エリザは彼の手をとり、突然駆けだした。

ジュリアンはぐいっと引っ張られて、抵抗する間もなく彼女の道連れになった。













平屋の扉の前に着き、エリザはがちゃりと開けた。

ジュリアンはふてくされたような顔をしていた。



「おばさん、ただいま!」



灯りがついていない部屋に入り、「さあ、どうぞ」とエリザはジュリアンを案内した。

ジュリアンは黙って部屋に入る。


「おばさん、いつも思うのだけど、ランプくらいつけたらどう?」

「…あたししかいないのに、ランプなんかつけたらもったいないだろう」

「おばさん、えらいのね」


エリザはくすくす笑いながら、ランプに火をともす。

すると真っ暗だった部屋は、ふわりと温かい光に包まれた。



「…誰だいその子は」



大伯母は、ジュリアンの存在に気付き、不審そうな目つきをした。


「おばさん、ジュリアンよ。えっと…新しいお友達」


エリザが、ジュリアンと自分が「友達」だと公言することを、一瞬躊躇したように見えた。

ジュリアンは黙って聞いていた。



「はっ男のくせに女みたいな顔しやがって!どこの馬の骨ともわからないやつと友達だって?!」



大伯母は突然暴言を吐いた。

エリザはびっくりして「おばさん!」とたしなめた。

ジュリアンは大伯母を睨みつけ、こう言った。



「全然歓迎されてないみたいだね。僕だってこんな汚い部屋にいつまでもいたくないんだけど」

「違うの、ジュリアンごめんなさい。おばさん悪気があるわけじゃないのよ!」



エリザは慌てて謝罪し、ジュリアンをテーブルに座らせた。

ジュリアンは不機嫌そうにどさっと椅子に腰かけた。


「ねえジュリアン、それ、かけるから貸してちょうだい」



エリザはジュリアンが抱えている丸まった背広を受け取ろうとした。

ジュリアンは慌ててそれを隠すようにした。


「これはいいよ、自分で持ってる」


エリザは不思議そうに見つめ、「そう」と言って火を起こしに行った。




エリザが席をはずしている間、沈黙が続いた。


(なんで僕がこんなところに…)


ジュリアンは、自分が置かれている状況が、理解できなかった。







挿絵(By みてみん)










「ジュリアン、お待たせ!」


エリザはスープの皿をテーブルに置き、席に着いた。


「さあ、召し上がれ」


エリザはジュリアンにスープを勧めた。

ジュリアンは無言でスプーンをとり、スープを一口飲む。



すると、眉をひそめてこう言った。




「まずい…」





エリザはそれを聞いてひどくがっかりした顔をした。


「ジュリアンまで…ひどいわ」


すると、二人のやりとりを聞いていた大伯母が「わははは」と大笑いした。

エリザはむすっとした表情で大伯母の方を見た。



「どうしてかしら?我ながらとってもおいしいと思うけど」

「君、どうかしてるよ。野菜も全然煮えてなくてなんだか固いし、味も薄いし全然おいしくないよ!」


ジュリアンはあまりに味覚音痴なエリザに驚いて、思わず具体的にスープの悪いところを指摘した。

大伯母は、にやにやした顔でそちらを見ている。


「…」


エリザはしょんぼりした顔で、自分のスープをぐるぐるといじった。

ざく切りの野菜たちが、ごろごろと音を立てた。


「いいわ、残してちょうだい」


エリザは小さくそう言った。



「ねえジュリアン、あなた学校は?」


気を取り直したように、エリザはジュリアンに質問した。


「…行ってないよ」

「あら、そうなの?じゃあ働いているのね」

「…まあね」

「私もよ!さっきも言ったけど、子守の仕事をしているの。お給料は安いけど、とっても助かっているわ。ねえ、あなたの仕事はなあに?」


ジュリアンは質問に答えず、スープの野菜をひとつ口にした。

口の中でがりがりと音を立てて、砕け散ったかけらを飲み込む。

それを見たエリザは、嬉しそうに微笑んだ。


そして彼はエリザを見て、にやりと笑いながらこう言った。



「人の相手をする仕事だよ。客が”よろこぶこと”をしてやるのさ。男女問わずね」



そう言って、ジュリアンはエリザの反応をじっと伺った。

大伯母は黙って聞いていた。

するとエリザはこう答えた。



「あら、どこかお店で働いてるの?町のお料理屋さんかしら、素敵ねえ、楽しそうだわ!」




エリザは楽しそうに、そして羨ましそうな顔で、満面の笑顔をジュリアンに向けた。

ジュリアンは無邪気なエリザを見て、一瞬あっけにとられた。


「え、君何言ってるの?」

「あら、違うの?」


エリザは不思議そうにジュリアンを見た。


「だって、人が喜ぶ仕事をしているんでしょ?きっと人のためになることをしているのね。偉いわ!」


エリザはまっすぐな瞳で、ジュリアンを見た。

ジュリアンは思わず目をそらした。


「私もね、子守の仕事をしていて、奥さんにたまにお礼を言われるの、あなたのおかげで助かるわって。私でも奥さんの役に立っているってことかしら?」


エリザはまた無邪気な笑顔を見せた。


「あなたみたいな人に親切にしてもらったら、きっとみんな嬉しいわ」




エリザは、ジュリアンが自分の体を売って金を稼いでいることなど、微塵も想像していないようであった。

ジュリアンはそんなエリザを見て、不敵な笑みを見せてこう言った。




「君って…可愛いんだね」




するとエリザはぽかんとした顔をした。


「あなた、さっきと言ってることが違うわ」

「え?」

「あなた、今朝町で会ったとき、私のこと可愛くないってはっきり言ったわ」

「…」



あのときはエリザもずいぶんと傷ついたように見えたが、今ではもうすっかり水に流したように思えたので、まさか、ここで今朝のことを持ちだされるとは思ってもみなかった。

それに今回は、容姿云々ではなくあまりに純粋で世間知らずなエリザをおちょくっただけであった。


(この子、やっぱりまだ根に持ってるの…?そんな風に見えなかったけど…)


エリザの表情からは不機嫌そうには見えなかったが、先ほどから比べると笑顔がないように見え、ジュリアンは急に居心地が悪くなった。




するとエリザは、


「そういえば、今日幼馴染があなたのことを素敵だと言っていたわ」


と、思い出したように言った。

今朝のジュリアンとのやりとりを思い出してのことのようだった。




「ニーナっていう子なのだけど…あなたの苗字まで知っていたのよ。その子の学校で、あなた大人気なんですって!」

「ふうん…」


はしゃぐように話すエリザを見てジュリアンは心の中で少々ほっとしたが、興味なさそうに相槌を打ち、スープを口に含んだ。


「ニーナね、あなたとお友達になりたいみたいなの」


ジュリアンはそのニーナという少女に興味はなかったが、エリザの反応に少し興味がわき、こう聞いた。


「その子、かわいいの?」

「ええ、まだ12歳なのだけど、とってもかわいらしい子よ。ちょっとおませさんだけど」

「へえ、かわいい子なら考えておくよ」

「ふふ、きっとニーナも喜ぶわ!」

「…」



(かわいくないって言われたくせに、よく自分よりかわいい子の話ができるよな。悔しくないのか?)



ジュリアンはあっけらかんとしたエリザの態度に少々呆れながら、無言でスープをすすった。











ほの明るい部屋の中にいると、だんだんと眠気が襲ってくる。

昼間の行為のせいもあって、ジュリアンは体中に気だるさを感じていた。



「ジュリアン…疲れているの?」



うつろな表情になっていたジュリアンを見て、エリザは心配そうに声をかけた。


「いや…別に」


ジュリアンはふと我に返って、姿勢を直した。


「僕…もう帰る」



ジュリアンはうつらうつらとしながら、丸まった背広を抱いた。

エリザはランプを持って、扉の方へ向かった。


「さあ、ジュリアン、こっちよ」


エリザが扉を開いて待っている。

ジュリアンが席を立ち、そちらへ向かおうとしたとき、



「お前さん…エリザは馬鹿でねんねなのさ。大した相手にならなくて悪かったね」


と、老婆がにやりと笑いながら言った。


「しかしなんでお前さんみたいな男が、エリザなんかとねえ…」


くくく、と老婆はさらに笑う。

ジュリアンは変なものでも見るような目で老婆を見やり、家から出て行った。


「真実は自分で見極めるんだよ、エリザ」


揺り椅子をゆらゆらと動かしながら、老婆はつぶやいた。







「ジュリアン、疲れているのに無理やり連れてきてしまってごめんなさい」


エリザが申し訳なさそうに言った。


「別に」


ジュリアンはそっけなく答える。


「はい、ジュリアン」


エリザはジュリアンにそっとランプを渡した。


「ジュリアン、町に帰るんでしょ?町は明るいけど、それまでは真っ暗だからこれを使ってね」


ランプの明かりに照らされたエリザは、優しく笑っていた。


「…君って本当にお人よしなんだね、ランプだってどうせひとつしかないんだろ」

「ふふ、大丈夫よ、気にしないで」

「…」


ジュリアンは、考えるように少し間を置いて、こう切り出した。


「…君、怒ってないの?今朝僕にひどいこと言われて、腹が立っただろ」


ジュリアンは、ずっともやもやしていたことを口に出した。

するとエリザはこう答えた。


「だって本当のことだもの。それに…あなた、とってもいい人だわ」


「え?」



意外な返答に、ジュリアンは思わず聞き返した。


「私のスープをね、残さず食べてくれた人って、おばさんとあなただけなのよ」


エリザは嬉しそうに話した。


「ニーナや他の人に食べてもらったことが何回かあるの。最初はみんなおいしいって言ってくれるのだけど…必ず残して帰ったわ」

「…」

「でもあなたは、まずいって正直に言ったけど、全部食べてくれたじゃない」


ジュリアンは、まずいと思いながらも惰性でスープを平らげていたのであった。


「…」

「私のこと、可愛くないって言ったのは、きっとあなたが正直だからよね。正直な人って、いい人よ」


ランプの温かな光に照らされて、エリザの笑顔は一層やわらかく映った。

ジュリアンは、優しいその笑顔を、思わずじっと見つめた。



ジュリアンははっと我に返って、ぶっきらぼうにこう言った。


「あっそう。じゃあ僕行くから」

「気をつけてね、おやすみなさい」

「…」


ジュリアンは黙って、くるりと背を向け、すたすたと歩いて行った。

エリザは、ジュリアンの姿が見えなくなるまで、彼を見送った。












ランプを持ったまま、ジュリアンは夜でも明るい町に入った。



(そういえばあいつ、ダンビエールが終わったら寄ってくれって言ってたな…まずい、忘れてた)


早朝、娼婦屋の男に言われていたことを、ジュリアンはすっかり忘れていた。

もうダンビエール邸を出てから、ずいぶん時間が経っていた。


ジュリアンは、とりあえず男の元へ行くことにし、町をぶらぶらと歩いた。

午前中市場が軒を連ねていた歩道を通り、町の中央へと出た。


ふと、仕立て屋の明かりがこうこうと輝いているのが目に入った。


(そういえば、そろそろできてる頃かな…)


ジュリアンは先日注文しておいた新しいシャツのことを思い出し、店の扉を開いた。

店では、店主と若い針子が暇そうに雑談をしていた。


ジュリアンが中に入ると二人は彼の存在に気付き、店主は嫌そうな顔を、針子は黄色い歓声でも上げそうな顔をした。



「あらあジュリアン、いらっしゃあい」

「いっとくけど、まだ注文の品はできてないよ」


二人は同時にしゃべり出し、ジュリアンはいらだった顔をした。


「あっそう、じゃあまた来るよ」

「あらジュリアン、ちょっとお話しましょうよお」


針子は猫なで声を出して、たたたっとジュリアンの方へ走り、腕を組んだ。


「ねえジュリアン、なんでランプなんか持ってるのお?」

「別に、貸してもらっただけさ」

「あらあ、暗くなるまで誰のうちに行っていたのよう」


すり寄ってくる針子を嫌そうに睨みながら、ジュリアンは答えた。



「エリザって子」



すると、先ほどまでつまらなそうにしていた店主が、おもむろに身を乗り出して聞いた。


「エリザだって?」

「そうだよ、まずいスープを勧められてさ」

「あんた、断らなかったのかい」

「別に、暇だったし」

「へえ…」


店主は驚いたような、面白がるような顔で、ジュリアンを見た。



「ねえ、エリザって誰?」


針子が店主に尋ねた。


「ああ、この間毛糸を買いに来てたろ。栗色の長い髪の女の子さ」

「ああ」


思い出したのか、針子は興味なさそうに返事をした後、こう言った。



「あの汚らしい恰好の変な子ね。そういえば今朝も店の前まで来てたのをちらっと見たわ。ジュリアンったら、あんな子のおうちに何しに行ってたの?信じらんない!」



針子はあははは、と意地悪そうに笑いだした。

それを見たジュリアンは不快そうに針子の腕を払いのけたあと、せせら笑いながらこう言った。



「香水臭いあんたよりずっといいさ!」



そうして、すたすたと出入口の方へ歩き、バタンと扉を閉めた。


「何よ!感じ悪い子ね!」


針子はぷんぷん怒って、どたどたと店の奥へ入って行った。

店主は針子のことなど構わず、ジュリアンがいなくなった出入口の方を見つめた。



「あんた、ちょっと見直したよ」



店主は愉快そうに、ニヤッと笑った。

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