第4話(1)
ジュリアンは化粧品屋で無事口紅を購入し、身支度を整えるため自宅へと戻った。
いつ戻るかわからない母親の帰宅にびくびくしながら、彼は急いで用意していた母親のローブを身にまとう。
そして自分の机の引き出しの中から、いくつか化粧品をとり出し、母親の鏡台の前に座り慣れた手つきで自分の顔に塗っていった。
最後に先ほど購入した口紅で仕上げ、改めて自分を見つめ直す。
それはまるで、大人の色気を醸し出し始めた少女のようであった。
しかし、当の本人は白けた顔をして雑な手つきで床に落ちていたショールを掴み、それで頭を覆った。
そして急いで扉を開け、外に出る。
たたたた、と軽やかに町を走り抜けた。
ジュリアンは、自分がたまに女装までして男と会っていることが、町で噂になっていることは知っていた。
しかし、その現場を誰にも見られたくはなかった。
途中、すれ違う人が自分を見て振り返るのがわかったが、気にしている余裕もなく、彼はどんどん町の入口の方まで駆けて行った。
町を出て橋を渡ると、そこはもうすでに田舎の風景であった。
急に人の気配がなくなったので、彼は走るのをやめた。
てくてくと田舎道を歩いていく。
右側には川、左側には田畑と民家があるのみであった。
町にいると感じることのない風の心地よさが、彼の身体を突き抜けていくようであった。
長いこと歩いて行くと、遠くに古い平屋の民家が見えた。
(確かあそこを左に曲がって…)
彼がどんどん民家に近づき、家の前に立っている少女を何気なく見つめた瞬間、彼はびくっとたじろぎ、慌ててショールで顔を隠した。
(なんで…?!)
長くぼさぼさの髪の毛に、みすぼらしい恰好。
午前中、化粧品屋の前で自分が暴言を吐いて悲しませた少女が、そこにいたのであった。
彼女は、家の前の小さな畑から野菜をうんしょと引っこ抜いて、家の中の誰かに話しかけた。
「おばさん見て!こんなに大きいのが採れたわ!今日のスープはきっとおいしいと思うわ!」
そう言って、彼女は満面の笑顔を見せた。
午後の日の光を浴びて、きらきらと輝いているように見えた。
ジュリアンは思わずその様子をじっと見つめた。
すると、少女はふと自分の存在に気付き、不思議そうな目でこちらを見た。
ジュリアンは慌てて顔を隠し直し、真っ白なローブをひるがえしながら足早に先を急いだ。
少女は、白いローブの人の後ろ姿を目で追う。
「きれいな人…」
そして野菜の泥をぱっぱっとはたいて、家の中へ入っていった。
◇
ジュリアンは、長い道のりを経てようやくダンビエール邸についた。
大きな門の中は広大な庭が広がっているが、全く手入れされておらず、木々や草木がうっそうと茂っていた。
(お金持ちなら、庭師でも雇えばいいのに…)
ジュリアンはぎいと開けて門をくぐり、草木をかき分けて玄関にたどり着いた。
こんこん、と大きな扉をノックする。
あまりに大きな屋敷の扉をノックしたところで、誰も気付かないのでは、とジュリアンは思った。
前はどうだったっけ…と、前回のことを思い出そうとしていたそのとき、突然扉が開き中から老人が一人現れた。
「…こちらです」
使用人らしきその老人はくるりと後ろを向いて、すたすたと中へ入っていった。
ジュリアンはそのあとを黙ってついていく。
大きな階段を上り、二階のずっと奥の部屋まで案内され、
「旦那様がお待ちです」
と言い残し、老人は去って行った。
ジュリアンは老人の後ろ姿を無表情で見つめたあと、部屋の扉をノックした。
すると扉が開き、初老の男性が顔をのぞかせた。
「こんにちわ」
ジュリアンがにこりと笑顔を作ると、男性は嬉しそうにジュリアンの手を握り、中へ連れ込んだ。
彼がジュリアンの今日の客である、ダンビエールであった。
ダンビエールはジュリアンの手を引いて、部屋の壁に立てかけた、大きな鏡の前に立たせた。
そして自分はジュリアンの後ろに立って、頭からかぶったジュリアンのショールをはらりと床に落とす。
すると、美しく化粧をしたジュリアンの顔があらわになった。
「ああ、何て美しい…。まるで本当の少女のようだ」
(そんなに女の子が好きなら、手っ取り早く女の娼婦を買えばいいのに)
ジュリアンは心で笑った。
そしてダンビエールは、ジュリアンの顔を撫でていた手をゆっくりと動かしながら、ジュリアンの首筋をなぞる。
胸元にその手が触れると、ダンビエールは何かを探すようにジュリアンの胸を、ローブの上からゆっくりとさする。
そして胸の突起物に指が触れるのがわかると、彼は優しくそれを指先でいじりだした。
「あ…」
ジュリアンは思わず声をあげた。
ダンビエールはそれを聞いてますます指先の動きが激しくなる。
「…っ」
ジュリアンは目をギュッとつむり、はあはあと息が荒くなっていく。
ダンビエールも興奮で目をぎらつかせている。
我慢できなくなったダンビエールは、ローブの裾を思い切りまくりあげ、ジュリアンの下半身を掴み、まさぐり始めた。
「あっ!」
と叫び、ジュリアンはガクリと膝を折り曲げ、そのまま尻もちをついた。
ダンビエールは自分も膝を折り、愛撫し続けた。
「ね、ねえ…ぼくもう…」
ジュリアンは乱れた恰好でダンビエールを見上げ、震えながら色気のある微笑みを浮かべた。
ダンビエールはそれを見てにやりと下品に笑い、愛撫をやめ、ジュリアンを抱きあげた。
そしてそのまま、すぐそばにある大きなベッドに向かう。
ジュリアンは自分がダンビエールに抱き上げられ、ベッドに連れて行かれる様を鏡越しに見ていた。
そこに映っていたのは、不思議な色気を醸し出す少女の姿ではなく、冷めた目つきの健全なる少年であった。
◇
ジュリアンはダンビエールの気が済むまで相手をし、先日の婦人にもらった報酬の3倍ほどの金を受け取り、ダンビエールの寝室を後にした。
散々好き勝手にもてあそばれたジュリアンの顔は、化粧がぐちゃぐちゃになり二目と見られない顔になっていた。
ジュリアンはとりあえず玄関に向かい、階段を下りる。
すると、玄関の前の大広間に、先ほど自分を迎えたあの老人が立っていた。
ジュリアンがコツコツと老人の方へ向かうと、彼はジュリアンに気付き、そしてじっと見つめる。
「…洗面所に案内いたしましょうか」
「…」
ジュリアンが黙ってうなずくと、老人はすたすたと日の当らない廊下の方へと歩いて行った。
ジュリアンが顔を洗って一息ついて鏡を見ると、老人が折りたたんだ衣服を持って立っていた。
「これにお着替えなさい。次いらっしゃるときにでも、返して頂ければ」
無愛想にジュリアンにそれを渡し、さっさとその場を離れた。
そしてジュリアンはもう一度鏡で自分の姿を見た。
いくら美しい顔立ちでも、さすがに15歳の無化粧の少年が女物の服を身につけるのは、無理があった。
「…」
ジュリアンは黙々と、老人が準備した男物の衣服に着替えた。
しかし、用意されたものはやけにフォーマルな三つ揃いの背広で、まるでこれからちょっとしたパーティにでも出席するかのような出で立ちになってしまった。
ジュリアンはしかたなく、背広を脱いで、チョッキとシャツ、そしてスラックスのみを身につけた。
そして、母親のローブとショールを丸めて背広の中に隠した。
ダンビエール邸を後にして、彼はゆっくりと田舎道を歩いた。
もう日はだいぶ落ちかかっていた。
倦怠感が彼を襲い、途中ふらりとよろめきそうになった。
何もない道をひたすら歩いて行くと、正面に曲がり角が見えた。
ジュリアンは思わずどきりとした。
その曲がり角のところには、平屋の家があって…あの少女が住んでいる。
彼はなぜ自分がこんなにも彼女を意識するのかわからなかったが、平屋の前を通ることが、どうしてもはばかられた。
(だいたい、なんで僕があの子を気にする必要があるんだ)
意を決して、彼は顔を伏せて早足でその場を離れ、角を曲がった。
その場を通り過ぎ、ほっと肩を撫でおろし顔をあげたその時、目の前にぽかんとした表情の、あの少女が立っていた。




