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第3話(1)

ある日の早朝、ジュリアンはいつもと同じ、高級なシャツとズボンといった恰好で、自宅を出た。

そして、自宅近くにある居酒屋風の店の扉を開ける。



中に入ったとたん、酒のにおいが立ち込めむせ返りそうであった。

たくさん並ぶテーブルの上は酒やグラスが散乱し、女物の高級なショールや靴なども散らばっていた。

ジュリアンはその光景に驚くこともなく、床に転がる酒ビンやらガラスの破片やらを避けながら、すたすたとカウンターの方へと歩いて行った。



カウンターには、屈強な男が一人、タバコを吸っていた。

散らばった店内を見渡し、さてどうしたもんかと考えあぐねているようであった。



ふと、彼はカウンター越しに美しい少年が立っていることに気付いた。



「よおジュリアン、早いね。俺はこのありさまを夜までにどう処理したらいいのか頭を悩ませていたところさ」

「今日は何件来てる」


男の世間話に相槌をうつこともなく、ジュリアンは用件だけ尋ねた。


「ったく、お前は本当につれない男だね。ええと、ちょっと待ってな」


男はジュリアンの悪態を気にすることなく、何かメモのようなものを探り出した。


「おお、お前今日はついてるな。なんとムッシュー・ダンビエールからのご指名だ!」

「ちっ…」


ジュリアンはあからさまに嫌そうな顔をした。


「なんだなんだお前、ダンビエールといえば相当な太客じゃないか。しかも女と違って…ほらあれだ」


男は調子に乗って、なにやらわいせつな言葉を発しようとしたが、白けた顔のジュリアンと目があって、自重した。


「へへ…場所はここで、昼過ぎ頃来いだとさ。まったく、昼間っから何考えてるんだかねえ、このじじいは」


住所が書いてあるメモをジュリアンに渡しながら、男は言う。


「で?今日は一件だけ?」

「ああ、今のところはな。もしかしたら午後、夜の依頼があるかもしれないから、ダンビエールが終わったら念のため寄ってくれ」

「わかった」

「ああそうそう、ダンビエールのところに行く前に、身だしなみちゃんとしとけよ」

「ああ、わかってるよ…」


ジュリアンは面倒くさそうに答えた。


「お前、いやならやめとけよ。お前のしてることなんて、お遊びみたいなもんなんだからさ」

「別にそういうわけじゃないよ。ただ、毎日毎日馬鹿な客のあほ面を見なきゃいけないことに、うんざりしてるだけさ」


ジュリアンは生意気そうに笑う。


「お前一体何様だよ」


男はあきれて答えた。

ジュリアンはもう一度ふん、と笑って、その場を離れた。



(まったく、自分が美しいと自覚してるやつは、男も女も同じだな)

 

付き合ってられないと言わんばかりの表情で、男は再び散々な状況の店内を見渡した。




ジュリアンは再び、酒とガラスの海と化した床の上をすたすたと歩き、出口に向かった。

途中、中二階へと続く階段がある。

彼は、その中二階に5つほどある扉を見つめた。




多分、あの部屋のどれかに、誰かと寝ている母親がいる…





ジュリアンは相変わらずの無表情でじっと見つめ、そしてまた出口に向かうのであった。













「おばさん、今日の午前中、町へ行かない?」



エリザは早朝の食卓で、「おば」に話しかけた。


「町だって?あんな人が大勢いるところ、息苦しくて行けたもんじゃないよ。金もないし、みじめな思いをするだけ損さ」

「あら、たまには気分転換にいいと思うわ。それに、お店を眺めるだけでもとっても楽しいわよ」

「なんだい、要はお前が行きたいだけじゃないのかい」

「うふふ、おばさんと久しぶりに散歩がしたいのよ」

「はっ口がうまいねお前は。子守の仕事はどうなってるんだい」

「今日はね、夕方から少しだけでいいみたいなの。夜もそんなに遅くならないわ」

「夕飯はどうなるんだい」

「大丈夫よ、町から帰ったら、ちゃんと作ってから行くわ」

「全く、馬鹿なくせにそういう時は利口なんだね」


エリザはにこにこと笑った。


「あたしを連れていくとなると、お前が歩く速さの倍、時間がかかるよ」

「いいわ、ゆっくり行きましょう」



エリザは嬉しそうにしながら、いつものスープ皿を片づけた。














ジュリアンは一度自宅へと戻っていた。



(ダンビエール相手となると…この恰好じゃいけないな…)


ジュリアンはおもむろに、母親の衣装を物色し始めた。


(これはさすがに男が着るには無理があるし…これは色気がなさすぎるな…。こないだ着て行ったやつはないのか)


彼は手当たり次第探したが、お目当ての衣装はなかなか見つからない。


(仕方ない…もうこれでいいや)


面倒くさくなったジュリアンは、そこいら辺に放置してあった真っ白なローブに、変装用のショールを羽織るスタイルで行くことに決めた。


(あとは…化粧品…)


自室にある机の引き出しを開け、中を覗く。

おしろいと頬紅はあるが、何故か肝心の口紅が見当たらなかった。


(おかしいな…)


ジュリアンは引き出しの奥の方まで手を伸ばすが、それらしいものは見つからなかった。

他の引き出しも同様であった。


(なんで…)


彼はうんざりした表情で、途方に暮れていた。




母親の化粧品まで拝借するのか…




それも可能ではあったが、さすがに母親の口紅を使う気にはなれなかった。


(どうせ、また必要になるときがくるだろうから…)


そう自分に言い聞かせ、口紅を買いに行くことに決めた。

化粧はおろか女装なんぞに全く興味のない、本来健全な少年であるジュリアンにとって、化粧品を買うことは一大事なのであった。


(開店ぎりぎりに行けば、まだ客はいないだろう…それまで少し寝ようか)


憂鬱な気持ちで、彼は眠りについた。












エリザと「おば」は、支度を終え外に出た。

エリザはいつも通りの地味なワンピース、老婆も普段は頭からおっているショールを肩にかけ直しただけの恰好であった。


「おばさん、私の腕につかまってね」


エリザはそういって、自分の腕をさしだした。

老婆は黙って彼女の腕を両手でつかみ、ゆっくり歩きだした。




何もない、ただ田畑と川があるだけの道であった。


「やあエリザ、こんにちわ」


道行く人が、老婆連れの少女に声をかける。


「こんにちわ!」


明るい笑顔で、エリザは返す。





ゆっくりゆっくり、二人は歩いていた。


「おばさん、緑がきれいねえ」

「…」


「おば」が憎まれ口をたたかず黙っているとき、素直にそう思っている証拠だと知っているエリザは、優しく微笑んだ。





挿絵(By みてみん)








二人は小さな橋を渡り、ようやく町に到着した。

「おばさん、疲れた?」

「平気だよ。馬鹿にするんじゃないよ」

「よかったわ」


エリザはほっとして、町を見渡す。

まだ午前中であるにもかかわらず、やはり人で賑わっているのであった。


「ねえ、どこから見てみたい?」

「別にどこでも構わないさ。どこを見たって同じだよ。何も買えやしないんだから」


老婆はふてくされたように答えた。


「じゃあとりあえず、適当に歩いてみましょうか」


エリザは微笑んで歩き出した。




「午前中は、市場がたくさん出ているのね」


先日来たときは小規模だった露店が、歩道の多くを占めていた。

果物、野菜、はちみつ、お菓子、小物…午前中ならば、全て露店で事足りそうなほど、なんでも揃っていた。


「いいわねえ、はちみつなんて食べたことないわ」


エリザは小さな子供のように、物欲しそうな顔をした。

その様子を、老婆は黙って見ていた。






二人はさらに歩き、市場を通り過ぎた辺りで突然後ろから声をかけられた。


「もし…バトンさんでは?」


振り向くと、上品な老紳士が立っていた。


「そうですが…」


老婆は、いつになく礼儀正しい口調で答えた。


「私、ご主人のバトンさんと昔仕事をさせて頂いた、フレモンと申します。

 あの…覚えていらっしゃいませんでしょうか?」


老婆は少し考えて、何かぴんときたような表情をした。


「あの、もしかして時計職人の…」

「そうです!時計作りと修理屋の、同じ職場仲間でございました。

 奥様もよく仕事場へいらしてましたよね」

「ああ、お懐かしいです。あまりに昔のことなので、すっかり忘れていました」


エリザは二人の様子を黙って見ていた。

「おば」の嬉しそうな顔を見たのは本当に久しぶりだったので、エリザも思わず笑顔になった。


「して、そちらのお嬢さんは?お孫さんですか?」

「いいえ…妹の孫です」

「ほお、姪孫さんでいらっしゃいますか」

「エリザです、こんにちわ」

「何と礼儀正しい、素敵なお嬢さんだ」


二人の関係を具体的に問いただすこともなく、フレモンは話を続けた。


「どうです、私、そこの一角でいまだに時計屋をやっているのですよ。

 積もる話もあることですし、寄って行かれませんか」

「…」


大伯母は、ちらりとエリザの様子を伺った。

それを見たエリザは笑って、


「私は少し町を回りますから、大伯母だけ、お邪魔してもよろしいですか?」

「おお、それはよかった。エリザさん、そこの角の時計屋ですから。お待ちしてますよ」

「はい、ではしばらく大伯母をよろしくお願いします」


お辞儀をして、フレモンは大伯母をエスコートした。

大伯母は、少し照れくさそうにエリザを横目で見た。

エリザはその様子を、楽しそうな笑顔で眺め、彼らを見送った。





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