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第28話(1)

娼婦屋の男は、その日の朝もとっ散らかっていた店内一通り掃除し終えて、一息ついていた。


「なんでこう、酒を飲むんでももっと普通に飲めないかな」


ため息をついて、娼婦と客らが寝ている中二階を恨めしそうに睨んだ。


「ま、いつものことだけどよ」



突然、トントン、と入り口の扉が鳴る音が聞こえたと思うと同時に、ぎいと開き、一見男か女かわからない風貌の人物が入ってきた。



「どうも」

「あ?なんだお前」



その者はにこりと微笑み、床の上を颯爽と歩き出し、男のほうへと近づいてくる。

背は高く痩せていて、細身のズボンを履いているが、なぜか女物の帽子をかぶっており、化粧もしているようだ。

実に女性的ではあるが、娼婦屋の男は声でその者が男であるとわかった。



「ちょっとお聞きしたいことがあるんだけど、よろしいかしら?」

「おいおい、開店前の店内に勝手に入ってきて、名も名乗らず図々しい奴だな」

「あらごめんなさい」



訝しげな娼婦屋の男の態度などものともせず、おほほと口に手を当てて、怪しげな男はこう言った。



「あたし、ここから少し遠い街で娼館やってる、カミーユっていいます」

「…」

「ま、娼館っていっても男娼館だけどね」

「だろうな」



冷めた表情で、娼婦屋の男はカミーユと名乗る男の目をまっすぐ見た。

その様子に、カミーユは少々驚いたような顔をした。



「あら、あなた変わってるわね。あたしのこと変な目で見ない人、久しぶりにみたわ」

「別になんでもないさ。俺からしたら娼婦も男娼も大して変わらないよ。興味はねえけどな」

「嬉しいわあ」



言葉通り嬉しそうなそぶりを見せるが、どこか飄々としていて感情のこもってない口ぶりに、男は警戒心を強めた。



「で、男娼屋の社長さんが俺に何の用だ」

「ああそうそう、ちょっと風のうわさで聞いたんだけどさ…」



カミーユが少し声をひそめたので、男も思わず彼のほうへ耳を傾けた。



「この町で、男娼の真似事やってるかわいい男の子がいて、すごく評判がいいって…ご存じない?」

「…」



男は、この人物のことがジュリアンであると、瞬時に悟った。

しかし、すぐには答えなかった。



「さあな。その子がなんだってんだ?」

「まあ、率直に言うと、うちの娼館にどうかしらって。ま、つまりスカウトしに来たのよ。フリーより効率いいし、安定してるし、悪い話じゃないでしょう?」

「娼館のスカウトって時点で、いい話じゃねえだろ」

「まあね、あなたほんといちいち核心を突いてくるから面白いわあ」



カミーユは悪びれもせず、けらけらと笑った。

しかし次の瞬間、急に真顔で男の目を見てこう言った。




「で、さっきから聞いてると…あなた、その子のこと知ってるわね?バレバレよ」



(ちっ、食えねえ奴だ)



男は心の中で舌打ちしたが、一息ついて話し始めた。



「ああ、知ってるよ。でも悪いな。その子は駄目だ」

「あら、何がダメなの?」

「もう足を洗ったんだよ。今は普通に働いてる」

「え?どういうこと?」



想定外だったのか、カミーユの余裕ぶった表情に焦りの色が見えた。



「だから、売りはやめて、普通の店舗で働いてるんだよ。店は自分で調べろよ」

「…本当?」

「本当だ。もしまだやってるんだったら、話くらいはしてやったがよ、残念だったな」


男は勝ち誇ったようににやりと笑った。

カミーユはそんな男の態度が気に食わず、面白くなさそうな顔をしたが、それはすぐに落胆の表情になった。



「そう、じゃあ駄目ね。心変わりする希望は持てないのかしら」

「ねえだろうな。だいたい、まっとうな人生を歩み始めてる少年に対して、男娼をやることに”希望”なんて言葉を使うなよ」

「確かにね、でもあたしにとってはこれが全てだから。ま、確かな情報が聞けただけでも良しとするわ。ありがとう」

「別にいいさ」

「でも、その子に何かあったら…例えば食べるのに困ったときとか…いつでも待ってるって伝えておいて。よろしく」



カミーユは男の手元にすっと紙切れを置いて、微笑みながらくるりと向きを変え、来たときと同じように颯爽と扉のほうへと向かった。

しかし、突如扉がドンと音を立てて開いたので思わず「きゃっ」と叫び声をあげた。





「おい!!15歳くらいの小僧を隠してねえだろうな?!」





扉を乱暴に開けた初老の男が、娼婦屋の男に向かって怒鳴るように叫んだ。


「いや、そんな奴いねえよ」

「ちっ、ちくしょう!!」



そして、再び扉をバンッと閉めて、たたたと駆けていく音がしたが、それも次第になくなった。

残された二人は、しばし呆然としていたが、カミーユがふと男のほうを振り返って、意地悪そうに笑った。



「ここより、あたしの街のほうがずっと都会だし、治安もよさそうだわ」

「だからって話は別だよ」

「あっそ、じゃあね」



カミーユはつれない男に対してふんと鼻で笑い、店内を後にした。

嵐のような一連の騒動が去り、男は今日一番の深いため息をついた。


「なんだったんだ、まだ午前中だっていうのに、この慌ただしさは…」


謎の女装男のこともだが、それよりも突然怒鳴り込んできた男のほうが気になっていた。


(刃物屋の店主じゃねえか。15歳くらいの坊主って…何があったんだ?)



何となく胸騒ぎがした。

15歳くらい、と聞いて、ふと思い当たるのがあのいけすかない少年しかいなかったからだ。


(いや、あいつじゃねえ。何があったか知らないが、少なくとも今のあいつは、誰かに迷惑をかけるようなことは絶対にしねえよ)


自分に言い聞かせるように、男はふふふと笑って、再びため息をついた。

そして、カミーユが置いていった紙切れを人差し指と中指で挟み、ひらひらと左右に揺らしながら眺めた。



「捨てちまおうかなっと」




そして、カウンターの隅の小さな引き出しの中にそっとしまい込んだ。











「ジュリアン、起きて」






ぼんやりと、それでいてふわふわとした心地の中に、優しい声がふと聞こえた。

ジュリアンがゆっくり目を開けると、目の前には可愛らしい笑顔でこちらを見ている少女がいた。



「おはよう。よく寝てたわね。朝ごはん、できてるわ」



そして、エリザはジュリアンの肩をそっと抱きかかえ、ゆっくりと起こさせた。

目をこすりながらジュリアンはしばらくエリザをぼんやりと見つめていたが、ふと「あれっ」と声を出した。

髪はきれいにとかされ、見覚えのある真っ白なレースの襟がついた、赤紫色の清楚で上品なドレスを身に着けている。

ぼさぼさの髪をまとわりつかせたみすぼらしい少女の姿はそこになかった。



「うふふ、久しぶりに着てみたの。どうかしら?」

「あ、えっと…」

「もう、本当にジュリアンって…よっぽど人のことを褒めるのが嫌いなのね」



エリザは上機嫌な様子から一変して、呆れた口調でテーブルのほうに向かった。


(なんでこんなおしゃれしてるんだ…?)


ジュリアンはまだ寝ぼけ眼で、機嫌を損ねたエリザの様子をうかがうことよりも、そんなことを考えていた。

そしてこれといった返答をすることもなく、ジュリアンは黙って席に着いた。

二人はしばらく黙ったまま食卓を囲んでいたが、ふとエリザが話し始めた。



「ねえ、今日お店、行くんでしょ?」

「うん…まあ。店長に謝らないといけないからね」

「私も行くわ」

「えっ?!」



エリザのその言葉に、ジュリアンは一瞬で目が覚めた。


「いや、どうして?」

「だって、そんな身体じゃ一人で町まで行くのは無理だわ。まだ全然治ってないんだから」

「大丈夫だよ。昨日に比べたら全然痛くないし、町まで歩くぐらいできるよ」

「ううん、だめよ。何かあったら心配だもの。私も行くわ」

「でも、女の子について来てもらうなんて…格好悪すぎだろ?嫌だよ」

「…」


ジュリアンが慌てて言い返すと、エリザは急に黙りこくって下を向いた。



「エリザ?」

「…お願い、連れて行って」

「…」

「怖いのよ、一人は…また昨日みたいにフランクが来たら…私、一人じゃもうどうすることもできない」

「…」





昨夜のフランクは、確かに普通ではなかった。

自分があのとき、エリザを守ると決断しなかったら、確かにエリザはフランクに連れ去られ、二度と会うことすら出来なかっただろう。

やっとの思いでこうして思いが結ばれたのに、エリザを一人にしたばかりに、フランクの再来によって最悪の事態になってしまうと思ったとたん、ジュリアンは背筋が凍る思いがした。


「ごめん、全然気づかずに…そうだね、君を一人にしちゃだめだよね」

「…」

「自分のことばかり考えてて、ごめんね。しばらくは、僕のそばを離れないで」

「…ううん、私も、あなたを心配するそぶりをしていながら、自分の心配をしていたんだもの。ごめんなさい」



そして、二人は今日初めて笑い合った。



「町へ行くつもりだったから、その服を着たの?」

「そうよ。せっかくだもの、あなたと並んで歩くんだから、おしゃれくらいしたいわ」

「別に、そんなの気にしなくてもいいのに」

「もう、本当にひどいのね。おしゃれしてもしなくても同じってこと?信じられないわ」

「違う違う、おしゃれな服なんて着なくても、きれいだよってこと」

「えっ」



ジュリアンの意外な言葉と、自分を見つめる不敵なまなざしに、エリザは急に顔が赤くなった。


「う、うそつき!私のこと全然きれいじゃないって言ったこと、私忘れてないんだからね!」


怒ったような口調ながら、目は宙を泳いで、嬉しさと恥ずかしさが顔からにじみ出ているのが手に取るようにわかった。


「あっそうだわ!昨日あなたが眠ってからね、私あなたのシャツにボタンつけたのよ!家にあったものだから種類は違うんだけど、別にいいわよね?!」


大声でそういうと、逃げるように自分の部屋へと駆けて行った。

上品なドレスの裾が美しく広がり、長く艶めいた髪は優雅になびいていたが、嬉しさでいっぱいの真っ赤に染まった頬や、どたどたと慌ただしく駆けまわる様子は、いつもの素朴で純真な少女に他ならなかった。



(そうだよ、別にきれいな格好なんかしなくたって、僕は…)



エリザは、いそいそと昨日ボタンを付けたシャツをはにかんだ笑顔で持ってきた。



「はいっこれね!結構よくできてるでしょ!」



差し出されたシャツを、ジュリアンはただただぼんやりと見つめていた。

きれいに洗濯されており、不器用なエリザにしては、しっかりとボタンが縫い付けてあった。


「…」


何も言わず、受け取ろうともしないジュリアンを見て、エリザは少し不安そうな顔になる。



「ジュリアン、どうしたの?やっぱり変だったかしら…」

「違うよ、ありがとう…」

「…?」

「君に、こんな風にしてもらって、僕、すごく嬉しい…幸せだよ」

「え…?」



そう言って、ジュリアンはエリザからシャツをそっと受け取り、頬に寄せ、エリザのほうを見た。

その瞳は、少しだけうるんでいるように見えた。



「でも、こんなことしてくれなくたっていいから…おしゃれなんかしなくたっていいから…もう僕から離れないでよ…」

「ジュリアン…?」

「今まで自分が幸せだなんて思ったことなかった…毎日毎日嫌なことばかりで…別に、いつ死んだってよかったんだ」


ジュリアンはシャツを強く握りしめていた。


「だから今こんなに幸せだって感じられることが本当に信じられない…ねえ、こんな幸せって本当に続くのかな?」



ジュリアンは不安そうなまなざしで、エリザを見つめた。

エリザはジュリアンの様子にしばし戸惑いの表情をしていたが、ぷっと吹き出した。




「いやね!何言ってるの!ジュリアンったら変なの!」




そういって、エリザはけらけらと明るく笑った。

そして、そっと優しくジュリアンを抱きしめた。


「私だってもうあなたしかいないんだもの、あなたがいいと言うなら、おばあさんになったってずっとついていくわ」

「…」

「あなたこそ、他の女の子に心変わりなんてしないでよね!特に、胸の大きい子には!」



エリザが冗談めかして無邪気に笑うと、ジュリアンもつられて笑った。

エリザの笑顔には、不思議と心がほっと安らぐ力がある。



(うん、心配することなんて、何もないさ。エリザがいてくれる限り、この幸せはずっと続くんだから…)



それなのに、どういうわけか、ほんの少しだけ心に靄がかかったような感じは、なかなかぬぐい取れなかった。



(今までの自分が散々だったから、幸福感っていうものに慣れてないんだな、ああ、おかしい)




そして、しばらくの間、ジュリアンはエリザのぬくもりに身を任せていた。

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