第2話
安い毛糸を店主の好意でさらに安く手に入れたエリザは、町を出ててくてくと家路を急いだ。
町とをつなぐ小さな橋を渡り、ただひたすら川沿いを歩く。
景色はどんどん田舎道になり、右側には川、左側には田畑と民家が見えるのみであった。
言ってみれば何もないこの景色は、幼いころから見なれているエリザにとって、心落ち着く光景なのであった。
エリザが家に着いたときは、もう日も暮れかかっている頃であった。
小さな平屋の家は、灯りもついておらず、真っ暗であった。
人の気配はしない。
エリザは扉をきいと開けて中へ入る。
「おばさん、ただいま」
エリザがそう言うと、ギシ…という物音が聞こえた。
「エリザ…遅かったじゃないか」
窓の近くにある揺り椅子がゆらゆらと動きだし、老婆らしき声がした。
「ごめんなさい。ベルガーさんのおうち出た後、町へ行っていて…」
「町?いったい何しにだい」
「ふふ、それは言えないわ」
「お前、まさか町に男でもできたんじゃないだろうね。町の男にろくなやつはいないよ」
「もう、おばさん、何言ってるの?そんなんじゃないわ!」
くすくすと笑いながら、エリザはランプに火を灯した。
すると、彼女が「おばさん」と呼ぶ老婆の姿があらわになった。
薄汚いショールを頭からかぶり、身体は猫のように丸まっている。
ショールの隙間から見える横顔は、魔女のようであった。
この少女の「おば」にしては、年をとりすぎているように見える。
「おばさんごめんなさい、昨日のスープがまだ残ってるから、今から火を起こして温めるわね」
「またスープかい。もううんざりさ…」
エリザは困ったように微笑んで、今日買った毛糸をそっと持ち出し、火を起こしに行った。
◇
エリザはぼそぼそのパンと、先ほど温めなおしたスープを食卓に運び、
「おばさん、立てる?」
と老婆に呼びかけた。
「当たり前だよ、馬鹿にするんじゃないよ」
と言いながら、老婆はよろよろとよろめきながら、テーブルへと向かった。
「さあおばさん、座って」
エリザは老婆を気遣いながら、椅子に座らせた。
「じゃあおばさん、食べましょう」
エリザはそう言って、スプーンをとる。
老婆は無言でスープをすすった。
それと同時に、苦虫を噛みつぶしたような顔をしてこう言った。
「本当に、お前のスープはまずいねえ!!」
それを聞いて、エリザは不満そうな顔をした。
「そうかしら。野菜に味がしみ込んでおいしいと思うけど?」
そう言って、エリザは気にせずスープを口に運んだ。
「おばさん、今日ね、ベルガーさんとこの坊やがね、転んじゃったのよ。
全然大したことなかったのだけど、ものすごく泣き叫ぶもんだから、私焦っちゃった」
「はっばかなガキだね。だいたい、人様に自分のガキを預けること自体間違ってるんだよ。
自分の息子は自分で面倒見ろって話さ」
「でもベルガーの奥さん、旦那さんもいないしご自身も働いてるから、仕方のないことだわ。
それに、子守の仕事がなくなってしまったら、私も困るもの」
エリザは笑って答えた。
「それからね、今日町でとってもきれいな男の子を見たわ」
「へえ、そいつは何かいかがわしい商売でもしてそうなにおいがするね」
「もう、おばさんはすぐ人の悪口ばかり言うんだから!全然違うわ、普通の子よ!」
エリザはあきれて、肩をすくめた。
しかし、それと同時に彼女の脳裏にふと疑問符が浮かんだ。
(そういえば、どうして女物のハンカチなんか持っていたのかしら…)
すると、老婆がガタリといすを引き、よろよろと立ち上がった。
「もうあたしは寝るよ。ランプの油がもったいないったらありゃしない」
それを聞いたエリザは慌てて席を立ち、老婆の身体を支えた。
ベッドまで彼女をゆっくりと運び、老婆を寝かせる。
「おばさんおやすみなさい。いい夢見てね」
「まずい飯を食わされた後に、どうすればいい夢見られるのかね」
「もう…」
エリザは、最後まで憎まれ口をたたく老婆に対し、ふくれっ面をした。
テーブルに戻って、彼女は老婆のスープ皿に目をやる。
スープをきれいに平らげたあとの、空の皿がそこにあった。
それを見て、エリザはとても嬉しそうに微笑んだ。
◇
食べ物屋も鍛冶屋も、仕立て屋も帽子屋もない町の片隅。
辺りは真っ暗で、人気はない。
ジュリアンは、ちょうど日が落ちる頃、その人気のない区域に足を踏み入れた。
その一角に、灯りが灯された居酒屋…のような店が見える。
下品な男女の笑い声がかすかに聞こえた。
彼は無表情でその店を見やり、そしてすぐ視線をそらした。
そして、いくつか立ち並ぶ小汚いアパートの扉を開け、階段をこつこつと上り、その階の一室へ入った。
彼がランプを灯すと、狭い部屋の中にたくさんの衣服が散らばっていた。
ひどく派手なものから、身につけたら肌を多く露出しそうな衣装、そして装飾品などさまざまであった。
ジュリアンはそれらを一瞥してため息をつき、持っていたランプと小包をテーブルの上に置いた。
そして近くにあるものから一つ一つ畳んでいった。
だいたい片付け終わると、テーブルの椅子にガタリと腰をかける。
そして持ってきた小包を開け、中から林檎をとりだしてかじりついた。
「…」
特においしそうな顔もせず、彼は黙々と林檎を食べる。
そのとき、がちゃり、と扉を開ける音がした。
ジュリアンはどきっとしてそちらの方を振り返る。
すると、美しく着飾った、若い女性がふらふらとした足取りで入ってきた。
「あらあジュリアン、帰ってたの?」
「…」
「ちょっと飲みすぎちゃって、休みに来たわ。店から家が近いといいわねえ」
女性は上機嫌な口調でジュリアンに話しかけ、部屋のソファにドサッと倒れ込んだ。
ジュリアンはそれをじっと見つめる。
「ああ、いい気持ち。でもまたこれから行かなきゃいけないのよねえ。ジュリアン、今日の景気はどうだった?」
「…別に」
「何よ、つれないわねえ」
「あんたに関係ないだろ!」
ジュリアンは不機嫌そうに語気を荒げた。
それを見て、女性はふんと笑った。
「そんなあんた、無理してあたしと同じことしてないで、学校にでも行けばいいのに。
学校くらい、あたしだって行かせてあげられるわよ」
「うるさいな、別にあんたの真似してるわけじゃないよ。好きでやってんだ」
「あっそ、好きでねえ…。だったらあんた、ちょっとはあたしに感謝しなさいよね」
「…」
「誰がそのきれいなお顔で生んでやったと思ってんのよ。その顔がなけりゃ、あんたみたいなガキ、誰も相手しないんだからさあ!」
あははは、と笑って、女性はよっこらせと立ち上がった。
「ま、好きにしなさいよ。あんたの人生はあんたのだからさ。
でも、一日何人相手してるか知らないけど、夕食に林檎一個じゃさすがに持たないと思うわあ」
「早く行けよ!」
はいはい、と小馬鹿にしたように手を振り、女性は出て行った。
ジュリアンは扉がバタンと閉まるまで彼女を睨みつけ、そしてため息をついた。
そして思いだしたように今日もらった白いハンカチをポケットから出し、テーブルの上に放り投げた。
(好きでやってる…?)
彼はハンカチを見つめながら自問自答した。
しかしすぐにちっと舌打ちをして、椅子にもたれかかった。
そのとき、ふとこのハンカチを自分に押し付けた、あか抜けない少女のことを思い出した。
”だってあなた、とってもきれいだもの”
満面の笑みでそう言われ、一瞬戸惑った自分のことまで思い返された。
「ちっ…」
ジュリアンは苛立ちながらもう一度舌打ちし、ハンカチから目をそらした。




