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第19話

「ジュリアン…大丈夫?」

「…」




次の日も、ジュリアンは遅刻せず仕事場に来ていた。

しかし、誰の目から見ても、その様子は普通ではなかった。




(目が…死んでるわ…ここんとこ様子がおかしかったけど…今日は特におかしい)




ジョゼットは、そっとジュリアンの顔を見上げた。


長いまつげから覗く瞳は曇り、焦点が合っていないように見えた。

瞼は赤くはれ上がり、口はぼうっと半開きで、顔全体に力が入っていないようであった。




(もしかして…ずっと泣いてたのかしら…?)




ジョゼットはにわかには信じられなかった。

ジュリアンと知り合ってから、まだそう日は経っていなかったが、クールな言動や少し皮肉屋な性格の彼が泣くなんて想像もできなかった。



(相手の女の子と、うまくいかなかったのかしら…)




ジョゼットは焦った。

おそらく、昨日の夜、仕事終わりに彼は好きだという少女の元へ行ったのだろう。


多分、自分の発言に希望を持って…





(わ、私のせい…)





ジョゼットは、身体から冷や汗がじわりと湧き出てくるのがわかった。

自分の無責任な言葉を信じて、この少年はぼろぼろに傷ついてしまったのか…






「ジュ、ジュリアン…」

「え…」




ジュリアンがようやく返事をしたので、ジョゼットは勇気を出して彼に尋ねた。



「ねえ…何かあった?」

「…別に…」

「なんだか様子が変だから…何かあったんでしょ?」

「…別にないってば…」

「…あの、昨日言ってた…女の子に会ったの?」

「…!」



突然、ジュリアンは口をふさぎ、だだだっと厨房の方へ駆けて行った。

ジョゼットは驚いてジュリアンを目で追うと、彼は洗い場で身をかがめ、おう吐した。



「おい!大丈夫か!!」

「ごほっごほっ…」



仕込みをしていたブノワは驚いて、ジュリアンに駆け寄った。

ジョゼットも慌てて厨房へ走った。

ジュリアンは、苦しそうに顔を歪めていた。


ブノワは水道をひねり吐しゃ物を水で流しながら、ジュリアンの背中をさすった。

ジョゼットはおろおろとその様子を見ているだけであった。




「おいジョゼット。ジュリアンを奥で休ませてやれ。今日は無理かもな…」

「ええ、わかったわ…ジュリアン、こっちよ」



ジョゼットはジュリアンの背中に手を添えて、店の奥に誘導した。

ジュリアンはふらふらとした足取りで、ジョゼットに身を任せていた。



奥の部屋で、小さな椅子にジュリアンを座らせると、ジョゼットは遠慮がちに話した。


「ジュリアン…私、変なこと言ってしまったかしら…」


ジュリアンは、ただ力なく首を横に振るだけであった。


「あの、……はあ」


ジョゼットは、また昨夜のことを聞こうとしたが、ジュリアンが再び吐き気を催すことを恐れ、それ以上何も言えなかった。

ふと、ジュリアンがぶらつかせている両手を見ると、広範囲にわたって痛そうなかすり傷があるのが見えた。



「ジュリアン、手、どうしたの…?」

「…」

「血がにじんでるじゃない…」


そう言って、ジョゼットはロッカーから包帯をとりだして、持ってきた。


「ちょっと大げさだけど、これしかないから…」


ジョゼットがそう言いながらジュリアンの片手を握ろうとすると、ジュリアンは反射的にジョゼットの手をはじき返した。



「きゃっ」

「はあっはあっ」



ジョゼットが驚いてジュリアンを見ると、彼は身を縮めて小刻みに震えていた。


「だ、だめだよ…」

「え…?」

「こんな汚い手…触っちゃだめだ…」

「ジュリアン何言ってるの…?」



彼の不可解な言動に、ジョゼットは思わず眉をひそめた。

しかし、ジュリアンの尋常ではない様子に、悲しそうにため息をついた。



「ジュリアン、わかったわ。でも、そんな手じゃお客さんびっくりしてしまうから、自分で巻いてね」

「…」

「…良くなるまで、ここにいていいからね。大丈夫そうだったら、戻ってきて」

「…」


聞いているのか聞いていないのか、ジュリアンは返事もせずただ黙って下を向いて、汚い床をじっと見つめていた。

ジョゼットはまたため息をついて、店に戻って行った。















我ながらおいしくないな、と思ってエリザはフォークをテーブルの上に置いた。




「エリザ食べないの?」



シリルは味のしない昼食をもぐもぐとほおばりながら、エリザに話しかけた。


「うん…いいの。おなかいっぱい」


エリザは微笑んで、シリルを見た。

口の周りにたくさん食べかすをつけて、愛らしかった。



「食べ終わったら、エリザに声かけてね」



そう言って、エリザは席を立ち、ソファにごろんと横になった。



「エリザお行儀悪いよ!」



シリルはぷんぷん怒るような言い方で、エリザを叱った。

エリザはふふっと笑ったが、すぐ黙って顔に手をあて目をつぶった。




(眠いわ…)




だんだんと頭がぼんやりし、エリザは夢と現実をさまよい始めた。



(このまま、目が覚めなければいいのに…)







突然ばたん、という音がして、エリザははっと目が覚めた。

上体を起こし部屋を見渡すと、シリルの姿がなかった。



「シリル?」



テーブルの椅子に座っていたはずのシリルは、どこにもいなかった。

テーブルには空の皿が置いたままである。




(シリル…?!)




エリザは立ちあがって部屋の外に出て廊下を見渡した。



「シリル?!」



大声でシリルを呼んだが、返事はない。

エリザは二階へと続く階段の下まで行き、もう一度呼んだが、やはりシリルの気配はなかった。



(外…?!)




エリザは大慌てで玄関の扉を開き、外へ飛び出した。

すると、家からだいぶ離れたところに、小さな影が見えた。



「シリル?!!」




エリザが叫ぶように呼ぶと、その人影はくるりと振り向き短い腕をエリザの方へ向けて振った。

そしてたたたっとおぼつかない足で、駆けて行った。




「なんで一人で…!!」




エリザは全速力で小さな影を追った。

しかし、なかなかすばしっこく走っても走っても追いつかず、見失わないように距離を保つので精一杯だった。






「シリル!!」



だいぶ走ったところでようやくシリルに追いつき、エリザはぜえぜえと息を切らしながらがばっと覆いかぶさり、彼を捕獲した。



「シリル!だめじゃない勝手に外に出ちゃ!!」

「だって!川に行きたかったの!」



シリルはエリザに口答えして、じたばたともがいた。

エリザが辿り着いたところは、すぐ近くに川べりが見える土手であった。



「シリル…いつからこんなにやんちゃになっちゃったの…」

「エリザー!ここで遊ぶー!」

「だめよ…お母さまが川では絶対に遊んじゃだめって」

「いやだ!!ここで遊ぶの!!」

「シリル…」



エリザはシリルの手を引っ張ったが、シリルは断固としてここを動かなかった。

そして、顔をくしゃくしゃにして、今にも泣きそうな顔になった。




「ここで遊ぶー!!」

「…」




そう言って、ついに彼は泣きだした。

エリザははあ、とため息をついた。



「シリル…お願いだから帰りましょう」

「いやだあ!!ここで遊ぶう!!」

「…」



こうなったシリルを止められる者はいない。

エリザはシリルを預かったとき、身を持って経験していた。




(しょうがないな…)




エリザは仕方なく、シリルに向かって話した。


「シリル、絶対に川の中に入らないって約束して」

「…」

「いいわね?」

「…うん」



そう言うと、シリルはぴたっと泣きやんだ。

エリザはシリルと一緒に土手の斜面をゆっくりと降り、ほとんど手入れされていない草むらの中に入った。



「川には入らないでね」

「うん!」


エリザは草むらの上に腰を下ろし、シリルを見た。

シリルはさっそく虫を見つけてじっと眺めている。

それを見て、エリザは少しほっとすると同時に、川を眺めながら遠い目をした。




(…)




目の前に見える小さな川は、このままずっと自分の家の方まで続いている。




昨日の夜事件があった、自分の家まで…




エリザは思わず自分の首元に手をあてた。

少しだけ赤く痕になってしまった首筋には、まだジュリアンに絞められたときの余韻が残っていた。




(私は…なぜあんなことを言って…?)





あんな気持ちになったのは初めてであった。

怒りとも、悲しみとも違う、身体の底から湧きあがってくる黒々としたあの感情は、いったい何だったのだろう。



(ジュリアンが…誰かとああいうことをするのは…前から普通だったはずなのに…)



いくらニーナが子供だからと言っても、もう済んでしまったことは仕方のないことだし、そもそも自分が口を挟むようなことではない。




(娼婦の息子だなんて…けがらわしいだなんて…)




エリザは下を向いてうつむいた。

しかし、あのときは何か言わずにはいられなかった。

ニーナとジュリアンが交わっていることを想像するだけで、身体を四方から引き裂かれるような思いがした。

そして、自分とニーナを比べたときのジュリアンの憎たらしい顔を思い出し、エリザは思わず自分の胸倉を掴んだ。





「…っ」






エリザはジュリアンに乱暴されたときのことを、あまり良く覚えていなかった。

未遂で終わったものの、あまりにも衝撃的で、脳が記憶を抹消しようと必死に働いているようだった。




―――お前は偽善者だ…





ジュリアンの悲痛な叫び声だけが、エリザの脳に焼き付いていた。






(だからって…あんなのひどすぎるわ…)





エリザは自分の暴言とジュリアンの行為を天秤にかけ、罪の重さを計った。

どちらかが、ぐいっと傾いたそのときだった。








「おい!!子供がおぼれてるぞ!!」







土手の上から男性の叫び声がして、エリザははっと顔を上げた。



「大変だ!!今助けるからな!!」




男性は大慌てで土手をかけ下りた。

エリザはがばっと立ちあがって、きょろきょろ見渡した。




「シリル!!」




エリザは男性の視線の先をめがけて走りだした。



「シリル!!シリル!!」



大声で叫ぶと、ばしゃばしゃと水をかく音が聞こえた。

見るとシリルが苦しそうに手足をばたつかせ、水中でもがいていた。





「シリル!!!」





エリザは絶叫して駆けだした。

川は部分的に深くなっているようで、シリルがいるところは小さい彼では到底足がつくはずもなかった。

必死にもがいていたシリルは、途中で力尽きどんどん水中へ飲み込まれていく。




「シリルーッ!!」



エリザは一心不乱にばしゃばしゃと川の中へ入っていった。


「お嬢ちゃん!!危ないよ!!」


男性は慌ててエリザを追いかけるが、エリザはわき目もふらず、シリルを目指した。

途中深いところに足をとられ、エリザも川の中に飲み込まれそうであったが、それでもエリザは持ちこたえた。

川の流れはそう早くなく、エリザはすぐにシリルを発見し、がばっと抱き上げた。




「シリル!!シリル!!」




川べりまでシリルを夢中で運び、シリルを寝かせ頬をぱんぱんと叩いた。



「シリル!!お願い目を覚まして!!」



エリザは泣きながらシリルに訴えるが、シリルは目を閉じたまま動かない。



「水を大量に飲んでいるかもしれん!吐きださせなけりゃ…!!」



男性はシリルの腹をぐっと押して、シリルから水を吐き出させようとした。



(シリル!!死んじゃだめよ!!ごめんね、ごめんね…!!)






エリザはぼろぼろと涙を流し、ただ二人の様子を見守っていた。














ジュリアンは昼になっても店に戻ってこなかった。

ジョゼットは店の奥を気にしていたが、昼時は忙しく、そちらに構っている暇はなかった。



「おい、ジュリアン大丈夫か?」


シモンは両手に開いた皿を高々と掲げながら、ジョゼットに聞いた。


「さっきはだいぶ調子が悪かったみたいだわ…今はどうかしら」

「うん、見て来ようと思ってるんだけどさ、何せこの忙しさだからな」


少しの言葉を交わすのも惜しいほど店は大賑わいで、二人の会話はそれで終わってしまった。



「おいねえちゃん!酒まだか!」

「はいはい、ちょっと待ってて!」



初老の男性客が不機嫌そうに手を上げてジョゼットを呼んだ。

ジョゼットが酒を持って客の方へ近づくと、その客は別の方を向いてはっとした顔をするや否や、急に機嫌が良くなった。



「おっあの兄ちゃんいるんじゃないか、へへへ」

「え?」



ジョゼットが客が見ている方を振り返ると、ジュリアンが店の奥から出てきて、立っていた。

両手には、ちゃんと包帯が巻かれてあった。


「あっ」

「あ?」


ジョゼットは客のテーブルに酒ビンをだん、と置いて、ジュリアンの方へ駆けよった。

客は驚いて、ジョゼットの背中を恨めしそうに見た。




「大丈夫なの?!無理しないでよ?」

「ああ…ごめん」



ジュリアンは下を向いて力なく笑った。


(普段笑ったりなんかしないのに…)


その微笑みを見て、ジョゼットは逆に不安になった。



「テーブルのお皿、下げてくる」



ジュリアンはそう言って、仕事を始めた。

その仕事ぶりは、いつもとそう変わらなかった。





(元気になったならいいけど…)





ジョゼットは、心配そうな表情で、ジュリアンを見つめた。













ぱん、と部屋中に破裂音が鳴り響いた。



はあはあと息を弾ませて、ベルガー夫人はずぶぬれのエリザを怒りのまなざしで睨みつけていた。





「あなた…どういうことかわかってる…?」




夫人は声を震わせながら、エリザに尋ねた。

エリザはぶたれた頬をかばおうともせず、ただがくがくと体を震わせていた。




「私、言ったわよね…?川には絶対に連れて行かないでって…」

「…」

「シリルが…行きたがっても絶対に行かないでねって…」

「…」


エリザは返事をすることなく、ただ黙りこくっていた。

ベルガー夫人は、ぐっと拳を握って下を向いた。




「エリザ…わかってるわね…」

「…」

「もう…あなたにシリルは任せられないわ…」

「…はい…」




エリザは震えたまま返事をして、深々とお辞儀をした。




「申し訳ありませんでした…今まで…お世話になりました…」




そして、ソファの上で寝かされているシリルをそっと一瞥して、エリザはベルガー宅を出て行った。






がちゃん、という音に、シリルはふと目を覚ました。



「エリザはあ…?」

「エリザはね…もうさようならなの」

「えー…?」



シリルは母親をぼんやりと見つめた。

夫人は寝ているシリルの頭を撫でながら微笑んだ。


しかし、すぐに辛そうな顔になり、シリルをぎゅっと抱きしめた。








エリザはあっけなく職を失ってしまった。

帰る道、水で長い髪が体中にへばりつきこれ以上ないくらい汚らしい格好のエリザは、まるでどぶ鼠のようであった。




(もう…おしまいなのね…)




ぼんやりとした顔で、足を引きずるようにエリザは家を目指した。





「どうしたんだい、その恰好は…」



大伯母が帰ってきたずぶぬれのエリザを見るなり、驚いた顔で尋ねた。

エリザは力なく微笑んで「なんでもないわ」と答えた。



「なんでもないってことはないだろう…それに、こんな早い時間に帰ってくるなんて…もう今日は終わりなのかい?」

「…」



エリザは下を向いて黙りこんだ。

大伯母はエリザの顔を覗く。


すると、エリザは突然床に膝をついて、揺り椅子に座っている大伯母にそっと抱きついた。




「おばさん…私…ずっとおばさんのそばにいる…」

「え…?」

「もう、家から出なくても大丈夫なの…ずっとここにいるわ…」

「エリザ…?」




そして、エリザはむせび泣いた。

大伯母の胸に顔をうずめて、子供のように泣きじゃくった。

大伯母は、エリザの頭にそっと手を置いた。

ただ、自分の手になぜか力が入らず、撫でてやることができなかった。













暗い部屋の中、ジュリアンはソファに寝そべって、ぼんやりと月を見ていた。

月明かりが部屋に差し込み、いつもより明るいな、と思った。



そのとき、家の扉が開く音がし、母親のオーレリアが入ってきた。



「あら、ジュリアンいるの?久しぶりねえ」

「…」



オーレリアが呼んでもジュリアンは返事をしなかった。


「また行くけど、少し休ませてねえ」


うふふ、と笑って、オーレリアはソファの方へ近づく。

しかし、見てみるとジュリアンが占領していたので、自分の座る場所がなかった。


「やだ、ちょっとどいてよ。あたしが休めないじゃ…」



そう言いかけて、オーレリアは自分の目を疑った。




月明かりに照らされたジュリアンの顔には、いくつもの涙の筋が、きらきらと瞬いていた。

ジュリアンはそれを隠そうともせず、ただうつろに月を見つめていた。




「ジュリアン…あんたどうしたの…?」




オーレリアはそう問いながら、「別になんでもないよ」と言って顔をごしごしと拭き、いつもの可愛げのない息子に戻ることを期待していた。

しかし、ジュリアンは黙って目だけを動かしオーレリアの方を見つめ、目を開いたまま死人のように動かなかった。



オーレリアは思わずその空気を取り繕うように笑って、こう言った。


「ね、ねえあんたさ、今料理屋さんで働いてるんだって?娼婦屋のあいつから聞いたわよ、びっくりしたわ」

「…」

「なんでも、好きな子ができたとかって…ねえ、その子可愛いの?紹介しなさいよ」



オーレリアが冗談めかしてそう言った瞬間、ジュリアンの目からまた一筋の涙がこぼれ落ちた。

オーレリアははっとして、戸惑うようにジュリアンを見つめた。



「ジュ、ジュリアン…」



オーレリアはそっとジュリアンの頬を伝う涙を指で拭ってやった。

しかし、自分がそうすればそうするほど、そのうつろな目からとめどなく涙があふれ出る。





「母さん…」





ジュリアンは、突然震える声で小さくつぶやいた。

オーレリアは思わず「えっ」と返事をした。






「キスして…」

「え…?」






思ってもみなかったことを言われ、オーレリアは困惑した。


「な、何言ってんのよ!いい年して、あんた大丈夫…」


オーレリアは笑ってごまかそうとした。

しかし、ジュリアンがキスをねだった瞬間、彼は顔をくしゃくしゃにして嗚咽した。



「っ…ひっ…」

「…」



見たこともない息子の姿を目の前にして、オーレリアはジュリアンの頭を優しく撫で、そっと口づけをした。

それは、普段男にするような生々しいものではなく、まさしく母親の優しいキスであった。


そして、オーレリアは優しくジュリアンを抱きしめ、こう言った。




「つらいことがあったんでしょ…あんたが泣くなんて、普通じゃないわ」

「…」

「何があったか知らないけど…もう…忘れなさい」

「…」

「あんたは、まだ若いんだから。何度でもやり直せるし、またすぐに愛する人を見つけられるわ」

「…」

「だからもう泣かないの!男のくせに!あんたって、泣き虫だったのね」



オーレリアはくすっと笑って、もう一度ジュリアンを抱きしめた。

ジュリアンは、母親の懐かしいぬくもりをただじっとかみしめていた。




「じゃあ、あたし行くから」

「…」



オーレリアは立ちあがって、ジュリアンに言った。



「あんたのせいで、全然休めなかったわよ」

「…」


ジュリアンは、オーレリアを黙って見つめている。

オーレリアは、自分を見つめるジュリアンに優しく微笑んで、こう言った。



「今度、あんたの店に行くわ。あんたのおごりでね」



そう言って手を振り、部屋を出て行った。








―――もう忘れなさい…





母親の言葉が、ジュリアンの頭の中を何度も何度も廻った。




エリザを忘れる…




自分の犯した罪を謝罪することも、許してもらうこともなく、ただ何事もなかったかのように生きる…

エリザの笑顔も、声も、匂いも、全部忘れて…




そうだよ、自分をけがらわしいなどと罵ったやつのことなんか、忘れてしまえばいいんだ。




そのとき、ふと気持ちがふわりと軽くなった気がした。

全部忘れてしまえば、もうこんなつらい気持ちにならずに済むかもしれない…







ジュリアンは、突然眠気に襲われた。

今はもう、何も考えずに、ただ母親に優しく抱きしめられた感覚を思い返しながら、眠りたかった。

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