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第15話

次の週の早朝、ジュリアンは娼婦屋の男に会いに行った。


男は、ジュリアンを見て、手を挙げて「よお」と微笑んだ。

ジュリアンは黙って男に近づく。



「これ…」



そう言って、ジュリアンは手に握っていたものを男に渡した。

男が受け取ってみると、それは束ねられた紙幣であった。



「なんだこれ、いつもより多くないか?」

「ためてた分の仲介手数料と…」

「と?」

「手切れ金」



男はそれを聞いて、大げさに悲しそうな顔をした。




「お前、そんな簡単に悲しいこと言うなよ!今まで楽しくやってきた仲じゃねえか!」

「世話にはなったけど、別に楽しくやってきた仲ではないと思うよ」

「本当に…お前ってやつは…」



男は納得がいかない顔で、札束をポケットにしまった。



「あれから依頼してきたやつ、みんな落胆したような顔して帰って行ったぜ」

「ああ、まあそうだろうね」

「ほんと、お前ってたまに自分じゃ言いづらいことをさらっと言うよな」

「まあ、僕としてはあいつらの気持ち悪い顔を見なくて済むと思うと、気分がいいよ」

「今の言葉、客だったやつ全員に聞かせてやりたいよ、うん」



男は苦々しい顔をして、ジュリアンを見た。

ジュリアンは、ふふ、といつものように不敵な笑みをこぼした。

しかし、その表情には少しだけ少年らしい無邪気さが垣間見られたような気がして、男は少し嬉しい気持ちになった。



「お前、普通の店で働くとなるとな、今までみたいに羽振りがいいといずれ破滅するぜ」

「わかってるよ」

「女を養おうと思ってるなら、なおさらだ」

「は?!」


思いがけないことを言われ、ジュリアンは驚いたように叫んだ。


「そんなわけないでしょ!」

「あれだろ、お前、いつか言ってた夜の市のときの子だろ?なんかいい匂いする子だろ?!」

「うるさいな!!」


以前、思わず口を滑らせてしまったことをおちょくるように言われ、ジュリアンは顔が真っ赤になった。


「だいたい、なんで真っ当な仕事しようとしただけで、そうなるの?!僕まだ15歳なんだけど!」

「まあそう怒るな。冗談に決まってんだろ」


彼の冗談を真に受けて、本気で受け答えしてしまったことを後悔し、ジュリアンはますます顔が赤くなった。


「おい、顔が焼き栗みたいになってるぞ。男前が台無しだぜ?」

「…」


男はにやにやしながらジュリアンをからかう。


「ま、好きな子ができたんならさ…こんなことやっていたくはないよな。わかるよ、うん」

「…」

「きっと、その子にもお前の真心が伝わると思うぜ」

「えっ…?」


ジュリアンは、男の言葉に思わず明るい表情になった。


「ところでお前、今日からなんだろ?早く行った方がいいんじゃないのか?」

「あ、ああ。そうだね」

「頑張れよ、また気が向いたら、茶でも飲みにうちにもおいで」

「ああ、気が向いたらね!」



そう言って、ジュリアンは少年らしく笑って、駆け足で店を出た。

男は少し驚いて、ジュリアンの後ろ姿を見つめた。




「あいつ、どんどん変わっていくよ。なあオーレリア?」



ふと、中二階の方を向いて、男はつぶやいた。













ジュリアンは、その足でこれから世話になる食べ物屋まで歩いた。

求人募集のポスターをふと見ると、給仕係のところに一本、取り消し線が入っていた。


(一人でよかったんだ…)


店の扉を開けると、ブノワが気付いて「待ってたよ!」と声をかけた。

ブノワ以外の店員も、ジュリアンの方を見た。

店員は、全部で5人ほどであった。



「みんな、紹介するぜ。今日から新しい仲間の、ジュリアンだ」

「…よろしく」



ジュリアンは、ぼそっと挨拶をした。

店員たちは、皆にこにことした表情でジュリアンを見ている。



「ねえ、あたしジョゼット。よろしく」

「俺はシモンだ」


口々に、店員たちは挨拶をした。


「ねえ、あなたとっても素敵ねえ!私、乗り換えちゃおうかしら!」

「お前なあ。あんたの彼氏が泣くぜ」


そんな冗談を言い合いながら、彼らは大笑いした。


「はいはいそれまで。それじゃ、俺は彼を案内するから、みんなは仕事に戻れよ。もう開店だからな」

「はあい」


ブノワは皆にそう指示して、ジュリアンを奥へと案内した。



「これ着て、とりあえず今日は適当にみんなの見ながらやってればいいから」

「…はい」



―――口の聞き方にだけは気をつけろよな



ふと、娼婦屋の男の助言が頭をよぎり、ジュリアンは普段より丁寧に返事をした。

ブノワは微笑んで、厨房へ入って行った。

ジュリアンは、とりあえず、もらった制服を着ることにした。


なんということのないシャツにズボン、そして腰巻をつけ、店に戻った。



「まあ!あなた何着ても似合うのね!」

「…どうも」


ジュリアンはふふっと笑った。

ジョゼットをはじめとする女性店員たちは、皆顔を赤く染めた。



「色男だねえ…」



男性の店員たちはあきれたように言った。




「いらっしゃい!」




するとさっそく、客が来店した。


「さ、ジュリアンもちゃんと言って!」


ジョゼットがウインクしてジュリアンに合図する。

ジュリアンは躊躇したが、続けて「いらっしゃい」と言った。


「君、見ない顔だけどずいぶん若いねえ。ま、頑張れよ!」


客の男はジュリアンを見て、上機嫌に話した。

ジョゼットはジュリアンに笑いかける。


ジュリアンは、少しだけほっとした顔をした。













「おばさん、ただいま」




エリザはばたんと扉を閉め、部屋のランプをつけた。


「おかえり、エリザ」

「…」


エリザは黙って、テーブルの椅子をひき、座った。


「…」


大伯母は、揺り椅子を揺らすのをやめて、エリザを見た。

エリザは、大伯母が自分を見ていることに気付き、はっとして笑顔になった。



「あ、ごめんなさい、今からご飯の用意、するわね!」



うふふ、と笑って、エリザは火を起こしに席を立った。

大伯母は、テーブルに置いてある新品のノートと、古い教科書をじっと見つめた。








先日フランクが突然訪問してから、彼は何度もエリザの家を訪ねるようになった。

エリザは、扉がこんこんと鳴るたび何か別のことを期待して明るい表情になるが、訪問者を見た途端、決まって落胆した顔をした。



エリザが文字の読み書きができないことを知ったフランクは、ある日お土産を持って、エリザの家を訪ねた。




「エリザ、今日はいいものを持ってきたよ」

「あら、何かしら?」

「はい、これ!」



そう言って、フランクはにっこり笑いながら、ノートと古い教科書を差し出した。


「まあ…」

「これ、俺が学校で使ってた教科書だよ。すごく小さいときのから比較的最近のまであるから、ある程度文章も書けるようになると思うよ」

「…そうね」

「で、これ鉛筆とノート」

「え、買ってきてくれたの?」

「そうだよ、もちろん。だって、石板なんかじゃいくらなんでも無理があるだろ?」

「…」

「だから、今度からそれ使いなよ。使い切ったらまた買ってきてあげるからさ!」



フランクは笑ってそう言った。

エリザは微笑んだが、その表情は曇っていた。



「ねえ、まずはこの教科書でアルファベをきちんと勉強してからさ、単語を覚えていこうよ。俺が一緒に教えてあげるから!」

「え…」

「君が迷惑じゃなければだけど…」

「迷惑だなんて…でも悪いわ…」

「何言ってんだよ、遠慮なんかよしてくれよ!」


フランクは明るく笑って、エリザを見た。


「じゃあさ、まずこのページからやっていこうか。簡単だからすぐ覚えられるよ」

「ええ、ありがとう…」


フランクは真新しいノートを開いて、エリザに鉛筆を持たせた。

エリザは鉛筆を握り、フランクに言われるまま文字を書きだした。






だいぶ遅い時間になって、フランクは帰る支度を始めた。

エリザは扉を開け、フランクを外へ送り出した。


「じゃあ、今日はこれで」

「ええ、どうもありがとう、フランク」


エリザにお礼を言われ、フランクは嬉しそうに笑った。

しかし、そのあとすぐ真剣な顔をして、エリザにこう言った。




「ねえ、エリザ…」

「え?」

「あのさ…ジュリアンのこと、好きなの?」

「えっ?」



エリザは突然そんなことを言われ、困惑した。

フランクは、緊張した面持ちでエリザをじっと見つめる。


「す、好きとか嫌いとか…よくわからないわ…」

「でも、嫌いじゃないんだろ?」

「嫌いじゃないわ…」

「じゃあ、友達として好きなの?それとももっと別の…男として好き…とか」

「…そんなんじゃないわ…」



エリザはふと目をそらして、フランクにそう答えた。




「エリザ」


フランクは、改まった態度でこう言った。



「もう、ジュリアンなんかと付き合うの、やめろよ」

「え?」

「だってあいつは、女の人相手にお金もらって…その…体を売ってるんだぜ」

「…」

「そんなやつが、いいやつなわけないだろ?そんなやつ、信用できると思うかい?」

「…」

「女を金の成る木としか思ってないんだぜ。いくら君の家が…あまり裕福でなかったとしても、もしかしたら君はだまされてるかもしれないんだよ」

「ジュリアンはそんな人じゃないわ!」


エリザは、思わず大声をあげた。

フランクは突然のことに思わずびくっと身体を震わせた。


「あ…ごめんなさい」

「いや」



そして、二人の間に沈黙が流れた。



「…それに…」


しかし、フランクは自らその沈黙を破った。


「もう、あのパーティ以来、君に会いに来ないんだろ?」

「…」

「もうだいぶ経ってるのに…おかしいじゃないか」

「…」

「普通、好きな子がいるんだったら、何があっても会いに行くよ。俺だったら、そうする」



そう言って、フランクはエリザのことをじっと見つめた。

それはとても真剣な目つきで、エリザは思わず目をそらした。



「エリザ…」

「…」


フランクはエリザに呼びかけたが、下をむいて黙っているので、ため息をついた。



「また…会いに来てもいいかい?」

「ええ…」


フランクは、ほっとした表情をして、エリザに手を振った。

エリザも手を振り返したが、フランクがくるりと背を向けると、すぐ手を下ろした。









大伯母は、もうずっとエリザの元気がないことが気がかりで仕方なかった。



(本当にあいつは…何をやっているんだろうね)



大伯母は、ジュリアンが一向に家にやってこないことに、やきもきしていた。


(まさか、本当にエリザに興味がなくなったなんてことは…ないだろうね)


大伯母はジュリアンのあの感じからして、それはないとは思ったが、思わずよからぬ事態を想像した。


(このままじゃ本当に、あのフランクって子にとられちまうよ…)


スープを食べ終わり、大伯母ははあとため息をついた。


(ま、フランクって子の方が、人間的にできてるとは思うけどさ…)




「おばさん、終わり?」

「あ、ああ。今日もまずかったよ、エリザ」

「もう、おばさんったら」


エリザはふふ、と笑って席を立った。


「もう寝る?」

「ああ」


大伯母をベッドに連れて行った後、エリザは食器を片づけた。

きれいになったテーブルには、ノートと教科書、そして石板が置いてあった。

エリザは教科書を開き、ノートに覚えたての単語を書きだした。

しばらくして、エリザは鉛筆を置いて、おもむろに石板を手に取り、かつかつと何かを書きだした。



「ジュリアン…エリザ…」



石板に、《Julien》と《Elisa》の文字を書いた。


「ジュリアン…エリザ…」


そして、それをテーブルの上にそっと置いて、息を殺して泣いた。





大伯母は、ベッドに横になりながら、目を開けて悲しそうに天井を見つめた。













食べ物屋での仕事は、想像を超える忙しさであった。



「お兄さん、注文まだきてないよ!」

「こっちも!早くしてよ!」

「早く酒!酒持ってこいよ兄ちゃん!」

「おい、ジュリアン!これ早くしないと冷めちまうぞ!」

「ちょっと洗い物お願い!ジュリアン!」

「ジュリアン!注文間違えたでしょ!」



客からも店側からも、文句やら注意やらが飛び交い、ジュリアンは一日目にして疲労困憊していた。


(なんで僕ばっかり…)


そして、早くも苛々が限界を超えそうになっていた。


「ジュリアン、これあそこ持って行って!」


両手に、テーブルから下げた皿をたくさん積み上げているジョゼットに言われ、ジュリアンは慌てて料理を持って行った。



「お待たせ」

「ありがとう」


客の女性は胸元の開いた服を着ており、上目づかいでジュリアンの顔を見て、微笑んだ。


(ちっ色仕掛けかよ)


ジュリアンは無視して、その場を離れようとした。

すると、腰のあたりのシャツをぐいっと掴まれ、後ろにのけぞりそうになった。


「…なんですか?」

「ねえ、あたし今夜暇なの」

「へえ、そうですか」

「あなたがお店終わるまで待ってるわ」

「悪いけど、無理だから」


ジュリアンは冷たい目でそう言って、女の手を振り払おうとした。

すると突然、女はもう片方の手でジュリアンの太ももから尻にかけて、いやらしい手つきでなぞった。

それを感じたジュリアンは、思わずかっとなって、



「やめろよ!!」



と叫びながら、思い切り女の手を掴んだ。

大声を出したジュリアンにびっくりして、客はジュリアンの方を見て、しんと静まり返った。

そして、給仕係の少年が女の手首を強く握っているのを見て、客たちはひそひそと会話をしだした。


「あれはなんだろうね」

「男が客の女の手を掴むなんてね…」


ジュリアンははっとして、女の手を離した。

女は手首をさすりながら、ジュリアンを見ている。



「あ、あのう!」


すると、ジョゼットが慌ててこちらにやってきた。


「あの、ごめんなさい。彼はまだ新人で、あまりよくわかってないんです」

「ちょっと…!」


ジュリアンはジョゼットの態度が納得いかず、思わず口を挟もうとしたが、ジョゼットにそっと背中をぽんと叩かれた。


「本当に、すみません」

「ふん、気分悪いわ。帰る」


女はつんとすまして、料理の代金をテーブルに置き、すたすたと去っていった。

客たちはジュリアンとジョゼットを見ている。



「ちょっと、こっち来て、ジュリアン」

「…」



なんで自分が怒られなければいけないのか…

ジュリアンはぶすっとした顔で、ジョゼットについて行った。




店の奥に入ると、ジョゼットはジュリアンに笑いかけてこう言った。


「こういう商売やってるとね、変な客って必ずいるの」

「…」

「あたしみたいに、美人ってわけでもない人間でも、酒に酔った男に絡まれたりするもの」


そう言って、ジョゼットはおかしそうに笑った。


「まあ、特にあなたって、男なのに少女みたいにきれいだから目立つものね。しょうがないわよ」

「…」

「そういうときは、笑って受け流すしかないわ。今見たいに本気で怒っちゃだめよ?」

「…わかった」


そうジュリアンが答えると、ジョゼットはにこっと笑った。


「じゃあ、行きましょうか!」

「…怒られるかと思った」


それを聞いたジョゼットは、ぱあっと明るい笑顔でこういった。


「何言ってるの?!そんなことで怒るわけないじゃない!悪いのは客よ!」


あはは、と楽しそうに笑って、ジョゼットは先に店に出て行った。



ジュリアンはそんなジョゼットを見て、少しエリザに似ているな、と思った。

明るくて、優しくて、いつでも自分の味方をしてくれるエリザに…


もう久しく、その明るくて温かい笑顔を見ていないことに、ふと気付いた。






(エリザ…会いたいよ…)






ジュリアンは思わずせつない顔をして、うつむいた。

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