第13話(1)
その日の昼、ジュリアンはずっとためていた苛々を爆発させた。
「いい加減にしてよ!!まだできてないってどういうこと?!」
仕立て屋の店主は耳をふさぎ、うんざりした顔でジュリアンを見た。
「だから、今お針子たちが頑張って作ってるんだって!しょうがないだろう、あんたが無茶なお願いするから!」
「はあ?!意気揚々といいやつ作ってやるって言ったのは、どこのどいつだったかな!!」
ジュリアンはカウンターをどん、と叩いて怒鳴った。
「あんたが怒鳴ったところでどうにもならないんだよ!黙って座ってな!!」
店主はジュリアンを押さえつけるように、店の椅子に座らせた。
ジュリアンは「いたっ」と言った後、店主を睨みつけた。
「今日の夜に間に合わなかったら、おばさんの店で一生買ってやらないから!!」
「はっあいにくだったね。残念ながらこの町には仕立て屋はうちしかないんでね!困るのはあんたの方さ!!」
いい年をした中年女と美しい少年の口げんかが面白いのか、店の周りに数人の野次馬ができていた。
「うるさいわね!!」
そのとき、店の奥から若い針子が出てきて、大声で怒鳴った。
「今一生懸命作ってやってるんでしょ!なんであんたに文句言われなきゃなんないのよ!!」
「こっちは金払って買ってやってるんだぞ!!期限までにできないことに怒って何が悪い!!」
「じゃあお金なんかいらないからあんたが自分で作れば?!ボタンの縫いつけもできないくせにさ!!」
「うるさい!さっさと仕事しろこの香水ばばあ!!」
「なんですって?!!」
ジュリアンの暴言に逆上した針子は、手に持っていた針の刺さった針刺しを、ぶんっとジュリアンに投げつけた。
「ちょっ…!!」
ジュリアンは両腕でガードし、針刺しはぽとんと床に落ちた。
「ふざけんな!!」
あまりに危険な行為に及んだ針子に激怒して、ジュリアンは針子に掴みかかった。
針子は腕をじたばたとしている。
「おやめ!!」
店主が慌てて二人の間に入って、取っ組み合いを制止した。
若い二人は息を切らして睨みあっている。
「ジュリアン、わかった、わかったよ。こっちの仕事が遅かったのが悪かった」
仕方なく、店主は謝罪した。
「女将さん!!こんなやつに謝らなくていいわよ!!」
「いいから!あんたは早く仕事にお戻り」
怒りがおさまらない針子を、店主はぽんぽんと方を叩いてなだめた。
針子はジュリアンを睨みつけて、店の奥へ戻って行った。
「でも、あんたが怒鳴ろうが暴れようが、どうにもならないんだよ。夜までには必ず終わらせるから、待っててくれないか」
ジュリアンは、急に下手に出た店主が気に食わなかったが、彼女の言うとおりなので仕方なく椅子にどん、と座った。
店主はほっとした顔をして、カウンターに戻った。
「それにしても…あんた、逆上するほど急いでるのかい?」
「そうだよ」
「太客に媚を売るのが、そんなに急ぐほどのことなのかい?」
「…そうなの!!」
ジュリアンは大声を出して、そっぽを向いた。
(全く、よくここまで見え透いた嘘を貫き通せるもんだね)
店主は膝に肘をついて不機嫌そうにしているジュリアンをちらりと見た。
(冷めた顔をしてるくせに…どっからその情熱が湧いて出てくるのやら)
そう思って、店主はくすっと笑った。
「あんた…もしかしてできるまでここにいるつもりかい?」
「そうだけど?!」
「ああ、そうですか」
(こんなに粘着質な男だったかね…ああ疲れる)
店主ははあ、とため息をついて、針子たちの様子を見に、一旦店の奥へ入った。
◇
「エリザー、こないだのお兄ちゃん、だあれ?」
シリルの突然の発言に、エリザはびくっとなった。
(シリル…覚えてたの…?)
ベルガー宅でジュリアンと出くわしたときは、真っ暗であったし、シリルは完全に寝ぼけていたと、エリザは思い込んでいた。
「ええっと…」
「…?」
「ねえシリル。それ、お母さまにも言ったの…?」
エリザは恐る恐る聞いた。
今朝のベルガー夫人は、至って普通であった。
「言ってない」
それを聞いて、エリザはほっとした。
「あのねシリル、エリザもよくわからない人なの。多分、お母さまのお友達じゃないかしら?」
「ふうん」
「暗くてよく見えなかったし、もしかしたら女の人だったかもしれないわね」
「…」
エリザはできるだけ、シリルが見た人物を、ジュリアンから遠ざけようとした。
すると、シリルはエリザの方を見てこう言った。
「でも、エリザにこうやってたよ」
そう言って、シリルは自分の顔をエリザに近づけて、エリザの唇にキスをした。
エリザはその瞬間、顔から火が出るほど真っ赤になった。
「そ、そんなことしてないわ!シリルが寝ぼけてただけよ!!」
「えー」
「してないったら!!」
シリルは不服そうな顔で、エリザを見た。
エリザは心臓がどきどきしたまま、動けなかった。
(本当よ!だって、私が奥さんじゃないってわかった瞬間、ジュリアンは私を押しのけたもの…)
そう思った瞬間、エリザはふと悲しそうな顔になった。
シリルはぼんやりとエリザの顔を覗いている。
「…シリル、寝てたじゃない」
「ちょっとだけ見えたんだもん」
「違うわよ、全部夢よ、シリル」
はあ、とため息をついて、エリザは立ちあがった。
「ねえシリル、お外で遊ばない?!」
「遊ぶー!!」
シリルはぱあっと明るく笑って、駆けだした。
エリザは「待って」と言いながら、ほっとした表情になった。
(そういえば今日は…ニーナのお誕生日パーティよね…いいなあ)
ふと、今日の夜のことを思い出し、エリザは一人で悲しそうに微笑んだ。
◇
もう外は空が赤く染まり、町に軒を連ねる店舗を照らしていた。
ジュリアンは黙りこくって、ひたすら店主を睨みつけていた。
店主は気付かないふりをして、帳簿をつけていた。
「あのさ」
「なんだい」
「いい加減怒るよ?」
「…夜までにって言ったろ」
店主はジュリアンの方を見ず、ひたすら帳簿に目を通している。
(このくそババア…)
ジュリアンは店主に聞こえるように、ちっと舌打ちをした。
「…できたわよ」
すると非常に不機嫌そうな声が、店の奥から聞こえた。
ジュリアンははっとして、くるっとそちらの方を振り向いた。
「ほら」
無表情で、針子が出来上がったドレスを広げて見せた。
それは、ひざ丈ほどの上品な色目の赤紫色のワンピースで、襟にはかわいらしいフリルがついていた。
派手すぎず、地味すぎず、控えめなエリザにとても似合いそうな、素敵なドレスであった。
「…」
ジュリアンは、その美しいドレスを見て一瞬言葉を失った。
「あんた今、あんたの彼女が着てるのを想像してたでしょ」
ふっと不敵な笑みを浮かべながら、針子は言った。
その声に、ジュリアンははっとなって、針子を睨みつけた。
「彼女じゃないってば」
「はい、女将さん」
針子はジュリアンを無視して、ドレスを店主に渡した。
「ご苦労だったね、お給金はずむから」
「やった!だから女将さん好きよ!」
そう言って、針子は店主に抱きついた。
「じゃあ今から箱に入れるから。ちょっと待ってな」
「いいよそんなの」
「だめだね。女はそういうのを気にするんだから」
「…」
「あんたは、お会計の方を気にした方がいいんじゃないのかい」
そう言って、ジュリアンにすすすと請求書を渡した。
ジュリアンはそれを見て、不敵に笑った。
「ふうん。こんなもんなんだ。ちょろいね」
「ああそうかい。だったらさっさと出しな」
店主は馬鹿にしたように言った。
ジュリアンはポケットから札束を取り出し、カウンターに叩きつけた。
「おつりならいらないから。あんたにあげるよ」
ジュリアンは針子の方を見てそう言った。
「あんたに小遣いもらうほど、落ちぶれちゃいないわよ!」
針子は不機嫌そうに突っぱねた。
「二人とも、いい加減におし!ほらジュリアン、持って行きな」
きれいに梱包されたドレス入りの箱を、店主はジュリアンに渡した。
意外と重く、ジュリアンは少しよろけた。
「それじゃあ、楽しい夜をお過ごしください」
にやにやとした顔で、店主はそう言った。
針子は相変わらず不機嫌そうである。
「どうだかね、じゃ!」
ジュリアンはふっと笑って、駆けて行った。
「なんだか…楽しそうね、あの子」
針子はぽかんとした顔でつぶやいた。
「あんなに怒ってたけど、どこか浮かれてるような感じだったねえ」
店主は、面白そうに話した。
◇
ジュリアンは、町をひたすら走り抜け、橋の方へ向かった。
ニーナはまだいなかった。
(このまま、走り続ければ…)
ジュリアンは、大きな荷物を抱えて、ただただ走った。
走りながら、一抹の不安を抱えていた。
喜んでくれなかったらどうしよう。
パーティーに来なかったらどうしよう。
試しに着てもくれなかったら…
生まれて初めて、夜の市に誘ったときと同じような嫌な感覚が、よみがえってきた。
「はあっはあっ…」
息を切らし、ジュリアンはエリザが住む平屋を目指した。
なんとかエリザの家に着いたが、家の灯りはついていなかった。
(いないのかな…)
はあはあと息を荒らげながら、ジュリアンはこんこんとドアをノックした。
しんと静まり返って、誰も出ない。
ジュリアンが試しにドアノブを引っ張ると、扉はぎいと開いた。
恐る恐る家の中に足を踏み入れた瞬間、
「ここはあんたの家じゃないんだけどね」
という老婆の声がして、ジュリアンはびくっと身体を震わせた。
「いたんだ」
「いたんだ、じゃないよ。全く。この非常識者が」
「今日いないの?」
「…まだ帰ってきてないよ」
「ふうん…」
それを聞いて、ジュリアンは少しほっとした。
「で、何の用だい。今日はあれだろ、誕生日会とかなんだとか」
「そうだよ。だからこれ」
ジュリアンは、大きな荷物をテーブルの上に置いた。
「あの子に持ってきた」
「なんだいそれ」
「服」
「服?!」
それを聞いた大伯母は、突然大笑いした。
「本当に、あんたって人は単純なんだねえ!!おかしすぎて腹が痛いよ!!」
「はあ?!なんで?!あんたが言ったんじゃないか!!」
大笑いが止まらない大伯母を見て、ジュリアンは納得いかなそうに声をあげた。
「そうだけどさ、まさか本当に馬鹿正直に買ってくるとはさ…くっくっく」
「…」
(どいつもこいつも…)
ジュリアンは、恨めしそうな顔で、大伯母を睨みつけた。
「じゃあもう行くから。あの子に渡しといて」
「なんだ、帰ってくるまで待っていればいいじゃないか」
「これから別の子と約束があるんだよ」
「はあ、そうかい。さてはエリザに直接断られるのが怖いんだね」
にやり、として大伯母はジュリアンの方を見て言った。
ジュリアンはかっとなって、言い返した。
「違うよ!!約束があるのは本当だし、それにあの子が行きたくなけりゃ、別に来なければいいじゃないか!!」
ジュリアンは、ぷいっとそっぽを向く。
大伯母は、はいはい、というように揺り椅子を動かした。
「わかったわかった。じゃああの子に言っておくよ」
「何を?」
「お前さんが、愛してるってさ」
「ちょっといい加減にしてよ!!」
ジュリアンは真っ赤な顔をして、テーブルをたたきつけた。
「本当に、からかい甲斐のある男だねえ…」
「…」
大伯母は、ジュリアンのあまりに単純な態度に、面白さを通り越してあきれた。
「エリザが、仮に行かなかったとしても、泣くんじゃないよ」
「…泣くって誰が?」
ジュリアンは、大伯母のからかいに慣れてきたのか疲れてきたのか、ただぼそりとだけ返して家から出て行った。
「正直者で、いい人で、優しい…か」
大伯母はそう呟いて、微笑みながら揺り椅子をゆらゆらと動かした。
「ただの馬鹿とも言うね」
◇
エリザはだいぶ暗くなってから、家に戻ってきた。
「おばさん、ただいま!」
エリザは明るい声で、家に入った。
「ランプ、つけましょうよ、もう」
エリザは苦笑しながら、大伯母に話しかける。
「それよりエリザ、今日はいいものがあるよ」
「いいもの?」
「灯りをつけてごらん」
エリザは不思議そうな顔をして、手探りでランプに灯りをつけた。
すると、テーブルの上に見慣れない大きな箱が置いてあった。
「おばさん、これなあに?」
「なんだと思う?」
「…?」
「開けてごらんよ」
「いいの?」
エリザは少し戸惑いながら、恐る恐る箱を開けた。
そして、目を丸くして大伯母を見た。
「えっこれ…お洋服?!」
「そうだよ」
「ええっ?!」
エリザは興奮気味に、箱からドレスを取り出した。
赤紫色の美しいドレスが、エリザの目の前をひらひらと踊る。
「うわあ!素敵!!素敵ねえ!!」
エリザは両手でドレスを持ちながら、左右に揺らした。
エリザの脚はくるくると踊っている。
「これ、どうしたの?!おばさん、買ったの?!」
「いいや」
「そうよねえ、こんなお金、ないものねえ」
エリザはあはは、と冗談めかして笑う。
「ねえ、これ、どなたかの預かり物か何か?私、鏡で少しだけ合わせてもいいかしら!もちろん着たりしないわ!」
そう言って、エリザが鏡がある自分の部屋に行こうとしたとき、
「エリザ」
といつもより少し大きい声で、大伯母が言った。
「エリザ、それ、お前のだよ」
すると、エリザはぴたりと止まり、大伯母の方を振り向いた。
「え…?」
「お前のドレスだ。お前が着ていいんだよ」
「おばさん、何を言っているの?だって、おばさんが買ったのではないんでしょう?」
エリザは困ったように笑った。
冗談はやめて、とでも言いたげな顔であった。
「そうさ、買ったのはあたしじゃあないよ。でも、それはお前のだ」
「言っている意味がよくわからないわ…」
戸惑うエリザを見て、大伯母ははあ、とため息をついた。
「あんたの王子様が、置いて行ったんだよ」
「え…?」
エリザはぽかんとした顔で、大伯母の顔を見つめた。
「王子様…?」
「そうさ。それはそれは美しい、馬鹿で単純な王子様がさ」
「…」
エリザはまだぽかんとしている。
「もしかして、ジュリアンが…?」
それを聞いて、大伯母はにやっと笑った。
エリザの顔は、見る見るうちに紅潮していった。
「で、でもどうして?!こんな素敵なドレス、ジュリアンが私に贈る理由なんてないわ!」
「さあねえ…もしかしたら、今日の誕生会とやらに、お前も来いってことなんじゃないかい?」
「ニーナの…?」
エリザは、興奮で頭が働かず、ドレスを持ったままぼんやりと立ちつくした。
(ジュリアン…私が汚い服しか持っていないから行けないって気付いて…?)
エリザは思わずよろけた。
「でも…私…こんな…だめよ…」
「なぜだい」
「だって…こんな高級なドレスを贈ってもらうなんて…いけないわ」
「なぜいけない」
「…」
「エリザ、そんな理由にもならない理由で受け取らないで、あの子を傷つけるのかい?」
「!!」
エリザははっとして、大伯母の方を見た。
「そんなつもりじゃ…!」
「じゃあ、それを着て、行っておやり。あの子の好意を無駄にしないように」
「…でも…きっと似合わないわ…」
「着てみなけりゃわからないだろう」
「…」
エリザは、下を向いて、自分の部屋へ向かった。
(こんな美しい赤紫…似合うわけないわよ)
そう思いながら、エリザは身につけていた深緑色の汚い服を脱ぎ捨て、真新しいドレスの袖に細い腕を通した。
「…おばさん」
エリザは大伯母に呼びかけ、部屋から出てきた。
長くぼさぼさの髪の毛が美しいドレスの肩や襟元にはびこるようにまとわりついている。
「…」
「ほら、やっぱり…」
エリザは落胆したような声を出し、ため息をついた。
「エリザ、髪をとかすんだ。女の身だしなみは、まずは髪からだよ」
「髪…?」
情けない声で、エリザは答えた。
「くし…」
エリザはぶつぶつとつぶやきながら、くしを探し始めた。
(くしなんて…うちにあるのかしら…)
ごそごそと引き出しの中を探ると、古ぼけたくしが見つかった。
「あったわ」
そう言って、エリザは思いっきり自分の髪に絡ませた。
「いたっ!」
エリザの髪は、頑なにくしを通らせず、力任せにやっても激痛が走るだけであった。
髪のとかし方も知らないエリザを見かねて、大伯母は声をかけた。
「エリザ、そこにお座り」
そう言って、大伯母はエリザの髪を優しく撫でるようにとかし始めた。
「…」
くしが、するすると音を立てて自分の髪をすり抜ける感覚が、不思議と心地よかった。
「…おばさんに、髪をとかしてもらうのって、初めてだわ」
「…」
エリザは頬を染めてはにかみながら、嬉しそうに微笑んだ。
大伯母は、そんなエリザを愛おしそうな目で見つめた。
そして、エリザの髪をすき終わり、大伯母はふう、と息を吐いた。
「よし、もういいよ。鏡を見てごらん」
そう言われ、エリザは鏡を見に、奥の部屋へ移った。
鏡の中の自分は、先ほどとは別人のようにちゃんとして、光沢のあるつややかな栗色の髪を輝かせていた。
「髪をとかしただけで、ずいぶん変わるのねえ…」
エリザは感心したようにつぶやいた。
「おばさん、どう?さっきよりはずいぶんいいかしら!」
「ああ、若いころのあたしにそっくりだよ」
「まあ、そうなの?!」
エリザはくるくる踊りながら嬉しそうに答えた。
「冗談だよ、まったく」
大伯母は恥ずかしそうにそっぽを向いた。
「私…お誕生日会に出席しても恥ずかしくないかしら」
「ああ、問題ないよ」
エリザは顔を赤くして、嬉しそうに微笑んだ。
「まだ日は完全に暮れていないから。早く行きな」
「ええ、行ってきます!!」
エリザは、大伯母に手を振って、駆け足でニーナの元へ向かった。
(ジュリアン!ジュリアン!)
エリザは頭の中で、何度も少年の名を呼んだ。
(ああ、早くお礼が言いたいの!ジュリアン、あなたに…!!)
エリザは、はあはあと息を切らしていたが、顔は晴れやかで笑顔さえ浮かべていた。




