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第10話(1)

次の日の朝、ジュリアンは男の元へ寄らず、直接午前に依頼をした客の元へ赴くことにした。

町は夜の市の準備のせいか、いつもより人が多く、慌ただしいように見えた。


ジュリアンはそんな様子を横目でみながら、先を急いだ。



(できるだけ、さっさと終わりにしてやろう)




そうたくらんで、約束の時間よりだいぶ早く着いた。

午前の客は、老嬢で一人暮らしなので、時間が早まっても夫の存在を危惧する必要はなかった。




「あら、ずいぶん早いのねえ」

「ふふ、久しぶりだったから早く会いたくなっちゃった。別に大丈夫でしょ?ねえ、お姉さん」



まさかさっさと終わらせたいからとも言えず、うやむやにしながらジュリアンは甘えるように初老の女性に子猫のように抱きついた。

女性は「あらあら」と言いながら愛おしそうにジュリアンを抱きしめ、撫でた。

そして家の扉をパタンと閉めた。












その頃、エリザはジュリアンがいつ来てもいいように、せっせと部屋の掃除をしていた。

大伯母は揺り椅子に揺られながら、朝っぱらからばたばたと動き回るエリザをうっとおしそうに見ていた。


「別にいいじゃないか。あんな子坊主が来るくらいで、大掃除なんかしなくてもさ」

「子坊主だなんて、おばさんったら。せっかく来てくれるんだから、少しはまともにおもてなしをしたいわ」

「床掃除したところで、あいつは気付きゃしないよ」

「いいの!」


エリザは大伯母の文句を振りきって、雑巾をじゃばじゃばとすすいだ。



(何時頃に来るのかしら…ジュリアン、今日はお仕事なの…?)


エリザは雑巾を絞りながら、ふと思った。

そして、少し切なそうな顔をした。













午前の客を1回で終わらせ、金をせびり、家を出た。

大した儲けにはならなかったが、今のジュリアンには金より時間の方が大事だった。



(よし、この足で午後の客のところに行こう)




午後の客は、町に住む女性であった。

ジュリアンにとって初めての客であったが、こちらも未婚女性と聞いていたので、男の影を気にする必要はおそらくない。

男がいるとしたら、わざわざお金を払って他人に相手を頼むこともないからである。




ますます活気に満ちあふれる町へと戻り、彼は客のアパートがある一角に辿りついた。

町の通りに面し、各家の窓辺から小粒の花が咲き乱れる、小奇麗で洒落たアパートである。

ジュリアンや娼婦たちが住む、町の外れのアパートとは全く違う佇まいであった。



彼は人目を忍ぶようにさっとアパートの入口へと入り、客の部屋の扉をノックした。

すると、中から比較的若く、整った顔立ちの女性が出てきた。

しかし、その頬は真っ赤に染まり、目がうつろで焦点が合っていなかった。



(もしかして、酔ってる…?)



彼女は、ひっく、としゃっくりをして、ジュリアンに尋ねた。



「あなた…ジュリアン…?」

「そうだよ」

「あらあ、すっごく可愛い…」


そう言うと、おもむろにぬっと手をのばし、ジュリアンの頬に手をあて、自分の顔に近づけた。


(うわあ、お酒臭い…)


ジュリアンは思わず顔をそむけそうになった。

女性は気にせず、突然自分の唇にジュリアンの唇を押し付けた。


「んっ」


ジュリアンは思わず苦しそうな声をあげた。

女性はとろんとした顔つきのまま、そのままの状態を保った。


気が済んだのか、女性がふと顔を離すと、ジュリアンはすぐさまこう言った。


「ねえ、こんなところじゃなくてさ。部屋の中に入れてよ、お姉さん」


女性は酔っているせいか、少女のようにえへへと笑って、彼を部屋に入れた。

部屋はアパートの外観同様、小奇麗で女性らしい雰囲気で統一されていた。


しかし、部屋のあちこちに酒ビンが散らばっていて、まるで朝の娼婦屋を彷彿とさせる状態であった。


(これ…一人で飲んでたの…?)


ジュリアンはあきれて部屋を見渡した。


「ねーえ、ジュリアン…ロジーヌって呼んで…」


女性は背後からジュリアンに抱きつき、甘えるようにそうせがんだ。

そして、右手の指を胸の上でくるくると這わせ、左手で下半身をまさぐり始めた。


ジュリアンはびくっとして、はあ、と甘い息を吐いた。


そして彼は、自分の身体をいじくる女性の手を掴み、くるりと向かい合い、酔っている彼女を横抱きにして、ベッドまで運んだ。

ベッドに寝かせて自分が上に乗ると、ジュリアンは今度は自分から彼女に口づけをした。



「ロジーヌ…」



女性の希望通り、彼女の名を耳元でささやいて、服を脱がし始めた。

ロジーヌはうっとりした顔で、されるがままになっていた。













エリザは部屋の掃除がだいたい終わると、疲れ切った様子でテーブルの席に着いた。

大伯母は「なにをやっているのやら」とでも言いたげな顔で、エリザを見ている。


「疲れたわ…こんなにまじめに掃除したの初めてかもしれない。やり始めるとやらなくてもいいところまでやりたくなってしまうのよね」

「お前、掃除に夢中でジュリアンが来ることを忘れていたんじゃないのかい」

「そんなことないわ!」


エリザは慌てて言い返した。


「掃除が終わったから…次はスープを作らなくちゃ。今日は干し肉入りよ!」

「お前、ずいぶん奮発するんだねえ…ああもったいない」

「大丈夫、ちょっとしか入れないから。まだ残してあるわ」


少しけちな発言をした自分に笑いながら、彼女は食糧庫へ向かった。

食糧庫の棚にはこれといったものはないが、とっておきの日に食べようと思っていた干し肉の束が、ちょこんと置いてあった。


(いつものスープは確かに味がしないかもしれないけど…)


エリザは干し肉を数本抜き取った。


(これを使えば、きっとジュリアンはおいしいって言ってくれるわ…)


そして、にこっと笑った。


(ジュリアン、日が暮れる前には、きっと来るわよね…)


エリザは小さな窓からこぼれる午後の陽ざしをぼんやりと見つめて、小さく微笑んだ。













ジュリアンとロジーヌは事が済み、ベッドに倒れ込んだ。

ロジーヌはまだ酒のせいでうっとりした顔をしている。

ジュリアンは、はあ、と息を吐いて、服を着るために立ち上がろうとした。



そのとき、突然後ろから腕をひっぱられ、ジュリアンはベッドに叩きつけられた。


「いた…」


そしてロジーヌの方を見た。

ロジーヌはジュリアンの腕を掴んだまま、目をうるませながらこう言った。


「いやよ…まだ帰らないで…」

「悪いけど、今日はもう終わりだよ」


それを聞いたロジーヌは顔をひきつらせながら、



「いやよ!!」



と叫び、どんとベッドから飛び降りて棚から酒ビンを持ってきた。

そして、唖然としているジュリアンの首にぐいっと腕をまわし、無理やり酒ビンを口に押しつけ、どくどくと酒を流し入れた。


「なにす…ごほっ」


ジュリアンは大量の酒を一気に流し込まれ、苦しそうにむせ返った。

彼はロジーヌを払いのけようとしたが、信じられない力で押さえつけられ、引き離すことができなかった。


ロジーヌはなおもジュリアンに無理やり酒を飲ませ続けた。



「どうして…?あなたまで私を捨てるの…?ひどいじゃない、ひどいわ…」



彼女は何かにとり憑かれたようにうつろな目を見開き、ぶつぶつとつぶやいた。

ジュリアンは苦しさの余り、何度もむせ返った。

そのたびに、酒が口からあふれ出て、ベッドの上はびちゃびちゃになる。



「やめて…ごほっ…」



ジュリアンはあまりの苦しさに目に涙を浮かべながら、必死の形相で訴えた。

苦しさから来るのか、酒に酔ってきたのか、頭も次第にもうろうとしてくる。



ロジーヌはいったん飲ませるのをやめ、ジュリアンを押さえつけたまま酒ビンを口にあて、ぐいぐいと飲んだ。


「ごほっごほっ」


ようやくまともに息ができ、ジュリアンははあはあと息を切らし、ロジーヌを睨みつけた。


「ふざけんなよ…」


しかし、ジュリアンの視線は定まらず、ロジーヌがぼやけて見えた。

体に力が入らず、息がきれ、何も考えられない。


「はあはあ…」


ジュリアンは目をうつろにし、苦しそうに息を切らすばかりであった。

ロジーヌはぼうっとした表情で、ジュリアンを見下ろした。


「今日はだめよ…私の気持ちがおさまるまで、絶対帰さないから…」


そして、またジュリアンの口に酒ビンをあて、ちょろちょろと流し入れた。

ジュリアンは口の端から酒をどんどんこぼしながら、だんだん意識がなくなっていった。













西日がまぶしくなり、空はだんだんと赤くなり始めていた。

エリザはとっくにスープを作り終わり、テーブルに肘をついて、ただひたすら客人の到着を待っていた。



「…まだ来ないのかしら…」

「お前、本当にあの子が来ると信じているのかい?」

「何言ってるのおばさん。ジュリアンは必ずくるわ!約束したもの」

「あたしゃ、あいつはとうにそんな約束、忘れているとみたね」

「どうして?」

「だいたい、いかがわしい商売やってる男を、そんな簡単に信用できるわけないのさ」

「おばさん…どうして知っているの…?」

「お前ねえ、あたしゃそんなこと、あいつがここに初めて来たときから知ってたさ」

「…」


エリザはうつむいた。


「あたしゃね、お前があいつと仲良くすることを、止めはしないよ。商売だけで、人を判断するのはよくないことだ。ただね、もしあいつが本当にその程度の人間だった場合、傷つくのはお前なんだからね」

「…」


エリザは返事をせず、黙っていた。


(全く…あたしも余計なことを言ったもんだ…)


大伯母は、心の中でつぶやいた。

すると、うつむいていたエリザは、大伯母の目を見てこう言った。



「大丈夫よ、ジュリアンはきっと来るわ」












真っ暗になった部屋で、横たわる二つの影のうち一つが、もぞもぞと動き出した。


「ん…」


ジュリアンはうっすらと目を開けたが、しばしこの状況が理解できなかった。

横たわっているベッドはびちょびちょに濡れている上に、酒の匂いが立ち込め不快極まりなかった。

そして何より、自分自身、身体が重く、気分がとてつもなく悪い。



(気持ち悪い…)



そしてもう一度目を閉じ、もうろうとする頭で一生懸命状況を把握しようと努めた。

しばらくして、彼ははっと目を見開いた。



(しまった…!!)



ジュリアンは部屋が真っ暗になっていることにやっと気付いた。


(そうだ、こいつに無理やり酒を飲まされて…そのまま意識がなくなったんだ…)


隣で横たわる女性は、ぐうぐうと寝息を立てている。


(あの後のこと、全然覚えてない…こんな暗くなるまで寝てたのか…?)


女性を起こさないよう、ゆっくりと起き上がって窓から外を見る。

まだ完全に日が暮れているわけではなかったが、今から急いで家にランプを取りに行き、エリザの家まで走っても、着くころにはもう真っ暗になっているはずである。


(どうして…)


ジュリアンははあ、とため息をつき、落胆した。

そして、寝ている女性を睨みつけた。


(とにかく、ここから早く出なきゃ…お金はもういいや)


全く納得のいかない結果になってしまったが、金をせびるためにこの女性を起こしたら、また先ほど悪夢が再び蘇ってしまうかもしれない。

ジュリアンは服を身につけ、そっとアパートの部屋を出た。






酒が自分の体中をめぐっているような感覚であった。

足もおぼつかなく、頭がくらくらし、気分が悪くてしょうがなかった。

体の中だけでなく、無理やり口に流し込まれたときにこぼれ出た酒が、顔や首筋を通ってかぴかぴに渇いている。

それがなんとも不快であった。

髪の毛も酒で濡れているようであった。




(はあもう…最悪…)




ジュリアンはひたすら自宅への道を歩いて、水汲み場に直行した。

シャツを脱ぎ、顔と上半身をざっと洗い流し、口をすすいだ。

少々冷たかったが、それどころではなかった。


そして、ふらふらと自宅へ戻り、新しいシャツとズボンに着替えた。

鏡で見た自分の顔は、どう見ても酔っぱらいの顔であった。


「お酒弱過ぎだろ…」


ジュリアンはあきれて、鏡の中の自分に思わず話しかけた。

そして、ニーナにもらった招待状と、ランプを手にし、ふらふらとアパートを後にした。






町は夜の市のためにたくさんのランタンが飾られ、いつもの倍以上明るかった。

すでにたくさんの市場が出店し、人々も浮かれた様子で、とにかく大賑わいであった。


ジュリアンはその中をふらつきながら駆け足で通りすぎた。

自分の様子のおかしさに、道行く人が振り返る。


「おい、大丈夫か?」


ジュリアンはとにかくひたすら町を駆け抜けた。



町の出入口である橋の辺りまでつくと、もうそこは町からのわずかな明かりしか届いていなかったが、夜の市へ向かう人々のランプの灯りが、田舎道を点々と照らしているのでいつもより明るく感じた。


(とにかく…走って行くしかない)



ジュリアンは気持ちの悪さをこらえながら、必死でエリザの家を目指した。














もう、とうの昔に夜の帳は下りて、エリザの家の周りはしんと静まり返っていた。

テーブルの上にあるランプが照らすエリザの表情は、どんよりと暗かった。



「…」


(エリザ…)


大伯母はそんなエリザを見て、声をかける気にはなれなかった。

エリザが何か失敗をすると、いつもは「ほれ、言わんこっちゃない」というようなことを言ってのけるが、今回はそういう様子ではないのがわかった。



「…なんだか…眠くなってきちゃったわ…」


エリザはぼそっとつぶやいた。


「きっと、お掃除を頑張りすぎたせいね」


そう言って、あさっての方を向きながら、力なく笑った。

大伯母は哀れむような表情をした。


「エリザ…やっぱりもう、あいつと付き合うのはおよし」

「…」

「約束も守れないようなやつは、ろくな人間じゃないよ。それに、あっちからしたらこんなこと、くそとも思ってなかったのかもしれない」

「…」



(ジュリアン…そうなの…?)



エリザは、自分でもこんな気分になることが不思議であった。

昔、ニーナに約束をすっぽかされたことは何度もあったのに…

「全くもう」とあきれたが、次会うときは笑って許した。



「エリザ…」



いつになく優しい大伯母の声を聞いて、エリザはこらえていたものがあふれ出そうになった。






だん!!







突然、家の扉が大きな音を立て、エリザと大伯母はびくっとして振り向いた。

扉の向こうは、その後何の音もたてず、しんとしていた。


「なんだい…怖いね」


大伯母は嫌そうな顔をして、頭からかぶっているショールをかけ直した。

エリザは不審がりながら、おそるおそる扉に向かい、ドアノブを持ちそっと開けた。




すると、髪の毛を振りみだし、汗だくで息を切らした少年が前のめりになって倒れ込んできた。

エリザは思わず彼を支えて、叫んだ。




「ジュリアン?!」




大伯母は、今年一番の驚き顔をしていた。


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