【勘違い其の四】勘違いは彼女との初登校と共に……
「おはようございます。岸本先輩」
「……おはよう」
巨大な陰謀に巻き込まれて、俺が如月さんと偽りの交際を始めた翌日の早朝。
学校へと行く為に、玄関を出ると、何故か如月さんが居た……
取り敢えず毎朝の習慣で、何かを考える前に、朝の挨拶を交わしておいたのだが、ここで一つ新たな疑問が生まれた。
俺は如月さんに住所を教えた覚えも無いし、何時頃に家を出るのか何て、勿論教えてはいない筈だ。
先日の帰りも、如月さんを駅前まで送っただけだし、その間も軽く世間話をした程度で、一緒に学校に行こうという話すら出ていなかった。
しかし現に如月さんは、俺が毎日学校へと行く為に家を出る辺りの時間で、来訪して来たのである。
調度俺が、玄関の扉に手を掛けようとした時に、インターホンが鳴ったのは流石に俺も驚いた。
だがここまで考えたところで、俺は昨日の如月さんの告白を思い出す。
過度とも言える程に、正確に集められた俺に対する情報源。
如月さんが所属する大きな女子グループという名の組織が動いている事を考えれば、既に俺の住所なんて割れていて当然だったのかもしれない。
これはきっと、彼女達の常套手段の一つで、サプライズお出迎えと言うスキルと見て間違い無いだろう。
確かに美少女が朝からお出迎えをしてくれるという出来事に遭遇出来たならば、今を懸命に生きる青少年としては、極楽浄土にも匹敵する事だ。
更にそんな素敵イベントに、サプライズというコンボが決まれば、必殺の上に究極が付いて、格闘ゲームの体力ゲージの半分以上が消費されるであろう事は、自然の摂理である。
これが策略であると、正しく理解している俺でさえ、ハードパンチャーの右フックをボディーにまともに受けた様な衝撃を受けているのだから、心臓の弱いピュアな少年はこれでイチコロだろう。
「それじゃあ、一緒に学校に行きましょう。岸本先輩」
如月さんは背景に、煌びやかな光を纏っていると錯覚してしまいそうになるほどの眩い笑顔を俺に向けながら、俺のブレザーの裾を軽く摘んで来る。
その仕草に、俺は早くも白旗を上げそうになるが、そうは言ってもいられない事情があった。
「……少し待ってくれ。田中君に連絡する……」
いつも一緒に登校している田中君に一言連絡を入れておいた方が良いだろうと思って、ケータイを取り出したその時である。
「あ!それなら大丈夫ですよ。田中先輩は今日は日直で、先に学校に向かいましたから」
ケータイで電話を掛けようとした俺に対して、如月さんが当然の様に言った。
そこで電話を掛けるのを中断して、ケータイのディスプレイを見てみると、一件のメールが届いていたので、内容を確認してみると、今日は日直だから先に学校に行っているという田中君からのメッセージだったのである。
「私達も早く行かないと、遅刻しちゃいますよ?」
如月さんは朗らかな笑顔で、俺にそう言うと、掴んでいた裾を軽く引っ張ってくる。
俺は如月さんの所属するグループの誇る、情報収集の高さに改めて感嘆した。
ターゲットである俺の情報に詳しいのもそうだが、その近辺の人物についての情報すら網羅しているというのは、凄まじいものがある。
正直な話、その能力を生かせば学生の身分である今でも、探偵事務所を設立出来るのではないだろうかと、本気で思う。
「岸本先輩」
如月さんは、尚も俺の裾を引っ張り続けながら、俺を呼ぶ。
「私は岸本先輩が大好きです。私は岸本先輩の事なら何だって知ってるんですよ。だから岸本先輩が私の事を良く知らないって事も分かってるんです。だから岸本先輩には、いっぱい私の事を知ってほしいんです」
俺を見詰めながら話し続ける如月さんの瞳は、何時の間にか昨日の告白の時の様に、光のハイライトを失っていく。
「だから私だけの事を見てくださいね?私は岸本先輩の彼女なんですよ。それだけは忘れないでください……もしも私以外の女の子を見てたりしたら……」
顔は変わらず笑顔のままだというのに、その雰囲気は先程と180度違って見えた。
背中に寒気すら感じる程だ。
これが如月さんの演技だというなのだから、恐れ入る。
分かっていてもここまでのクオリティーなのだから、もしもこれが演技では無く、本気で言っているのだとしたら、俺は今頃恐怖のあまり縮み上がって逃げ出している事だろう。
巷ではこういうのがヤンデレと言われており、一部のコアな方々に爆発的な人気があるらしいが、俺にはその良さがイマイチ理解出来そうにない。
良く言えば一途と言えるのかも知れないが、行き過ぎな感が否めないのは、俺の正直な感想である。
流行っているとはいえ、何故そのチョイスを選んでしまったのだろうか?
もしかしたら、俺を吊るし上げる以外にも、このゲームは将来の女優を目指す如月さんの演技修行の場という側面が含まれているのかも知れない。
そう考えるのであれば、俺は如月さんの将来を大きく左右すると言えるのではなかろうか……
ならば人生の先輩として、如月さんの修行に全面的に協力する事も、不思議と嫌では無くなって来る。
「……分かったよ。努力する」
そういった事であれば俺は喜んで、如月さんの演技の勉強に付き合おう。
演技については素人な俺だが、幸いにも俺の残念な姉がそういったジャンルに、無駄に精通しているので、何かの役に立てるかも知れない。
「本当ですか?私……頑張りますね」
俺の熱意ある言葉に、素に戻ったのか、如月さんのハイライトの消えた瞳に再び光が灯り、僅かに涙ぐみながらそう俺に告げる。
この瞬間に俺は、今は騙す者と騙される者という関係であり、偽りの恋人を演じている俺達だが、確かな男と女の友情を築く事が可能だという事を確信した。