【勘違い其の三】勘違いは深すぎる考察と共に……
「私の名前は、如月雪菜と言います。あの……私!岸本先輩が好きなんです!どうか付き合ってください!」
彼女、如月さんは頬を朱に染めながら、その美少女に相応しい、可憐な声で俺に再度として、告白の言葉を囁く。
これは最早、魔法と言っても差し支えない威力だろう。
本気の告白では無いと解っていながらも、聞いているだけで、思考能力が削がれて、如月さんの全てを受け入れたくなる衝動に駆られる。
今回のターゲットが俺の様な、最近話題の草食系男子だから良かったものの、数は減ったとはいえ、今も確かに生息しているであろう肉食系な奴が相手だったら、下手をすればこの場で襲われていたかも知れない。
しかし俺のその考えは、間違っていたという事に、すぐ気づく結果となった。
「私、如月雪菜は心から岸本雄一先輩をお慕いしております。不良に絡まれて困っていた私を救ってくださった二ヶ月前のあの日から、毎日そのお姿を見守るだけで、今までは満足していましたが、もう私はその心を押し殺す事が出来なくなったのです。ご両親と二つ歳の離れた大学生のお姉様と、岸本先輩の四人家族で、向かいの家には幼馴染で友人の田中先輩が住んでいて、誕生日は8月8日のお昼で現在十六歳。身長は176cmで最近の日本人の高校生の平均としては若干高めで、体重は61kgの少し痩せ型。毎朝の日課は朝〇新聞の朝刊を読みながら、み〇さんの〇ズバッ!!をBGMに目を覚ます事で、最近趣味にしているのが、去年の誕生日プレゼントに、お姉様から頂いた青のトイカメラを持って、休日に散歩をしながら、気に入った風景や人物及び動物を撮影する事で……」
驚いた事に如月さんは、俺に関するプロフィールを言い淀む事無く、次々と喋り始めたのである。
その全てが正しい情報だというのにも驚かされるが、一番気になるのは、俺が二ヶ月前に、如月さんと会っている上に、不良に絡まれていたのを助けたと言うのだ。
悪いが俺の記憶には、そんな武勇伝は一つとして存在していない。
精々小学生の時に、近所に住んでいた年下の女の子が、野良犬に吼えられているのを見かけて、その辺に落ちていた長めの折れ枝を片手に振り回して追い払って上げた位である。
その女の子とだって、その場で御礼を言われた位で、別段その後に何かがあった訳でも無い。
「はっ!」
其処で俺は、文字通りはっとなって気付く。
これが如月さんの……いや、恐らく如月さんの所属する女子グループの大いなる作戦なのだと。
此処まで俺の個人データを詳しく調べ上げているのだ。
このリサーチ能力は個人というよりも、女子のネットワークという巨大な組織的力が働いていると考えるのが合理的である。
これだけ調べ上げていれば、その情報を基に俺が草食系男子であり、如月さんの様な美少女な後輩が魅力的な告白をしたとしても、すぐに手を出して来ないであろう事は、予めプロファイリングする事も容易であろう。
加えて、俺が不良から如月さんを救ったと嘘の情報を伝える事で、次の段階への布石を放ったのである。
例えそれが間違いだと言われた本人が解っていたとしても、こんな美少女に告白されたのであれば、思春期の最中にある純情な男子の殆どは、その甘い誘惑に負けて、間違いを正す事無く、付き合う事を承諾するだろう。
しかしそれこそが、彼女達の恐ろしい作戦なのだ……
付き合い始めた後に、それが間違いだった事に気付き、彼氏と彼女という関係が成立した後に、すぐ別れるという戦法を使う事が出来る、悪魔の様に狡猾な作戦なのである。
その時点で男子は、嘘吐きのレッテルを貼られる事となり、肉食系ならいざ知らず、草食系を最初からターゲットとして、選定しているのであれば、幾ら相手が美少女とは言え、その後の関係を持続させようとする輩は殆ど居ないだろう。
其処まで予想してしまうと、仮にその時に相手が予想外の行動を取ったり、告白されたその場で間違いを訂正されたとしても、それを補填する為の次なる綿密な作戦が用意されていると、簡単に予想出来る。
女子とはそれ程に、凄まじき存在なのだという事を、俺は今までの人生で、実の姉とその友人達を十年以上見て来た事で、嫌という程に理解しているのだ。
つまり俺は、今回のターゲットに選ばれた時点で、既に餌食となる運命になっていたのである。
この災厄を回避する事は、呼び出しを受けた時点で不可能。
今の俺が出来る事は、限り無く自分自身への精神的苦痛を和らげる事と、あと約二年間は残っている高校生活を平穏に乗り切る為に、大きな噂を広めない様にする事だ。
下手にこの告白を断れば、翌日には女子のネットワークによって、俺の悪評が広まっている可能性は大きい。
如月さんの様な、護ってあげたくなる女の子上位ランキングに入りそうな、美少女が相手ならば、噂を少し流すだけで、最後は俺が夜の鬼畜王と呼ばれる展開すら有り得る。
ならば俺が取るべき行動はたった一つ……
如月さんの告白を、取り敢えず受けて付き合うのだ。
既に振られる事が確定している出来レース。
しかしそれは気付いているのと、気付いていないのでは、大きな差が出てくる。
まず気付いていなければ、精神的なダメージが大きいのは言うに及ばず、如月さんの様な美少女を彼女に出来たのであれば、その日には全ての知り合いに、ツーショットの写メを撮って、チェーンメールに画像添付する事は間違い無いだろう。
友人の田中君は、飼い猫が子猫を生んだその日に、俺を含めて、当時のクラスメート全員に写メを送って来たのだ。
これが子猫でなく、可愛い彼女であれば、親戚一同にも送るのは当然として、ツーショット写真をプリントして作ったオリジナルTシャツを、家の軒先で、俺と彼女の愛の証という痛いのれんを手にして、配布活動を行う危険性すら有り得る。
だがそれも、真実を正しく理解していれば、最小のダメージでやり過ごせる筈なのだ。
情報を可能な限り、広がらない様に勤めた上で、彼女に対して、卑屈な位に誠意を持って行動する。
幾ら相手がプロだったとしても、血の通った人間なのだ。
誠意を持って接し続ければ、少なからず温情を与えて貰えるかも知れない。
俺を情けないと思う奴は、存分に笑えば良い。
しかしこれだけは覚えておいて欲しいと願う。
夢を見るのも目指すのも、決して悪い事ではないし、諦める事は断じて無い。
しかしそれが、本当に現実なのか、一瞬の幻に過ぎないのかは、この厳しい世界を生きていくには、見極めなくてはならないのもまた事実なのだ。
人は傷付きながら、一歩ずつ大きく成長していく……
そして俺は今日、未来を生きる為に、今日を戦う事を決意した。
父さんに母さん。
親友の田中君。
ついでに姉よ!
俺の戦い見守っていてくれ……
命を賭けて戦場へと赴く兵士の如き覚悟を決めた俺は、いまだに俺のプロフィールを延々と喋り続けている如月さんを改めて注視する。
「それで岸本先輩は昨日の放課後に田中先輩と、三丁目のゲームセンターに入って、両替機に千円札を入れて百円に両替してから、一昨日に来た時に、結局取る事が出来なかったUF〇キャッチャーの景品を……」
まるで台本を読んでいるかの様にスラスラと言い続ける如月さんの瞳からは、心無しか光のハイライトを失って、一種のトランス状態に入った様にも見えるが、それも如月さんの演技なのだろうか?
この心から、俺に心酔してストーカーになってしまった怖い人物を思わせる演技力……
彼女は将来、有名な女優となって大成するかもしれない。
姉の話では、昨今は一部で巻き起こったツンデレブームから派生した一つとしてヤンデレというのがあるらしいので、如月さんはそれを演じているのだろう。
きっと口下手である俺の性格を考慮して、特殊な設定を持って来て、様子を探っているのかもしれない。
さて……戦う事を覚悟した俺が、何時までも黙っているのは、幾ら騙そうとしているとは言えども、迫真の演技をし続ける相手に失礼だ。
「如月さん……で良いんだよね?」
俺が声を掛けると、先程まで喋り続けていた如月さんの口が、急に止まり、ハイライトの消えた瞳には再び意思の心が宿って、見る者全てを魅了させてしまいそうな、暖かな笑顔を浮かべる。
「……岸本先輩」
期待を込めた瞳と対峙しながら、俺は後何日の間、この笑顔を傍で見続ける事が出来るのかを考えながら、戦いの始まりを告げる、狼煙となる言葉を口にした。
「俺で良ければ……」