うちのぼっちゃまはことばがつよい
ん?
母屋の方が酷くバタバタしているわ?
お手伝いに戻った方が良いかしら?
「シャーリー!ここを任せて良いかしら?」
わたしより一年ほど先に仕事を始めたマリラさんに声をかけられる。
そう聞かれてうんうん、と大きく頷く。こちらも急ぎの仕事だから手は止めたくないの。
その顔をみてよろしく、と軽く手を挙げて母屋の方に走って行った。
何があったのか気になるけど、とにかく仕事を進めなきゃ。
マリラさんの分も頑張らなければ、と目の前の仕事に集中する事にした。
わたしの仕事はここゲイブルス商会で取り扱っている茶葉を、小売り用に詰め直す事だ。
計量して、袋に詰めラベルを貼る。
たったそれだけの単純作業から始めたわ。二年ほど続けて、今は少しだけ偉くなったの!お店の在庫を考えながら準備する茶葉の数を調整するところまで任せてもらえるようになったのよ?すごくない?
今はね、昨日から急に冷え込んだから体を温めるスパイスがたっぷり入った茶葉を沢山詰めているの。
今日は沢山売れるわよ!だって!
「まあ!頂上が真っ白よ!」
そう、わたしたちのアルイステン山に雪が降ったの!
ついこの間葉っぱが黄色になり始めたところで、早く真っ赤にならないかしら!って言っていたところだったのに、雪の方が早かったわね。
ちょっと残念な気もするけど、真っ赤な山のてっぺんだけ真っ白っていうのも良いのよねえ。
"アルイステン山には神さまが住んでいるのよ"
この街に生まれた子供たちが小さな頃から聞かされる言葉。
山に行けば木の実にきのこに、山の幸が沢山取れる。川では魚だって。
ここはそんなに栄えた街ではないけれど、山のお陰で飢えることは一度もなかったって聞いているわ。
だから子供たちは朝の挨拶としてまず最初に覚えるの。
"おはようございます、アルイーの神さま。今日もわたしたちを見守ってください"
今朝、わたしもそう挨拶してきたところよ。
そうするとね、不思議と今日沢山作る小分けのパックをどれにすればいいか分かるのよ。
「今日はスパイスティーを沢山詰めなきゃ」
てね。
そんなことを考えながら黙々と作業をしていたら、もうお昼になっていたみたい。
「シャーリー!今日はごめんね、ひとりで任せっきりになっちゃったわ。」
そう言いながら入ってきたマリラさんがとても重たそうに休憩用のテーブルにドン、と何かを置いた。
あまりの重たそうな音にびっくりして顔を上げると、そこには大きなお鍋が置いてあった。
「よいしよっと!あとはね…これも!」
焼きたてホカホカのパンまで。
「さあ!温かいうちにいただきましょう!」
このお店では裏で袋詰めをするわたしたち以外に、売り子のダイアナとお得意様に配送をするマシューさんがいる。
もうマリラさんが2人にも声をかけていたようで、私が手を止めて食事の支度を手伝い始めるといつの間にかみんな揃っていた。
「シャーリーお疲れさま!今日はスパイスティーを沢山用意して大正解よ!みんな次々に買いにくるもの。」
「ダイアナもお疲れさま。お店は寒かったでしょう?」
「本当に寒かったわ。急なんだもの、みんなびっくりよね。だから最初の挨拶がみんな!」
"こんにちはダイアナさん、今日はとっても寒いからスパイスティーをちょうだい!"
「なのよ。あんまりにもみんな同じ言葉で笑っちゃったわ。」
「ああ、配送もそうだよ。みんな同じさ。」
"こんにちはマシューさん。今日は冷え込んだねえ。こんなことならスパイスティーを注文するんだったよ!"
「って。今日回った10軒とも同じ挨拶だったよ。」
「まあ!それなら明日もスパイスティーの注文が増えそうね。午後からも沢山作っておくわ!」
温かい食事をとりながらみんなでわいわいと話す。
「あ、そういえばマリラさん?このお食事って…」
そう、みんな温かい食事にありがたい、と何も聞かずに食べ始めたが、普段は外に食べに行ったり買いに行ったりしている。
そしてたまにこうやって差し入れを頂くことがあるのだ。
差し入れがあるのは大体特別な日だ。
お祭りや年の瀬なんかで食べに行く暇も買いに行く暇も無いような時。
年明けのご祝儀代わり。
今日も確かに忙しかったけど、そこまで特別でもなかったのに。
「あー…それはねえ。」
マリラさんがお手伝いに行っていたからかしら?
「ちょっとね、母屋の方で厄介ごとがね。それでみんながみんなバタバタだったから、奥様がまとめて準備してくださったのよ。」
どこまで話すか迷いながらマリラさんが訳を話しだす。
「それがねえ、2番目のぼっちゃまが何かやらかしたらしくて…」
※※※
「カスバート!カスバート・ゲイブルズ!すぐ指導室にいらっしゃい!」
はあ、めんどくせえなあ。
カスバートは何事かとびっくりしてキョロキョロしている生徒たちを睨みつける。
「お前ら!ウザいぞ!こっちを見るな!」
慌ててみんな目を逸らすのを見て少し気が晴れる。
ゲイブルス商会はこの街の流通の7割を占める大きな商会だ。
ゲイブルス商会といえば多種多様な茶葉だと言われているが、それだけじゃない。遠い国々から茶葉を運んでくる時、方々に寄りながらいろんなものを仕入れてくる。
光沢が綺麗な布は花嫁衣装には欠かせないし、タオルと呼ばれる特殊な織り方の布はふかふかで、ここいらでみんなが使うペラペラの手拭いとは比べ物にならない触り心地だ。
そう。俺、いやゲイブルス商会に睨まれて買い物が出来なくなれば。
生活ができなくなる?流石にそこまでの影響力はないよ。でも。
暮らしのちょっとしたゆとりだったり潤いだったり。流行り物を手に入れたりも、無縁の生活になるだろうな。
「ちっ、目ぇ逸らすぐらいなら最初っから見るんじゃねえよっ!」
ガンっと側にあった机を蹴り付けてから指導室に向かった。
呼び出されて渋々向かった指導室には、先ほど呼び出しに来た教師の他に学園長と父の姿があった。
「父上?!こんなところまでどうされたのですか?」
驚いて声をかけた俺に向かって父は
「とりあえず座りなさい。」
としか言わなかった。それはそうだろう、父は忙しいのだ。
「全く!何のための呼び出しだか知りませんけど、父はあなた達と違って忙しいのです!この街は父が支えているようなものなんですよ!」
ドン!大きな音にびっくりしてそちらを向くと、父がテーブルを叩いていた。
「ほら!父だって迷惑だと…」
「いいから座れと言っておるんだ、バカ息子。」
あまりの驚きで固まってしまったが、慌てて座る。
ここまで父が怒りを露わにする様は初めて見た。一体、一体どんな…
「父をこんなに怒らせるなんて…一体!」
呆れて周囲を見回す。
「一体何をすれば君たちはこんなに父を怒らせることが出来るんだ。」
ため息と共に呆れたことを隠さずに伝えると、全員の視線がこちらを向いた。
……父も含めてその顔には。
「お前、何を言ってんだ…?」
困惑が広がっていた。
「伯爵、我々の苦労を理解して頂けましたか?一事が万事これなのです。」
父が平謝りしている。
「いやっ、本当に皆様方申し訳ないっ。普段からちょっとズレているなとは思っていたんだがここまでとは!」
父が、この街で誰もが一目置く父が!
学園長どころか一介の教師に頭を下げている。
あまりの衝撃に固まっていたが、父に
「私が怒っているのは!お前がやらかした事についてだ!」
と怒鳴られてしまった。
「え?ええっ!?俺のせい!?」
目を見開いて驚く俺を見て、学園長と教師が大きなため息をついた。
「その顔は、自分が何をやらかしたのか全く分かっていない顔ですね。」
いや、本当に俺は何もしていない。
「いや、だって俺…じゃなくって僕はそんな親まで呼び出されるような事何も!」
どんなに考えても何もしていない。
「まあ、貴方の日頃の学園内での態度を考えると、何が悪いかなんて思いつきもしないでしょうね。」
学園長の言い方にカッとする。だが、隣には父がいるからと気持ちを抑えた。
「ふむ、いつもの不遜な態度は流石にお父上の前ですると不味い、というのは理解しているのですな。」
その言葉に父がまた頭を下げる。
「誠に申し訳ありません、まさかこんな不遜な人間に育っているとはつゆとも知らず…この子の兄姉と教育に差をつけたつもりはなかったのですが。」
「いいえ、教育の差では無いでしょう。その証拠に妹さんはこういった問題は起こしてらっしゃらないですし、何なら…」
その言葉に苛々を抑えられなくなった。
「はあっ!?あんな意気地なしでそこら中でぺこぺこしている奴と比べるな!」
「我が家はこの街で一番、いやこの領内でも一番の商会なんだぞ!それをあいつは簡単に頭を下げて!そもそもっぶへっ」
父に殴られた。
「それ以上喋るな、我が家の恥晒し!」
父はハアハアと荒い息を整えてから学園長と教師に頭を深く深く下げた。
「皆様には大変ご迷惑をおかけいたしました。…こいつの今後については家族会議で決定いたします。1週間ほど猶予をいただけますか?」
学園長が頷く。
「ここは学園ですからな。過ちを認めてやり直す気概があるのならまた受け入れいたします。ただ、相手方の赦しが得られれば、という条件付きですが。」
「ええ、直ちに退学と仰られる事も覚悟しておりました。感謝いたします。」
再び頭を下げる父が発した言葉に驚愕した。
「えっ、退学?俺が?いや、だって、そんな事になったら。」
※※※
「えええっ!ぼっちゃまが退学に?!」
それは一大事である。
わたしたちは平民だから、学園を出ようが出まいがあまり関係ない。
まあもちろん、学園で学ぶ事で今後賃金の高い職にありつけるなど、メリットはあるだろう。
でも、平民は平民で文字と計算を教えてくれる学校はあって、そこでちゃんと学べば大抵の職業には就けるのだ。
でもぼっちゃまは。
「ぼっちゃま、学園を卒業できないと…予定している男爵位も貰えないですよね?」
そう、ゲイブルス家は伯爵位を賜っている。
そちらはお兄様が継ぎ、彼は子供のいない男爵家に養子に入り爵位を継ぐ予定だったのだ。
彼が男爵を継ぐためには…。
「そうね、成績はともかく最低でも卒業しないとあの話も無くなるでしょうね。」
学園を卒業する時に授与される証明書を持って爵位継承の資格が得られる。退学になるという事は資格が得られないという事で。
「それで朝からあんなに大騒ぎだったんですね。」
それは大騒ぎになるだろうな、と納得した。
「そうなのよ、それで母屋の人達がね…」
※※※
「マリラさん、急にごめんなさいね。こちらはもう通常業務どころではなくて。」
慌ただしく呼び出されてみれば、最近になって覚え始めた、帳簿付けの応援要請だった。
指示を出すハモンドさんを除いていつもの帳簿担当はみな忙しく外出の用意をしていた。
「何があったんですか?」
とりあえず聞いてみたが、ハモンドさんの答えはよく分からなかった。
「それがな、どうやらぼっちゃまが学園でやらかしたみたいなんだ。けれど何をやらかしたのかは教えてもらえなかったらしくてな。」
要するに、ぼっちゃまは学園退学の危機という、貴族の子供にはあるまじき状況らしい。
けれど…
「ぼっちゃまは何が問題か把握していない?」
「そうらしいんだ。とりあえず旦那様が学園に出向かれたのだが、学園長も教師も教えてくれなくてな。」
なるほど。相手方が。
「何が悪かったか、この後どうするべきか、自分で察せない貴族など要らん!」
とおっしゃった事で旦那様は右往左往されているのだそうだ。
とりあえず、学園に通っている者たちへ何か知らないか、総出で聞いて回っているのだそうだ。
学園でのぼっちゃまの態度を見て、旦那様は
「これは洒落にならないことをしでかしているな。」
と、察したそうだけど、それ以上のことはわからず。
それでも何人かに聞き取れたそうだが…
「えっ、3人に聞いて3人ともちがう事を答えた?」
※※※
1人目は
「あー、そこまで怒らせるとしたらあれかなあ。先日の音楽祭で王都から来たピアニストの件かなぁ?」
王都からわざわざ招いたピアニストの演奏はとても素晴らしかった。いつまでも鳴り止まない拍手がしばらく続き、ようやくまばらになり始めた時、その声が響き渡った。
"なんだ、王都から来たと聞いたからプロかと思ったら。ちょっとお上手な素人のお嬢さんか"
その声はただでさえ音が良く響くホールで端から端まで皆に聞こえるほどの大声だった。
もちろん本人にも丸聞こえで、唖然とした後涙を見られないよう足早に舞台から降りたという。
ちなみに演奏はとても素晴らしかったし、そのピアニストは"素人のお嬢さん"なんかではなかった。音楽の都と呼ばれる国で新人賞を取ったばかりの新進気鋭の15歳の少女だった。
その報告を聞いた旦那様はしばらく頭を抱えてから、家令の一人にそのピアニストへ謝罪の品を送るように手配した。
「……確かに酷い話ね。わたしだったらそんな声が聞こえたら泣いちゃうわ!」
彼女の気持ちを思ってぷりぷりしていたら、マリラさんがため息をついた。
「まだ一人目よ。この先はもっと…」
二人目から聞き出した事もまた衝撃だった。
「ん?カスバート?あー…あのことかあ……」
何か知っているようだが話す事を渋る。どうしても、と頼み込むと条件付きで教えてくれた。
「カネ?いやいや違う違う!俺が話したって事、絶対にカスバートにバレないようにできる?できないなら絶対喋らない!」
絶対にバラさないと固く約束をして語ってくれたのは…
「あーあ、今回の課題は面倒だったよなあ。でも、まあ割と細かいところまで作り込めたからクラスのトップは俺だろうな。」
自信満々にカスバートが周囲に話していた。造形の授業での事だった。確かにいつものカスバートからしたら真剣に取り組んだ方だろう。だって。
「各クラスのトップは街の美術館に飾ってもらえるんだろ?父上も鼻が高いだろうな。」
そう、毎年行われる美術展の学生部門として出品されるのだ。だから、カスバートだけじゃなくみんな力が入っている。
「なっ、なんで俺の作品じゃないんだよ!」
カスバートは確かに頑張った。今回に関しては本当に頑張った。けれど他にも頑張っている者はいて。カスバートの作品は惜しくも次点、二番目になってしまったのだった。
「あいつのせいで!父上に恥をかかせやがって!ゲイブルス商会への気遣いが足りん!」
ずっとそんな怨嗟の声を上げ続けるカスバートに誰も言えなかった。
(そもそも代表作の選考人、お前の親父じゃん!)
確かにカスバートの作品は一位でもおかしくない程度には仕上がっていた。それに選考者は作者の名を知らされないから、身内だからと遠慮した訳でもない。
単に一位の作品がカスバートの物より優れていただけだ。
「あーあ、どう考えてもトップは俺なんだけどなぁ。親父は、あんなに大きな仕事をしていて、町で一番偉いというのに!謙虚だから息子の作品は選べないんだろうなぁ!」
違うと思う。
一位と二位を見比べるれば、確かにカスバートの作品は一位になるポテンシャルはあったけど。
一位の作品は、飛び抜けていた。クラスどころか、学校全体でも飛び抜けて出来のいい物であった。
「あーあ、そんな選考者の都合で一位が自分に転がり込んできても喜べるんだなあ!俺なら恥ずかしくて辞退させてくれって懇願するわ!」
それをしつこくしつこく、三日ほど付き纏われてとうとう一位の生徒は教師に言った。
「出展、辞退させてください。」
今さら壊れた訳でもないのに辞退できないよ、と教師が告げた翌日。
雪を纏ったアルイステン山に降り立つ、神の遣わされた火の鳥。
その長く伸びた尾がポッキリ折れていた。
「なっ!アイツの作品が出展されたのはそんな理由で?!じゃあ壊したのもアイツなのか!」
初めて知る事実に旦那さまは目を見開いていたが、
「いいえ。作者自ら折ったという噂です。泣きながら尾を撫でている姿を見た者がいたそうなので。」
怒りに任せて破壊されるより、自分で丁寧に折り修復する事を選んだらしい。
なお、その作品は修復後に国のコンクールに出品され大賞をとる。それをきっかけに彼は"アルイステンの山神に愛された男"という二つ名を賜り、アルイステンの山をモチーフに数々の国宝級の作品を作るのだが…それはまだ遠い未来の話。
あまりの話に頭を抱えた旦那さまだったが、家令を呼び、
「そのクラスメイトには王都で美術を学ぶ気があるなら支援する、と伝えてくれ。」
才能を伸ばす為の環境を用意する事で詫びることにした。
「……それってわたし達にまでチケットが配られた美術館の特別展示の事ですよね?」
「そう、あれよ。確かにとても出来が良かったわ。ぼっちゃまもすごく誇らしげだったでしょう?」
「ぼっちゃまは、その…壊していなかったとしても、自分のせいで作品に傷が付いたとは思わなかったのかなあ。」
わたしの呟いたひと言にみんな何も答えなかった。
「……考える人は、そもそも辞退を強要しないでしょうね。」
温かい食事、美味しく食べられる話題じゃなかったなあ。
沈黙の中黙々と食べるみんなを見渡して思っていた。
マシューさんがとうとう口を開く。
「聞きたいような、聞きたくないような。…まだ三つ目があるんだよな。」
「そうね、それもみんなには話さないとね。けど、一旦仕事に戻りましょうか。続きはまた。」
皆、ちゃんと仕事できてるかな?わたしはしばらくの間計量を間違えたり、袋に入れる時溢してしまったりと失敗ばかりしてしまった。
これはダメだ!と頰をパン、と自分で叩き気合を入れ直して集中する。
黙々と、何も考えずに。
トントン、軽く肩を叩かれてビクッとなる。
「ああ、マリラさんかあ。集中してて気が付かなかった!」
「ふふ。そうよね。わたしもさっきの話で気が散って気が散って。心を無にして帳簿を付けてたから分かるわ。けれどもう良い時間よ?帰り支度しましょう。」
※※※
「おはようございます、アルイーの神さま。今日もわたしたちを見守ってください」
今朝のアルイステン山もとても綺麗だ。
今日は昨日よりは暖かそうね。昨日の雪は溶けて、グッと紅葉が深まってきたわね。
とはいえ、吐く息は真っ白。今日もスパイスティーがたくさん売れそうだわ!
さあ、今日も頑張ろう!
「シャーリー、今日も午前中だけ一人で頑張ってくれる?」
「はい!大丈夫ですよ。マリラさんもまだ慣れてないのにいきなり帳簿付けが続いて大変ですね。」
「そうね、でもいつかはやらなきゃいけない事だからね。シャーリーだって、あと2〜3年でやる事になるわよ。」
ゲイブルス商会では簡単な仕事から始めて、どんどんいろんな仕事を経験していく。
旦那様はとても公平な人だから、わたし達が平民でも貴族でも仕事へのチャンスは公平に貰えるのだ。
マシューさんは男爵家の人らしい。隣町で、小さいけれど商会を営むお家なんですって。将来はそちらを継ぐ予定なんだけど、お父さんから
「我が家の規模では体験できない仕事は沢山あるからな。」
と言われて、ゲイブルス商会で修行しているんですって。
今は配送をしながら沢山の人と話をして、相手の求めるものを会話から引き出して商売に繋げる練習をしているそうよ。
頑張っているマシューさんを見るたびに、旦那さまは冗談とも本気とも取れる言い方で、
「マシュー、実家は弟さんに譲ってうちで支店を出さないか?」
って言ってるわ。旦那さまも無理なことは分かってるし、マシューさんも本気でないと分かってるだろうけど、最高の褒め言葉でしょうね。マシューさん、とっても嬉しそうだもの。
わたしは根っからの平民で、お父さんもお母さんもゲイブルス商会に関連するお店で帳簿を付けたり商品を売ったりしているの。
お父さんもお母さんも頑張り屋だから、旦那さまからこう言われたんですって。
「君たちの娘さんだろう?なら身元の保証どころか、一所懸命働いてくれるところまで保証されているようなものだ。街の学校を出たらゲイブルス商会も就職先として考えてほしい、って伝えておいてくれ。」
お父さんもお母さんももちろんわたしだって!嬉しくてもちろん!ってすぐ働くことに決めたわ。
……そんな風に誰にでも優しくて、真面目な人には報いてくれる旦那さまなのに。
なぜぼっちゃまはああなってしまったのだろう。
その日のお昼に聞いた、ぼっちゃまの三つ目の話は前の二つに輪をかけて酷いものだった。
※※※
その日のぼっちゃまはとても機嫌が悪かったそうだ。
ぼっちゃまは勉強が好きではない。剣技もそこまで本気になれない。けれど、乗馬訓練だけは好きだった。
馬に乗ると視界が高くなるし、あんなに大きな動物を自分の声と手綱だけで従わせられるのだ。好きにならないはずがない。
だけどその日は違った。
「おい!ちゃんと走れ!のろま!」
いつもなら鎧を強く蹴るとスピードを上げる馬が、今日はノロノロと歩いているのか?という速度でしか進まない。
いつもにも増して脚に力を入れて蹴り付ける。
ヒヒン、と情けない声をだして少し速度を上げたがこのままでは!
「おい!のろま!そんなことじゃアイツに負けるだろう!ちゃんと仕事をしろ!」
蹴っても蹴ってもそのままなので、とうとう鞭を打つ事にした。
…本来はまだ授業では使ってはならないと言われている。見つかったら大事だ。
だけど今は早駆けの訓練中で、そばに教師の目はない。
アイツに遅れをとる事だけはプライドが許さないからな。そもそも俺は学園に入る前から乗馬訓練はしていたんだ。鞭の使い方だってちゃんと教わっている。
何事もにも慎重に、なんて言葉で必要な物を使わせない教師が悪いのだ。
そう思い、思い切り鞭を打った。
案の定のろまでサボり癖の付いた馬が走り出した。
ぐんぐんスピードを出してアイツの姿が見えるところまで来た。
一気に抜かしてやる!そう思ってもう一度鞭を打った時。
馬が急に前脚を振り上げた。
二本脚で立ち上がったような状態の馬は大きくいななき右に進路を変え…そのまま来た道を帰り始めた。
「お、おいっ!のろま!反対だ!それじゃあスタート地点に戻ってしまう!」
慌てたのと怒りで大きな声を上げながら、いう事を聞かせようと鞭を何度も振るう。
その度に馬は速度を上げ…スタート地点に戻ってしまった。
帰って来た俺を見て、ポカンとしていたクラスメイト達が…どっと笑った。
「まあ、よくある事ですからね。次の早駆けで採点する事にしましょう。」
教師はそう言っていたが俺の怒りは治らなかった。
「こののろま!」
降りながらそう悪態をついてやった。
だが馬は我関せずとばかりにぶるると言いながら忙しなく足を動かしている。
と、そこへアイツまで帰って来た。
「なんだなんだ!二組も帰ってくるとは前代未聞だな!」
教師の言葉にまた笑いが起きるが、アイツは自分の馬から降りると慌ててのろまの方に向かった。そして宥めながら、右の前脚を持ち上げた。
馬が抵抗せずに脚を上げさせるなんてなかなかない事だ。特に俺たちは自分の馬に乗っている訳ではないからな。それをあんなに簡単に。
「先生!これを見て下さい!」
教師が駆け寄って一緒に見る。
どうやら蹄鉄の一部が欠けていたようだ。
「いつもなら勝つか負けるかの勝負になるカスバートが来ないからどうしたのかと思ってたんだ。そしたら途中ですごく大きな嘶きが聞こえたから心配で。」
「なるほどね。この状態なら早駆けなんてできなかったろう。カスバート君、よく落ちずにここまで戻って来られたね。」
褒められて悪い気がしなかったが、その後の教師の言葉で全てが台無しだった。
「それにしても嘶きだけで気がつくとは。流石だな。」
あんな蹄鉄の状態の馬を乗りこなしたんだぞ!称賛されるべきは俺じゃないか!
だからその日から毎日言ってやることにしたんだ。
「おい、お前なんか臭くないか?」
ってな。
アイツは馬が好きらしくてしょっちゅう厩舎に出入りしているからな、臭いというのも言い訳が立つ。
「馬糞でも踏んだんじゃないか?」
「いや、長靴履いてたし、服も着替えたんだけどなあ…」
くんくんと臭いを嗅いでいたが分かるわけがない。周囲も別に?と不思議そうな顔をしたが余計なことを言いそうなやつを睨みつけてやった事で、俺の意図が分かったようだ。周りは何も言わなくなった。
それからも毎日毎日言い続けた。
頭が臭い、身体が臭い、馬糞の匂いが染み付いてる。
毎日言い続けていたある日、とうとうアイツが言い返して来た。
「毎日頭も身体も洗っているし、厩舎に行った後は着替えている。当然服も毎日洗ってる、あとは何をすれば臭くなくなるか教えてくれよ。」
ここだ!こいつが弱っている時に最大の攻撃をしなければ!
「そんなの知らねえよ!お前の存在自体が臭いんだよ!」
どれだけショックを与えてやれたか、気分良くアイツを見ると。
「そうか。じゃあ努力しても無駄って事だな。」
冷たい目でじっと見てから、荷物を纏めて帰っていった。
「ふん、臭いのが居なくなって空気が美味しくなったな。なあ!お前らもそう思うだろう?」
誰も目を合わさず誰も何も言わなかった。
…その日以来アイツは学園に来なくなった。
「バカなやつだなあ。ちょっと言われたぐらいで平民まっしぐらなんて!」
卒業できなければ平民になるしかないのだ。ちょっと言われたぐらいで学園に来なくなるなら、平民として生きていけば良い。
ふん、意気地なしの負け犬め!
※※※
「ぼ、ぼっちゃま…。ちょっと言動がズレているとは思っていたけど、そんなことを平然と言える方だったなんて…!」
あまりの酷い内容に何も言えなくなってしまった。
「前の二つも酷かったけどなあ。今度のは、その少年は学園に来なくなったんだろう?」
「そうなの。その方のお祖母様が激怒されてね。」
"そんな野蛮な猿が好きに喋るような所に孫はやれません。"
「だってさ。学園長も全くその通りだから言い返せなくてね。」
「じゃあやっぱり、今回の退学騒ぎはこの件が原因ってこと…なんですかね?」
「恐らくね。」
酷い話だとは思うが、わたしから見たら雇い主である旦那さまのお子さんだ。
ひどいひどい、と何も考えずに責めることもできず黙り込んでしまう。
「実は旦那さまももう諦めていてね、男爵家の養子の件は断る算段を付けているんだって。」
えっ!目を見開いてしまった。
「そりゃそうでしょう?堂々とみんなの前でやってたから証言は沢山集まったらしいし、復学の条件が"先方が謝罪を受け入れること"なんだから会えないのにどうしようもないわよ。」
ぼっちゃまはどうなるんだろう?
一度だけ見かけた時はなんだかとても偉そうだったし、良い印象は無いんだけど。
「良い印象は無いけど、貴族のご子息が平民になったら暮らしていくのは大変そうね。」
「そうね、わたしも良い印象は無いけど…」
「おいおい、二人ともひどいな。」
「でもマシューさん、わたしもあんまり良い印象は無いのよ?だから。」
そう、だから誰も濡れ衣だとも酷く言い過ぎとも思いもしなかった。
しばらく沈黙が続いたけど、マリラさんがパン!と手を叩いて。
「さあ!そろそろ仕事に戻りましょう?ぼっちゃまがどうなるにせよ、わたし達はわたし達の仕事をしなきゃ!」
それもそうだわ。午後の仕事に集中しよう。
※※※
それからしばらくして、ぼっちゃまは本当に学園を退学になった。
でも、首の皮一枚で平民にならないで済んでいるみたいよ?
「気に食わん。自分が上と見れば威張り散らす輩は気に食わんのだ。」
やはり退学の原因はしつこくしつこく臭いと言った事だった。
その中でも一番問題視されたのは。
「臭いってのは主観だから、臭いと本当に感じたのかも知れん。だがな。」
"存在自体が臭い"
「これはいかん。存在自体が臭いと言いながらその臭いをどうにかしろ、っていう事は存在自体消えてしまえ、と同義だからな。」
"しかも、その後帰宅した孫の事を平民まっしぐらと言ってバカにしたらしいじゃ無いか"
どうにかこうにか先方に頭を下げまくって謝罪の場を設けてもらったけれど、旦那さまはこれを聞いてもうダメだ、と諦めがついたんだって。
ぼっちゃまはえ、とかいやそんなつもりは、とかどうにか誤魔化すことが出来ないかと画策したみたいだけど、一喝されておしまい。
「このたわけが!自分から出た言葉くらい自分で責任を持て!」
謝罪でもなく、反省でもなく。自分の正当性をどうにかこうにか主張しようとしたその姿勢に、相手方は頑として謝罪を受け入れなかった…ってそりゃそうよね。平民のわたしでも分かるわ。
それなのに退学が決まった時の悪態もすごかったんだって。
「くそっ、それくらいのことで伯爵の子息を退学させるのか!来年度からこの学園を選ぶものが減るぞ!いざという時生徒を守らない学園だとな!」
「…それで構いません。」
「覚悟しとけ!そこいら中で言いふらしてやる!」
「どうぞ。その代わり。」
学園長は静かにキレていた。だから、ぼっちゃまが不味いと理解して頭を下げようとした時にはもう遅かった。
「今回の件については、貴族の子息の退学者を二名も出してしまいましたからな。王都の管轄部門に報告しなければならないですしね。」
「その際、官報に掲載を希望することにしましょう。そうなれば我が学園の方針が保護者の皆さんにも正確に伝わるでしょう。」
学園長の言葉に不味いとは思ったがもう逃げ道はない。
「誰が何を言って退学に追い込んだか。誰が何の責任を取って退学になったのか。君の今後の人生を慮って官報掲載は見送るつもりでしたが…いや全くの余計なお世話のようですからな。」
※※※
「シャーリー、そろそろ片付けましょうか。」
マリラさんに言われてふと顔を上げるともう陽が傾いていた。
「わっ、集中していて気が付かなかった!早く片付けますね!」
バタバタと後片付けを始める。
マリラさんが手を動かしながら世間話を始めた。
「ぼっちゃま、向こうで頑張っているんだって。」
そう、ぼっちゃまは退学になった。けれども。
「…何というか、筋が一本通ったおばあさまだったんですね。」
臭い臭いと言われて突発的に学園を辞めたと思われていた彼だったが、なんと!
「すでに必要な単位は取っていたから、王都で認定試験を受けて卒業資格を取った?」
そもそも彼は王都に住む子爵家の子息だ。騎馬隊の隊長を代々努める家柄だから、こんな地方の学園に来る必要はなかったんだって。
それが。
「馬好きが過ぎて学生の間だけ、と頼み込んでこちらの学園に?」
わたし達の住む街は商業で栄えているけれど、隣街は馬の産地として有名なの。
生まれた頃から馬に囲まれていた彼にとって、隣町は憧れの地だったそうで。
べったりと馬を堪能できる、という邪な考えでこの地を学舎として選んだそうだ。
そしてそんな邪な学舎選びを許してしまうご家族も大概の馬好きで。
その中でも一族の長であるお祖母様が、
「彼の地で生まれ育ったんだろう!君だって素質があるはずだ!」
馬好きってそんなに熱い人ばかりなのかしら?わたしなら自分の孫にあんな事をした人、到底受け入れられないけどなぁ。なのに。
「騎馬隊に従事するなら、転学扱いにして卒業資格を取らせてやるよ。」
そう言って攫って行った。
「なんだよー臭いところは無理だって言ってんだろー!!」
最初そう叫んでいたぼっちゃまも今では大人しく馬の世話をしているそうだ。
案外性に合ってたらしくて。
「え!騎馬隊で厩舎担当になる?」
そう、向こうで本腰を入れて働くことになったんだって。
ちゃんと卒業資格も取って、貴族の立場も死守できたから予定通り男爵家の養子にもなれたらしくて。
「経験積んで戻ってきたら、男爵さまと一緒に馬の産地として盛り立てていくのが夢なんですって。」
「へえー。やればできる人だったんだね。あんまり良い印象はなかったけど、頑張ってらっしゃるなら何よりね。」
「そうよね。やればできるのよ!まあ、あんまりいい人ではなかったけどね。」
「だから、君たちはもう少し口を慎みなさい。」
いつの間にかやって来たマシューさんに怒られたけれど。
でも、
だってねえ、
まあ…そうだな。
あんまり良い印象は無かったけど。
「ぼっちゃま頑張れ!」
声がぴったり合ってしまって大笑いしたのだった。
裏設定というかなんというか。領地は北海道の各地をイメージしていたりします。
アルイステン山は藻岩山、馬の産地は新ひだか町。
ゲイブルス商会は芦別市…は流石に分からないですよね。
あ、それぞれはお隣なんていう距離じゃないです、あしからず。
藻岩山の紅葉は今が見頃なんですよ、日の入り前に登って夕陽〜夜景まで見るのがおすすめ!




