お姉様の秘密は口外無用です!
拙作「お前を愛することはない」(略)の脇役キャラが出てきます。それぞれ独立した話なのでそちらを読まなくてもお楽しみいただけます。
「へぇ~! お姉様はドワイトという方がお好きなのですね?」
「ひっ?! なぜジャノンがここにいるの?!」
私、コーラル・ダウニングが就寝前の習慣で日記をしたためていると、急に妹の声が耳元で響いた。
侍女も下がった一人きりの自室。
完全に油断していた私は、肩をビクリと跳ね上げた。
弾かれるように振り返ったら、至近距離でジャノンと目が合う。
彼女は私の肩越しに覗き込んでいた模様。
え、ほんとに近い。
こんなに近付かれても気が付かなかったなんて、私はどれだけ日記に集中していたのでしょう。
「もう! ジャノンったら、勝手に人の部屋に入ってきてはダメでしょう?」
今さらだけど日記を手の平で隠しながら、私はジャノンに苦情を言う。
彼女は悪びれた様子もなく、ちょっとだけ唇をとがらせた。
私たち姉妹はダウニング伯爵家の娘。令嬢と呼ばれる立場だ。もう少し年齢が上になったら眉をひそめられる仕草だけど、ジャノンはまだ十歳。子供だからと笑って許される。可愛い。
「だってお姉様。ノックしてもお返事がないんですもの」
「だからといって、勝手に入ってきてはいけません。マナーの基本中の基本よ?」
「もう、お姉様ったら。そういうのを堅苦しいと言うのよ、きっと。仲良し姉妹なんだからいいじゃないですか」
「いくら姉妹でも、ですよ。親しき仲にも礼儀ありっていうでしょう?」
「他人行儀っていう言葉もありますよね?」
なかなか切り返しの上手い十歳。でも私は十六歳で、彼女の姉。言いくるめられるわけにはいかない。
「ジャノン。自分が悪いことをしたのに、理屈を捏ねて誤魔化そうとするのはおやめなさいな」
やんわりとした口調でたしなめると、ジャノンは片眉を上げる。
あら。生意気な顔をするわね。
そんな顔も可愛くて、思わず笑みを浮かべてしまいそうになるけど。ここは我慢。姉としての威厳を保たなければ。
「あら、誤魔化そうとしているのはお姉様でしょ? その手元にあるのは日記よね?『今日はドワイト様と三回もお話をした。しかも彼から話しかけてくださったわ! なんて幸せな一日!』」
「きゃぁぁ! 言わないで! わざわざ口に出さないで! 忘れてちょうだい今すぐに!」
「無理です。私、物覚えは良い方なの。お姉様もご存じでしょ?」
「……そうなのよね! 意外と頭が良いのよ、貴女は!」
ジャノンと私は六歳も年齢差がある。
でも、最近は彼女流の屁理屈を駆使して論破されることも少なくない。
頼もしくもあるし、懸命に考える姿が愛らしくて、わざとこちらが折れてあげることもあるのだけど。でも今回はしっかりと言い聞かせなくてはダメね。
「だけどね、貴女が読んだのは私の日記なの。私の心の中を覗いたのと同じなのよ。そんなことされたら、私、貴女のことが嫌いになりそうよ?」
「えっ?! き、嫌いになるのはダメです! お姉様は私が大好きでなければならないのです!」
嫌いという言葉に顔色を白くしながら力説するジャノン。さすがに焦っているみたい。
この反応は姉冥利に尽きる。でも、ここでうっかり可愛いなんて言っちゃダメ。元の木阿弥よ。この子は絶対に調子に乗る。
私は心に家庭教師を宿して畳み掛けるように諭した。
「そうね。私も貴女を大好きでいたいわ。大切な可愛い妹だと思っていたいの。だからね、他の人の日記を勝手に読んではいけません。貴女も、心の中で大切にしていることがあるでしょう? それを勝手に知られるのは嫌ではないかしら?」
「えーと……。私、思ってることはだいたい口に出してしまうから……あんまりないかなぁ」
「……………」
それはそれで問題だ。
十歳といえば淑女の入り口。ジャノンの家庭教師は何をしているのかしら? 年が離れているから、私のときとは違う教師に教わっている。きっとおおらかな先生なのだわ。ジャノンの授業風景を一度覗いたほうがいいかもしれない。
……でも、それを考えるのは、あとでいい。今は脇に置いておきましょう。
「えーと……貴女はまだ子供で、素直で率直な言動の子だから、そうかも知れないけど……淑女というものは、秘め事の多いものなのです」
「秘め事……大人っぽい言葉ですね。いつか私も秘め事を持つのかしら……?」
「大きくなったら、きっとね。それが大きいか小さいかの違いはあるでしょうけど、自分の心の中だけに持っていたい想いがきっと生まれるはずよ」
「そうなんだ。大人ってたいへんなのね」
「そうなのよ。たいへんなの」
私は人差し指を立てて自分の唇に当て、妹の顔を覗き込んだ。
「だから、貴女が知った私の秘密は、絶対に、誰にも言ってはダメよ?」
「お姉様がドワイト様を好きなこと?」
「それを口に出さないでって言っているのよ」
苦笑しながら、私は唇に当てていた人差し指をジャノンの口元に移動させた。緑の大きな目が指の軌跡を追いかけて、ちょっと寄り目になっている。可愛い。
私はついついクスリと笑ってしまった。
いけないわ。まじめなお話中なんだから。
「秘密を口に出してはいけません」
ジャノンは神妙な顔で頷いた。
「わかりました。……お母様にも?」
「お母様にもです」
「お父様にも?」
「もちろん、お父様にも、乳母にも侍女にもダメよ」
「誰にもダメなの?……難しいわ」
私はため息をつきたくなった。
この様子だと、危ないかもしれない。誰彼かまわずツルッと口を滑らせる未来が見える。
今はまだ、この胸の内に抱える恋心を、誰かに知られるわけにはいかない。
絶対に阻止しなくては。
なんとかならないかと考えていた私は、最近手に入れたものを思い出した。
「あ。あれが使えるかもしれないわ。ちょっと待っていてね」
私はジャノンにソファに座って待つように告げて、デスクの引き出しから必要な物を取り出した。
私がソファに向かうと、ジャノンは私の持ってきた物を興味深そうに見た。
テーブルに並べたのは、ペンとインクと魔石と銀の針。それと、精霊契約書だ。
「お姉様、これは?」
「精霊契約書です。少し前にお父様にいただいたのよ。これを使いましょう」
「精霊? 精霊と契約するの?」
「そうよ。紙に模様がすき入れてあるでしょう? これが契約の魔法陣なの。私とジャノンの間の秘密を、精霊に守ってもらうために契約するのよ」
そう言いながら私はペン先をインクに浸した。実は私、初めての精霊契約に緊張している。
内心の不安を押し隠して、私は余裕の笑みを浮かべた。大丈夫よ、たぶん。手順は頭の中に入っているわ。
「お姉様、どうやるの?」
「待ってね。まず、契約内容をここに書きます。適切に書かなければならないから、ちょっと難しいわね。えーと……『王国歴三百二十五年五月十二日にジャノン・ダウニングが知ったコーラル・ダウニングの秘密を、口外できないようにしてください』でいいかしら?」
「今日の日付ね? 細かい日にちの指定をしなきゃダメなのね」
「ええ。もちろんよ。口外無用が他のことにまで及んでしまったら、ジャノンが大変だもの」
「お姉様、優しすぎます!」
契約の解除は『私がもういいと言うまで』でいいかしら。いずれ、どういう結果になるにせよ、この契約に終わりがあるのは明白なのだから、解除は簡単なほうがいい。
作成した契約書に、私たちはサインを書いた。
それから私の火魔法で小さな火を灯して、針の先を炙る。
細かい魔力操作の苦手なジャノンがキラキラした目でそれを見ている。
「お姉様、すごいわ! 私、そんなに小さくて安定した火なんて出せないわ!」
「反復練習の賜物なのよ。練習あるのみ。お勉強することがたくさんあるわね、ジャノン」
「はい! お姉様みたいな立派な淑女になれるように、私も頑張ります!」
瞬間的な熱意だけはあるのよね。
私は微笑んで彼女の熱意を受け流し、その針でまず自分の指先を刺して血判を押した。
「それほど痛くないから、怖がらなくても大丈夫なんだけど……ジャノン、できそう?」
「で、できます! 大丈夫です!」
意気込んでいるジャノンに頷いて、私は針先を拭って再び火魔法で炙る。やけに背筋を伸ばしてジャノンはそれを受け取った。
ジャノンは大真面目な顔で針を指先に刺し、慎重に血判を押した。思い切りの良い子だわ。怖がらないでいてくれて助かった。
一連の作業にホッと息をつく間もなく、契約書の魔法陣が光を放った。
光が消えて、そこに現れたのは二人の精霊。
その精霊は小さかった。私の人差し指くらいの大きさしかない。
そして、精霊は異様な姿をしていた。
頭身で言えば三頭身。頭が妙に大きい。
その顔は渋い中年男性……いわばオジサマ顔をしていたので、私は苦労して驚きを隠さなければならなかった。
「わっ! へんなオッs……ムグムグ!」
流れるように手を伸ばして私はジャノンの口をふさいだ。
危なかったわ。心のままに叫びかけていたけど、セーフ? セーフよね?
ギロリとこちらを見てくる精霊たちに、私は淑女の笑みを向けた。
「ご覧のとおりなので、精霊さんたちにお願いをしました」
ブルネットの長髪を一つに括っているほうの精霊は、ジャノンを上から下までジロジロ眺めてから、やれやれと言いたげにため息をついた。彼の相方、ヘーゼルの短髪の精霊は肩をすくめてニヒルに笑っている。
「これからどうぞよろしくお願いします」
私が二人に魔石を差し出しながら頭を下げると、ブルネットの精霊がそれを受け取った。
私には指でつまめるサイズでも、彼らにとっては両手で抱える大きさだ。いったんテーブルに置いて、二人は魔石の表面を確かめるようにペチペチと叩いている。
やがて魔石の品質に納得がいったのだろうか。彼らは仕方がないなぁとでも言いたげにジャノンに苦笑を向けてから、私に親指を立ててみせた。
私は首を傾げた。
了解の意、でいいのかしら?
契約の精霊は人語を話さないと聞いている。彼らの意思を汲むには、表情と身振り手振りを読み取るしかない。
私はおずおずと親指を立てた。
それを見て精霊たちはニッカリと笑い、片手をスチャッと挙げて、魔石と共に姿を消してしまった。
「今は見えないけど、どこかでジャノンを見ているのよ、彼らは」
「そうなの? なんだか……えーと……不思議? そう、不思議な精霊さんたちでしたね!」
「そうね。でも頼もしいわね」
私はジャノンの頭を撫でた。
よく言葉を選べました。えらいえらい。
「これからは、ジャノンが私の秘密を喋りそうになったら出てきて止めてくれるわ。だからといって貴女自身も喋らないように気をつけなければいけませんよ」
「はい! なるべく頑張ります!」
初めて精霊に会った興奮からか、頬を紅潮させているジャノン。お返事もとても良いです。
でもこの子、瞬間的熱意の使い手なのよね……。ちょっと不安だわ。
◇◇◇◇◇◇◇
それから、私の秘密の恋心に決着がつくまでの約二ヶ月の間。
案の定というべきか、ジャノンは何度もうっかり口を滑らせそうになっていた。その度に精霊たちが彼女を黙らせてくれたので、私の秘密は誰の耳にも届かなかった。頼もしい。
ジャノンと精霊たちの攻防戦は日記に詳しく書いてあるので、いくつか抜粋してみる。
【五月十三日】
朝食の時にお母様が、「昨夜は姉妹で楽しそうにしていたみたいね」と言った。侍女の誰かに聞いたらしい。
昨夜の、ジャノンが私の日記を見てしまい精霊契約を結んた件は、なるべくならば隠しておきたかったのだけど。水を向けられてしまっては仕方がない。
話せるところだけ話そうと思ったら、ジャノンのニッコニコの笑顔に気づいてしまった。
まずい、口をふさがなければ。
だけどジャノンの行動は私よりも早かった。
「昨夜はお姉様のお部屋でひ……モガモガ!」
そして精霊たちの行動も早かった。
彼らは何処からともなく現れて、同時にジャノンに飛びかかった。
ブルネットがジャノンの口を両手で押さえ、ヘーゼルが顎を押さえ。目を白黒させるジャノンがかわいい可哀想だった。
お母様たちには精霊たちが見えていないようだったので……特にお父様が様子のおかしいジャノンを心配し過ぎてどうにかなりそうだったので、私は伏せる所は伏せたまま事情を話した。
お父様は呆然としながら「そんなことに精霊契約書を使うとは思わなかったなぁ……」と呟いていた。遅いです、お父様。貰ったものは有効に使います。使ったもの勝ちです。
お母様はため息をつきながら、ジャノンの教育方針を見直すと言っていた。ジャノンはしょんぼり。ちゃんとお勉強なさい。
【五月二十六日】
夕食後に皆でお茶を飲んでいたら私の婚約者候補の話が出た。婚約者候補、二人。デクラン・ウィルソン様とドワイト・マンドリア様だ。
初耳だったらしいジャノンは目を輝かせた。
まずい、何か言うわこの子。そう思った瞬間、精霊さんたちがジャノンの口をふさいだ。
私の秘密は、彼らの活躍により再び守られた。ありがとう、精霊さんたち。
驚いたことにお父様とお母様にも精霊さんの姿が見えたらしい。二人とも目を丸くしていた。
どうして見えるのか精霊さんたちに聞いてみると、彼らは身振り手振りで「精霊契約のことを知った人は見えるのだ」と教えてくれた。
今回の件で、私の彼らに対する信頼度はかなり上がった。同時に、彼らの言いたいことを読み解く力もだいぶ上がったと思う。本当に大変だったから、読み解いたときには妙な達成感があった。
ジャノンはしばらくしょんぼりしていた。でもあれは反省しているわけではなさそう。口を開く前に止められたことがショックだったんだと、姉は見ています。お見通しだわ。
【六月十八日】
学園から帰ると、お母様とジャノンがお茶会をしていた。私もお呼ばれする。
話題は主に学園生活についてとジャノンのお勉強のこと。
ジャノンが不思議なほど目を輝かせていたので警戒していたら、案の定。
「お姉様は今日は……」
とジャノンが言ったら精霊さんたちが彼女に飛びかかった。そこまではいつもの光景だった。でも、今日は、今日のジャノンは違った。
華麗な身のこなしでジャノンは精霊さんたちの初撃を躱してしまった。
精霊さんたちはいつになく真剣な顔でジャノンを追っていた。
結局、ジャノンは「お話を」「することが」までしか言えなかった。私は精霊さんが詠唱もなく目眩ましの光魔法を使えることに感動した。さすが精霊だわ。
いつものように二人の精霊さんに口と顎を押さえられたジャノンは、とても悔しそうだった。
そしてジャノンにとって悲しいお知らせ。
家庭教師が、交代するそうです。
私の恩師に。
なんと言えばいいか……彼女は容赦なく教えてくれるから、ジャノンと合うかはわからない。ジャノンが少し我慢して、恩師が少し寛大になれば、きっと素敵な淑女になれるわよ、ジャノン。淑女には、多少の忍耐も必要なのとアドバイスしておいた。頑張れ。
【七月二日】
私の婚約者が、どうやら一人に絞られそうだ。候補に上がっていたデクラン・ウィルソン様の生活態度に少なからぬ瑕疵があったらしい。相手方はひた隠しにしていたけど、我が家の諜報部を舐めてもらっては困る。ありがとう、諜報部の皆さん。おかげで変な男性を婿に迎えなくて済みます。
と、いうか。私、小躍りしたい気分よ!
そうなったらいいなと思っていたけど、家のためだし。明かせなかった、恋心。私、この想いをそのまま持っていていいのね?
初めて恋した人と結婚できるのね!
ああ、どうか。無事に婚約できますように。ドワイト様を疑うわけではないけど、諜報部が彼に太鼓判を押してくれますように。
ウキウキ気分で廊下を歩いていたら、ジャノンの部屋から変な声が聞こえた。
何かしら? とノックしても返事がない。そしてドアが少し空いていたの。気になって覗いてみたら、鏡の前でジャノンが片手の甲を頬に当てて、もう片方の手を腰に当てて、なぜか高笑いしていた。
「オーッホッホッホ!……ちょっと迫力がないわね、もっと美しく圧倒的に……!」
何をしているのか、わからなかった。
わからないけど、誰にも見られてはいけないと思い、そっとドアを閉めた。
恩師の授業が始まって、何か鬱屈しているのかしら?
明日、ジャノンのために、街で美味しくて可愛らしいお菓子を探して来ることを決めた。
【七月三日】
ジャノンの謎の練習の理由が判明した。
今日はジャノンの好きそうなお菓子を揃えてジャノンをお茶に誘ったのだけど。ジャノンは嬉しそうにお礼を言って、お菓子を両手に一つずつ持った。
お行儀はどうなっているの? と注意しようとしたら、ジャノンは私に訊ねた。
「お姉様の好きな……」
その瞬間にいつものごとく。精霊さんたちが現れて、ジャノンの口と顎を押さえ、黙らせてしまった。
そしたらジャノンの目にはみるみる涙が盛り上がって、ポロポロと泣き出してしまったの。
私も焦ったけど、精霊さんたちはもっと焦ったみたい。慌ててジャノンを解放していた。
「お姉様にどっちのお菓子が好きか聞こうと思っただけなのにぃぃ」
ジャノンがそう言って泣くから、精霊さんたちはひたすらペコペコ頭を下げていた。ブルネットなんて自分の頭をポカポカ殴ってたし、ヘーゼルはテーブルに両膝を付いて土下座という謝罪ポーズをとっていた。
勘違いだったんだもの。最大限の謝罪をするわよね。
その姿を見てジャノンは溜飲を下げてくれたみたい。
「今回は許しますわ! でももう二度と勘違いなさらないでくださる? 寛大なわたくしでも次は容赦しなくてよ? オーッホッホッホ!!」
昨日見た高笑いのポーズだった。
ジャノン、ハメたわね。
精霊さんたちはいつもの渋いオジサマ風ではなく、すっかりしょぼくれたオジチャンみたいに項垂れて帰っていった。
ジャノンは私が口を開く前に、「たまにはこういうこともあるのですわ!」と言って微笑んだ。
その顔が恩師と重なって、私は彼女たちは意外と仲良くお勉強できているのだと察した。
うん。まあ、気が合うみたいでよかったわ。お勉強頑張ってね。
【八月一日】
夕食後にお父様から発表があった。
私の婚約者が決まったと。マンドリア伯爵家の三男、ドワイト様。
それを聞いた瞬間、ジャノンが「まあっ!」と声を上げた。続けて何か言おうとしたのを、精霊さんたちが阻止したわ。おなじみの光景。
ジャノンは口をふさがれてもいつもみたいに不満そうな顔は一切しなくて、ぷくぷくした頬を薔薇色に染めて。嬉しそうに私を見た。 その視線だけで、もう彼女が私の想いが実ったことを喜んでくれているのが伝わってきて、私は少し涙ぐんでしまった。
一仕事終えた精霊さんたちが帰る時に、お父様が彼らを呼び止めた。「貴方がたは酒を嗜むのか?」と聞くと、彼らは嬉しそうに頷いて二人揃って親指をグッと立てた。
お父様は彼らにワインのボトルを渡したわ。以前、お父様が十何年物だとか言っていたワインだった。
精霊さんたちもその価値を知っていたのか、身長の三倍もある瓶を見上げて飛び跳ねてから、満面の笑みでハイタッチをしていた。
「彼らの働きに、私もお礼をしたかったんだよ。酒を嗜む方々でよかった」
お父様はしみじみとした声で言った。
たぶん、お父様は気がついている。彼らが守る秘密が、何であるのかを。
そしてそれが、どうして必要だったのかも。
私はお父様の言葉に、ただ微笑んで頷きを返した。
◇◇◇◇◇◇◇
八月の前半は目まぐるしく過ぎていった。
私とドワイト様の婚約に関する契約や、それに付随する諸々の書類を整えて。あちこちに挨拶にも行った。
学園が長期休みに入っていたから、私は当然、ドワイト様と久しぶりに顔を合わせたのたけど。
照れました。
将来の伴侶として、顔を合わせるのは初めてだったのだもの。ましてや、ずっと好きだった人。ちょっとぎこちなくなっても仕方がないと思う。
久しぶりのドワイト様は、以前よりも背が伸びていらして、お顔も精悍さを増していた。私の贔屓目を抜きにしても、さらに素敵な男性になっていたわ。
彼の隣に立って恥ずかしくないように、私も自分を磨かなければならないと心に誓った。外目面も、内面も。素敵な女性になりたいと思った。
両親たちは私たちのそんな様子を見て、「初々しいですな」「お似合いの夫婦になりそうですね」なんて勝手なことを言っていた。
やめてくださいと叫びそうになった。
だって、そんなことを言われたら、意識しすぎてまともに顔も見られない。
ただでさえギクシャクしてしまうのに、両親がいる前での私たちは、借りてきた猫みたいにおとなしかった。学園の教室では、自然に笑い合えたのに。
そんな空気を察してか、両親は少しずつ私たちが二人だけで会う機会を作ってくれた。
だから、今日のお茶会も、二人だけのはずだった。
まあ、予想して然るべきよね。
私の邸でお茶を飲むのならば、ジャノンが放っておくはずがない。当然のように闖入者が現れるのよ。
風通しのよいサロンで、私たちは向かい合っているのだけど、そんな理由から私の隣にはジャノンがいる。
ドワイト様もジャノンに挨拶をしたかったと言ってくれたので、今回限りと同席を許したのだけど。
ダメよ、ジャノン。言葉には建前というものがあるんだから、ちゃんと見極めなくては。あとでしっかり言い聞かせておかないと。
私がそんなことを考えているなんて露とも感じていないジャノンは、ご機嫌だった。
ニコニコしながらドワイト様を観察している。
「とっても素敵な方ですね、お姉様。私、お姉様がす………ムームムッ!」
あっと思った時には、遅かった。
精霊さんたちが出動して、ジャノンの口と顎を押さえてしまっていた。
私には精霊さんたちが見えるからそれがわかるけど、ドワイト様には見えていない。
だから彼の目には、ジャノンが急に変な顔をして唸りだしたように映ったことでしょう。
私は焦った。
このままでは、ジャノンがとっても変な子だと思われてしまう。そんな誤解をされては悲しすぎる。ジャノンは令嬢としてはちょっとアグレッシブだけど、良い子なのよ。
「コーラル嬢、これはいったいどういう……妹さんは大丈夫なの……か、な?」
「だ、大丈夫です、ドワイト様! これには事情があるのですわ!」
私は精霊さんたちにジャノンを解放するように頼んで、ドワイト様に事情説明を始めた。
「私の婚約者に、もう一人候補がいたことを、ドワイト様もご存知ですよね?」
「あ、ああ。知っているけど……」
「父が色眼鏡なく判断を下せるように、私はジャノンと精霊契約を結んだのです」
「え、え? ちょっと、急な情報すぎてわからないんだけど……精霊契約で、今、ジャノン嬢はその……口を噤んだのかな?」
「そうなんです。さすがドワイト様です。私の足りない言葉から察してくださって助かりました。ジャノンは偶然、父の判断に水を差すような私の秘密を知ってしまって、それで……」
言いながら、私は自分がだんだん俯いていくのを感じた。
ドワイト様は不審そうに首を傾げて私を見ている。
ああ、ダメだ。
こんな言い方では、ほとんど伝わらない。もっと、直接的な理由を言わなければ変な誤解をされてしまいそうだ。
だけど本当のことを口にするのは、とても勇気のいることだった。
誰にも言うつもりのないことだった。
でも、口に出して言わなければ伝わらないということも、私は充分に理解している。
今、言わないでどうするの!
私は思い切って口を開けた。
「私がドヮ………モガモガッ!」
なんてこと!
精霊さんたちが私に飛びかかってきて、私の口を塞いでしまった!
「えぇぇぇぇ?! なんでお姉様まで喋れないの?!」
「わぁ! 変なオッサ……じゃない、それが精霊なのかい?! もしかして?!」
「モガモガーッ?!」
「精霊さん、やめてあげて! お姉様は慣れてないんだから手加減してあげてっ!!」
昼下がりの静かなサロンが、ちょっとした阿鼻叫喚に包まれました。
幸い、精霊さんたちはすぐに私から離れてくれた。喋ろうとしなければ解放してくれるらしい。
ジャノンもドワイト様も椅子に座り直し、私たちは同時に安堵の息をついた。
なぜ私まで喋れないのかは、この際置いておこう。問題は、喋れないままでは非常に困るということだ。
そろそろ潮時かもしれない。
私の婚約者が決まって、契約を継続する理由もなくなったのだし。
この強面なのに妙に愛嬌のある精霊さんたちと、お別れするべきだろう。
テーブルの上に降り立った二人の精霊さんに、私は微笑みかけた。
「精霊さん、私の秘密を守るのは、もうしなくていいわ。今まで守ってくれて、本当にありがとうございました」
「さんざん戦ったけど、とっても面白かったです。ありがとうございました」
私とジャノンが頭を下げると、彼らは互いに顔を見合わせてニヤリと笑った。
私たち姉妹を交互に見たあとに親指を立てて見せる彼らは、まるで「仲良くな!」と言っているようだった。
ジャノンが満面の笑みで親指を立てて返す。私も微笑みながら親指を立てた。ブルネットが満足げに笑い、ヘーゼルが大きく頷いた。
それから二人は、私とドワイト様を指さして、胸元に両手を持っていく。ブルネットは私に向けて、ヘーゼルは目を丸くしているドワイト様に向けて、手と指でハートの形を作った。
ジャノンも嬉しそうに手でハートを作って笑っている。
真っ赤になる私とドワイト様にニヒルな笑みを見せて、精霊さんたちは帰っていった。
その途端、ジャノンがテーブルに身を乗り出した。ドワイト様の方を向いてすごい勢いでしゃべり始める。
「喋れるわ! ありがとう精霊さん! それでね、あのね! お姉様はドワイト様のことがずっと好きだったんです! 日記に『今日はドワイト様と三回喋ったわ』って書いて喜んでいるくらい好きだったんです!」
「きゃぁっっ! ジャノン! 喋れるようになったからって、いきなりバラすなんてひどいわ!」
「だって、ずっとずっと話したかったんだもの!」
「だからって……!」
「お姉様は恥ずかしがって誤魔化すかもしれないじゃない。だから私が言ってあげました」
賢いジャノン。そうよ。一瞬、誤魔化しちゃおうかなと思ったわよ。
だけど、いくら可愛い妹とはいえ、他の人の口から言われるのは少し悔しい。いえ、少しというか、だいぶ悔しいわ。
私はどうにも熱くてたまらない頬を押さえた。そうしないと膨れっ面をしてしまいそうだったので。そんなのは淑女失格。これ以上、みっともない姿をドワイト様に見せるわけにはいかないもの。
私の頬の熱が引く前に、ドワイト様が小さく笑った。
えっ? と思って顔を上げると、彼は優しい目でジャノンを見ていた。
「ありがとう、ジャノン嬢。とても助かったよ」
「そうでしょう? ふふっ。お二人のお役に立てて良かったですわ。……では、私はここでお暇いたしますので、あとはお二人でどうぞ、ですわ」
そう言って立ち上がり、ジャノンは危なっかしいカーテシーをしてから颯爽とサロンから退室してしまった。
私には真似のできない、思い切りの良い去り際だった。
あとに残された私たちは、互いに頬を染めたまま、俯いてしまった。
やがて、ドワイト様がゆっくりと顔を上げ、真っ直ぐに私を見つめた。私の好きな水色の瞳に、私が映っている。
「ずっと、俺のことが好きだった、って……本当に?」
いつもよりも掠れた声でドワイト様が私に問う。
彼の瞳が揺れている。
揺れる瞳に私が映る。
私はたまらず目を閉じて、コクリと頷いた。
「……………はい、そうです」
「そうなんだ、良かった、嬉しいよ! 俺も、ずっとコーラル嬢のことが、好きだった。……話しかけるきっかけを、いつも探していたんだ」
私はギュッと胸を押さえた。心臓が、破裂しそうなほど脈打っている。嬉しい、嬉しいって言っているみたい。
ドキドキして苦しいけど、嬉しいわ。
聞き間違いじゃないわよね?
「本当?」
「ああ、本当だよ。これからは、もっと話そう。何回と言わず、たくさん、いろいろな話をしよう」
「はい。私からも、たくさん、たくさん話しかけます」
お互いのことをもっと知って、お互いの思い描く未来を語り合って。
精霊さんたちと可愛い妹に応援された私たちは、きっと幸せになれるはずだから。
終わり
『王国歴三百二十五年五月十二日にジャノン・ダウニングが知ったコーラル・ダウニングの秘密を、口外できないようにしてください』
「あぁぁっ! 私ったら、間違いのないように書かなければと思って一生懸命考えたのに! 主語を書き忘れていたんだわ!」
「あらー。『誰が』って指定していなかったから、『誰でも』になってしまってお姉様も喋れなかったのね。お姉様らしい間違いですわ」
「普段しっかりしているのに、急に抜けてしまうコーラル嬢も素敵だよ」
「ゾッコンですわね〜」
以上、お読みいただきありがとうございました!




