1話 前世
ある時代のある場所でのこと。
貴族たちは、雅な歌と楽器を嗜む一方で、陰陽道に基づいた吉凶を占いを重視し、祭事を執り行っていた。そのため、結界や呪詛などの術を持つ者たち――すなわち『陰陽師』を厚遇することとなる。
そんな官職にある陰陽師たちは、数が限られている。
穢れや呪いという概念が広まるにつれ、貴族だけでなく平民たちもまた、『見えないが害をなすもの』を恐れはじめた。
そこで生まれたのが、僧侶らが兼任する法師陰陽師である。陰陽寮に属する官人陰陽師と異なり、民間陰陽師として市井を歩く彼らには、それなりの組織が形成されていた。
烏帽子と狩衣で闊歩する陰陽師と異なり、法衣に紙冠姿の彼らの存在もすっかり浸透した頃――
「なぜ、わたしにはお任せいただけないのですか!」
「貴様が未熟だからだ」
「……わたしには師匠の太鼓判があります! 祓いや調伏も」
「ならぬ。女なら、米でも研いでおけ」
旧態依然とした主流の一派は、ひとりの女陰陽師を、徹底的に冷遇していた。
本人がいくら任務に就きたいと訴えても、邪険にされるのみ。反発心ばかりが膨らんでいく毎日だ。
(なぜ、仕事をさせてもらえないのか! わたしは、ただみんなの役に立ちたいだけなのに)
実際のところ、この女陰陽師以上に知識があり、真言を使いこなし、正確な占いをする者はいなかった。
女にもその自負があるからこそ、依頼を受けられない状況に憤慨してしまう。
(精神を乱しては奴らの思う壺。お師匠様は、女であることなど関係ないと言ってくださった。私は、私の信じた道を行くだけ)
女陰陽師は、修行に邁進した。実入りは少ないものの、個人で依頼を受けることはできる。細々と日銭を稼ぎ、知識を蓄え、研鑽に努める毎日は慎ましくとも充実していた。
ところが――
「帝を呪ったな!」
「そんなこと、するわけがない!」
かけられた嫌疑に覚えは無い。
だが抵抗虚しく、一切合切の道具を奪われ、身ぐるみを剥がされ、牢に放り込まれた。
水すらもろくに飲めないまま十日がたち、裸同然で無実を訴え続けていた女陰陽師を、突然強い呪いが襲う。
「……呪い、返し、か……」
帝を呪ったとあれば、陰陽寮が黙っているはずがない。
返された呪いは術者へ向かうはずだが――身代わりとされたのは明らかだ。
「私は、呪ってなどいないのに……」
並の腕では、回避不可能。ましてや今、女にはなんの手札もない。
利用されたことを確信し、絶望が襲う。諦めるには、十分だった。
「お師匠様、ごめんなさい」
ただ、人を救いたかった。不安げな人々に寄り添って、笑顔を見たかった。
たったそれだけの願いすら、叶わなかった。
すえた匂いで充満する汚い牢は、夜になると底冷えがする。
格子の隙間から見えた、ほんのり青白く光る細い月に向かって、女はひとりごとを放った。
「せめて、式神が使えれば……ああ、次は自分の思う通り人を救えるような場所に、生まれたいなあ」
首元が、ギリギリと締まっていく。
おどろおどろしい、この世のものではない呻き声が、そこかしこから聞こえてくる。
足首を、何かがにゅるりと掴む。どろりと生暖かい空気が身体中を覆い、耳元で「喰ろうてやろか」と何かが囁く。鳥肌が立ち、息ができなくなっていく。どんどん気が遠くなる。常人ならばもう、恐怖で狂っているに違いない。
「なるほど……ぐふ、呪詛、とは。こういうものかっ、はあ。最後に良い経験になっ……」
ノウマクサンマンダ バザラダン カン!
目を閉じながら口の中で唱えると、遠く眩しい光の中で微笑む不動明王が見えた気がして、ようやく安心して力を抜く。
何も持たない女は、そうして絶命した。
○●
そんな前世の未練こそが、わたくしの生きる道標になっている――
王宮の宰相執務室に呼び出されたルシア・バルビゼ伯爵令嬢は、この国の宰相に対してすら遠慮なく、苦言を呈しているところだ。
「相変わらず人の恨みを買いすぎですわよ、閣下」
豪華な造りの暖炉や本棚が据え付けられた部屋の真ん中、執務机に両肘を突いて座っている初老の男性が、部屋の主であるフラビオ・イグレシア侯爵である。白髪混じりの茶髪で、目尻に皺が目立つ。グレーの瞳は一見優しげに見えるが、油断ならないことをルシアは知っていた。
そんなルシアは、この世界では珍しい黒髪黒目で、宰相に会うにはシンプル過ぎるアフタヌーンドレスに身を包んでいる。
紺色のシルク素材で踝丈の、オーソドックスなフレアスカート。上には同素材のジャケットを羽織っていて、令嬢というより文官の雰囲気だ。
ハーフアップにした艶やかな直毛は色白の肌を際立たせ、黒い双眸には、意志の強さを現しているかのような輝きがある。
宰相のフラビオは、ルシアを真正面から見据えたまま眉尻を下げ、苦笑を返す。
「面目ない」
「まあ、恨みを買わずにこなせるお仕事ではないですわよね」
「その通りだよ、ルシア」
フラビオはフラビオで、気軽に呼び捨てをするのは、ルシアの父とフラビオの妻が兄妹だからだ。つまり義理の叔父と姪という親戚関係にあたる。
あっさりと肯定してみせた宰相に向かって、ルシアはこれみよがしに「ハア」と大きく息を吐く。それから応接テーブルに予め並べてあった、手のひらサイズの絵皿をひとつ、持ち上げた。海水から抽出した特製の盛り塩を三角錐に固め、載せたものだ。
人差し指と中指を立て下唇に添え、ルシアは何かを唱えつつ、その小皿を部屋の片隅に置く。
しゅさり。しゅさり。
テーブルと部屋の隅を行ったり来たりし、四つの盛り塩を順番に置いていくルシアの、衣擦れの音だけが鳴っている。宰相はもちろん、部屋にいる補佐官たちは、静寂の中ごくりと唾を呑み込みながら、それを見守っている。
やがてルシアが宰相の前に戻り、また同じポーズをしながら口の中で何かを唱えた。
――ふ、と部屋の空気が明るくなる。
「……いやあ毎度思うが、不思議だなあ。肩が軽くなったよ」
同時に、陰鬱だった宰相の顔も、晴れた。
「ですがこれは、一時しのぎにしかすぎませんわ。あの四隅のものがなくなったら、またお呼びくださいませ。では、ごきげんよう」
「うん。ありがとう」
ルシアが丁寧なカーテシーをしてから宰相室を出ると、廊下に控えている宰相専属近衛騎士が、バルビゼ家の馬車まで送ることになっている。
(いつも同じ人で助かるけれど。変人令嬢をエスコートするだなんて、嫌でしょうに)
こう見えてルシアは、王宮を歩く際は毎度緊張感を持っている。
あらゆる場所から見られている気がするし、それは大抵気のせいではない。
――怪しげな伯爵令嬢。変人。何しに来たのか。近づくな危険。胡散臭い。
近衛騎士は、ルシアを取り巻くそのような悪評のことなど微塵も感じさせず、常に紳士然として接する。ルシアにとって、大変ありがたいことだった。
「はあ。疲れた……」
だからか気が緩み、珍しく独り言を吐いてしまった。
しまった、と思ってももう遅いが、意外にも返事がある。
「……大変だな」
気づけば、脇を歩いていた近衛騎士がルシアを横目で見ていた。そこには厭味などなく、本当に気遣われていると感じる空気がある。
ルシアはシルバーブロンドの長髪を後ろで束ねた彼の、紅色の瞳――この世界では、黒と同様に珍しい色だ――を眺めつつ、名前を知らないことに今さら気づく。
改めて騎士の様子を観察すると、近衛なので鎧ではなく、濃い赤色で金ボタンが二列並んだ金の肩章付きジャケットに、黒色マントを身に着けている。白いトラウザーに黒いニーハイブーツ、帯剣しているサーベルの柄は金色という、まさに『近衛騎士』だ。
煌びやかな存在だな、と内心少し臆す。身構えたのを悟られないよう、心底うんざりという体で
「ええ、ほんとに」
と頷くと、彼からは「はは」とからりとした笑いが返ってきた。
会話を交わしたのは初めてであったが、これをきっかけに出迎え・見送りの際、簡単な会話を交わすようになる。
まさか後々バディを組まされるなど、この時のルシアは予想だにしていなかった。
女性主人公の陰謀・バトルてんこ盛りシリアスファンタジーです。
恋愛要素皆無です。
需要はないだろうなと思いつつ……好きなものを詰め込みました。
お楽しみいただけたら嬉しいです。
(最終話まで執筆済です)




