神聖な白
「どうして国見啓介を殺したの?」
私の問いに、アベルは間髪入れずに答えた。
「『死ぬまでにしたいことがない』と言っていたから。欲がないってことは、死ぬ意味がないじゃないか」
「どういう意味?」
私はアベルに怪訝な顔を向けた。
「本当にわからないのか? それともわからないふりか? 豚は何故たくさん飯を食わせられるのか知っているか? ――死ぬためだよ。それまで沢山食べて幸福を感じるんだ。毎日満腹になって太らせて、幸せの絶頂で殺される。そんなの最高だろう? この世で一番幸せな死に方だと思わないか?」
「……馬鹿みたい」
怒りにまかせ、思いっきり部屋の扉を閉めた。
意味が分からない。わかってたまるものか。
だが、アベルの言っていることに理解はできた。豚に例えられた私たちは家畜と同様ということだ。一瞬でも幸せだ、と感じたところで、その後も幸せな人生が続くわけではない。最後に待っているのは『死』だ。
幸からの不幸、天国からの地獄。そういうことだろう。
「イカれてる」
おかしい。人間の考えることじゃない。
普通はそんなこと考えない。やっぱり意味が分からない。
「何? この部屋鍵がついてないの? 誰でも入室可能ってことね、本当に笑えてくる」
館のフロアとは違って、部屋の中は素朴だった。
窓際に白い木製のベッドがあり、ベッドの頭の横には白いチェストとテーブルランプが設置されている。
部屋の中央にある一人用のテーブルと椅子、十冊ほど並べられた本棚まで白で統一されている。すべての家具が白ということもあってか、狭く感じない。
とてもシンプルだけれど、フロアの高級そうな椅子やオブジェが置いてあるより、心なしか落ち着く。
白はリラックス効果があるといわれている。穢れのない清楚な明るい色、神聖な場所。
暗く、夜のような館の中でこの部屋は、私が唯一知っている普通が詰まっている。ここだけは心安らぐ場所であってほしい、そう願った。
「この白い部屋が赤く染まらないことを祈るばかりね」
それにしても、部屋に鍵がついていないとなると色々問題が生じる。
私の部屋だけに鍵がついていないということではないだろう。招待客が次々に部屋に入った時、どの部屋からも鍵をかける音はしなかった。菅葵が隣で部屋に入った際も扉の閉まる音だけが聞こえた。どの部屋の扉にも鍵穴らしきものもなかった。
恐らく、全ての部屋に鍵はついていない。そして私の言う全てとは、アベルの部屋も含まれている。
ということは、いつでも、誰でも、自由に部屋へ入ることができる。盗難、強姦、殺人が可能ということだ。その逆も然り、寝静まった夜に誰かの部屋へ侵入し、手っ取り早く紐やナイフを使って私でも人を容易に殺せる、ということだ。
「とはいえ、そんな都合よく紐やナイフなんてあるわけないし」
ベッドに腰を下ろし、ふと、白いチェストの一段目を開けてみた。
「あった……。紐にナイフ、白い手袋」
さらに部屋の中を見渡す。
なんとなく、直感で。私の尖らせていたアンテナがここだと示す。
床に顔をつけて、ベッドの下をのぞいた。
「やっぱり、完全に犯罪道具ね。これは唯一の防御? といったところかな。まぁ、アベルの様にこれで人を殺すことも簡単だけど、本当に呆れる」
ベッドの下には木製のバットが隠されていた。
死にたくないと抗う者は努力しろ。やられる前にやれ、とでもいいたげでわざとらしい。
あの異常者の考えそうなことだ。
「まさか、今日からバットを抱きながら寝ることになるとはね」
そもそも何故、ここへ来ることになったのか――。
私は鞄から手紙を取り出した。
白い封筒に表には、羽の生えた人型のシンボルが黒く塗りつぶされていた。
封筒を開けて、手紙を開く――。
手紙には、こう綴られていた。
『――招待状――
高原美紀様はいかがお過ごしでしょうか。
高校ご入学、誠におめでとうございます。
ささやかではありますが、お祝いさせていただきたく、お手紙をお送りいたしました。
こちらの招待状は、我が館の六日間の宿泊の案内でございます。
是非、ご参加ください。お待ちしております。』
日時と住所までご丁寧に書かれていた。
ここまでは何の変哲もない普通の招待状なのだ。奇妙なのはここからだ。
招待状の最後の一文に赤文字で、こう書かれていた。
『お前の罪を知っている。苦しみから解放してやる。来なければ、お前の一番大切なものを奪う』
※※※
招待状に書かれた罪とは、何のことを言っているのか、私には全く身に覚えがない。
私は罪を犯す勇気もないし、自分の手を汚してまで罪を犯すほど愚かな人間ではない。
これまでの人生で、鼻水のついたティッシュを外に捨てたこともないし、レジに並ぶ行列に割り込んだこともない。蟻すら殺したこともない私が、罪なんて持っているはずがない。
だから最後の一文は、そんなに気に留めていない。
私宛の招待状だが、文を間違えたのだろう。アベルも人間だ。小さなミスをすることは誰にだってある。
招待状に書かれたささやかなお祝いには、素直に嬉しかった。誰かに祝われるのは何年ぶりだろうか。自分を祝ってくれる人間が赤の他人だろうと、見知らぬ人だろうと期待を抱くものだ。
私は父と兄の三人家族だが、三人でショッピングしたり、水族館に行ったり、泊りの旅行に行ったりもしたことはない。けれど、別に仲が悪いわけではなかった。
家族といっても所詮は他人だし、それぞれの人生もあるわけで、それが普通だったから、寂しいでしょ? とか、お父さん冷たいのね、と慈悲を含んだ口調で言われても、何も感じなかった。
知らないおばさん達に、そう言われたときは決まって、少し目を細めて軽く口角を上げ、肩をくすめて見せたりした。そうすると缶ジュースや飴をくれたからだ。
小さい頃は誕生日や入学を家族でお祝いしたけれど、小学生の頃、母が亡くなってからは家族団らんというのをした記憶がない。
私が中学生になったとき、父は出張で海外を飛び回っていたし、兄は社会人になり家に帰ってくることが少なくなったことで、私を祝う人間はいなくなった。
四人用の食卓テーブルに蝋燭にないケーキだけが並ぶ光景を、うれしいと思えなかった。
『お前の罪を知っている。苦しみから解放してやる。来なければ、お前の一番大切なものを奪う』
大切なもの……。
「私の一番大切なものって……なんだろう。クマのぬいぐるみのことかな?」
まだ母が生きていた小さい頃に誕生日プレゼントで貰ったぬいぐるみは、柔らかい触り心地で、目が真ん丸で、赤いリボンを付けた白いクマのぬいぐるみだ。
うちは決して裕福ではなかったことから、兄のおさがりを貰うことも多かった。けれどそのぬいぐるみを渡されたとき、母はこう言った。
「これは、みきだけのものよ。みきのために選んだ人形だから、どう扱ってもいいのよ」
私だけのモノ。
私だけの――そう思うと嬉しかった。何より白は好きな色だったし、可愛かった。
女の子なのだから、可愛いものに目を惹かれるのは当たり前のことだ。
食事の時も、トイレに行く時も、寝る時も肌身離さず、ずっと抱きしめていた。
けれどある日、大切にしていたクマのぬいぐるみを誰かにあげてしまった。
ぬいぐるみに飽きたわけではない。母からもらった大切なものには変わりはない。ただ、もっと、さらに興味の湧くものができてしまったからだ。
だが、ぬいぐるみと手放して以降、私に大切なものなんてないはずなのに――――。