また死んだ
「もう……疲れたな」
何が起きたのか、状況を把握するまでに十秒要した。
赤く染まった腹を抱えて床に崩れた誠、ゆっくりとこちらを振り向く葵の手には血が滴るナイフが握られている。私は目を細めて、葵を見た。
「本当に、疲れたな」
一瞬、悪魔めいて見えた葵の顔は気のせいではなかった。お互いに目を逸らさず、動かないまま数秒が経過した。
たった今流れた血を見せまいと、私はグッと強く瑠夏を抱きしめた。
この光景を見たら、この子が完全に壊れてしまうかもしれない。それは駄目だ、駄目なのだ。
存在すら忘れていたが、健二は顔を床に伏せうつ伏せになっている。まるで自分も死んでますよ、とこの場を逃げ切るための演技だろう。
大人の癖に、この状況を止めようともしないとは。やはり犯罪者というのは実にくだらない人間ばかりだ。
大きな子供の夜の面倒を見ないといけない瑠夏に同情する。
(なんて、可哀想な子)
それにしても、どこにナイフを隠し持っていたのやら。ただの馬鹿だと思っていたのに、抜け目のない男だ。
たった二メートルほどの距離にいる相手は武器を持っている。
一方こちらは哀れな子を抱えているに加えて、丸腰だ。今だに葵からは悪魔がチラついているというのに。いつ刃先をこちらに向けてくるかわからない。
バッドの一本持ってくればよかったかもしれない。それではバレるか。
とはいえ、私が助からない方法がないというわけではない。無論、算段は考えてある。
だが、それを使うのは惜しい。人形は自分の手で壊したいというものだ。
アベルなら、こんな時どう収めるのだろう。あのサイコパスなら、この光景を覆すほどのイカれた舞台を披露するに違いない。
「美紀さん……僕は……」
誠が今にも尽きてしまいそうな声で何か言っている。だが、葵から視線を離すことはできない。
「何?」
「美紀さん……貴方に、この作品を見せることができてよかった……あり…………」
と言いかけたところで誠の意識は途絶えたようだ。
また一人死んだ。
「…………」
ああ、余計なことを――。
「どういう意味?」
葵が口を開き、鋭い目つきをこちらに向ける。
「わからない。なんのことを言っているのか……」
「嘘をつくなよ。俺が何も知らないと思っているのか? 俺はずっとお前ら全員を――」
「何やってんだ!」
白いコックコートを着た男が大かな声をあげて現れた。
「おいおい、これどういう状況だよ。なんだよこれ!」
「見ての通りですよ、国見さん」
慌てた様子で現れたのは国見啓介だ。彼が現れたことで、私はやっと葵から目を離すことができた。
最高のタイミングで現れた、まるでヒーローの登場のようだ。
「葵、お前何やってるんだよ。遂にイカれたか?」
「ハッ。元々ここにいる全員イカれた連中でしょ」
国見は葵からナイフを取り上げると、こちらに視線を向けた。
「おっ、あんたもいたのか」
「はい。お久しぶりですね」
「ひとつ気になるんだが、あの横たわってる人は……」
「あれは――気にしなくていいと思います」
「たっ、助けてー! 助けて助けて助けて殺される!」
謙は国見の腰に巻き付いた。子供のように泣きじゃくり、以前自分が幽霊だと騒いだ相手に助けを求めるとは、馬鹿にも程がある。
その上、医者ともあろう男が、血を流して倒れた誠に近寄りすらしない。
大の大人に抱きつかれた国見は迷惑そうに顔を顰めた。
「……まあ、とにかく一旦部屋へ戻れ。朝食は後で部屋に運ぶから。ほら、お前も!」
国見は葵の背中を押して、部屋へ戻らせた。
「国見さん、瑠夏の分は私の部屋へ持ってきてください。この子不安定なので」
「わかった。君たちは部屋から出ない方がいい」




