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憧れ

 一階へ降りると、手で口を塞ぎ腰を抜かして床にへばりついている謙を見て、血は争えないな。と思った。

  床にへばり付く瑠夏の腕を取り、私の方に抱き寄せた。

「見なくていいよ。部屋に戻ろう」

 瑠夏の顔は目がパンダのように化粧が崩れている。かなり泣いていたのだろう。

 こんな光景を目にして、普通でいられるわけもない。恐怖で涙が溢れるのは当たり前だ。朝から気分が悪い、最悪だ。


「葵くんも、一度部屋へ戻った方がいいよ」

 小さく頷く葵は、いつもの明るさは消え失せ、まるで正気を失ったようだった。


 すると、コツコツと誰かが階段を降りてくる音がした。背を向けている二階の階段から得体の知れない何かが降りてくる。そんな気がした。背後からですら感じる嫌な空気、余裕そうな足取りはアベルのようでアベルではない。


 ああ、デジャブだ。

 館に来た当初、アベルの登場は衝撃だった。たった十二の小さな少年が私達を、家畜でも見るような目で見下ろしているだから。

 この館での出来事が濃すぎるせいか、たった六日前の事なのに、ひどく懐かしく思えた。


 やがて足音が止み、得体の知れない何かは階段の下から四段目で足を止めた。

 視線の先に現れたのは、誠だった。

 制服姿で現れたのは、恐らく正装のつもりなのだろう。


「ようこそ! 天国へ!」

(は?)


 私は鍋が沸騰するような怒りを覚えた。頭から煙が出ているのではないか、と頭部を確認する程、どうしようもなく煮えくり返るような怒りが沸いた。

(コイツ、なんなの?)


「誠くん。どういうつもりだ?」

 同じく葵も隠しきれていない怒りが声音かは伝わってくる。

「どういうって、何が?」

「……めぐみさんを殺したのは、君か?」


 誠は天井を見上げ、深呼吸をした。


「そうだ! 僕がやった! 僕は堂々と人を殺したんだ! どう? この芸術は! 素晴らしい作品になったと思わないか? さあ!」

 誠は手のひらをコイコイとジェスチャーした。拍手しろと言わんばかりのニヒルな笑みで。


「イかれてやがる」

 葵が俯きながら小さく呟いた。


 数日前館のイベントでデッサンをした時気づいたことだが、誠は自分の得意とする分野のことになると、何故かタメ口になる。それに表情も変わる。鋭い目つきと、少しだけ口角が上がる。それがなんとも奇妙に思える。


 まるで、別の人格が出てきたような。いや、こちらが本性なのかも知れない。教室ではそこまで目立たないのに、部活動を部活動になると覚醒する生徒とはまた違う。二重人格に近いものを感じる。


「お前、何してるんだよ!」

「何って、さっきからなんなんだよ。白けるなあ〜」

「お前さっきからおかしいぞ? 人殺し」

「何がおかしいんだよ!」

「女性を裸しにて殺した上に、見せ物にして楽しいか?」

「わかっていないなぁ。これを芸術というんだよ」


 葵と誠の揉め事を私はただ立ち尽くして見ていた。

 わざわざ自分から首を突っ込むものでもない。それに今は私の胸に顔を埋める瑠夏を避難させないと。



「もう一度言うぞ。僕は! 堂々と! 人を殺したんだ! お前と違って!」

 誠の最後の一言に、違和感を覚えた。お前と違って――葵。

 葵はその一言に物応じせずに誠を睨み続ける。それほどまでにめぐみを愛していたのだろう。その愛情は、不倫といえど慈しいものなのだろうか。


「何が言いたい?」

「見ていたんだよ。創さんたちの部屋から、縄をもった君が出てくるところを」


 まさか、と思った。


「随分、冷静だったね。普通初めて人を殺したら、やってしまった、本当に死んだのだろうか、と不安になり次にパニックになるはずだ。でも、部屋から出てきた君は、まるで何もなかったかのように、軽やかな足取りで表情ひとつ変化せずに出てきた。慣れているみたいだね」

「証拠はないだろ?」

「ないよ。僕が目撃しただけ」

「なら――」

「証拠があっても、意味がない。だってそうだろう? ここは『殺人が許された館』なんだから」


 ここは『殺人が許された館』。そうだ。ここではどんな罪を犯かそうと、誰かに咎められることはない。

 人によっては地獄、けれど天国にもなり得る。


 例え葵が創を殺したとしても、責める人間はいない。だが、家族ならどうだろう。

 めぐみは死んだが、杏奈は生きている。杏奈は創が死んだ時、「お父さんは何も言わないから好きだった」と、か細い声を振るわせて言っていた。賢く聡明で大人びた杏奈でも、情というものはある。家族とは世間でいえば、特別なぞんざいになるらしい。同じ血が流れている。それだけのことでも、優しい杏奈は情が深い方だ。よって、杏奈にとって誠も葵も親の仇になる。


 だから聞いておかないとね。真相を。


「葵くん、創さんを殺したの?」

「美紀さん……」

 少し考えて、葵はいう。

「はい、僕が殺しました」

「どうして?」

「めぐみさんのためです。あの人は何人も愛人がいた。それだけでなく、めぐみさんに暴力を振るっていた」

 葵は無念の表情を浮かべた後、手で顔の半分を覆った。


 創がめぐみに対して暴力を振るっていたことは、知らなかったといえば嘘になる。

 めぐみよく肌の隠れる布の多い服を着ていたが、食べ物を摂る時に手を伸ばした際、腕に青くなった痣を見た。ひょっとして、と思ったが、どこかにぶつけた可能性もあるし、暴力を直接見たわけではないから先入観で判断するわけにはいかない。


 暴力を知ったところで、私が口を出すのはお門違いで、お節介だ。

 家庭のことは当人たちがどうにかすればいい。というのが私の持論だが、葵にとっては――。


「それだけで殺したの?」

「そうだよ。…………ダメかな?」

「わからない」


 何故、私にダメかと訊く。私に判断を委ねるな。


「美紀さん、それだけじゃない。コイツは他にも殺しているんだ」

「誠くん。それは()の話でしょう? アベルの話では、ここにいる全員が人を殺したんだことのある殺人者らしいけど、それは誠くんもなんじゃない?」

 誠はハッとした顔をすると、床に視線を落とした。

「葵くんも、今私が抱きしめている瑠夏も、皆んな殺人犯なんでしょ?」


 瑠夏は相変わらず、私の胸に顔を埋めたまま微動だにしない。葵にも視線を向けると、目を逸らした。

 一瞬葵の顔が、悪魔めいて見えた気がした。


「だから外のことはどうでもいい。でも誠くん。アベルの真似事なんてやめて、とても気分が悪い」

「ぼ、僕はアベル様に救われたんです。ここは僕が唯一欲望を解放できる場所なんです」


 いつもの誠に戻った。

 ああ、そうか。欲望を解放するときのみ、あの人格が出るのか。本性というより、本来自分がこう生きたかった、という願望の姿だったのか。


「わかったから――」

「僕は貴方のために――」


「ゔっ」という声と共に誠はガクリと崩れ落ち、床に膝をついて倒れた。


「…………は?」

 

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