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幽霊騒動

磔刑――別名はりつけの刑。

 (はりつけ)とは、罪人を板や柱などに縛りつけ、槍などを用いて殺す公開処刑の刑罰のこと。磔刑(たっけい)

 磔刑という刑罰を受けた名の知れた人物といえばイエス・キリスト。日本では平安時代から現れた刑罰である。


 誠のキャンバスには、真っ白な背景に黒い十字架が描かれており、十字架に重なるように血濡れた女性が描かれていた。

 絵の中の女性は手足を縛られ釘のような何かを打ち付けられている。まるで絵ではなく、写真のような傑作だ。


「ほぉ。誠さん、何故磔刑を?」

「美しいからです」

 間髪入れずにいう誠に、アベルは再度尋ねる。

「磔刑が美しいと?」

「はい、この処刑は所謂拷問です。即死することなく48時間充分に苦しめられた(のち)見せしめの死、です。十字架に貼りつけられ体から赤を流すこの絵は、芸術そのものではありませんか」


 絵を見た印象は、あまりに残忍で残酷だ、と思った。

 一瞬、本当の血で描いたのではないか、と錯覚を起こすほど血の流れ具合が上手く描写されている。が、すぐにそうでないとわかる。絵のために誰かを犠牲にし、この場で殺人が起きたわけでも、誠から血が流れているわけでもない、描かれた血は絵の具の濃い赤、というだけだ。


 ――厨二病、という言葉が私の脳裏によぎる。

 その程度ならまだいいが、これを心の底から美しい、遂に実物まで作り始めたら、と思うと恐怖でしかなかった。


 堂々と笑すら溢す誠は、一切気づいていないだろうが。招待客の表情は強張り、誠の描いた絵と言葉に引いている。ここへ来て何度も見たことがある。既視感さえ感じる、恐怖に満ちた顔だ。


「まあ、嗜好はそれぞれです。十人十色、というじゃないですか。僕の知る芸術家の話では標本を作ったという話も聞いたことがありますよ」

「人間の?」

「そうです」


 アベルは恐怖に陥った私たちを宥めるどころか、誠の興味をそそる一言を放ち、追い打ちをかけるように私達を更に恐怖のどん底に落とした。誠とアベルは趣味が合うようだった。


 するとそこで葵が立ち上がった。

「もう、やめましょう! ちょうど、全員の絵を見ることができたし、気分が悪い人もいるようです」

 葵の視線は恵を向いていた。


 恵は手で口を塞ぎ、俯いている。いつもの自信満々オーラはなく、今日はずっとこの調子だ。辛そうというより、正気を感じない。どこかに消えてしまいそうな恵が少し気がかりだった。同時に娘の杏奈に慈悲する。


「そうですね! 僕は大変満足しました! 本当に素晴らしいイベントでしたね。僕はこのイベントで少しでも皆さんの心が満たされてくれたならと祈っております」


 胸に手を当て、目を瞑り祈るアベルは一見教祖のように思える。美しい容姿を持ち、人を導く能力のある少年。心の底から私達の幸せを願っている。

 その姿を座って眺める私達は信者のようだろう。

 誰が見てもその美しい容姿に騙されるだろう、思わず見惚れてしまうほどに。


 残念なことに、私達は悪魔のような教祖に従っているということを忘れてはいけない。

 ここは殺人が許された館なのだから。



 夕食時、少し早めに食堂へ着いた。すると先客がいた、ピンクの服に、大きな銀色の耳飾り、髪をクルクルと巻いた後ろ姿の瑠夏だった。

 瑠夏は私を見て笑みを溢し「ヨッ」と手を挙げた。私もそれに対して「うん」と返した。


 一人で行動するところはよく見るが、食堂にはいつも父と行動を共にすることが多い瑠夏に何故早くきたのだろうと、不思議に思っていると瑠夏は口を開いた。


「最近、パパと微妙なんだよね〜」

 都合よく、聞きたいことを先に話してくれる瑠夏に、つい鼻を鳴らしそうになった。

 私の表情から察したわけでも、心を読んでいるわけじゃない。馬鹿だから、ついなんでも私に話すのだ。事あるごとを全て。つい、余計なことまでも。


「何があったの?」

「三日前のことなんだけど、朝四時ごろに食堂で白い服の幽霊を見たって、そいつが包丁をもって俺を脅したんだって」

「で、その幽霊はなんて?」

「誰にも言うなよ、って言ってきたんだって」


 流石にこれには鼻を鳴らした。

 瑠夏は気づいてないだろうが、私はその幽霊の正体を知っている。


「怖くなーい? それでパパが呪いだの怨霊だの騒いでてさ。夜になるとおかしくなるんだよね〜」

「ああ、なるほどね」


 可笑しくて、つい笑いが溢れてしまう話だ。

 まず、その白い服を着て包丁をもった幽霊とは、恐らく国見啓介のことだ。

 国見啓介は私達招待客のご飯を早朝、誰よりも早く起きて準備している。だかそれを知らない謙からしたら、知らない人間が目の前に現れたことと、この館の雰囲気も相まって、幽霊だと錯覚したのだろう。


 包丁を持ちながら「誰にも言うなよ」とは、流石に怖すぎるが、瑠夏の話に私はもう一つ気になることがあった。


 ――呪い、怨霊、とは。

 だから私は瑠夏の話に、あえて否定せず、話を合わせることにした。


「呪い?」瑠夏は私を一瞥すると、

「ああ、なんかパパが昔殺した患者のことだよ」

「誰かを殺したことあるんだ」

「沢山ね。医療ミスや実験もしてるし、まあ呪われても仕方ないよね」


 本当に口が軽いというか、こちらとしては好都合だが、余計なことまで話してくれる。

 そうか。瑠夏の父、謙も何人もの人を故意に殺した犯罪者だったのか。ここへ招待されるわけだ。


「それは……大変だったね」

「別に! 私は大変なことないし! てか、誠くんの絵見た? やばくない? ちょー鳥肌たったよ」

「ああ、あれね」

「気味が悪くて、吐きそうだった〜」


 誠の描いた磔刑の絵。確かに気味が悪かった。特に十字架に貼り付けられた人物を女性にしたというのも、正直気にかかる。それを美しいと公言する誠は、ただの異常者だ。


 その後、たわいもない会話をしていると、ぞろぞろと食堂には集まる招待客に口を噤む。

 一応、今はどんな会話でも誰にも聞かれないのが無難だ。誰が誰を殺し、誰が犯人かもわからない館だから。


 十八時丁度、アベルは食堂に現れた。

 館では、朝、昼、夕と招待客全員で食事を共にするが、夕食

の席だけは、何故か儀式のように感じる。

 館内が暗いせいか、館内のオブジェが不気味なせいか、何かを連想させる。


 アベルは周りを見渡し、首を傾げる。

 その理由は、斎藤夫妻が夕食の席にいないからだ。

 まさか――と思った。幾度も同じようなことがあった。


 アベルはそのことを牧村に告げると、牧村が扉へ向かう。

 その時、斉藤夫妻が食堂に現れた。予定の時間を三分を過ぎて、斎藤夫妻は「すいません」と言いながら食堂に入ってきた。


 アベルは「時間厳守ですよ」というと、「申し訳ない」と斎藤夫妻は頭を下げて席に座る。


「では、食事を――――」

「その前に、少しお話よろしいでしょうか」


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