操り人形
「では続いて、めぐみさんどうぞ!」
絵を披露することに躊躇するめぐみにアベルは首を傾げた。
「あれ? めぐみさん? どうかされましたか?」
「あ、ええと」
めぐみのキャンバスは真っ白だった。
清楚の白、純白の白が一番美しいという表現なのか。恵は普段派手な服装やブランド物のアクセサリーを身につける習慣がある、自ら好んで白を身につけているところをこれまで一度も見たことがない。
わざと白い絵の具を塗ったのかと思ったが、すぐに違うとわかる。キャンバスには何も描いていない。線も色もなにも描かれていたい白だった。
「私は……すみません。今は夫が亡くなったばかりで、美しいものは描けません。頭に何も浮かんできませんでした」
人が変わったよように大人しい。これまでの恵なら、堂々と自分が一番美しいとでも言いそうな勢いだったというのに。
まあ、それもそうかと頷ける。
つい昨日夫を亡くしたばかりのめぐみは、何処となく気力がないように思える。葵との関係が良好だとしてもだ。
長年付き添った家族の一人が殺されたのだから、突然絵をかけ、美しいものを描け、と言われても、浮かばないのは当然だ。
特にそれについて咎めることはなく、アベルは「仕方ありませんね」というと次へ促した。
続いてキャンバスを披露したのは杏奈だった。
杏奈の描いた絵は、とても九歳の少女が描いたものとは思えないほどだ、と周りは称賛した。
描いた空想の人物に対して「この人は私にとってヒーローだ」と一言添えて。
絵の中の人物はアベルと瓜二つの顔をしているということに、触れる者は居らず、「大したものだ」と賞賛する大人達の声に、表情一つ変えない杏奈は、自然と母の方へ視線をやる。
娘の描いた絵に目もくれない母と、母からの褒め言葉を待つ娘。今までもそうしてきたのだろう。杏奈の気持ちは一方通行なのに、交わることのない二人の感情。悲しい気持ちがこちらにまで流れてくるようで、少しばかり心が痛む。
自分の娘の才能にこれ程までに興味がないようだ。「ピアノのコンクールで金賞を取り、館へ来た」といった。
ふと、私は思った。ピアノとは杏奈が本当にやりたいことなのだろうか。本当に好きでやりたいことならこのキャンバスに描かれるのはピアノではないか。
例えば物語が好き、本が好き。パンが好き。今までそれらを全て制御し、ピアノをする時間に打ち込ませる。ピアノの成長過程に興味はない。あるのは結果のみ。
求めるのは世間体や過剰な愛情表現と見せかけた自慢、親としての小さな権力。恵の思考はそんなとこだろう。
「続いて」と口を開いたアベルに、私は唾を飲む。
遂にきた。私の番だ。
私が美しいと思ったもの、不思議と好きなものを描いた最高傑作の一枚。
これは、私が人生で最も利用価値があり、面白い且つ滑稽だと好むもの。
「美紀さんどうぞ!」
私はキャンバスを皆がよく見えるように向けた。
私が描いたのは――まずキャンバスの上位に私の手を描いた。手から連なる何本もの線を手、足、頭に繋げた。そして丸、三角、四角のみで描いた人型の人形。
色は茶色と黒のみの至ってシンプルな絵だ。
私が描いたのは、操り人形だ。
「これは、操り人形ですか?」
「そう」
「銀杏は辞めたんですね」
「美味しいだけで、美しいとは思わなかったから」
「操り人形は美しいのですか?」
「ええ。それはもう」
周りを見渡すと、ポカンと口を開け間抜けな表情をする招待客。私の描いた操り人形に興味なし、か。
ただ一人を除いて。
「そうですか。なぜ操り人形が好きなんですか?」
聞かれると思っていた。この質問を待っていたのだ。私はあまり自分を表現するのは好きじゃない。でも、これはここで話したいと思っていた。
「昔クマのぬいぐるみを持っていたの。凄く可愛くて大好きで毎日話しかけていた。『おはよう、おやすみ』家族や友達のように。でも隣の家に住む一人の男の子がその人形をどうしても欲しいっていうから、嫌だといった」
「へえ、なぜそんなにクマのぬいぐるみにこだわるんですか?」
「別にこだわってない。クマじゃなくてもいい。人形がよかっただけ」
「それは何故?」
「だって、私の為だけに存在するから。私の言うことに反論しないし、悪口だって聞いてくれる。私だけが操れる人形だったから」
まるで、この場でアベルと私が主役。それ以外のモブのような空気感だ。
それでもいい、これは私の自慢話みたいなものだ。
「でもね、いいことを思いついたの。そこまで欲しいのなら人形をあげてしまおう。そうすれば違う人形を与えられる。だから、クマの人形をあげちゃった」
「それで、違う人形は今どこに?」
「なくなったよ。物にも人にも寿命があるってよく言うでしょ? だから、しょうがなかった。諦めてまた違う人形をずっと探してた――――」
一瞬みたアベルの手は拳を握りしめ怒ってるように見えた。何か言ってはいけないことを言ってしまったのだろうか。疑問に思った私はアベルに恐る恐る問いかけた。
「……怒ってるの?」
「いいえ、まさか」
「ならよかった」
私の描いた操り人形は、喜んでもらえただろうか。そんな期待を胸に、自然と褒め言葉を待つ子供のような感情が胸を踊らせた。
「素晴らしい絵でした。美紀さんの優しさも素敵でしたね」
やはり銀杏を描かなくて良かった。私の描いた操り人形に皆が関心あったようには思えないが、アベルが興味を持ってくれただけでも嬉しかった。
「最後ですね、誠さんはプロも同然ですから! では、誠さんお願いします!」
アベルは一段と気合を入れて、誠に絵のお披露目を進めた。
不安だ。この場が凍りつくほどの絵をお披露目してもいいのか、と。だが、寧ろ誠は見て欲しいと顔を綻ばせている。普段の不安げな表情とは裏腹に自分の絵に期待をしてるようにも見えた。
――絵は自由に描いたらいい。自分を表現する場所だから。
誠がデッサンに手をかけ反転させた時、微かに悲鳴が上がった。悲鳴を上げたのは恵だった。
(ああ、やはりそのまま描きあげたのか)
呆然とする者、口を塞ぐ者、やれやれと呆れた様子者、反応は様々だった。
なんとも物騒な絵だ。これは怪異とも呪物ともいえる。
「僕が描いたのは、磔刑です」




