掌の上
館裏の扉が開いて、白いコックコートを着た男が出てきた。
男は今、私達に背を向けてポケットから出したタバコを呑気に蒸している。
黒髪に中肉中背の男。
この後ろ姿に見覚えがある。嫌でも思い出す、館に来た初日――アベルの館での最初の犠牲者。
だが、何故――。
何故、死んだはずのあいつが生きているのか。
――――国見啓介。
「ねえ、あの人って……」
「……あぁ、国見さんだな」
やはり。二人にもあの男が国見啓介に見えるのか。
「ええ! おじさん生きてたの?! すごいじゃ〜ん! まって、幽霊とかじゃないよね? でも足はあるし……もしかして、不死身? 話しかけてみようよ!」
瑠夏を先頭に私達は徐々に国見啓介に近づいた。
だが、気がつけば、私は瑠夏を追い越して先を歩いていた。
私は国見啓介の肩を掴み、彼を睨みつけた。
「なんだ? びっくりしたじゃねぇか! あ……君は……」
「どうも」
「お、おう」
わかりやすく目が泳ぐこと。国見は困惑しているのか、頭を掻く素振りをして苦笑した。
その様子から、自分が生きているという事実を誰かにバレてはならないことだ、と窺える。
国見の視線が何故か葵ばかりに向けられていたことが気になるが、それより先に聞がなければいけないことがある。
私が口を開いた瞬間、葵がそれを阻止するように先に口を開いた。
「国見さんですよね?」
「お、おう。そうだよ」
「生きてたんですね! よかった〜」
葵は安堵の表情を見せると、国見もぎこちのない笑みをした。
「何故、生きているんですか」
「それは……」
確かにこの目で見たのだ。
国見がアベルにバットで殴られて床に倒れる瞬間、そして赤く染まった絨毯。アベルの「よし、一人死んだな」という言葉。その一連の流れを私は全て記憶にある。
「貴方は頭を殴られて、床に……」
と口にしたところで、はたと気づいた。
私達は、国見啓介の死亡を確認したか?
バットで頭を殴られ、床に倒れるところまではしっかりと見た。倒れた国見の頭から血を出し絨毯は赤く染まり、アベルは「一人死んだ」といった。
実際、国見啓介が倒れた後、誰も国見に触れ、呼吸や脈を確認した者はいない。
何か見落としがあるはずだ。
フロアに敷かれた絨毯は赤が差し色のペルシャ絨毯だ。
ああ、そうか。
国見は頭から血など出していない。赤が差し色のペルシャ絨毯の上に倒れたふりをした。そしてアベルが「一人死んだ」と発言したことで、私達はパニックに陥り、人が殺されたと錯覚した。信じ込んだのだ。
私達はまんまと手のひらの上で転がされていたということだ。
(ハッ、そんな汚いやりかたで人の死を偽造するなんて)
アベルはそこまでやる奴なのだ。
「血……出てなかったんですね」
「ああ、俺の口からは何も言えねえ、すまないな」
「いえ、貴方は利用されただけでしょう」
「まあ、でも! 死んだと思ってた人がまさか生きているなんて思いもしなかっただろう? よかったじゃないか!」
呑気に偽りの笑顔を作りながらいう葵の目は、落ち着きなく左右に動いていた。
「すごいじゃーん! おじさん蘇ったんだね! まじで尊敬するよ〜!」
瑠夏は蘇るなど馬鹿げたことを言っているが、騙されていたということには気づいていないのかもしれない。
「おじさんが生きているってことは、他の人も生きてる可能性があるってこと?」
「それはないね。私は創さんの呼吸が止まっているところをちゃんと見たし、優作さんだって胸をナイフで刺されているのに生きているわけがないでしょ?」
「そうだよね〜」
「舞香さんの死体を見たわけではないけれど、首を吊った手摺りの近くにロープの屑が落ちていたのを確認したし多分死んでる」
「舞香…………。あぁ、あの子か」
国見は呟くように舞香と名を口にすると、訝しむ顔をした。
「何か知ってるんですか?」
「あの子な、俺が一番最初に発見したんだよ。残念ながら、もうこの世にはいねぇよ」
なるほど。
舞香の死体を、招待客の誰も見ていないこと。誰が第一発見者か、という問いにアベルは『うちの人間です』と濁した理由。
やはり、国見が生きていることを私達にバラすつもりはなかったのだろう。
だが、国見はアベル側の人間であることに違いない。そして、そして国見が生きていると、私達に知られてしまったことを報告する者もいるだろう。
私は思った。この館の中にユダが何人いるだろうか。
「ハハッ、本当に呆れちゃいますね。私達は色々と騙されていたってことですよね」
「そういうことになるな……」
すまない、とまるで悪気はなかったと言わんばかりに目を瞑る国見に、怒りが湧いた。
これまでのアベル側の人間に対して、尊敬と畏怖の念を込めて一言。
「お見事でした――――」
長らくお待たせしました。
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