殺人が許された館
ああ、やっぱりここは地獄だったのだ。
明日、誰かが死ぬかもしれない、自分が死ぬかもしれない。そんなことを毎日考えながら六日間過ごすなんて残酷だ。
私は思った。ここはある意味で戦場なのかもしれない、と。
「ど、どういうことだよ! 殺人が許された館だと? 俺たちが死ぬかもしれないって?」
「アベルといったわね? 貴方、自分が何を言っているのかわかっているの?」
「ふざけんなクソガキ! いいから早くこんなところから出せ!」
招待客から投げつけられる問いと罵声に、アベルは眉一つ動かさなかった。
「ここから出るって? 六メートルの鉄の柵どうやって? 足に吸盤でもついているタコか? それとも木登りが得意な猿にでも変身するのか? いいかお前ら! ここは鉄の檻だぞ、家畜ども。主人の許可なしにここから出られるわけがないだろう。馬鹿か?」
最初の丁寧な口調と変わって、乱暴な言葉に冗談を交えて話すアベルに、威勢よく怒鳴り声をあげていた招待客は驚き口を噤んだ。
「お前らの中に自らここを出たいというやつはいないはずだが。そうだろう?」
皆きょろきょろとぎこちなく目玉を動かしているが、誰もアベルと目を合わせようとはしない。
「……こ、子供もいるんです。許してください。ここから出してください! 何でもしますから!」
目の前で膝をつき、物乞いをするかのように土下座をしてアベルに縋り付いている女性。何かも分からない許しを乞うその女性は、十歳にも満たない幼い少女の手を握りながら、何度も頭を下げていた。
その女性から一歩下がった位置で、情けないといわんばかりの視線を向けている背の高い男は、おそらく女性の夫で、幼い少女の父親だろう。
「お願いします……ほら、杏奈も!」
「…………お兄ちゃん」
一瞬、どこかアベルの表情が緩んだように見えたが、それはすぐに気のせいだったとわかる。
土下座をする親子を華麗にスルーして再び階段を上がると、アベルは口を開いた。
「まてまて、落ち着け! まず、僕は! 今ここで! 人を殺したんだ! お前らの前で殺して見せたんだ! どうだ? どうだった?」
アベルはにやりと薄気味の悪い笑みを浮かべて、手のひらを上向きにしてコイコイとジェスチャーをした。まるで何かを期待するように、歓声が欲しいといわんばかりの表情で。
招待客は皆きょろきょろと目玉を動かし、周りの様子を窺っている。
殺人について、アベルを咎める者はいない。それどころか誰一人として口を開く者はいなかった。
恐怖を前にして自分の生死の心配をして口を噤むのは、人間の防衛本能ともいえるだろう。
たった今、目の前で殺人が起きたのに、だ。
「凄いだろう? 逃げも隠れもせずに堂々と! 人を殺したんだ! さぁ、僕の勇敢さに拍手を! 」
皆、不審がる様子を見せつつも、手と手を合わせる音がまばらに広がっていく。
拍手をしないという選択肢がないように感じた私も、強制的に手を叩いた。
ここで主人に逆らえば『誰かが死ぬかもしれない、自分が死ぬかもしれない』『鉄の檻から出られない』という言葉は、単に子供のお遊びで並べた言葉ではなく、『目の前で見せられた殺人』によって、アベルの言葉はすべて事実を意味する。行動というのは何よりもの証拠になるのだ。
「おかしい……こんなの普通じゃない……」
私の隣で小さく呟いたのは、死ぬまで芸術を作りたいと言っていた間口誠だった。
(同感だ。確かに普通じゃない。こんなの異常だよ)
いつの間にか片付いていた死体にも気づかず、私は明日を無事迎えることができないかもしれないというと不安を抱き、自分を守ることを考えていた。
アベルの言動は精神の異常さを感じる。だが、私は従うしかないと思った。
だってここは『殺人が許された館』なのだから。
ここに足を踏み入れてしまった以上、勝手に出ることは許されない。
誰もが納得しているわけではない。死を恐れているのだ。
正門が閉められた今、まずはアベルに従うしかないのだ。そして、自力で生き延びる方法を探す。物だろうと人だろうと、使えるものは全て使って何が何でも生き延びてみせる。
私はただ――。
私の目的はただ、最後まで生き延びること。