明日、地球が滅亡するとしたら最後に何がしたいですか?
「皆さん、天国へようこそ! 僕は『アベル』です! どうぞよろしくお願いします! 突然ですが、皆さんは明日地球が滅亡するとしたら、最後に何がしたいですか?」
アベルと名乗った少年の独特な挨拶に答える者は居なかった。
だが、この挨拶で招待客の表情が緩んだのも事実だった。ほとんどの人間は子供らしい、可愛らしいおふざけな挨拶だ、と思うだろう。
私は思った。それならよかったのに、と。
私は勘が鋭いほうで人の表情や言葉、声音から気持ちを読み取るのが得意だった。
タキシードのご老人の深刻そうな表情、アベルという少年の生気を失ったような目、その目と裏腹な言葉、『天国へようこそ! 明日地球が滅亡するとしたら最後に何がしたいですか?』
この三つから読み取るに、私は天国ではなく、地獄に足を踏み入れてしまったのではないか、と憶測した。
何故か、いやな予感がする。
「うーん。そこまで難しい質問ではないと思うのですが……では、国見啓介さん! 明日地球が滅亡するとしたら最後に何がしたいですか?」
質問に対して誰も答えないことに痺れを切らしたのか、アベルは一人の男を名指しした。
招待客の先頭に立ち、私の目の前に居るため丸い頭部しか見えないが、黒髪に中肉中背の三十代くらいの男――国見啓介は虚構を見つめ無愛想に答えた。
「したいことか……特にないな」
「そうですか、残念です。では! 間口誠さん。あなたは明日、地球が滅亡するとしたら
最後に何がしたいですか?」
間口誠という男は、私と同じくこの館に一人で来たようだ。アベルに名指しされたことに驚き戸惑っていたが、少し考えた後こう答えた。
「さ、最後に絵を描きたい……でも可能なら芸術作品を作りたい」
「いいですねぇ! できます。ここでは死ぬまで好きなだけ絵を描いても、芸術作品を作ってもいいのです!」
死ぬまで、という言葉に少し違和感を覚えたが、間口誠はアベルに笑みを向けた。
「ではもう一人! 斎藤菊さん。あなたは明日、地球が滅亡するとしたら最後に何がしたいですか?」
「私は美味しいお肉を沢山食べたいです!」
次に名指しされた斎藤菊は、アベルをまるで孫を見るかのような穏やかな表情で、穏やかな声で答えた。
斎藤菊は見るからに優しそうなお婆さんだ。隣には温厚そうなお爺さんがいて、二人はお互いの顔を見て微笑み合っている。傍から見て仲睦まじい老夫婦だ。おそらく夫婦で招待されたのだろう。
「いいですねぇ! まさか人肉ですか? アハハッ、冗談ですよ~では、うちの料理師に死ぬまで沢山お肉を出すよう伝えておきますね!」
この場に笑いが起きるなんて、誰が想像しただろう。
ほんの数分前、館に来た当初は招待客全員が不安や不信を抑えきれず、雲がかった表情をしていたというのに。アベルの登場で混乱した空気を、アベル自身が笑いに変えた。
まるで漫才を見ているかのように、皆のアベルを見る目が一瞬にして変わった。
「皆さん、ここは天国です! 今日からは仕事を忘れ、勉強を忘れ、家事を忘れて、好きなことを好きなだけしてください! 死ぬまで――――」
アベルは一歩ずつゆっくりと階段を降りると、壁に掛けてあるオブジェであろう木製の英語の文字の入った野球バットを手に持ち、歩いて国見啓介も前で足を止めた。
そしてアベルは木製の野球バットを、傘を持つようにして構えた瞬間、国見啓介の頭をめがけてスイングした。
正しくは、アベルは手に持ったバットで国見啓介の頭を殴った。
「キャーーーー!!!」
「うわっ!!!」
(は?)
悲鳴を上げる女性達、野太い声を上げる男性、驚きのあまり手で口を塞ぐ老夫婦もいれば、何が起きたのか理解が追い付かず、声を荒げずにその光景をただ凝視している幼い子供もいた。
目の前には倒れた男に、赤い絨毯。
私は何を見せられたの?
声も出ない驚きはしたけれど、ひとつ確信したことがある。予感が的中したというべきか。
やはり、私は天国ではなく地獄に来てしまったのだ、と。
平然を装っているが、体は正直だった。今まで聞いたことのないくらい心臓の鼓動がドクンドクンと音を鳴らした。
「よし、一人目死んだな。牧村、コイツを片づけて」
アベルは野球バットを乱暴に手放すと、私達に視線を向けた。
「では、始めましょうか――。皆さん! ここは天国です! あなた達のの本性、本能、欲望を全て開放してください。ここは『殺人が許されたアベルの館』です! 明日、地球は滅亡しない。けれど明日、この館で誰かが死ぬかもしれません。ですので! 皆さんは死ぬまで好きなことを好きなだけして生きてください! 明日の死に怯えながら――――」