8. 始まる修行──そして開く
お立ち寄りくださり、ありがとうございます。
東雲に見られました。彼は味方なのか、敵なのか。
そろそろ、修行、調節師の入り口です。
小さな絆が、あなたの心にも届きますように(-人-)。
耳に残る感触が、消えていなかった。
東雲さんの指先が触れた場所が、じわりと熱を持っている。
ただ、ピアスを見られただけ。
それだけのはずなのに、みぞおちの奥が落ち着かなかった。
「ねえ、ネモ」
呼ぶと、耳の奥が微かに熱を帯びる。
少し間を置いて、湿った声が落ちてきた。
「見られたのぉ」
何か、取り返しのつかないことをしてしまったように、胸の奥がさっと冷えた。
「やっぱり……ただの人じゃないんだよね」
白い羽が頬をかすめて、肩に降り立つ。
「目が合ったぞ。あやつは、“何か”を持っておる」
「能力者?」
「呼び方は何でもよい。祓い師の類かどうかはまだわからぬが、感応体質であるのは間違いない」
声の調子が探るように変わる。
見られた、ではない。測られていた。
「ワシの気配を追って来たのなら、偶然ではあるまい。あやつ、動きもなかなかのもんじゃった」
そうだ、気がついたらもう、触れられていた。
避ける隙も何もなかった。
左耳にそっと手を添える。
「ネモ、あの人危険?」
「今のところは。悪意は感じぬ。じゃが、あやつの方から目を合わせてきたのなら――“接触”の意志があったと見るべきじゃ」
「ネモと、ってこと?」
「ワシか、あの患者か、あるいは……おぬし気配やもしれん」
「え、私?」
「気配が漏れておる。ダダ漏れじゃ。ワシは気配を隠しておったが、今日は術を使ったからの。あの女の思念から、おぬしを護るために」
「待って、ダダ漏れって。私、丸見え?」
「今のままではの。そろそろ、術を教えてやらんとの」
「え、いきなり?」
言いながら、心はすでに察していた。
もう“始まっている”のだと。
「“調節師”であるならば、術を扱えて当然じゃ。むしろ、まだ使えておらぬのが不思議なほどじゃな」
「自分じゃわからないよ」
「わからぬまま無防備に力を垂れ流しておる。今日のように見つかるのも、時間の問題じゃった」
言葉は静かだったが、容赦はない。
私は口を尖らせて睨んだが、ネモはふわりと羽を揺らした。
「まずは、“気配を感じる”ところから教えようかの」
「わかった」
「消すのはまだじゃ。まずは、自分の中を知ることじゃ」
ネモは畳に降り、羽を広げる。
そこにあるだけで、空気が変わる。
「座れ。まず深く呼吸を続けながら、おぬしの“感覚”を、開いていけ」
「え、開くって?“第三の目”的な?」
「“感覚”と言ったじゃろうが。身体のすべて、細胞ひとつひとつを開くのじゃ」
「細胞に”開く”なんて、使わないよ」
ぱしっ。ハリセンに変わった羽に、頭をはたかれた。
「ちょおっと!」
「まっったく、頭がかたいのお。最近の人間は!」
はたかれた挙句にけなされるのは納得いかなかったが、とりあえず目を閉じる。
呼吸に意識を向け、ゆっくりと吸って、吐く。
それから、耳に入る音、肌に触れる空気、服の重さ、畳の温度。
「感じようとするな。ただ、受け取れ。……鼻を通る空気。鼓動。内臓。皮膚。髪。服。重力。すべてを同時に、じゃ」
(受け取る?しかも同時に?んなもん、無理)
それでも順番に意識を移動させていく。
額、喉、背中、手のひら、足の裏。
呼吸と共に、そして全てを同時にーー受け取る。
どれくらい呼吸しただろうか。
頭がすーっと静まった、その次の瞬間だった。
世界が、内側から”ひらいた”。
全身の毛穴が広がっていくような。
輪郭のない波が、自分の形を描き直すような。
そして、この世の全てがクリアに煌めく。
「これ……」
「ふぉ。さすが慧依子の孫じゃ。つかみが早い」
目を開けると、ネモがまっすぐこちらを見ていた。
「ふん。今の感覚を、忘れるな。術のすべては、そこから始まるぞ」
これが、始まり。
ようやく、スタートラインに立った。
──第9話へつづく。(次話:東雲 湊という人──精神科にて)
ついに、術の入り口に足を踏み入れました。
「感じようとせず、受け取れ」というネモの言葉、個人的にもめちゃ好きなやつです。
次回は、ついに東雲 湊に、少しずつ迫ります。
──第9話へつづく。(次話:東雲 湊という人──精神科にて)
また、揺れる境界の先で、お会いできますように(-人-)。
※毎週火・金曜の22:00更新です。お楽しみに。