3. 科学と、目に見えないもの
今日も、この小さき世界に耳を澄ませてくださり、ありがとうございます。
第三話では、藍にとってかけがえのない友との絆が描かれます。
小さな絆が、あなたの心にも届きますように(-人-)。
『ごめん、先に行ってるね〜! 入口の左側に座ってるよ!』
駐輪場でスマホを開いた瞬間、紗夜からのメッセージが目に飛び込んできた。
中高からの親友。明るくて、社交的で、いつも藍を引っ張ってくれる存在だ。
(はぁ……なんとか間に合ったっぽい)
構内に足を踏み入れたとき、左耳のピアス──ネモが、低くつぶやいた。
「ほう、ここが大学というものか」
「ちょ、ちょっと黙っててよ。もう大学なんだから……」
とっさに左耳を押さえ、スマホで通話しているふりをしながら階段を駆け上がる。
一瞬、誰かの視線を感じて、ヒヤリとした。
廊下の奥では、教授らしき人物たちが講義室へ入っていく。
藍は何食わぬ顔でその後に続き、そっと教室に滑り込んだ。
(セーフ……)
ざわついた教室の中で、紗夜が大きく手を振ってくる。
藍はほっとしながら、その隣に腰を下ろした。
「ギリッギリじゃん。後ろから入ってくるの、ばっちり見えてたし」
「見られてたか……」
配られた時間割に目を落とす。最初に目に飛び込んできたのは──
──心理統計学。
「げげげ、統計って理系じゃん。無理。せっかく文系選んだのに」
思わず口に出すと、隣の紗夜が目を輝かせて、勢いよく身を乗り出した。
「ねね、慧さんに教えてもらおうよ。絶対、理系できるタイプじゃん!」
「うちのお兄?」
「だってさ〜、『ここがわかんなくて〜』って言ったら、ほら、『お、紗夜ちゃん、ここ苦手なんだ?』って流れ、来るかもよ〜?」
「なにその妄想セリフ再生。ナチュラルにキモい」
「練習済みだから♡」
せめてフクロウが、イケメンだったらなあ。私も、紗夜みたいに目をランランさせてみたかった。
前を見つめながら、藍は大学までの道のりをぼんやりと思い返す。
ピアスに変化したネモが語っていた内容は、初めて聞く単語だらけだった。
それらは右から左へと流れていくばかりで、正直、頭に入ってこなかった。
「ああん、もう。情報過多すぎて、頭が混乱するよ……」
気がつけば、つい口に出していた。
「だよねぇ。必修科目もなんか堅そうな内容ばっかだし、心理学部って想像してたよりずっと理系じゃない?」
紗夜が小声で返してくる。口に出ていたようだ。
「だ、だよねえ〜」
教授の説明は、もう始まっていた。
「──皆さんがこれから学ぶ“心理学”は、“心”を科学的に分析する学問です」
スクリーンに映し出される文字。
『心理学とは、人間の心と行動のメカニズムを、観察・仮説・検証のプロセスで解き明かす科学です』
(科学……)
左耳に触れる小さな金属の感触。
喋るピアス、ふわふわフクロウ、“七界”の話。夢の中の声。あの家。
(わたしが関わってるのは、科学じゃ片づけられない何かだ)
これから学ぶことと、それらとが、同じ線上にはない気がする。
左の髪を耳にかけようとしたところで、藍の手が止まった。
「私、これからどうなっちゃうんだろう……」
ぽつりとこぼした言葉に、紗夜が小さく笑いかけてくる。
「大丈夫だよ。一人じゃないんだから、なんとかなるよ。眠くなりそうだけど、頑張ろうね」
その笑顔と言葉が、ぴんと張っていた藍の気持ちを、そっとほどいてくれた。
紗夜はいつも、不思議なくらい、藍の内側を見透かしてくる。
(……紗夜の能力こそ、科学じゃ説明できないんじゃない?)
そう思いながら、藍は小さく微笑み返した。
──第4話へつづく。(次話:4. 無口な青年と符術)
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
心理学部だからでしょうか、キャピ感よりしっかりした女子たちの印象でしたね。
次回は『4. 無口な青年と符術』です。
第四話まで毎日22時に更新します。どうぞお楽しみに(-人-)。