27. 芙蓉の訪問と木染の刀
今日もこの物語に耳を傾けてくれて、ありがとうございます。
第二章が始まりました。今回は木染の刀について、何かわかるかもしれません。
小さな絆が、あなたの心にも届きますように(-人-)。
空は澄み渡るような快晴だった。
青く広がる空に、時折やわらかく薄い雲が流れ、木々の枝の隙間からそれが見えた。
縁側には、慧と藍が並んで腰掛けていた。
雲を運ぶ風を肌で感じながら、ふたりは静かに訪問者を待っている。
やがて玄関の方からチャイムの音が響いた。
慧が腰を上げると、藍もその後ろを静かに追う。
引き戸を開けた先に、並んで立っていたのは──
湊と、一人の女性。そしてその傍らには、まだ幼い少年が無表情で立っていた。
少年の右肩には真っ白な子狐がちょこんと乗り、頭の上には黒いカラスが静かに止まっている。
それが女性の式神であることは、彼らの気配からすぐに察せられた。
湊が軽く会釈しながら口を開く。
「慧、藍ちゃん。姉の芙蓉だ。姉さん、こちらが同期の慧と妹の藍ちゃん」
女性──芙蓉は自らの名を名乗ると、ゆっくりと頭を下げた。
「この者たちは私の式神です。家に上がらせていただいてもよろしいでしょうか」
「構いません、どうぞお入りください」
慧が答えると、一行は室内へと上がり、座卓を囲んで向かい合った。式たちは芙蓉の背後に控える。
「……まずは、お詫びをさせてください」
芙蓉がそう言ったのは、座についた直後だった。
「十年ほど前の事件。当時、私たちには何も知らされていませんでした。父は木染と共に祓いに出たはずでした。その後、傷ついた木染を抱えて帰ってきたのです」
その言葉に、慧がわずかに顔を上げる。芙蓉はまっすぐに視線を返した。
「通常、祓いには数名の弟子と式神を連れていくのが通例ですが、あの時はふたりだけで出かけ、記録も一切残っていません。藍さんが標的だったのでしょう」
「木染を連れて行ったのは、結界を破るためだったのだろう」
湊が静かに補足する。
「木染は、藍さんに何か言っていませんでしたか?」
芙蓉の問いに、藍は一瞬だけ彼女を見上げ、すぐに目を伏せる。そして記憶を探るように、視線を左下に落とした。
「あの時、木染さんが私の手のひらに黒くてつやつやした石を乗せました。その顔は、とても悲しそうでした。私が目を合わせると、彼はすぐにその石を取り上げて、『こんなことはすべきじゃない』と言いました。そして……誰かと、言い争っていたようでした」
芙蓉はじっと藍の目を見つめ、口を開く。
「それは……父の斎でしょうね」
湊と視線を交わし、ふたりは無言でうなずいた。
「その後、木の内側から大きな手が現れ、私に向かってきて、木染さんが助けてくれました」
芙蓉が続けた。
「あの石は恐らく、魔界のものです。結界を破るために、父が木染に持たせたのでしょう。魔界由来の力を持つ者しか、扱えないものですから」
「だが、木染がそんな命令を受け入れたとは思えない。一度でも受け取ったのは……なぜだ」
湊の疑問に、芙蓉も静かに頷く。
「確かに、あの木染が……。彼は常に冷静で慎重でしたから」
しばし、沈黙が流れた。
芙蓉もまた、答えの出ない問いを心に抱えているようだった。
「……祓い師が人に手をかける理由として、“調節師を根絶するため”というのは、腑に落ちません」
「うむ、当時は調節師の慧衣子もいたが、標的ではなかったようだった」
そう呟くと、ネモがふわりと舞い降り、藍の肩に止まった。
「それに……魔界とは異なる気配も感じた。何か裏があるのかもしれん」
白狐の尾がぴくりと揺れた。
「あなたは?」
「ワシは調節師のお目付役じゃ。この若輩者の師でもある」
そう言うと、羽で藍の頭をぽんぽんと軽く叩く。
「そうでしたか……あなたからは、さまざまな界の気配を感じます。とても不思議な……」
「ふぉっ、察しがいいの。そなたの式神たちは妖界の気配を持っておるな」
「よくお分かりですね。この子たちは妖界由来の式です。焔灰、白尾、黒尾。父の動向を追わせています」
その時、焔灰が低く声を発した。
「主よ。白尾が何かを探知したようです」
「事件の痕跡が残っているのかもしれません。敷地内を調べさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「うむ。くくりに案内させよう」
ネモの言葉とほぼ同時に、くくりが音もなく現れ、式たちとともに姿を消した。
芙蓉は静かに包みを取り出し、布を広げた。
そこには一本の短刀が収められていた。
「これは──木染の刀です」
湊が驚いた顔で姉を見た。
「姉さん……この刀を? どうして?」
「湊、あの時、彼が私に託したの。口には出さなかったけれど、確かに“湊に刀を”と。そう伝えられたの」
湊は沈黙のまま、芙蓉を見つめていた。その蒼白な顔には、まるで過去の記憶を辿っているかのような気配が滲んでいた。
芙蓉が続ける。
「木染はいつも慎重で、正しかった。“刀”とだけ告げられた時、私は迷わずこの短刀を掴んだ。そして……あなたに渡したの」
「じゃあ……あの時……俺が……木染を祓ったのは……」
「そう……この刀……よ」
藍と慧の表情が強張る。場に沈黙が広がった。
ネモが変わらぬ調子で言葉を紡ぐ。
「魔に取り憑かれた式は、主が祓わねばならん。暴走するからの。木染はそのために己の刀を主に持たせるよう、姉であるそなたに託したのじゃな。そしてこの刀を選んだのにも、理由があるはず、と」
芙蓉はうなずいた。
「ええ、この刀は彼が愛用していた特別なもので、祓い専用のものとは異なります。私がこれを湊に握らせた時……木染は微笑んでいた……。確かに、微笑んでいたんです。そして、自ら刃を引き寄せた……」
ネモは刀のそばに降り立つと、人の姿へと変化し、刀身を抜いた。
「ふむ……良い刀じゃ。術式が複雑に組み込まれておる。魔界式じゃな。ただ、すぐに内容までは判別できん……」
「そうですか……何か手がかりになればと思ったのですが……」
芙蓉は湊の方に向き直る。
「湊、あなたが祓いから離れて以降、私がこの刀を預かっていました。いつか渡そうと、そう思って」
刀を差し出され、湊はそれを静かに受け取った。
誰もが沈黙し、湊とその刀を見守っていた。
湊は手に残る感触を確かめるようにしばし扱った後、意を決したように藍の方を向いた。
「藍ちゃん。君が六界を巡るのなら、この刀を持っていってくれ」
その言葉に、藍は戸惑いの表情を見せる。
「あの、それは……木染さんの……形見ですよね? 東雲さんにとって大切な……」
「俺は祓い屋を辞めた。君に託すよ。異界で、何かの助けになるかもしれない」
「でも……私、刀なんて……」
「うむ。この刀は普通のものとは異なる。術式の詳細は不明だが、魔界に入れば何かわかるやもしれん。藍、受け取っておけ」
そう言われ、藍は刀を受け取った。
その重みは不思議と軽かったが、そこには確かに──湊と木染の想いが宿っていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
また境界の先で、お会いできますように(-人-)。
※毎週火・金曜22:00ごろ更新予定。
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