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18. 封印の日

毎度ご訪問ありがとうございます。

今回のお話では、大きな転換が見られます。

気に入っていいただけると、嬉しいです(-人-)。

あのころ、祖母の家には、境界というものがなかった。


縁側を開けると、鬼界の少年が膝を抱えて、丸くなっていた。

精界の子たちは裏庭の花に語りかけながら、そっと水をやっていた。

妖界から来たという女の人は、手のひらの木の葉を、小さな蝶にして見せてくれた。

仙界の老爺は、兄の慧と組み手をしていた。

その周りを、動物とは違う生き物たちが走り回っていた。


いつもと変わらない、昼下がり。


わたしはいつものように、庭の奥へ向かった。

大きな木の下が好きだった。枝の影が地面に、網目模様をつくっていた。


その時、風がすうっと後ろから流れた。


振り向くと、淡い色の着物を着た男性が、静かに立っていた。


「あなたに、これを」


そう言って、その人は小さな黒い結晶を、わたしの掌に乗せた。


「これ?」


見上げると、その優しい瞳は、悲しそうで辛そうな色をしていた。

手の中の黒い結晶が、ずしりと重くなった。

結晶は黒く光り、自分の顔が映っているのが見えた。


その時、「やはり、こんなことはすべきじゃない」と、着物の男性が石を取り上げた。


どこかで声がした。


「木染、どうした。式神が我が家に逆らったらどうなると思っている」

「この子はまだ幼子です。まだ力も目覚めておりません。このような謀に加担しては、祓い事に障ることになるかもしれません。関わるべきではありません」

「もう遅い」


黒い結晶が砕け、黒い何かがすっと飛び出した。

男性の手から、地面にポタポタと血が滴り落ちていた。


「血っ!」


わたしが近づこうとした時、その優しい目をした人が「さがって!」と、大木の方を見た。

黒い何かが大きな木の中に入ると、根本が裂け、大きな手が飛び出してきた。


その大きな手をいなし、その人はわたしを抱えて飛んだ。

少し離れた場所にわたしを降ろすと、「逃げなさい」と言い残し、迫ってくる幾重もの手に向かっていった。


家へ走ろうとした時、地面から出てきた手に顔を掴まれた。

足が宙に浮いた。

息が苦しい。

両手でその手を掴み、鼻から息を吸った。

別の手が足を掴み、下に引きずろうとする。

顔を掴む手も離さない。

身体から何かが引き抜かれていくような感覚がした。


「やめろーーー!!!」


優しい目の人が、こちらに向かってくるのが見えた。

次の瞬間、赤い飛沫が散った。

そして、その人は倒れた。


血。

だめ。

苦しい。

痛い。

怖い。

イヤ。イヤ。イヤ。イヤ。イヤ。イヤ。

おにい!おばあちゃん!ネモ!


内側から、熱いものが込み上げてきた。

身体を突き抜けるような、爆発的な何か──


その後のことは、ぼんやりとしか覚えていない。

苦しさが消え、熱い何かで満たされた。

わたしそのものが、どんどん膨張していくような感覚。

途方もないものが、内側から溢れ出していた。


「なんじゃ、この気配は!」

「藍!」

「どうしたの!?」


ネモ、おばあちゃん、お兄の声が遠くから聞こえた──ような気がした。


***


そこには、膝をついたまま正気を失った様子の藍と、彼女を中心に爆発が起きたかのように放射状に広がる地面の亀裂があった。周囲には黒い闇の痕跡が点在し、大木の方では、着物姿の人物を抱える誰かの姿が見えた。


「何者じゃ!」

「……あんたは……? 祓い師がなぜここに?」

「その娘は危険だ。闇に狙われ、今も暴走している」

「何をした? 結界が裂けておる。その者は?」

「もう用はないが、これはうちのなのでな」


そう言って、男は印を結んだ。


「待て!」


ネモが続けて印を結ぼうとしたその瞬間、藍を抱える祖母──慧衣子が叫んだ。


「ネモ、藍が!」


藍の幼い身体から、青紫の瘴気のようなモヤが吹き出していた。それは身体全体を包み込み、皮膚が青紫に侵されていく。慧衣子の身体にもモヤがまとわりつき、彼女の皮膚も同様に侵食された。


「おばあちゃん、身体が!」


隣にいた慧が叫ぶ。


バリッ!!


木が裂けるような鈍い音とともに、大木の根元から巨大な手が現れ、藍たちへと伸びてきた。


ネモは両手を広げると、白いフクロウへと変化し、飛びかかってきた手に向かって羽ばたく。羽が刃となり、その手を一刀のもとに切り落とした。そして、次々と現れる無数の手を相手に、ネモは舞うように空を飛びながらそれらを斬り落とし続けた。


ガッ!!


ネモの背後、地面から新たな手が現れ、藍たちのもとへと迫る。ネモは前方の手に対応していて間に合わない。


慧衣子が身を挺して手の前に立ちはだかる。彼女の青紫に染まった両手が空を描くと、迫ってきた手は地面へと押さえつけられた。


ガッ!! ガッ!!


しかし、さらに次の手が地面から現れ、慧衣子と慧を掴み上げる。藍の身体はその場に転がった。


ネモが助けに向かおうとした瞬間、慧衣子たちを掴んでいた手が、飛来した黒い何かに貫かれて砕け散る。それは藍の身体から放たれた黒いモヤだった。その黒いものは、大木の根元から現れた手にも突き刺さり、次々と砕いていく。


振り返ると、藍が立ち上がり、低く唸っていた。赤く濁った瞳には殺気のような気配が漂い、彼女の周囲に異様な空気が満ちている。


「藍!!」


ネモの叫びより早く、慧が藍へと駆け寄り、その身体ごと強く抱きしめた。藍の唸り声とともに、彼女の手が慧の髪を掴み、瘴気が慧の身体にもまとわりつく。


「慧! 離れなさい!」


駆け寄った慧衣子とネモが二人を引き剥がそうとしたとき、慧が叫んだ。


「待って! 見て!」


慧の身体を包んでいたモヤは移らず、藍の身体の瘴気はわずかに薄れていた。赤く濁った目にも微かな輝きが戻っている。


「これは……慧の力が藍を抑えているのか?」

「ネモ! 結界を!」


慧衣子の指差す方を見ると、大木の根元から再び手が伸びてきていた。ネモが飛び立ち、大木へと向かう。その瞬間、藍の体から黒いモヤが放たれ、伸びてきた手を押さえつけた。


「封環──ほつれし環を、いま一度紡げ!」


ネモの詠唱とともに、大木の内側から強い力が生まれ、手が吸い込まれるように消えていく。すべての手が吸い込まれると、裂けた樹皮が縫われるように閉じ、強い閃光があたりを照らした。やがて、静寂が訪れた。


ドンッという衝撃音と、苦悶の声が響く。


慧衣子は地面に手をつき、荒い息を吐いていた。隣では藍が赤い目から涙を流しながら苦しげに呻いている。彼女の身体からはまだモヤが立ち上り、慧がしっかりと支えていた。


ネモが戻り、藍に向かって再び唱える。


「封環──乱れし環を、ひとたび鎮めよ」


幾重にも重なる輪が宙に描かれ、藍の身体を包むと、モヤは彼女の体内へと吸い込まれていった。慧衣子の身体のシミも薄れ、藍は穏やかな表情で目を閉じる。


「仮に抑えはしたが、異界との結界も、藍の身体もこのままでは再び開く恐れがあるぞ」

「どうすれば……おばあちゃんのシミも、まだ……」

「私の中で何かが燃えているよ。藍の恐怖と怒りが伝わってくる。何かがあったのだね」

「だが、今は調べる時間がない。ワシの力も残り少ない。どうするかの」

「藍の器が調うまで、通路を閉じるのが安全だね。私が異界の結界の杭になろう」

「木に“入る”のか?」

「……調節師だからね。世界を調えるのが私の役目。そしてネモ、あなたは藍を見ていてちょうだい。あの子の身体は、もう限界に近い」

「……うむ。慧の力を蓋とすれば藍の負担は減るが……」

「慧、おまえの力を貸してくれるかい? おまえの力は藍を抑えている。ただし、力はしばらく使えなくなるかもしれない」

「僕の力が……。おばあちゃんは?」

「慧、今守るべきは藍の命だ。おばあちゃんはしばらく木の中に入る。でも大丈夫。木の中から慧と藍を見守っているよ」


慧はじっと慧衣子の目を見つめた。彼女の顔にあるシミが一瞬濃くなり、眉間がわずかに歪んだ。同時に、大木の根元の樹皮が音を立てて動き出す。


「時間がないね。今、決めるしかないよ」


二人は見つめ合ったまま、静かに覚悟を交わす。


「いいよ」

「すまないね」

「いいよ。でも、もう会えなくなる?」

「……今できる最善が、これだよ」

「……やろう」


焦りを含む声の奥に、確かな決意が宿っていた。



ここまで読んでくださりありがとうございます。


また静かな境界のほとりで、お会いできますように(-人-)。


※毎週火・金曜の22:00更新。お楽しみに。

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