17. よみがえる二つの記憶
毎度ご訪問ありがとうございます。
今回のお話では、ついに、あの記憶が……。
気に入っていいただけると、嬉しいです(-人-)。
藍の心配をよそに、ネモもクラもちゃっかりソファに座って馴染んでいた。そして千早はなぜか四姉妹に絡まれていて、恥ずかしそうに下を向いている。
「彼はあの図書館の時の……。それに、こんなに特殊な気配の中にいるのは久しぶりだ」
そう呟く湊の顔はどこか楽しそうだった。
「藍〜!何飲む?あ、こちらは?」
「東雲さん。お兄の友達。うちの大学で講師も……してるんですよね?」
「そう、大学院でね。君も白月の学生さん?」
「はい、桐谷紗夜です。慧さんのお友達でさらに白月の先生!すごい繋がり」
「湊、ちょっと話いいか」
慧が湊を連れて行くと、紗夜が藍に興奮気味で話す。
「ちょっと藍、国宝級のイケメンがこの家に三人もいるなんてどういうこと??それに、ひのかちゃんの姉妹も美女ぞろい」
「あ、ははは。私も想定外の人が多すぎて何が何だか」
その内の”六人”は人ならざる存在だけどね、と藍は心の中でつぶやいた。
それに、湊が言っていたことが気になっていた。ネモならわかるかもしれないが、今ここでは話かけづらい。今日はこの場が無事に終わることを願っていた。
***
慧は湊を連れ出したものの、自分でもその理由がわからなくなった。
廊下に出た瞬間、湊が不思議そうな顔で慧を見つめる。
「……どうしたんだ、慧。何か話があるんじゃないのか?」
湊の静かな声が響く。その言葉に慧は一瞬動きを止める。
――確かに、話したいことがあったはずだ。けれど、頭の中で何かがぼんやりと霞んでいる。
「いや、なんというか……」
慧は言葉を探そうとするが、うまく掴めない。湊がじっと慧の表情を見つめ、ふっと微笑む。
「大学講師の件か?」
「そうじゃなくて。ただ、ここ最近何かを忘れているような……」
言葉の先を見つけられず、慧は自嘲するように小さく笑った。
「湊。お前、昔から俺のことを知ってるか?」
唐突な問いに、湊の眉が少しだけ動いた。
そして、少し間を置いてから、肩をすくめてみせる。
「……さあ、どうだろうな。俺たちの家同士は、昔から何かと……縁が深いからな。よくも悪くも」
「……?」
慧は瞬間的に言葉を失う。
自分の家と湊の家が“昔から縁がある”という話は、初耳だった。
「どういう意味だ?」
問い返すと、湊はふっと口元を緩めた。
「ま、深くは気にするなよ。大学の同期ってことで、今は十分だろ?」
そう言いながらも、湊の目は慧の反応をじっと観察していた。
慧は頷きながらも、喉の奥に棘のような違和感を覚えていた。
思い出せそうで、思い出せない。霧のように、何かがかかっている。
***
慧と湊が席を外したあと、居間は一段と賑やかになっていた。
「……それでね、鷹野くんはひのかちゃんが話しかけると、すぐ下向いちゃうんだよ〜」
紗夜がすっかり打ち解けた様子で、ひのかと千早のあいだを橋渡ししている。
千早は困ったように口を結んでいるけれど、ひのかは相変わらず無邪気な笑顔で話しかけていた。
その横で、なぎが小さく頷いているのが見える。
「感情の波が、面白いくらい揺れてる」
そんなことを呟きながら、なぎは千早の頭を人差し指でツンツンしていた。
部屋の隅では、なぜか立川くんが、くくりとしなつに囲まれてトランプをしていた。
しなつがルールを適当にいじって、くくりが淡々と勝っていた。よくわからない空気が漂っている。
(何この空間)
藍は、思わず心の中でつぶやく。
いつの間にか、ここが自分の家であることさえ、忘れそうになる。
六人の“人ならざる存在”が混じっているのに、誰も気づかないまま、話し声と笑いが交差していた。
(日常と異界が交わってる。しかも自然に)
藍は、ふとネモの姿を見た。
ソファに座るその姿は、すっかり人の形だった。羽のない彼の姿は、どこか違和感があるのに、不思議と馴染んでいた。クラもその隣で、湯呑みを手に、まるで長年の住人のように落ち着いている。
(さっき、ネモはお兄に何をしたんだろう)
問いただしたい気持ちを、喉の奥に押し込んだが、代わりに湊の言葉が頭をかすめた。
”特殊な気配”
ネモがいなかったあいだ、藍は気配を調律する訓練を続けていた。
界と界の波長を感じる修行。
藍は、そっと目を閉じる。
音が遠のき、気配の層が浮かび上がる。人のもの、異界のもの。混じり合っている。
(あれ? 懐かしい感じ? これ知ってる)
記憶という確かなものではなく、感覚が憶えているような気配。
懐かしく、暖かい気配を感じた、その次に、何か、生臭い匂いと共にひどく不快なものがすっと入り込んできた。
先日の女性患者の黒い影から漂ったもの重なる。
重なり、こびりつき、頭が黒いものでいっぱいになる。
次の瞬間、胸の内側に火種がともった。
(いやだ!! 来る!!)
それは、外からではなかった。
内から。自分の内側から、黒いものを押し出すような爆発的な感覚。
(怖い! いやだ! 誰か! お兄! おばあちゃん!)
「藍、目を開けろ、ワシを見ろ」
ネモの声が、静かに鋭く響いた。
藍が目を開けると、ネモはソファから立ち上がり、こちらを見ていた。
その目は笑っていなかった。完全に、術者の目だった。
居間の空気が、波紋のようにぐらついている。
なぎが即座に動いた。彼女は、手を上げると空気に触れるように動かした。
空間を調整し、異変を包むように。
ひのかは立川や紗夜に、そっと幻術をかけていく。
そのとき、湊と慧が戻ってきた。
「藍っ!?」
慧の顔色が変わる。何かに触れたように、体をよろめかせる。
ネモが、指先をそっと動かした。
空気の中に、輪が浮かぶ。
「封環──揺れし力よ、環に戻れ」
輪が空間を移動し、藍の胸におさまると、溢れ出したものがゆっくりと静まっていった。
慧は額に汗をにじませながらも、湊の支えでなんとか立ち上がる。
藍は、何が起きたのかわからないまま、ただ自分の鼓動の音だけを感じていた。
ネモの視線が、まっすぐ自分を捉えていた。
その視線、憶えがある。
そうだ、小さい時にも似たようなことがあった。
「思い出した」
藍と慧の声が、共に重なった。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
また静かな境界のほとりで、お会いできますように(-人-)。
※毎週火・金曜の22:00更新。お楽しみに。