15. 火野 花、現る
毎度ご訪問ありがとうございます。
今回のお話では、ひのかが藍以外の人と接触します。
気に入っていいただけると、嬉しいです(-人-)。
朝、藍はトントンという音で目を覚ました。
台所の方からだ。ネモがキツツキの真似でもして柱を突いているのか、と眠気を引きずりながら、音のする方へ足を向ける。
割烹着姿の女が鍋の味見をしていた。
「お、お母さん……?じゃない!」
藍の母は、割烹着など着るような性格ではない。よく見ると、その女は長い髪をポニーテールにしていた。
「藍、おっはよー!! くくりのご飯、美味しいよん♡」
その声に振り向くと、ひのかが盆にご飯と納豆、卵焼きを乗せていた。
卓に器が並ぶ。どうやら配膳をしているらしい。藍は立ち尽くした。
精界の四天王の長女が、朝食を作って、三女が配膳している。
「全員の契りが済むまでは、ここに滞在させてもらう」
くくりは味噌汁を注ぎながら静かに言った。
ひのかが、片手に盆を乗せて指先で回しつつ、自分もくるりと一回転する。
「ね、しばらく毎日一緒だよ! 楽しいぞお〜」
「ひのか、室内でそれは危ないよ」
「なぎぃ〜、アタシの腕前、知ってるでしょ。ほら、ほお〜ら、ホラホラ!」
器用なひのかは、盆を身体の前や後ろでくるくると回し、時に足に乗せて逆立ちまで披露する。
なぎが無言で足の上の盆をすっと取り、足音もなく歩き、くくりの注ぎ終えた味噌汁の椀をさらりと乗せて運んだ。
「さ、食べよ食べよ!」
ひのかは藍の背中を押した。
居間では、しなつは畳に突っ伏して寝ており、ネモは人の姿でお茶をすすっていた。
状況はさっぱりつかめないまま、藍が腰を下ろすと、襖が開く音がした。
目線を向けると、クラだった。
「おはよ〜うさん。ええ匂いじゃのう」
「ちょ!! なんでクラもいるの!?」
「契りを交わせば、界との通路が開く。この家を経由し、行き来ができるようになる。仙界は、慧衣子の部屋の棚の先に繋がっておるのじゃ」
銀髪で銀の着物姿のネモが、当然のように説明してくる。混乱しているこちらの気配など、気にも留めていないらしい。
その向こうでは、くくりがしなつの耳元でメガホンを押し当て、「起きろー!」と怒鳴っていた。
(無法地帯と化してる……)
「いっただきまーす!」
ひのかの元気な声にあわせて、皆が手を合わせる。藍もそれにならって、味噌汁を一口すすった。
出汁の香りがふわりと広がる。澄んだ旨味が舌に染みた。
「お、おいしい!」
「そうでしょう〜。くくりの料理は天才的なんだから」
家を占領されているけど、このご飯があるならまあいいか──
気づけば、そんなふうに思っていた自分に驚いた。
藍は、隣のクラに、少しおずおずと声をかける。
仙調・流──まだ一度も使っていない。
だが、クラはそれでいいのだと静かに言った。
調えるとは、待ち、受け、流すこと。
力を振るうための術ではない。
「必ず時は満ちる。それを見極めよ──」と。
朝食のあと、ひのかが唐突に言った。
「大学ついてくよー」
「えっ」と声をあげるより早く、彼女の身体が光に包まれる。
巫女装束は、次の瞬間にはカジュアルな服装に変わっていた。大学生がよく着るような、動きやすくてラフな格好。
「どう? 最近の人界では足を見せるんでしょ? ほらほら、ほお〜ら、みてこの脚線美!」
「いやいや、それ目立ちすぎって。ていうか、本当に来る気なの?」
「ネモがさ、仙界と精界にしばらく行くんだって。だからあたしが藍のボディーガード役を受けたんだよ!」
「え? ネモ?」
「うむ。おぬしが契りを交わしたからの。お目付け役のワシが、界の長に報告してくるのじゃ」
ネモは当然のように言った。
こちらの疑問に答えるつもりもないらしい。
「私は行かなくていいの?」
「いずれ行かねばならんが、今はまだ他の界に行くには無理じゃ」
「無理?」
「そう、あなたはまだ他界の波長に気配を調えられない」
くくりが静かに補足し、クラとなぎがあとを続けた。
「ネモ殿が留守の間、ワシらが代わりに気配の調律の修行をつける」
「気配は精界や仙界の波長に合わせないと入れないの。だから精界はワタシたち四天王が、仙界はクラが調律方法を教える」
「それにワシは神界にも用があっての。ちょいと帰ってくるまで時間がかかる」
ネモはお茶を飲み終えると、立ち上がった。
「では行ってくる」とだけ言って、祖母の部屋の棚をよじ登り、壁の奥へと消えた。
(この家、仙界と繋がってたなんて。それに波長……?)
理解が追いつかないまま外に出ると、ひのかが自転車の後ろに乗り込んでくる。
「早く早くー!」
「ひのか、ネモみたいにピアスにならないの?」
「なに言ってんの、そんなんじゃ面白くないじゃーん。せっかく人界に来たんだからさ、エンジョイしなきゃ、女子大生として!」
「いやいや、学生証ないじゃん!そもそも精霊だし!」
「大丈夫だって! アタシに任せときなさいって! この四天王様にとっては、そんなの朝飯前だっつーの!」
指をパチンと鳴らすと、自転車が音もなく動き出した。
漕いでいないのに、すいーっと進んでいく。
(すごい……術か。私も使えたらいいのに)
大学に着くと、ショートパンツとスニーカーのひのかに、周囲の視線が集まった。
「ちょっと、ひのか。めっちゃ目立ってるよ。まずいって」
藍が耳打ちしたそのとき、ひのかが小声で呟く。
「精調・炎のゆらぎ」
立てた指先に、小さな火がともる。
その火がゆらめくと、周囲の学生たちの視線がふっと解けるように散っていった。
「軽い幻術かけといたから。アタシは藍の遠い親戚で、今日からこの大学に留学してきたって設定」
火をふっと吹き消しながら、ひのかがにぃっと笑ってウインクする。
学生たちは自然と散っていく。そのなかで、一人だけ動かずこちらを見ている学生がいた。
鷹野千早。
無口な彼が、じっとこちらを見ている。視線に気づいても、逸らすことなく、何かを計るような目。
──祓う対象ではない、と判断したのかもしれない。
やがて、その目に宿った警戒が、すっと引いた。
「ね、今の子、知り合い?」
「同じ学部の子だよ」
「それだけじゃないよね、あの目線。計ってたよね」
「ネモは祓い師だって。前に符術でカタヨリを祓ってた」
「ふう〜ん。幻術にかからないわけだ。そっか」
彼女は手をひらひらと振った。
「おーい、そこのきみぃ〜! おお〜い!!」
ひのかに注目が集まり、その後、視線は彼女の手の先──千早へと移った。
彼はぎょっとした顔でしばらく固まったかと思うと、頬を染めて早足で立ち去った。
「ふふん、か〜わいいじゃん!」
ひのかのイタズラっぽい笑みを見ながら、藍はため息をつく。
たぶん、また面倒なことになる。
「藍、おはよ!」
背後から元気な声がかかる。振り向くと、紗夜が小走りで近づいてきた。
「さ、紗夜。おはよ」
藍は少しうろたえながら返事をする。
ひのかがくるっと振り向いた。
「あ、どうも。もしかして、火野 花さん? 藍の親戚で、今日から留学してるっていう……」
「うん、そう! あなたは藍のお友達ね」
ひのかが即答する。
「はい、桐谷 紗夜です。紗夜でいいですよ」
「紗夜ちゃんね。アタシは昔から“ひのか”って呼ばれてるんだ。火野に花で“ひのか”。藍もそう呼んでるよ。同い年だし、タメ口でいいよ!」
「うん、わかった。よろしくね、ひのかちゃん」
火野花──ひのか。
よくできた名前だった。藍はその設定に思わず唸りたくなる。
しかも、紗夜は何の疑いもなく「留学生」と受け入れている。
幻術の効果なのか、それとも勢いに呑まれているだけか。
ひのかがウインクしてきた。その得意げな表情が、答えを物語っていた。
教室に入ると、千早と立川が前の席に並んで座っていた。
藍たちはその後ろの席に腰を下ろす。
「あ、さっきの君! 同じ授業だったんだね。アタシ、火野花。よろしくね。えーっと、何くん?」
黙ってうつむく千早の代わりに、立川が答えた。
「火野さんだね、よろしく。彼は鷹野。僕は立川。彼はちょっと口下手でさ、無視してるわけじゃないから、ゆっくり仲良くしてあげて」
「鷹野くんに立川くんね! 今日からよろしく!」
その明るさは、場の空気を一瞬で自分のものにしていた。
「ところでさあ、ひのかちゃんは藍のおばあちゃん家にいるんだよね? 今度、藍のとこで歓迎会しない?」
紗夜のその言葉に、藍は「いや」と言いかけた。けれど──
「嬉しい!」
「いいねえ!」
「やろう!」
ひのか、立川、紗夜が、口を揃えて賛成してしまう。
「え、いや……ちょ、ちょっと……う、うちは今、引っ越したばかりで、荷物がすごくて……無理かなあ、あははは……」
なんとか言い訳を探して、しどろもどろになる藍。
だが、紗夜が畳みかけてきた。
「えー、じゃあさ、藍の実家は? 慧さんもいるじゃーん」
その言葉に、藍の中で警鐘が鳴る。兄を巻き込んだら、もっと面倒なことになる。
「い、いや、実家はちょっと、最近、お兄……忙しくてさ、え、えーっと……」
頭をフル回転させて阻止の言葉を探すも、その間に──
「藍の実家行こう! アタシ、慧ちゃんにも久しぶりに会いたいし!」
ひのかが爆弾を投下する。
ぎょっとして「余計なことを!」と内心で叫びながら、反論の糸口を探している間に、話は完全に決まってしまった。
「じゃあ、今度の土曜日に、藍の実家でひのかちゃんの歓迎会ね!」
「了解、鷹野もな!」
立川が千早の肩に手を回し、ひのかと紗夜はハイファイブを交わしている。
(……なんで、こうなる)
藍はただ、呆然とその様子を見つめていた。
──第16話へつづく。(次話:16. ほぼ、全員集合)
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また静かな境界のほとりで、お会いできますように(-人-)。
※毎週火・金曜の22:00更新。お楽しみに。