14. 精界の四天王──なぎ
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今回のお話では、新キャラがたくさん登場します。
気に入っていいただけると、嬉しいです(-人-)。
クラを呼んだ襖の部屋に、和紙を広げる。
筆で、六つの点を結び、六芒星を描く。
今回は右下の三角に、血判。
両の手を頭上で合わせ、感覚を開き、柏手を打つ。
「精霊召喚!」
声に出した瞬間、空気の圧を感じた。
雨の日のような匂いが鼻をかすめ、熱風が吹くような感覚が肌を走った。
ゆっくりと目を開ける。
四人の少女たちが、藍の前面に、並んで立っていた。
「ワタシはくくり、だ」
地のような重みのある声だった。
「ワタシは……なぎ、です」
静かに、揺れるような響きが続いた。
「アタシは、ひのかって言います!」
声だけで、火花みたいに空間が跳ねた。
「ワタシは、しなつ、でいいよ」
最後に残った声は、風のようにどこか頼りなかったけれど、一番耳に残った。
全員の目が、同時にこちらを向いていた。
見下ろすわけでもなく、迎えるでもなく。ただ、見ていた。
ネモが、藍の肩越に降りてくる。
「ほぉ。四天王がそろい踏みか。藍、四人それぞれと対で契りを結ばんといかんぞ」
「四人、それぞれと……」
ネモは、くるりと宙を回って藍の正面に降り立った。
「よいか、精調というのは、術じゃない。
人間が使えるもんではないんじゃ。あれは、精霊が自然から力を借りて発動するもんじゃからな」
藍は静かにネモに耳を傾ける。
「つまり、術を使いたければ──精霊を呼び、力を貸してもらうんじゃ。
じゃが、貸してもらうには“認められる”必要がある。契約を結んでおっても、
そのときの心が調っておらんとな、精霊は決して動かん」
「自然の力を借りているのは精霊の方じゃ。
わしら人間はその間に立って“頼む”立場。
そして──認められれば、自然の力というのは、想像を超えるほど強力じゃよ」
神妙な面持ちをした藍に、おかまいなしの明るい声が飛んできた。
「わお!ネモちゃ〜ん、お久しぶり〜。この子がそうなのね」
3番目に口を開いた少女──ひのかが、にっと笑った。
「アタシたち、精界の四天王って呼ばれてて、実は姉妹なんだ」
「お堅い土の長女が、くくり。まとめ役、めちゃ頼れるんだよ」
「次女が水のなぎ。ツンデレだけど、変なこと思ってると、すーぐバレるよ?」
「末っ子のしなつは風。掴みどころない子だけど、意外と良くみてるよ」
「アタシは三女のひのか!火の担当です!」
元気すぎる調子に、ちょっとだけ肩の力が抜けた。
「ワタシが先ね」
抑揚のない、なぎの声が、空気を割るように差し込んだ。
「えー、ひのか、先にやりたいよ」
「待てひのか。まず、水で揺れを静めて、地で軸を立てる。火で芯を試し、風で煽る。それが決まりだ。いいな、ネモ殿」
くくりがまとめる。
「ほ。ワシはただの案内役じゃ。流れは精界に任せるわい」
「んーもう、わかったよ。じゃ、なぎからね」
なぎが、こちらへと歩を進めた。
静かだった。音がまるでない。
「はじめるよ」
心の準備が整わないまま、なぎが手を伸ばす。
指先が、藍の眉間にふれると、
――周囲の景色が、ぐるんと回った。
風も光もなくて、輪郭のない空間。
足元に広がるのは、黒い水のようなもの。
でも沈まない。ただ、そこに立っていた。
「ここは、あなたの内」
なぎは、水の向こうにいた。距離感がつかめない。
音もなく、ただ、いる。
なぎが下に手をかざす。
水面に、小さな波紋が広がった。
「感情は、水に似てる。揺れも、濁りも、深さもある」
「あなたは、何、沈めてきたの」
その言葉が、水面に落ちた。
見ないようにしていたものが、底から浮かび上がる。
あ、いる──と思った瞬間、胸が痛くなった。
怖い。だめだ。
それをわかってしまったら、自分が壊れる。
しっかり蓋をしないと。
すると、気配はすぐに消えた。
ああよかった。ほっとした。
「何も、見えないよ」
「そう……」
なぎが応えると、足元がぐらついてきた。
気がつくと、自分の身体が、水に沈んでいった。
足を上げようとする。反対の足がズズっと下がる。
手で水をかくが、身体の重みで落ちていく。
普通の水とは違う、身体にまとわりつく。
息が、吸えない。焦る。苦しい。
ああ、もうだめだ。
死ぬのかな──
その時だった。
(……お兄が、羨ましかったな)
ぼんやりと、昔のことが浮かんだ。
(なんでも出来て、ずるいなあって思ってた)
(劣ってるって、思った。置いていかれたくなかった。)
(あのとき「一緒に引っ越そうか?」って言った。なのに、全力で拒んだのは)
(……ああ、そっかあ)
(追いつきたかったんだ。認めて欲しかったんだ。大人になったって。)
苦しさが、ふっと消えた。
気がついたら、私は水面に倒れていた。
思わず、はあはあと息をする。
(生きてる。息、できる)
いや、初めから、沈んでなんかなかった。
自分から、溺れに行ってただけだった。
溺れると思い込んでいただけだった。
兄に置いていかれると、思い込んでいるだけだった。
なぎが水面の向こうから歩いてくる。
そっと、手を差し出す。
「あなたは、自分で見た。ちゃんと、触れた。だから、調えることができる」
なぎの手を取り立ち上がる。
彼女の手の甲には、小さな文様が浮かんでいた。
六芒星の中心に、ひとしずくの波紋のような印。
「ここに、血を」
まだ赤く滲んでいた親指を、そっと、なぎの印に触れさせた。
水が、広がる。
なぎが、静かに言った。
「精調・なぎ──契了」
ぐるんと世界が回転し、気がつくと襖の部屋に戻っていた。
(あれ……?)
頬が、少し冷たい。
手をやると、指先にぬるい感触があった。
(私、泣いてたん?)
じんわりと、目の奥が熱い。
拭った涙のせいで、視界がぼやけている。
その向こうで、誰かの気配を感じた。
顔を上げると──四人が、私を見ていた。
くくり。なぎ。ひのか。しなつ。
ただ、静かに、私のことを“見ていた”。
ネモも、黙ったまま。
(見られてたんだ)
そう思った瞬間、込み上げてくるものがあった。
ひと粒、またひと粒と、涙が落ちる。
それが止まらなくなって、気づけば、うっ……と喉が詰まった。
「……っ、う、ううっ……」
嗚咽になった。
声を抑えることもできなくて、肩が小さく震えた。
(やだ、これ、ほんとに泣き崩れてるじゃん)
恥ずかしかった、とても。
いつもの自分なら、ここで取り繕った。
平気なふりをして、ぐっと我慢して笑った。
本当は、泣いてよかったのに──。
(ああ。私、泣きたかったんだ)
それがわかったら、胸の奥がすうっとほどけた。
呼吸がしやすくなった。
しばらくして、ふう、と大きく息を吐いた。
「良かったねーっ!」
明るくて、真っ直ぐな声が飛んできた。
「よしよしよし!えらいえらい!ぜったい泣いたほうがいいよー!」
ドンッと勢いよく、ひのかが抱きついてきた。
「わ、ちょ──」
肩に腕をまわされる。柔らかくて、あたたかい。
そのまま、ぎゅうっと、力いっぱい抱きしめられた。
「あー、なんかもう、アタシうるうるきちゃった!」
耳元でそんなことを叫ばれて、思わず笑いそうになった。
でも、それと一緒に、胸の奥がまたじんわりと熱くなった。
(ありがとう)
声には出さなかったけど、そう思った。
「おっほん!ええか、おぬしら。これは儀式じゃぞ。神妙に──」
得意そうなネモの声は、三方向から同時の賛辞にかき消された。
「良かったよねーー!」
「うん、いい空気だったよね」
「なかなか筋が良さそうだな」
「──おぉ、まったく近頃の精霊どもは、空気を読まず自由にしおって」
ぶつぶつと呟きながら、それでもどこか楽しそうだった。
ひのかの腕の中で、私はようやく笑えた。
なぎが、そっと右手を掲げる。
手の甲に浮かぶ、水紋のような印が、わずかに揺れた。
「“精調・なぎ”──そう唱えれば、ワタシは参上する」
「わかった」
なぎの口元がほんの少しだけやわらいだ。
──第15話へつづく。(次話:15. 火野 花、現る)
ここまで読んでくださりありがとうございます。
次回は『15. 火野 花、現る』
また静かな境界のほとりで、お会いできますように(-人-)。
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