11. 調える者──仙界との契り
いつもご覧いただき、ありがとうございます。
今回のお話では、いよいよ、仙界からの師が現れます。
いったいどんな存在なのでしょうか。
小さな目覚めの音を、そっと感じていただけたら嬉しいです(-人-)。
藍とネモは、庭に出ていた。
周囲を木々囲まれたこの家でも、一際目につく大きな木がある。
幹の太さから考えると、百年は経っているだろう。
ネモが、そのうちのひと枝にとまっている。
風が吹くたび、白い羽がきらめく。
「この枝じゃ。生命の樹の“仙界”の枝よ。……おぬしの血で、契を結ぶのじゃ」
「え、血って、どうやって?」
「ほんのちょぴっとでよい。ほら、手を出せ」
ネモの羽がサッと触れた瞬間、親指に小さな赤い雫が浮かんだ。
「ここに、触れればいい?」
「うむ。この面じゃ」
そこだけツルッとした表皮には、すでに前任者が付けたであろうシミがあった。
血が枝に染みた瞬間、枝全体が淡く金色に光る。
ネモが羽を揺らしてうなずいた。
「よし、“陣”を描くぞ。襖の部屋でな」
***
四方を襖に囲まれた和室。畳の上に、大きな紙を敷く。
ネモは筆を渡すと、こう言った。
「円を描き、六点を打つ。三角を二つ重ねるように、線を結ぶ……六芒星じゃ」
円。点。線。重なっていく図形。
最後に、仙界の位置――左下の三角に、血判を押す。
「よい。それで陣が完成じゃ。では、“呼べ”!」
「呼ぶって、どうやって」
「心に浮かんだ言葉を呼べ。簡潔に、強く」
陣の中心に立った。
両手を頭上で合わせ、柏手を一度叩く。
手のひらの熱。墨の匂い。
そして術の基礎、感覚を開く――。
身体の奥にある、芯のようなものに集中したとき、言葉が浮かぶ。
「──仙霊召喚!」
瞬間、空気が落ちた。音が、消える。
中心に沈むような感覚が生まれる。
床の上に描かれた六芒星の中心が、内側へ吸い込まれるように凹み――
ぽこん、と、水の表面がはねるような音。
湯気。
その中から、ふにゃふにゃの白衣をまとった男が現れた。
「……ふぁ〜〜あ。呼ばれたの、ワシ? おお、人界の春かあ」
男は、桶を肩に引っかけたまま、陣の上で胡座をかいて座っている。
寝起きのような顔。湯気。しめった髪。
(ん? 想像してたのとは、なんか違う、威厳が)
「ええと、あなたは?」
「“クラ”じゃよ。“仙界”の使い。ま、あとは追々でええじゃろ」
ネモが、天井から降りてきて、嘆息した。
「またおぬしか。ほんにもう」
「ええやろ〜別に。教えんのは得意なんよ、ワシ」
クラが胡座のまま、軽く手を挙げてわたしを見た。
「ほほぅ、この子はええ目しとるな。じゃ、まずは基本からや。今日は“型”を見せる」
クラが、ゆっくりと立ち上がる。
その足運びは、畳の上を滑るようだった。
肩の力を抜き、ひとつ呼吸を置いて──そのまま、動き出す。
右手が、空をつかみ、いなす。
右足を軸に、くるりとひと足。
空中に8の字を描く様に、ひるがえる──そして戻る。
反対の手が、まるで何かを地面に押さえつけるようになる。
流れるような所作が、空気にしるしを刻んでいく。
「これが、仙界の“調の型”、流。仙調・流じゃ。覚えとき」
「うむ。この国では合気道として伝わっておるぞ」
ネモが補足する。
何が起きたのか分からなかった。
それは一瞬のような、
とても長い時間だったような、
スローモーションのような、
静止画の連続のような。
目が離せなかった。
力強さでも、速さでもない。
まるで空間に美しい画を、よどみなく、過不足なく描くような。
(目が釘付けって、こういうことか)
そして何より、風が通るような動きの中に、“調える”という“感覚”が、確かにあった。
それはもう、それしかない、という確信。
身体に直接感じる、確かさ。
探していたものが、目の前にある――胸の奥は、調うどころか、込みあげる熱に溺れそうだった。
──第12話へつづく。(次話:12. クラとネモ、仙調・流を舞う)
ここまで読んでくださりありがとうございます。
次回は『12. クラとネモ、仙調・流を舞う』
また静かな境界のほとりで、お会いできますように(-人-)。
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