第1話 天使はガラスをぶち壊す。
やっと部屋を片付け終わった。
綺麗になった部屋を見渡し、深呼吸をする。
日曜日、多くの人が憂鬱であろう時間帯。
部屋にオレンジ色の夕日が差し込んでいる。
ガッッッシャーーーーーーーーーーーーーーーーン
突然、何かが僕の部屋のガラス扉に勢いよく突っ込んできた。ベランダと部屋が一体になる。
「うわあああああああああああ!、、、、、、ふぇ!?」
驚きのせいで情けない声が漏れる。
反射的に閉じた目を開けると、金髪の女の子がうつぶせになっているではないか。
所々血で染まったボロボロのローブを身に纏い、微かに光った輪っかを頭に付けている。翼はなさそうだが、誰がどう見ても天使の格好をしていると分かるだろう。コスプレか?でも、とにかく今は。
「きゅっ、きゅっ、きゅきゅきぃ、きゅうきゅうしゃあ、呼びます。」
僕はいたって冷静だ。すぐに救急車を呼ぶ判断ができるのだから。
すぐにスマホを充電コードから引き抜き、電話アプリを探した。
「やめろ、通報はしなくていい。」
血だらけの女の子はうつぶせの状態からいきなり立ち上がり、ひょいと僕のスマホを取りあげた。
「ちょっ、ちょっと。救急車よばないと。」
その女の子が起き上がったことで、僕は事の重大さを理解する。
ナイフが、ナイフがローブを貫通してお腹のあたりに刺さっているのだ。
かなり深く刺さっているし、出血が多すぎる。
「お、おなかが。ナイフ。ナイフが刺さって。やっぱり救急車呼ばないと!」
女の子がなぜ救急車を拒むのか考える前に、自分より少し背の低いその子からスマホを取り返そうと手を伸ばした。
「まて、話を聞いてくれ。」
少し黄色がかった、まっすぐな瞳でこちらを見て言う。
肩のあたりまで伸びた金色の髪が、割れた窓からの風でなびいている。
オレンジ色の夕日が直接部屋に差し込まれて、その女の子を照らしている。
血だらけのローブを纏ったその姿は、本物の天使の最後のようだった。
僕は何も言えなくなり、伸ばした手を元に戻した。
「私はこのままでは死ぬだろう、出血がひどい。」
そう言ってテーブルに僕のスマホを置いた。お腹からダラダラと血が零れているのに。普通の人間ならもうとっくに死んでいるだろう。死にかけ間際でべらべら喋るのは逆に心配になる。
「そこで1つ提案がある。」
「君の望む願い事を3つ叶えてやろう。」
「できる範囲で。」
天使は条件を付け加えた。
「その代わりに私を助けてくれ。」
願い事?助けろ?何を言っているんだこの子は。
血だらけの女の子を前に頭の整理が追い付かない。
助けてくれっつったって、無理だよ。僕は医者じゃない。たとえ医者だったとしても、この出血なら手遅れだろう。でも、助けないと。柄にもなくそう思った。この天使らしき者の言うことをいちいち疑っている余裕はない。
「そうだ!」
僕は突然ひらめいた。
「1つ目の願い事をする。君のお腹の傷を治して。」
願い事で治してしまえばいいじゃないか。
僕は目の前の天使に願った。
そうすると、なぜか天使の方も神頼みをするように掌をすり合わせはじめた。
「たのむー。たのむー。」
いったい誰に願っているのか。天使の力で願いを叶えるんじゃないのか。
数秒後、僕の部屋にいかにも神々しい光が降り注いだ。
どうやら願い事は聞き届けられたらしい。
天使は両手を広げ、ローブをはためかせてこちらを見る。
まるで神話の世界に入り込んだようだ。
コスプレ天使と思ったことを謝罪したい。これは正真正銘本当の天使だ。
さてさて、これは降り注ぐ光で傷が治っていく的なやつだろう。分かってますよ。
この予想は一瞬で裏切られた。光とともに降ってきたのは医療器具が入った外科医セットだった。
天使は自分で自分のおなかを縫い始めた。
「自分で治すのかよ!」
思わずツッコミが出てしまった。こいつはブラックジャックか。
魔法のような力で治すのかと思ったのだが。
「うへぇ。いたい、いたいよー。いってえよー。」
天使が腹の傷を縫いながらちらちら見てくる。
こっちを見るな。
お願いの言い方がちょっと間違って伝わってしまったのかもしれない。ごめんよ。
必死に笑うのを我慢しながら、
「麻酔大丈夫そう?」としか言えなかった。
絶対笑っちゃだめだ。どう見ても麻酔はしていないのに。
今この子は泣いている。かわいそうじゃないか。僕は、笑っちゃダメな場面で笑いそうになるんだ。
「大丈夫、大丈夫だよー。きっと手術は成功するよ。」
すまない。手術しているのは君なのに、手術前に安心させようとするお医者さんみたいになって。
僕は天使の傷のあたりをあまり見ないようにしつつ、励まし続けた。
わずか数分で手術は無事に終わったらしい。綺麗にお腹の傷が塞がっている。
天使は涙をぬぐい、すぐに元気な顔になってこう言った。
「私、裁縫だけは得意なんだ。」
僕はさすがに笑うしかなかった。
切り替えが早すぎる。しかも裁縫って。あまりに得意気にいうからギャグなのかもわからない。
「何を笑っている。まあ、ともかく。助けてくれてありがとう。」
天使は僕の肩をポンポンっとたたいた。陽気なのかなんなのか。
自分で治したんだからお礼なんていらないだろう。と言いたくなったが、天使からの感謝だ。
快く受け取っておこう。
それにしてもすごい手際だ。もしこの天使が外科医だったら手術依頼が殺到することだろう。
免許はないだろうが、それだと闇医者じゃないか。やはりブラックジャ、、、、、。
僕は我に返って、天使の方をみる。
天使は手術で疲れたのか、無許可でベッドに横になった。まずはその血だらけのローブと土だらけの靴を脱いでほしかったが、まあ、いいとしよう。
天使はローブの上から脇をかきむしり、鼻提灯を膨らませ、よだれを垂らしながら、眠りについた。
「もう寝たのか!?」
一体だれがこの姿をみて天使と呼ぶだろうか。ローブと頭の輪っかがなければ誰も信じないだろう。
ほんとに天使か?いや、ローブはコスプレでもできるが、、、頭の輪っかは確かに浮いている。
「ZZZ~~~。ぐー、ぐー、むにゃ、むにゃ。、、、、、おにぎり。、、、ツナマヨ!」
ツナマヨ!?寝ながらでは発音が難しいだろう。そんなに好きなのか。
しかも手術後だろう。さっきまで別の意味でお腹が空いていたくせに。食欲があることも不思議だ。それに天使もツナマヨたべるのかよ。だめだ、ツッコミどころが多すぎる。
天使の安心しきった寝顔を見ていたら、ふと冷静になった。
いや、ちょっと待て。待つんだ自分。なんだこの現実離れした状況は。勝手に話を進めるな。
まるでアニメの導入のようだ。ジャンルはごちゃ混ぜだが。
うーん。夢にしてはおかしい。リアルすぎる。やっぱりこれは現実だと思う。
訳が分からない。なんで僕の家に突っ込んできたのか。なんでナイフが腹に突き刺さっていたのか。
まだ天使が実在しているということにすら困惑しているというのに。
まあ、壮大な訳あり事情に首を突っ込む気はない。正直どうでもいいことだ。なぜなら、、、。
僕は主人公じゃない。
「ぐーー。」
うーん、やっぱりかわいいな。
天使は寝ながら腹をならしている。本当にお腹がすいているらしい。
あ、そうだった。家に食べ物も飲み物もないんだった。
そうだ、この子が寝ている間に。
僕は机に置いてあった最後の1000円札を握りしめた。
なんか急に楽観的になれたぞ。正常性バイアスよ。ありがとう。僕は、コンビニへ行く。
るんるんスキップしてコンビニまで15分。中途半端な田舎の悪いとこだ。
急いでおにぎりとコーヒーを買った。おつりは全部募金した。レシートはもらわない。
行くときはちんたらしていたくせに、走って帰った。急に、家に帰ったらあの天使がいなくなっているかもしれないと思ったからだ。別にいいけど。
日が沈みかけている。オレンジ色の夕日はさらに赤みがかってきた。
コンビニから帰ってきても天使はまだ寝ていた。安心した。息切れが恥ずかしい。
ベッドのそばから、少し顔をのぞきこんだ。
視線を感じたからなのか、天使の目がパッと開いた。
「完☆全☆復☆活!!」
天使は寝起き早々、ベッドで仰向けのまま拳を高く上げ大声で復活を宣言した。天使の輪っかがさっきよりも明るくなった。
「うゎぁ、びっくりした。」
僕の今日驚いたことランキング2位にランクインした。
天使の拳をよけたために、右手にもっていたコンビニのコーヒーを半分もこぼしてしまった。
コーヒーは天使のローブと床に零れてしまった。アイスコーヒーでよかった。
天使はローブにコーヒーがかかったことと、拳のせいで零れたことを全く気にせず喋りだした。
「本当の本当にありがとう。君は命の恩人だ。」
「僕は何もしてないけど、元気になったならよかったよ。」
本当によかった。
「ちょっと、すまない。」
天使は何に対してかよくわからない謝罪をしながら、ベッドの上に立ち上がり、かがんでいた僕の頭上を飛び越え、テーブルの上に土足で着地した。その謝罪は相殺された。
どうやら人間の世界での道徳心は持ち合わせていないようだ。
「それにしても随分とつまらない部屋だなあ。」
天使はテーブルに立ち、部屋パッと見て純粋に思ったことを言っている。
デリカシーも持ち合わせていないようだ。
もう何も言う気は起らなかった。
「んっんー。改めて自己紹介を、我が名は大天使マネーである。」
ふざけた名前の大天使様をよく見ると2つの瞳に「¥」マークが。この天使を初めて見たときの感想を撤回する。まっすぐな瞳ではなかったようだ。
「金目当て?ごめんけど金はないぞ。すっからかんだ。」
「そうなのか。」
大天使マネー様は少しがっかりとした表情をうかべた。
「ごめんね。」
なぜか僕は謝った。
「いいんだ、金が好きなことに変わりはないが、君は命の恩人だ。」
よっぽど感謝してくれているのか、無邪気な笑顔を見せてくれた。
「おっと、失礼。」
今気づいたのか、曲がっていた金色のわっかを恥ずかしそうに両手で定位置にもどした。
頭のわっかの位置よりも失礼なことがたくさんあるだろう。
と思ったが、かわいいから許す。
「本題に戻ろう。私の話を聞くんだ。」
ずっと聞いてるんだけど。
「君の、君による、君のための願いをあと2つ言え!」
急にリンカーンもどきの演説が始まった。この天使もどきは僕のテーブルを壇上とでも思っているのか。
僕は半分残ったコーヒーをストローで飲みながら正座し、おとなしく観客となった。
天使は左手を後ろにまわし、右手で何かを握るように突き出す。
「少年よ、大志を抱け!」
「それはクラーク博士まるパクリじゃないか!」
名言の知識は歴史の教科書だけなのか。それに少年っつても。まあこの天使が何歳かは知らないが、僕をガキだと思うくらいの年齢なのかも。見た目はどう見ても同い年ほどだが。
「私は君の願いを3つ叶えると約束した。あと2つもあるよ。」
「何にする?何にする?」
茶番を終わらせたかと思えば、目を輝かせてこちらに顔を近づけてきた。
「ちょっと、近いですよ。はなれてください。」
僕は恥ずかしくって顔を横にそらし、肩をつかんで天使を少し遠ざける。とっさに敬語が出た。
「あ、そうだ。聞き忘れてた。3つ願いを叶えると死ぬとか?」
僕は思い出したようにタメ口に戻して聞いた。
「ガハハハハ。誰がそんなこと言っていたんだ。願い事のお礼にちょっとお金が欲しい程度だ。」
「今回は命の恩人ボーナスだ。お金はいらないぞ。」
天使は得意そうな顔で両手を広げて、魔王のような笑い方とともにローブをはためかせた。
「さあ、2つ目の願いを言うのだ!」
「はーやーくー、2つ目の願いを言うのだ!!」
そう言ってせかす天使の足元にはガラスの破片が散乱している。
「じゃあ、君が割ったガラス扉を元に戻して。」
「本当にそんなことでいいのか?」
天使は驚いたようなきょとんとした顔で見てくる。
「そんなこと?君が割ったんじゃないか。」
「まあそうだが、もっと、こう、あるじゃないか。人に言えないようなことでもいいいんだぞ。」
もはや悪魔のささやきである。
「・・・」
「いいんだな。分かった。望みを叶えてやろう。」
天使は僕が黙っていたからそう言った。
さっきのように、天から神々しい光が降り注いだ。
天井から、工具などのガラス修復キット、新しいガラス扉、上下セットの作業着が降ってきた。
天使は僕を全く気にせず、ローブを脱ぎ始め、律儀に作業着に着替え始めた。
僕は紳士なので手で目を覆った。
着替え終わるとすぐに散らばったガラスを拾いはじめ、例のナイフもテーブルの上に置いた。
天使の手際のよい修復により、ガラス扉は元通りになった。ガラスが勝手に元通り!ではなく、天使自ら手作業するとは。やっぱりお願いの言い方がおかしいのかな。
自分で壊したのだから自分で修理するのは当然だとは思うが、一応お礼を言っておこう。
「直すの上手だね。ありがとう。」
「ちっがーーーう。違う違う。なんで私が日曜大工みたいなことをやっているんだ!」
「私の力はこんなものではないというのに。」
天使は地団駄を踏み怒っている。
「ちょっと。2階だから足音静かに。」
僕は今になってクッソうるさくしていたことを反省して、天使にも注意した。
「取り乱してすまない。願いはなんでもいいといったのは私だったな。」
意外と聞き分けがいい天使だと思った。まだこの天使のキャラがつかめない。
「さあ、気を取り直して。最後の願い事を言うのだ。」
なぜか天使はさっきより目を輝かせている。2個目の願いが天使の想定外だったのだろう。僕の願い事に期待されても困る。
「じゃあ、、、、、、。」
僕が言いかけると、天使は好奇心の塊のように、さらに目を輝かせ顔を近づけてきた。
「じゃあ?じゃあ?」
天使の顔が目の前まで来た。
顔をそらさず天使の目を見て言った。
「ナイフで僕の心臓を刺してくれ。」
「え?、、、、、、、、、、、は?」
天使は意表を突かれたといわんばかりの顔である。
「そのテーブルの上のナイフで。」
僕が続けて言う。
「ちょっ、ちょっ、ちょっとまって。何を言っている。取り消すんだ。」
天使はまだ間に合うと、僕を説得したいのか、目を見て声を荒げずに優しく語り掛けてきた。
天から神々しい光が降り注いだ。3回目だともう分かる。確定演出だ。
天使はテーブルに置いてある血が付いたナイフを手に取る。
まるで自分の意志ではなく、誰かに操られているかのように。震えた両手でナイフ握りしめ、僕の心臓に近づける。僕は天使を受け入れるように両腕を広げた。
「殺したくない。なんで、願いを取り消して。いやだよ。もうやだ。ごめん。ほんとに。」
焦りが徐々に絶望へと変わっていく。
僕に死んでほしくないというよりは、ただ人を殺したくないようにも見えた。
「助けて」
天使はそう言った。
さっき助けたじゃないか。
先ほどまでの強気な天使の姿は、もうそこにない。ただの焦った女の子である。
今にでも天使の目からは涙が零れそうである。かわいい。
「かわいい天使の君に殺されるなら、いい人生だったと。そう思える。」
「僕は君のおかげで決心できた。天使のお迎えが来たんだ!」
「違う、ちがうからぁ。」
天使は首を何度も横に振り、嫌がって必死にナイフを僕から遠ざけようとするが、もう止められない。
僕は優しく天使の手にかぶせるように手を握り、一緒に、ゆっくりと、僕の心臓にナイフを突き刺した。
床に溢れ落ちていく僕の血が、拭き残したコーヒーと混ざり合う。
天使はナイフを早く離したい、もう感覚に耐えられないのだろう。
その手を握っているから伝わってくる。
ごめんね。
でも、助けてくれてありがとう。
ずっと隠して生きてきた。
傷つきやすい僕の心。ガラスの心臓。
全部壊してくれたんだ。
僕は、目を閉じた。
最後の言葉は用意していなかった。
日没。
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日が落ちて暗くなっていく部屋。部屋の明かりはついていない。
「はぁ、はぁ。」
天使は人間を殺してしまったことを自覚する。
自分の手にかぶさっていた人間の両手がだらんとなったからだ。
死体は私にもたれかかる。
私はそれを引きずってベッドに寝かせた。
ナイフは心臓に刺さったままである。
命の恩人なのに、私は彼の歳も、名前すら知らない。
涙をぬぐい、天使はふと上を見上げた。なんで気が付かなかったのか。
この部屋はたしかにつまらない。
家具はベッドとテーブルだけ。お金もない。飲食物も。
すべて処分した後のような、生活感のない部屋。
部屋の隅、天井から輪っかのできたロープがぶら下がっていた。
私がこの部屋に来なかったとしても、この人間は最初からそのつもりだったのか。
天使は落ち込んで下を向く。
床に落ちていた未開封のツナマヨおにぎりは、血とコーヒーに浸っている。
食べる気にはならなかった。
続く