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非効率的な喫茶店

作者: 萬道アダム

 休日昼過ぎ。一般的に飲食業のピークタイムといわれる時間帯にも拘らず、「喫茶ジワタネホ」の店内にはただ一人の客もいなかった。この店の店長であるやせ型体系の初老の男性がカウンターの内側でコーヒー豆を挽く騒音のなか、大学生アルバイト・佐々木(ささき)はがらんとした客席の一つに腰掛け新聞を読んでいた。自身の生活とはほとんど関係ないとりとめのない文字列が並ぶなか、ある単語が佐々木の半開きの目に留まった。

「てんちょー、また増税するらしいですよー。」

 コーヒー豆を挽き終わって、いよいよやることのなくなった店長はカウンター内の椅子に腰を下ろし、佐々木同様に新聞を読もうと老眼鏡をかけたところだった。

「あー、そうなの?こないだも増税してたよね。いやあ、世知辛いねえ。」

 予想通りのありきたりな返答に退屈していた佐々木は、センシティブな話題を投げかけた。

「この店の経営、大丈夫なんですか?新聞読んでるだけのバイトに人件費発生してますよ。」

「はははっ。まあ大丈夫ではないけどね。」

 自嘲気味の乾いた笑い声をあげた店長はコーヒーを一口啜った。

「バイトの身分でこういうのもなんですけど、自分が経営のアドバイスしましょうか?」

「ああ、佐々木君って経済学部だったっけ?」

「はい、傘岡(かさおか)大学の経済学部です。」

「そりゃ心強いな。そうだな、お客さんもいないし、少し聞いてみようかな。この店、君ならどうする?」

 老眼鏡を外した店長に向き直られた佐々木は、開きっぱなしの新聞を置いて少し背筋を伸ばした。卓上に立てかけられたメニュー表を手に取ると、店長に見えるようにそれをパラパラと捲った。

「まず、メニューが多すぎですね。しかも、材料が共通してないので在庫の管理コストが余計にかかってます。これはあまりにも非効率的です。」

「なるほど。お客さんに言われるままいろいろと増やしてたけど、確かに多いね。イカ墨パスタとか、月に一回出るかどうかだし。」

「そうなんですよ。その月一回の利益と一ヶ月のイカ墨の管理コストを天秤にかけるべきなんですよ。」

 店長は返事の代わりにコーヒーカップを一口傾けた。

「特に、この『神楽南蛮(かぐらなんばん)のペペロンチーノ』なんて出てるとこ見たことないですよ。」

「ああ、あれは地元の農業高校が作ってる野菜を地元の店で使おう、っていう取り組みでね。まあ確かに滅多に出ないメニューだし、他に神楽南蛮なんて使わないけどね。」

「そういうメニューを減らしていって、共通の材料から作れるメニューだけにすれば管理コストが一気に減って効率的なんですよ。使わない食材で冷蔵庫も物置も一杯じゃないですか。」

 自身の専門分野の話でいつの間にかヒートアップしていた佐々木は、静かに咳払いをして卓上に広げられていた新聞を折りたたんだ。カップに残ったコーヒーを飲み干した店長は、ふと思いついたように椅子から立ち上がってカウンターに肘をついた。

「佐々木君って水曜は非番だったよね。もし時間があったら、水曜の午後二時ごろに店に来てみなよ。その時間帯はお客さん少ないからなにかサービスするよ。」


 水曜の午後は大学の講義も入っておらず、特に予定もなかったため佐々木は少し遅い昼食代を浮かすために「喫茶ジワタネホ」に客として訪れた。入店してカウンターの内側に入りそうになるのを堪えて、客として客席に着いた。

「いらっしゃい。非番なのによく来てくれたね。お礼にしっかりサービスしちゃうよ。」

 客の少ない時間帯なので店内には店長と客の佐々木しかいない。いつも通りの店の様相に落ち着いた佐々木は、ソファに深く座り込んだ。

 サービスのナポリタンを食べていると、ほどなくして一人の老爺(ろうや)が来店した。

 佐々木は「いらっしゃいませ」と言いそうになるのを堪えてコーヒーを一口飲んだ。

 手慣れた様子の老爺は、カウンターでにこやかに迎える店長に向かって「いつもの」と一言伝えると一番奥の客席に身を置いた。

 新聞を壁にして老爺を観察する佐々木だったが、特に変わった様子は見られず、ほどなく店長がコーヒーカップと料理を老爺の元に運んだ。

 皿の上には例の「神楽南蛮のペペロンチーノ」が盛られていた。いかにも色モノ料理であるそれを老爺は至極(しごく)嬉しそうに食べた。

 この老爺の好物の為に厄介極まりないメニューを出し続けているのか。店長のサービス精神に得心(とくしん)した佐々木は老爺の様子を観察し続けた。


 終始笑顔だった老爺が店を出て、再び店内の客がいなくなると店長が二つのコーヒーカップを手に佐々木の向かいの椅子に座った。一つを佐々木の方にもう一つのカップを自分の元に置くと店長は口を開いた。

「あの人ね、お孫さんが農業高校に通ってるんだってさ。」

「ああ、もしかしてあの野菜を作ってるところの?」

「そう。それで、そのお孫さんが作った野菜を食べたいんだけど、反抗期らしくてね。家に持って帰ってくれないんだってさ。」

 店長はネタばらしをする手品師のように困ったような笑みを浮かべた。

「なるほど。その野菜を食べるには、うちに来るしかないと。回りくどいですね。反抗期でもなんでも、お孫さんを説得して直接もらう方がよっぽど効率的なのに。」

「それはまあ、そうなんだけどね。効率だけじゃ上手くいかないもんなんだよ。人生ってのは。なんてね。効率悪い生き方してるから、こんな寂れた喫茶店で帳簿とにらめっこしてるんだけどね。」

 店長は懐から使い古されたノートを取り出すと憎々しげに、しかし愛おしそうにそのノートを小突いた。

 佐々木は返事の代わりにコーヒーカップを一口傾けた。


 自分の人生哲学には反するが、それでも、あの老人の嬉しそうな笑顔と、目の前で帳簿とにらめっこをする店長を見ると、少しはこの人生哲学を考え直してみるのもいいかもしれない。

 奇しくも、ここは昼下がりの喫茶店。考え事にはちょうどいい。

 佐々木は声に出さずに呟くと、がらんとした非効率的な喫茶店で、再びコーヒーカップを傾けた。

※本作はX(旧Twitter)にも掲載しています。

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