猫と過ごした夏休み
女の子たちが一斉に群がっている。ちらほら男子の姿も見える。
中心には段ボール箱があり、みんなが中を覗き込んでは口ぐちに可愛いと叫んでいる。朝の児童玄関はてんやわんやだ。
何だろうと思い、小学校6年生の亮太も後ろから踵を浮かして覗き込んでみた。
「捨て猫。」
まだ片手に乗るような大きさの子猫が2匹、こちらを見上げていた。
箱の一番近くにいる女子数名がこの騒ぎの中心なのだと直ぐに分かった。
一人は押しのけて寄ってこようとする男子をブロックし、もう一人は箱の一番近くでとろけそうに中を覗いており、もう一人は誰かを探すように遠くを見渡している。
いくらもしないうちに、数名の女子が腕をつかんで無理やり担任を連れてきた。
みんなうちのクラスだ。そして、段ボールのまわりにたむろしているのも。
小さな学校なので全学年ひとクラス。たむろしている中に小さな学年の子も交じっているだけだ。
「先生、恵美ちゃんが登校中に捨て猫を見つけたんです。しかも、2匹!」
自慢げに言っているのは良美。大人しい恵美とは対照的に活発で超お天気なやつだ。
みんなして担任を取り囲み、すり寄って女を武器に頼み事をしている。絶対そうだ。ちなみに担任は男。間違っても肉食系ではない。あいつら、きっとクラスで飼ってもいいか交渉してるんだ。くそっ。こんな時ばっかり甘えやがって。
季節は夏。学校のすぐ目の前の小高い山はめちゃくちゃ緑だ。太陽はもうすでに頭の上にあり、玄関前のアスファルトを溶かし始めようとしている。今年の猛暑に大人だと目のやり場に困るような格好の女子が多いんだけど、俺たち小6の男子は全く関心のポイントがずれている。よって全然関係ないのだ。でも担任はきっと悪い気はしてなかったんだろうな。押し切られて、自分たちでしっかり面倒をみるということで、ピロティーの一画が割り当てられることになった。
その日、夏休みが近く、またとてつもなく暑い日だったので、ほとんど勉強らしい勉強にはならなかった。いや、子猫が気になって勉強が手につかなかったと言った方が正しいだろう。給食の牛乳が珍しくはけた。この日の昼休みはピロティーが牛乳くさくなった。
夏休みまであと三日。相変わらず太陽は真上から照り付け、ひたすら水泳の授業が恋しい日だ。六年生は水泳大会があるため、そのまま水泳の課外活動に移れるように体育の時間は6時間目に変更されている。ただ、授業は成績処理が終わっているためか、のんびりムードで進んでいる。先生の脱線もひどい。でも、教科書にはまったく載っていない、もの珍しい話が多いので、結構みんなが真剣に学習している。
脱線のおかげでそれなり短く過ごせた5時間目が終わり、いよいよ待ちに待った水泳の授業だ。気の早いやつは昼休みの内に水着に着替えている。でも、5時間目をこの蒸れる海パンで過ごすのは嫌だったので、涼太は今着替えている。女子の多くも今着替えている。昼休みは子猫の面倒をみるのに使ってしまったのだろう。そう、6年生になっても男女一緒に教室で着替えていたんだぜ。でも、見ようなんて気はあり得なかった。むしろ、自分が見られないように気を付けるのが精一杯だったし、女子はあのてるてる坊主型のバスタオルで着替えていたんだけど、そのあまりにも器用な着替え方はもう日常化していて、幼い男子には意識されることすらなかった。
女子らしく着替えながらきゃっきゃきゃっきゃ言っているのだけど、話題は子猫のこと。夏休みの世話をどうするかということだ。
しばらくは学校のピロティーで飼い、当番を決めて世話をする。当番でない人もいつピロティーに来て遊んでもよい。ただし、エサはかってにやらない。お盆前に近づいたら許可をもらえた家庭から順番に家で面倒をみる。次の担当の人がその家まで子猫を引き取りに行く。女子の掟が決まった。その時、良美がその場にいた数人の男子にも声を掛けた。亮太もその内の一人だった。
「ねえ、男子もいいよね。ちゃんと子猫を家に連れてきてもいいか、聞いてきてね。」半ば強引。おそらく、家の面倒をみなければならない日数と女子の人数を素早く計算して不公平が出ないようにしたんだろう、たぶん。
終業式、珍しく校長先生のお話が短かった。半袖シャツではあったが、ネクタイをしていたので地獄だったのだろう。生徒指導の先生の話も保健の先生の話も同様に短かった。体育館の中はいったい何度なんだろう。じっとしてても玉のような汗が噴き出すし、先生たちのYシャツはランニング以外の部分が肌に張り付いている。
ホームルームでは通例の通知表。じいちゃんと約束していたお小遣い、何とかゲットできた。理科と社会はよかった。あとは普通。
午前放課なんだけど、午後からは明日の水泳大会に向けた課外活動があるので、お昼はそれぞれにお弁当持ち。女子の弁当はどれも猫弁か?普段嫌がる魚とかてんこ盛りじゃないか。何かというとすぐ一致団結という感じの女子なんだけど、子猫の名前は未だに決まらないようだ。オスメスが分からないこともあるのかもしれないが、いつまでもあの子とかこの子ではらちがあかない。結局子猫を拾ってきた恵美が名付け親になり、グレーっぽいやつがショコラ、黄色っぽいやつがマロンと決まったようだ。
水泳が終わり、重い体を感じながらまだまだ沈まない太陽がその体を暖める。体がまだ冷えているので汗が吹き出てこない。それぞれに児童玄関を出て帰り始めるのだが、必ずピロティーに立ち寄って口々にさよならのあいさつをしている。恵美がいる。良美もいる。全く性格が正反対なのに、なんであんなに仲がいいのだろう。活発で怖いもの知らず良美だけど、大人しい恵美に一目おいているのはわかる気がする。いつでも誰にでも優しく穏やかな恵美。ふわっとしていて、なにか包まれたいような、いつもそばにいてほしいような子なんだ。でも、亮太は恵美とあまり口をきいたことがない。係の仕事で配り物をしたときにありがとうと言われるくらいだ。良美とは結構口を聞いている。特にアニメドラマの批評を聞かせてくるのである。いや、口ばかりではない。思いっきり後ろから肩パンチされる。ノートの配付が最後になったからという理不尽なことでパンチしてくるのだ。わけ分かんない。ムッとした顔するとすぐごめんとかいうくせに。それにしても恵美ばかりに目がいくのは何でだろう。不思議な感じだ。マロンを一回高く持ち上げてから自分の頬にすり寄せる。そんなしぐさはいくらでも見ていたいのだ。ただし、正面から見ない。いつも横目でちらっと見る。それが正解だ。
「亮太さんもこっち来ない?」
横目でチラ見したときに恵美と目が合ってしまったらしい。わざとゆっくり歩いていく。
「亮太さんはどっちが可愛いと思う?」
「いや、どっちも。」
「亮ッチは、いつもどっちつかずなんだから。どっち抱っこしたい?」
「とりあえず黄色いやつ。」
「マロンね。はいっ。」
恵美が抱いていない方を選んだ。抱っこというよりは、両手で包む感じか。温かい。水泳で冷えた手はとっくに温かくなってきているが、小さくても生命の熱を感じる。
「こっちも抱っこしてみて。」恵美がマロンを受け取り、ショコラを渡した。その時に恵美の指が亮太の指にかすかに触れた。亮太は手を引っ込めようとして危うくショコラを落とすところだった。良美がちょっとキッとした顔するのがわかった。大丈夫、大事なショコラ、絶対に落とさないよ。でも、代わりにみるみる両耳が真っ赤になっていく。ショコラの熱ではない。なんだこの熱は。
しばらく三人で過ごしていたけど、亮太にその後の時間の記憶は残っていない。
次の日は水泳大会だ。近くの学校で持ち回りに中学校区の小学6年生が集まる。選手はいいが、亮太たちはもっぱら応援で申し訳に全員種目の25M自由形に参加する。強烈な日差しでみんなBBQだ。一日で身体中のメラミン色素が爆発し、黒人間が誕生する。当然行き帰りには子猫のところに立ち寄り、寄ってたかって可愛がっていく。亮太は今日、一日中応援席から恵美と目が合うか何度もチラ見していたのが、とうとう一度も目が合わなかった。子猫のところへ何かを期待したのか、寄っていた。でも、恵美も良美も居なかった。
普段なら絶対に夏休みの学校になんか遊びに来たことがない亮太。でも今年は何故か学校にくることが多かった。大抵はハズレなのだが。
真夏の太陽がシルエットを真上から短く押しつぶし、その上に可愛いピンクと水色の自転車が並んで止まっている。ピロティーの段ボールはいつしかケージに変わっていた。使わなくなったものを誰が持ってきたのだろう。華奢ではあるが、子猫には十分な御殿だ。恵美と良美がケージからショコラとマロンを出して、自由に追いかけ回している。
「亮ッチ、どうしたの?」
どうしたのと言われても困る。マロンを追い回していた良美が気付いて声を掛けてきた。
「別に。暇だったから。」
「はい!」
良美はマロンをつかまえると強制的に亮太に渡した。
「この前みたいに落とさないでよ。」
「落としてないよ。」
「ショコラとマロンと遊びに来たんでしょ。」
「まあ。暇だし。」
「ねえ、みんなで追いかけっこしようよ!」
良美は亮太の手首をつかむと恵美のいる方へ引っ張っていった。
恵美もショコラをつかまえて抱っこしていた。ショコラにひとしきりほおずりするとショコラを亮太に渡した。
「亮ッチ、ショコラとマロンを置いて。10数えたら追いかけっこよ。つかまえた人がそのこを抱っこする権利ありね。10、9・・」
亮太は慌てて子猫を放した。
子猫たちは元気に駆けていく。その後を3つの濃い影が追いかける。亮太はショコラをつかまえた。良美もマロンをつかまえた。大人しい恵美は出遅れた。
「つーかまえた!ねえ亮ッチ、ショコラとマロン、結婚させよう。ハイ、チュー。」
良美はマロンを両手でつかむとぐっと亮太の目の前に突き出した。亮太は同じようにショコラを突き出せばよいことは分かっていたが、ひょいと突き出したのは恵美の前だった。
「やるよ。」
あれ?何してるんだろう。自問する亮太がいた。また、耳が真っ赤になっていく。
恵美はえっという顔をした。
「ショコラは亮太さんがつかまえたんでしょ。どうして?」
「やる。」
亮太はショコラを恵美に押し付けた。
「俺、帰る。走ったらおなかへった。」
恵美はキツネに摘まれたような顔をしていたが、良美は別の顔をしていた。亮太はどちらの表情も見なかった。振り返らず、自転車にまたがると学校から一目散に逃げた。
お盆も近づいたので子猫たちのお泊まりが始まった。アパートに住んでいる子たちは無理だし、男子は亮太以外お泊まりを希望しなかった。亮太の家は姉が猫好きのため、即オーケーが出た・・・というよりも、姉の強制だったけど。
前の順番だった葵さんの家に行くと、ショコラとマロンの入ったケージを渡された。猫砂や猫用のペットフードもある。いつの間にやら、自然と自主的支援が増えていく。ショコラとマロンも一回り大きくなったように思える。快適な環境で人懐っこくなった2匹は一段と甘え方も上手になったようだ。膝の上に乗ってきては撫でた手を甘噛みする。ペロペロと手の甲を舐めることもある。あまり意識はしてなかったが、結構可愛いと思うようになった。姉は一瞬たりとも子猫から離れない様子だ。食事の際も傍に抱いていて母に注意されている。ちょっと分かるような気がする。明日はこの仔たちも恵美の手に渡る。姉ほどではないと思うが、恵美が子猫たちと戯れる様子を思い浮かべると、自分も十分にこの仔たちと関わっておこうと思ったし、しっかり自分に手なづけておきたいと思った。手のひらを上にしておいでをするとショコラは近寄ってくる。そこで人差し指を差し出すとショコラは小さな舌でペロペロと舐めはじめる。ちょっと亮太は自慢したいような気持ちになった。誰に対して?頭の中に顔が浮かびかけたがもみ消した。
朝、亮太は子猫に鼻の頭を舐められて目覚めた。ショコラだ。マロンは姉の布団で一緒に寝ているはず。亮太の部屋にケージを置いてその中で一晩ショコラは過ごすはずだった。どうもケージの扉が歪んでいるのかちょっとした力で開いてしまうようだ。びっくりして思わず腕で払いのけるところだったが、ギリギリセーフだった。
ショコラはきょとんとしている。亮太はショコラに気に入られたようだ。再びショコラは近づくと甘え出した。ラジオ体操までならちょっとだけいいだろう。・・・危うく二度寝するだった亮太は姉にショコラを預けるとマッターホルンのような見事な寝癖のままラジオ体操に飛び出した。
昼頃には恵美が子猫たちをとりにくる予定だ。それまでは十分に遊んでやろう。
亮太は2匹の猫と十分に戯れた。
ピンポーン もうお昼どきか。
玄関のドアを開けるとそこに恵美がいた。
「こんにちは」
しかし、亮太の目は初めてまじまじと恵美の顔を見た。そしてその隣にいる人物に決して目を合わせないようにした。返事が出来なかった。
亮太の本物の視線と別の見えない視線がタカシに集まっているのを感じた恵美は
「タカシくん、ショコラたちを運ぶの、手伝ってくれるの。」
珍しくはしゃいでいる恵美がそこにいた。頭の中が忙しくぐるぐる回転し、結局何も考えられない。
「タカシくん、アパートでしょ。猫と遊べないから私の家で遊ぶことになったの。」
嬉しそうにすんなよ。自分の顔が重力にひかれるように崩れていく。
二人を見比べようとしても金縛りにあったように動けない。その沈黙に恵美はトドメを刺した。全く悪気はなく。
「あのね、タカシくんに水泳大会のあとで告白されたの。」
「恵美ちゃんのおかげでがんばれたってことを伝えたんだ。」
「私、まさか好きだって言われるなんて思ってもみなかった。」
「でも、いいよって言ってくれたから、恵美ちゃんのためにいろいろしてあげようって決めたんだ。だから、お手伝いに来たんだ。」
「タカシくん、ありがとう。」
「このことは、秘密にしてもしようがないから、みんなに言っても別に構わないよ。」
恵美がうんとうなずく。ノロケんじゃねえ。自慢かよ、二人そろって。普通もっと秘密とか、知られないようにするんじゃないのか?そんなに嬉しいのかよ。亮太はなんか泣きたい・・・。
姉が騒ぎに気付いてショコラとマロンの入ったケージ、その他もろもろを抱えて持ってきた。玄関に突っ立つ亮太を押しのけて恵美たちに渡す。姉ですと言うあいさつもそこそこに、もう一度抱っこしていいかとおねだりをする始末。
なんかもう、その後はよく覚えていない。みんな持ってけ。
暑い中、ふとんをかぶって寝ていた。気付くと汗まみれだった。顔も目の周りも。
子猫たちのお泊まりが終わり、猫たちは再びピロティーに戻ってきた。
夏休みも残りわずかだ。少し日が暮れるのも早くなったように感じる。暑いのは暑いのだが、なんとなく真夏の暑さとは違う。
何かささやかな楽しみというか心臓の鼓動がちょっと早くなるような感覚がなくなると、人間ってこれほど弱くなるものか。そして、嫌な奴になっていく。心がすさむとか荒れるというのはこういうことか。
亮太は自分の中にそんな変化が起きているのをあまり自覚はしていなかった。きっと無意識のものなんだろう。
お盆が終わると子猫親衛隊の間でも恵美とタカシのことはうわさになっていた。あの大人しい恵美が信じられないといった感じだったが、女子の間では嫉妬の嵐が吹きまくっていたのだろう。陰では悪意のある噂も流れていた。ただ、亮太にとってはもうどうでもいいことだ。いくつかのカップルが告白したというウワサもあったが、亮太にとってはできるだけ閉じ込めておきたいウワサだった。
それでもたまに子猫親衛隊の中で手をつないでいる二人を見ると小石を蹴ってそっちに飛ばしていた。
二学期の始業式もあと数日に迫ったある日。誰からともなく、大変なニュースが飛び込んできた。亮太は自転車に飛び乗ると立ち漕ぎのまま学校まで飛ばした。
児童玄関前のピロティー周辺は大変だった。殺人事件でもあったのかと思うほど。黄色と黒の工事用ポールで警戒線が張られ、その周りには子供だけでなく、何人かの親もいた。警戒線の中では何人かの男の先生がゴム手袋をして動いていた。ゴム手袋には明らかに血のようなものが付いていた。
ケージも見える。ショコラとマロンのマンションだったところだ。
ニュースは間違いないようだ。何ものかがショコラとマロンを殺した。周りにいる子たちは泣いている。前にも飼っていた鶏がイタチにやられて全滅したことがあった。イタチは生まれたばかりの子猫ならまだしも、子猫とはいえ、これだけ大きくなった個体を襲うことは考えらない。ハクビシンとかアライグマあたりだろうか。恵美とタカシもいて、泣いているくせに手を握っている。こんな時もかよ。亮太はどこにもぶちまけようのない地の底で煮えたぎる気持ちを感じていた。やけくそとはよく言ったもんだ。
先生方によるとどうもケージの扉が歪んでおり、しっかり閉まらなかったため、外に出たショコラが先に襲われ、その後何ものかがケージに侵入しマロンを襲ったのではないかということだ。そう言えば、家にお泊まりした時にケージに入れておいたショコラがいつの間にか出てきたことがあったっけ。
最後の当番だった良美は何か言われたらしく、自分のせいだと言って大泣きしていた。でも先生の言う通り、あれはケージに問題があったのだ。まあ、犯人探しをしてもしょうがない。あれ?良美が涙目のまま、亮太を見たような気がした。何か助けを求める?亮太も別に大意はあったわけではない。これも何かのよしみだ。
周りにいる連中はそうでないと分かっていて明らかに犯人探しをしていた。いや自分たちを納得させてくれるような生け贄を探していたといったほうがよい。最後の当番だった良美にその役が押し付けられたのだ。ちゃんとケージの扉を閉めなかったんだろうって。自分でも切ない良美にとってはそれも自分を納得させるための投げられた浮き輪だったかもしれない。でも、それをつかんでしまってはいけない。良美は大胆な行動や言動が多いのは確かだ。だが、かなり繊細で臆病なところも合わせもつ。良美に限ってとびらをきちんと閉めないわけがない。でも、そこは置いといても、悪役を引き受けてくれそうな、いつもの良美の顔の方が期待されてしまったのだろう。だが、亮太はこんなボロボロの良美を見られたくなかったし、見せたくもなかった。
「ケージの扉が壊れたのは、家にお泊まりに来た時かもしれない!俺、葵ん家から持ってくる時にペットフードや何やらが多くて一回ひっくり返しちゃったんだ。そん時にケージの扉が壊れたのかな!」
一斉にみんなの視線が自分に向いた。えっ何?って感じかな。もちろん、亮太はケージを落としてなんかはいなかった。
「もちろん、ショコラもマロンも無事さ。キャット空中三回転!」
なんだこいつ。周りの視線が亮太に集まる。
「で、次の日の朝、ケージから自分で出てきたショコラに鼻の頭をなめられて起きたんだ。あのケージ、きっと扉が壊れてたんだ!」
壊したのはお前だろう。なに第三者的な発言してんだよ。心の声が周りの目を通して聞こえてくる。でも、亮太は本当に第三者だった。
周りの悲しみの感情が怒りに変わっていく。肌で分かる。周りの視線が変わった。視線の先は完全に亮太に変わっていた。亮太にはこれが正義だった。
残暑厳しい日だ。小さな遺体はやってきた時と同じように段ボール箱に納められ、静かに学校の敷地の隅に置いてあった。ここは飼っていた生き物が死んだ時によく埋められる場所だ。6年生だけでなく、他の学年の子もいた。保護者も何人か見えた。ろうそくや線香など誰かが持ってきたらしい。ペットフードなんかも備えられている。ご丁寧に写真まで用意されている。お泊まりの時にどこかの家庭で撮られたものだろう。なかなか可愛く撮られている。ちょっと目頭が熱くなる写真だ。思い出すとやっぱり辛いもんだ。でも、本物がいる箱の中は先生が絶対に見せなかった。可愛いままのイメージがよい。わざわざ壊す必要はない。恵美とタカシもいた。相変わらずだ。この夏の成果なんだろう。
亮太は葬送の輪をずっと遠巻きに陣取っていた。なぜか良美の姿は見えなかった。誰かが持ってきたのか、お経のCDが流れる。マジかよ。でもCDの効果はてきめんですすり泣く声が上がっている。そんな時、背後に気配を感じた。振り向く間もなく、亮太の背中に顔が触れ、小さな鼻先と額、わずかな髪の毛の感触が押し付けられた。そして、後ろから少し小さな手が伸びてきて亮太の両手を捕まえた。誰にも分からないよう、人混みにまぎれ、静かにそっとだった。それを振り解く間など無く背中を走る神経が硬直し、動くことが出来なかった。その後ろからの「かげ」に合わせるように亮太も同化した。やがて額は右耳へと移り、明らかに亮太の鼓動を聞いていた。「生」の瞬間が欲しかったのだろうか。ほんの一瞬のはずなのだが、亮太にはけっこう長い時間に感じた。やがて、その体温はそっと離れ、何事もなかったことになった。
先生は穴の中に箱を埋め、その上からコンクリートブロックを二つのっけた。重そうだ。でも亮太にはその意味がよく分かった。大切なものが掘り起こされて奪われてしまわないためだ。そのためお墓は頑丈な石で造られている。丁寧にその上にも大きな平たい石が立てられ、そちらはシンボルの意味がもたせられた。
新学期、始業式では校長先生は猫の話はしなかった。担任も淡々と課題を集めていたが、猫の話にはふれなかった。もちろん亮太たちも。また、変わらぬ日常が始まった。いや、卒業に向けて少し準備も始まった。黒くなった肌にちょっとだけ大人に近づいたような気もする。
絵画には印象派があり、羨ましい。
読む人の感性がまるで自覚されているような表現にしたい。まるでそよ風がうぶ毛を撫ぜるように、文章が感性を直接刺激するような。説明的でなく、直接心に触るような文章で。まあ、私には無理だけど。でも、名付けるなら「感性派」かな。
宮沢賢治の「やまなし」のような作品を描きたいが・・・。
最後まで私の作品に触れてくださってありがとうございました。