2:熊五郎と、サトミ。
「よぉっしよしよし、わぁーっしゃわしゃわしゃ」
「なにをしておる?」
「なにって愛でてんのよ」
「そうか……熊五郎がんばれよ」
気絶から目を覚ましすっかり回復したサトミ。
改めて見つめた熊五郎の可愛くも不思議な生態を知ってひとしきり踊り狂ったあと、今は床の上でその小さな体を膝に抱いて、小型のときには意外に柔らかなその体毛をひとしきりワシャワシャしている。
ちょっとヒトには見せられないほどに緩みきった笑顔で。
よだれを垂らしながら。
「が、がぅぅぅ……」
一方、熊五郎は耐えていた。
剣撃にも厳しい自然にも平気の平左で耐えてみせる熊五郎であったが、この一方的に愛でられるぬいぐるみ状態は初めての経験。しかも、郷音が仲良く話していたのを見ている以上、サトミに敵対するわけにもいかず。結果、この未経験の攻撃に、震えながら手出しをせずにいる。
きっと、これも修行の一環であると思って………いるわけではない。
「かわいいなぁ」
「が、がぅぅ」
照れているのだ、生まれて初めてのストレートな愛情表現に。
「信じられないわ、こんな可愛いのに、凶獣ベアル・ベリアルだなんて」
「であるな、わしもはじめは、四度ばかり殺されかけた」
「ほんとに?こんな仔熊に?もしかして、郷音さん弱い?」
「はっはっは、お主よりは強いわ」
郷音の言葉に、サトミ一瞬むっとしつつも首を傾げる。
「ま、まぁ、確かに、騎士の教練で組み討ちも習ってるんだけど、郷音さんの技には耐えられなかったもんね……って、あっ、合気とかやってるの?」
「合気……柔か、うむ、まあ使えぬわけではないな」
「なんだそうか、じゃぁ、納得だわ」
郷音の言葉にサトミは納得した。
が、今度は郷音が納得いかずにむっとした表情を浮かべる。
というのも、今の言い方では、本当は強いわけではないのだが合気をやってるから組み伏せられたのだ、と言っているように聞こえるからだ。そうつまり、それは明らかに格上の格下に対する発言。となれば、郷音は勘弁できない。
他のことならいい。
しかし、郷音の生き様において、戦いの技量に関しては低く見積もられる訳にはいかない。
その分野においてのみは、郷音はすこぶる大人気ないのだ。
「ぬぅぅ、熊五郎、仕合うぞ!」
「がぅ!」
その言葉に、熊五郎は可愛がりホールドをするりと抜けて郷音の足元にすり寄った。
「ちょ、ま、もう」
「外にゆくぞ、端で見ておれ」
「ったく、男ってホント負けず嫌いなんだから」
サトミは思っていた。
年若い女とはいえ、王族付きの騎士団の副団長である自分。
そんな自分と比べて劣っているからと言って、怒るほどのことではないし、むしろそれが普通ではないか、と。なのに、あんな真剣に怒るなんて、中身はおっさんでも見た目通りの若さがなんとなく可愛いな、と。
だからこそ、聖母のような笑みを浮かべて肩をすくめた。
そして、改めて外に出て熊五郎と対峙した郷音に忠告する。
「あんまりいじめないでよ、おっきくなれるかもしれないけど、子熊ちゃんなんだから」
「やかましい、みておれ」
「はいはい」
言うが早いか、刀を抜いて正眼に構える郷音。
そして、それを見て巨大化する熊五郎。
高まる殺気と魔力、澄んだ冷涼なる剣気と黒く禍々しい魔力とが、その支配権を巡ってせめぎ合い、静かな間合いの取り合いが始まる。
まんじりともせず、しかし激しく競り合う一人と一頭。
それは、サトミの予想していた、子熊ちゃんと普通の武士の戦いではなかった。
「……なによ、それ」
サトミは息を殺す。
その顔から、聖母の笑みは消えている。
かわりに、急な喉の渇きを覚え、ゆっくりとつばを飲み込んだ。
と、そのゴクリというかすかな音を合図に、両雄は一気呵成に互いの間合いを乗り越える。
振り下ろされる凶悪な鉤爪、迷いのない袈裟斬りの剣閃。
郷音と熊五郎、互いの初撃を避けるまでもなく皮一枚捨ててその身に受けると、血しぶきを上げて次の手を繰り出す。繰り出される攻撃は空気を裂き風を呼び、踏み出す一歩が地を揺らす。咆哮が耳をつんざき、血煙が視界を奪い、命の削れる匂いがサトミの鼻腔を満たした。
それは、まさに人外VS人外の戦い。
「馬鹿げてるわ……」
その光景に、サトミの心の奥でなにかがトゥクンと音を立てた。
たしかにサトミは、もふもふパラダイスを夢見て転生を希望した少女だ。
しかし、郷音と違い赤子として転生した彼女は神の定める通り剣の道を生きた。大人の意識を保ったままほんの幼い頃から騎士の家で剣を叩き込まれ、白魚の手を血に染めて。
それは騎士団に入ってからも同じ。
彼女は、日々剣を握り、剣に生きてきた。
そして所属した白銀騎士団。
第4王女付の女性騎士団であるその団は、その名前こそきらびやかではあるものの、その任務といえば、ほとんどが泥臭い稽古。さらに、無駄飯ぐらいを避ける名目とやはり訓練の一環として、王都周辺の警戒任務という名の野蛮な魔物狩りをする荒くれ者の集団だった。
おかげで王都では白銀の女傑集団とその名を轟かせている。
そんな中、その女傑集団の副団長にまで自力で上り詰めたサトミ。当然、決死の戦いも命のやり取りも知っている。自らの手で赤く染まっていたその白魚の手は、今や数多くの魔物や野盗の血に染まっているのだ。
なのに、目の前の光景、それは、サトミの知らないさらに上の世界。
「レベル高いとか、そういうレベルじゃない……」
純粋なる暴力のために存在する、殺意の結晶同士の激突。
命がぶつかって、爆ぜる、火花。
そんな光景をただ呆然と見つめるサトミ。高鳴る鼓動、熱くなる身体。そして、何を思ったか、サトミは突然に走り出し、小屋の中へと消えていった。
と、郷音がそれに気づく。
「待て、熊五郎!」
「がぁぁぁぁ……がうぅ?」
「あやつめ、恐れたか?」
「くぅぅ」
郷音は思った、やはり若い娘には無理であったか、と。
が、それは郷音の早とちり。
「仲間に入れなさいよ」
出てきたのは、全身を白銀の甲冑に身を包み、愛剣ヘイリアルを右手にぶら下げたサトミだったのだ。
「ほぉ、あれを見て、その言葉が出るかや」
「舐めないでよ、剣技は確かにあなたのほうが上、でも、負けはしないわ」
「ほぉ、では仕合うか」
「ええ」
サトミの言葉に、ニヤリと微笑む郷音。
そのまま熊五郎に目配せして端に追いやり、目の前にサトミが立つのを待った。
「回復待つわよ」
「すまぬ、神に力を授かっておって必要ない。卑怯とは言わんでくれ」
「何だ、おなじのあるんだ」
「はっはっは、そうか、お主も同じであるか」
そう高らかに笑うと、郷音はゆっくり腰を沈めた。
「ならば手加減無用にて……」
郷音の表情が、変わった。