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郷音ーSATONEー ~落ち武者転生、異世界にて失礼仕る~  作者: 綿涙粉緒
第一章:郷音、異世界に立つ。 第一段:郷音、森を征く。
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3:強敵、そして相棒。

 郷音は、夢を見ていた。


 豊前国、城井谷、寒田の庄の山中。


 鬱蒼と茂る杉の木立の只中に、ぽかりと開いた穴から差し込む陽の中で、ぽかぽかと心地よく居眠りをしている夢だ。遠く小鳥のさえずりが聞こえ葉擦れの音が心地よくそして。


 ぽたりと水滴が落ちた。


「ぬっ、雨であろうか」


 目を覚ます。


 もちろんそこは寒田の庄ではなく、ベリアルの森の中。


 そして彼を見下ろしていたものは。


「ぬぬぬ、仔熊であるか」


 そう、そこにいたのは仔熊。


 地に伏し、気を失っていた郷音の顔を一心不乱に舐める、なんとも可愛らしい熊の仔だったのである。どうやら、心配で見守っていてくれたらしい。


 と、郷音にはわかった。


「おお、かたじけない」


 顔を舐められながら、郷音はその仔熊の頭を撫でる。


「くぅぅ」


 その様子にホッとしたのか、仔熊はその場にぺたんと尻を付けて座った。


 郷音もまた、むくりと体を起こして座る。


 もちろん、無傷だ。


「はて、これは……あの熊公の、仔であるかな」


 大きさは狸よりは少し大型、ずんぐりむっくりとしてまるで黒い毛玉のような熊の仔。なのだが、郷音はその小さな生き物の奥底にとてものこと無視のできない、厄介極まりない力の奔流を感じてもいた。


 だからこそ、あの、さっきまで戦っていたベアル・ベリアルかとも思ったのだが。


「まさか、な、ありえぬ」


 そんなはずはない、生き物は大きくなれど縮みはしない。


 郷音はそう考えるも、頭をブルリと振るってから二三度()ち、自嘲気味に笑った。


「いやいや、いまさらなにをありえぬなどと」


 そう、ここは一切の当たり前の通じない森、であれば。


「斬ってみればわかる」


 彼の持つ唯一絶対、最も信頼する物差し。


 それは、その腰にある。


「では仔熊殿、助けていただいておいて何であるが、失礼仕る」


 言うが早いか、郷音はふっと一息で立ち上がるとそのままの勢いで抜刀し、仔熊めがけて刀を振り出した。


 白刃が仔熊に迫る、が、仔熊は、避けない。


 避けずに、その小さな口でガキリと受け止めた。


「はっはっは、やはりおぬしは」


 郷音は刀を引く、と同時に仔熊もそれを離してそのまま後ろに飛び退る。そして、そこで小さくうなりながら体を震わせた。


 立ち上る、漆黒のオーラ。


 そして、仔熊はむくむくと巨大化し、先ほど郷音を瀕死に追い込んだ大熊、ベアル・ベリアルへとすっかり変じてしまった。


 その恐ろしい姿、しかし顔は。


「ほほぉ、その方、笑っておるな」

「がぁう」


 笑っていた。もちろん、郷音も。


「くははははは、よきかなよきかな!」


 狂喜していた。


「ゆくぞ」

「がう」


 言うが早いか、郷音は躊躇なくべアル・ベリアルへと一足のもとに突っ込む。と、待ってましたとばかりに、べアル・ベリアルもまた郷音が突っ込んでくるその方向に向かって前足を繰り出した。


 それは、先程と全く同じ攻防。


 しかし、郷音はそこで一声挙げて体の真横に刀を据えた。


「そうはいかぬ」


 べアル・ベリアルの前足がものすごい勢いと力で迫り、郷音の体側に沿った刀をぶん殴る。


 ところが郷音は、その凄まじいまでの勢いを逆に利用して真横に飛ぶと、着地と同時にその反力を利用してべアル・ベリアルの脇腹へと地を這うように突っ込んだ。


「全力で突かせてもらう」


 郷音は刀を腰だめにしてベアル・ベリアルに迫る。


 そして、勢いもそのままに、その横腹に刀を突き刺した……と思ったのだが。


 パキーンという音とともに、刀は真っ二つに折れ飛んだ。 


「はっはっは、折れたかよ」


 郷音は笑う。


 そして次の瞬間、激しい衝撃とともに、またしても郷音の意識はいともたやすく暗転した。




 ……そして、数分後。


「いやはや、熊公よ、お主はいちいち小さくならねば駄目なのであるかな」


 再び、顔を舐める仔熊、小型化したべアル・ベリアルの舌の感触で、郷音は目を覚ました。


 とうぜん無傷、刀も元通り。


「折れぬ刀を頼んだはずが、その実、折れても元に戻る刀というのでは、神もまた雑な仕事を為さるものよ……まあ、とはいえ、貫けるとは思うておらなんだが」


 神の刀は折れぬ、それのみに一縷の望みを託しての、特攻。


「しかし、お主も頑丈よな」

「がぅ」


 郷音の言葉に誇らしげに胸を張る仔熊。そして、そのまま後ろ飛びに距離を取ると、またしても巨大化をはじめた。


「くっはぁ、息もつかせぬか。まったく、お主も好きよの」

「がぁう」


 もちろん、郷音も大好きだ。


 こうして、飽くなき戦いに身を投じ、そこにきらめく命の閃光を目にし感じることが、三度の飯よりもなによりも。しかし、だからこそ、この時、郷音の心に小さな迷いが生じた。


 殺めたく、ないのぉ。


「がぁぁう!」


 郷音が心でそうつぶやいたその時、今度はべアル・ベリアルが郷音に向かって突進してきた。その、勢いの凄まじさ。


「なっ」


 郷音は無様にも、転げるように横っ飛びでそれを避ける。


 しかし、ベアルべリアルは、どのようにしたらそうなるのかわからないほど軽快に、突進の勢いを殺さぬまま方向を返すと、前足で郷音の体を踏みに来た。


「ぬはっ」


 すんでのところで郷音は躱す。


――ギィィィン


 躱しざま、お返しとばかりに脛を斬ってみたが、金属をこするような甲高い音がしただけで、傍目にも無傷であることは明白。


「どうしたものかや」

 

 突けぬ、斬れぬ、では埒が明かない。


 しかも相手は、とてものこと獣とは思われぬような、流麗かつ理にかなった体捌きで郷音に迫ってくる。避けても避けても、いやらしいまでに最も避けづらい場所に繰り出される太い前足の一撃、鋭い爪の斬撃、迫る牙の恐怖。


「くう、このままではジリ貧よな」


 郷音はチラリとベアル・ベリアルを見る。


 脳裏に浮かぶのは、先程から頭によぎるも繰り出せない攻撃。


 視線の追う先は、その目標となるべき、小さく丸い、瞳。


「貫けるであろうが……死なせてしまう、か」


 郷音は、雨あられと繰り出される攻撃を避けながら逡巡する。そして、ブルブルと頭を横に振るって意を決した。


「いやいや、手加減無用、であるよな」

「がああああ」


 べアル・ベリアルが答えた気がした。


 ならば。


「ゆくぞ!」


 郷音はシッと短い息を吐いて顔の目前に突進する。


 そしてそのまま、繰り出されたべアル・ベリアルの前足の薙ぎ払いをひょいと軽くはね飛んで避けると、今度こそはとばかりにその眼前へと飛び上がった。


 目の前には、柔らかそうな、眼球。


「ええ、ままよ!」


 郷音は刀を突き刺し……た、と本人ですら思ったその時、何を思ったか郷音は刀を返し、その峰でべアル・ベリアルの鼻面を思いっきり叩いた。


 そして、次の瞬間、やはり郷音は衝撃とともに意識を失ったのである。




 ……で、その数分後。


「がぅ?」

 

 目を開ければ、仔熊が郷音の顔を覗き込み、首を傾げていた。


「うむ、先程は失礼した」


 郷音は、仔熊の目が「なぜ本気を出さない」と、そう問い詰めているように感じ、その場に座り直して深々と頭を下げた。


「殺したくない、など、弱き方が考えることではない」


 いいながら、郷音はゆっくりと立ち上がる。


 同時に、仔熊も後ずさり、これまで通りに巨大化をはじめた。


「よもや、死なぬこの身を卑怯とは思うまい。遠慮なくお命をいただこうと存ずる」


 郷音はそう言うと、もう一度深く頭を下げた。


「今度こそ、心の底より失礼仕る!」


 そして、今日何度目になるのかわからないほど繰り返された、突進。


 再現映像のように、繰り出されるべアル・ベリアルの前足。


 飛び上がる郷音。


 その体がべアル・ベリアルの眼前に迫り、郷音は空中にあるまま刀を逆手に持ち替え、両手でしっかりと柄を握り込んだ。


 しかし、ベアル・ベリアルは動かない。


 まるで、郷音の一撃を待っているかのように。


「驕ったか、熊公!」


 郷音には、それが、郷音の力を低く見積もったべアル・ベリアルの慢心のように感じられてそう叫ぶと、軽い怒りとともに一気にその眼球めがけて突き刺した。


「がぁぁぁう」


 森に響く悲鳴。


 深々と眼窩を貫く刀。


 普通の生き物であれば、これで終わり。


「勝ったか……」


 郷音はつぶやいた。


 が、次の瞬間、またしても郷音の意識は、激しい衝撃とともに暗転したのであった。




 ……そして、やはりその数分後。


「ぬう、油断したわ」

「ぐぁ」


 見れば、またしてもそこにいた仔熊は、誇らしげな表情を浮かべ、これみよがしに左の目の辺りを蚊でも払うよな仕草でコリコリと掻いていた。


 こうしたんだよ。と、言わんばかりに。


「なるほど、目を刺されてなお、動じず払ったというわけか」

「がぁう」

「強いな、お主は」

「がうがう」


 見れば、傷は治っている。


 いや、それどころではなく、眼球もまた、元通りだ。


「なんと、お主も不死身かよ」

「がう?」


 驕りは払ったはずだった、慢心は捨てたと思っていた。


 しかし、自らが不死身に近い身体であるならば、なぜ相手もそうかもしれないと思い至らなかったのか。この、不可思議な森の、その中で生きる生き物であるならば、それも不思議ではないはずだったのに。わかっていたつもりだったのに。


 郷音は、愕然として肩を落とす。


「はぁ、アレほど慢心を戒めたというのに、ただ傷の治りが早い程度のことで、心にかすかな驕りを抱えていたとは」


 これは、完敗であるな、しかし。


 郷音はゆっくりと立ち上がり、そして、待ってましたとばかりに子熊は後ずさり巨大化する。


「終わり、ではあるまい」

「がぁぁう」


 こうして、五度目の戦いは始まり。




 ……今度は、郷音の勝利に終わった。


「戦いながらであれば、傷は癒えまいと踏んだのよ」


 眼前には、目からだくだくと血を流し、荒い息遣いでコテリと横たわる仔熊。どうやら瀕死の状態で仔熊の姿であることを見るに、コレがもとの大きさらしい。


 つまりまだ子供、それが大きく身を変じていたというわけで。


「無理に体を大きくしていたのでは、さすがに、もつまいて」


 そうつぶやきながら郷音は、腰をかがめてその仔熊の体に優しく手を置き、サワサワとその身をなでた。これが、今生の別れと知りつつ、それを惜しむように。


 ところが、なんと仔熊はムクリと起き上がったではないか。


「いやはや、まだ動くかや!」

「がぁう」


 見れば、傷がどんどんと塞がり、血が止まってゆく。


「ううぬ、まこと、お互いバケモンよな」

「がうがう」


 郷音はそう言うと、戦いに満足したのかもう大きくはならずそのまますり寄ってきた仔熊を抱えて膝の上に置き、その場にどかりと腰を下ろした。


 そして、少し思案して告げた。


「五度戦こうてやっと勝てたゆえ、その方を熊五郎と呼びたい」

「がぁぁう!」

「そうか、よいか」


 うれしそうな仔熊、いや熊五郎を見て、郷音は頬笑む。


「鬼の如き強さと傷を瞬く間に治す力、そして、殺しても死なぬ身……か」


 これまでの敵は、みな死んだ。


 この世界でも、あの世界でも。


 言うまでもなく、命の遣取やりとりに次はなく、戦い足りぬと思っても、再び剣を合わせたいと願っても、叶うことはなかった。しかし、この熊五郎であれば。


 終わることない、命の遣取が出来る。


「よき友に出遭うたわい」

「がうがう」


 郷音の膝の上で、熊五郎は嬉しそうに尻を振る。


 それを見て、郷音もまた、朝の日の出を見つめるがごとく、まぶしそうに目を細めた。





 ちなみに、熊五郎の左目の刀傷は、眼球こそ再生し光を取り戻しはしたものの、ついにその痕が消えることはなかった。


 その理由は。


 まあ、言わずもがなで、あろう。

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